心の治癒と魂の覚醒

        

裏切りや忘恩にあったとき

 すでに述べたように、「人を悪く思わない」ことが心の浄化につながり、そのためには損得の判断、無駄なことはしないという姿勢が助けになります。
 しかし、人から裏切られたり、あるいは「恩を仇で返された」ようなことがあると、人を悪く思わないでいることは、かなり難しくなってくるかもしれません。
 人はなぜ裏切りや忘恩によって傷つき、そのために強い憤りを覚えるかといえば、相手に対する信頼や善意の気持ちが踏みにじられたからでしょう。
 つまり、裏切られたということは、相手を信頼していたということであり、恩を仇で返されたということは、相手に善意を向けていた、ということです。最初から信頼も善意も抱かない人からひどいことをされても、相手を信頼する気持ちや、相手に対する善意の気持ちがあった場合ほどには、傷つかないでしょうし、心も乱されず、強い復讐の念も湧いてこないでしょう。
 余談ですが、以前、親しくしていたある会社社長が、詐欺師にだまされて大金をだましとられてしまいました。彼はその詐欺師を信用し、とても仲良くやっていたので、相当ショックを受けたようでした。その後、彼と話をしたところ、「もう誰も信用できなくなってしまった」といい、ぷっつりと私との連絡まで断ってしまいました。詐欺に遭う前は、私たちの関係は和気あいあいとしたものであったのに、私も信用できなくなってしまったようです。彼は、お金を取られただけでなく、大切な心まで取られてしまったのだと思いました。とはいえ、無理もないのかもしれません。

 こういう状況が訪れたときは、まず、心を乱されることは無駄であり、復讐も無駄であると考えることが第一だと思いますが、いきなり相手のことを悪く思わない心境になることは非常に難しいかもしれません。無理にそう思っても、単なるうわべだけになってしまいます。
 そこで、そういう場合は、二つの段階を経ることが必要ではないかと考えています。
 すなわち、相手に対する悪意の気持ちはそのままでいいから、まずは、裏切りや忘恩という「出来事」そのものに対してのみ、肯定的な評価をくだすようにするのです。
 たとえば、「こんなつまらない人間と縁が切れたことは幸いだった」といったようにです。ここにはまだ、相手に対する悪意が込められていますが、このような状況になったことについては、肯定的な評価をしています。
 まずは、こんな感じでワン・クッション置くのです。こうして、出来事そのものを肯定的にとらえることができるようになると、今度はしだいに、相手に対する悪意の気持ちを減少させることができるようになってきます。

 そのためには、「こんなつまらない人間と縁が切れてよかった」と思うより、次のように考えた方がいいかもしれません。
 すなわち、「これでカルマが解消された、あるいは徳を積むことができた」と考えるのです。
 カルマの法則からいえば、「裏切られた」という現象が生じたのは、二つの可能性があったからです。ひとつは、前世において自分がその人を裏切ったので、その報いを受けたという可能性です。もうひとつは、その人は誰かを裏切らなければならない宿命を持っており(その理由は、悪いカルマを積むことで魂を成長させる教訓を学ぶという計画があったのかもしれません)、その裏切る相手として自分が「(相手の魂の成長のために)裏切られる役割を引き受けた」という可能性です。
 このどちらなのかは、もちろんわかりません。しかし、いずれの場合も、悪意や復讐の念さえ抱かなければ、カルマ的には得をしたことになるわけです。
 つまり、前世で自分が相手を裏切ったのなら、マイナスのカルマを持っていたわけですから、裏切られたことで帳消しになったわけです。いわば、「借金」を返せたわけです。霊的な「汚れ」が落ちたといってもいいと思います。
 あるいは、もし相手の魂の成長のために、裏切られる役割を引き受けたのだとしたら、それはプラスのカルマを作ったことになります。いわば、お金を稼いで「天国の銀行」に貯金をしたことになるのです。
 忘恩の場合も同じです。前世で相手に恩を仇で返したための報いであれば、借金を返せたのですし、そうでなければ、収入を得たことになるのです。

 ところが、もし相手があなたの親切に報いたとしましょう。それは物質的なお返しかもしれませんし、感謝などの精神的なお返しかもしれませんが、そうなると、あなたが得た収入は、そのぶんだけ差し引かれることになります。それはある意味では、もったいない話です。
 しかしもし、あなたの親切に対して何のお返しもされなかったら、つまり忘恩の仕打ちをされたら、あなたが作ったプラスのカルマ、いわゆる「徳」は、そのまま自分のものとなってくるのです。
 ですから、現象的にはいかに相手が悪かったとしても、「復讐」や「仕返し」というものは、結局は割に合わず、自分のためにはならないのです。相手にお金を貸して、その借金を踏み倒されたとしたら、非常に憤りを覚えると思いますが、カルマの法則というものは厳格かつ公正なもので、その借金ぶんの恩恵(それはお金とは限りません)は、必ずいつかどこかで受け取ることになるはずです。ですから、実はなにも悔やむことはないわけです。むしろ、そういう経験を覚醒のための自分磨き、成長のチャンスととらえることで、すばらしい「利息」までついてくるのです。

 後にも触れることになりますが、覚醒をするために非常に重要になってくるのが、「積徳」です。どれだけ徳を積んだか、つまり、どれだけ善いカルマを行ったかです。この善いカルマ(徳)は、実際に、お金やエネルギーにそっくりです。修行がうまく進まない状態にあったのが、積徳をしたとたん、いっきに修行が進んで覚醒に到ったという人もいるくらいです。積徳、善のカルマの威力というものは、私たちが想像するよりもはるかに、覚醒修行に影響を与えます。
 そう考えれば、裏切りや忘恩の仕打ちをした人は、私たちに積徳をさせてくれるために、わざわざそういう「役柄」を引き受けてくれたのかもしれないと、そう思うこともできるのではないでしょうか。

 結局、物事を究極の宇宙的なスケールで見るならば、私たちの魂は、お互いに、裏切ったり裏切られたり、傷つけたり傷つけられたりしながら、進化していくようにできているのだと思うのです。たまたま現世では、相手が自分を傷つけたり裏切る番であったにすぎず、前世では、自分が相手を裏切ったり傷つける番であったかもしれないわけです。
 宇宙というものは、このようにしてお互いの魂を進化させていくようにできているのだと思います。そう考えますと、いちいち相手を恨んだり憎んだりするのは、まったくつまらない、ナンセンスなことだと思うのです。ドラマで悪役を演じていた俳優に向かって、憎しみや敵意を抱くようなものです。
 つまり、究極の真理をいえば、相手は自分を裏切ろうとして裏切ったわけではないのです。苦しめようと思って苦しめたのではないのです。もともと、宇宙というものがそうして魂を進化させていくようにできているので、相手はただその宇宙の「シナリオ」にしたがい、役割を演じたにすぎないのです。究極的には、この世に善人も悪人もいないわけです。ただ「進化する魂」だけが存在するにすぎません。世の中で起こる不幸や悪いことに対して、それは誰が悪いわけでもないのです。
 こういう視野から世の中の現象を見ることができるようになれば、誰に対しても、憎しみや復讐の念など起こらなくなるでしょう。それはまさに覚醒の意識そのものなのですが、逆に、こういう視野で世の中の現象を見るように、意識的に努力していくことによって、私たちは覚醒に近づいていくと思うのです。
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コメント

20日の斉藤先生のブログに共感します。生きとし生けるものは全て、神が分化・個別化されたものであり、その本質である愛を体現・経験するために、この世に生まれてきたと。生まれるときには、それぞれの魂が成長課題にあわせて条件を選び、役割を決めて生まれてくる。斉藤先生がおっしゃるとおり、悪人に思われる人も今生では本人と他者、ひいては宇宙全体の進化のためにその役割を演じているのだと。そのシナリオ、理由は人智を超えたものであり、理解する必要はなく、しかしすべては全体の進化、愛へ、最善へ向かうのに必要なことだけが起こっている。そのように心から確信し実践できるように修行したいと思っています。
2010-06-21 Mon 00:53 | URL | WakayamaKajimoto [ 編集 ]
斉藤啓一です。コメント、ありがとうございました。
私たちは、ただ頭のなかだけであれこれ考えているだけでは、たぶん、進化しないのでしょう。経験が必要なのだと思うのです。楽しい経験だけではなく、辛い経験も。しかし、辛い経験をするには、そういう経験を作ってくれる人がいなければなりません。そのために、私たちはたぶん、順番にそういう役柄を引き受けているのだと思うのです。
 だから、そもそも人を責めたり、自分を責めたりすることには、あまり意味がないのだと思います。ただ意味があるのは、ゆるしと愛だけではないのかと。
 そのように心底思えるようになることが、覚醒への道だと思います。
 お互いに、がんばっていきましょう。
2010-06-21 Mon 07:11 | URL | 斉藤啓一 [ 編集 ]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2010-06-21 Mon 11:56 | | [ 編集 ]
私はつい最近、これまで長年にわたって理不尽な要求にも応え、物心ともに援助し続けてきた親族から、さんざん尽くした挙句に、手酷く裏切られるという経験をいたしました。それ以来、大きな喪失感と憎しみでいっぱいの日々を送ってきました。相手を呪い殺してやりたいと、本気で思いました。

どうして正直に生きてきて、良かれと思い、相手のために必死で尽くしてきたのに、自分がこんな目に遭うのか全く納得がいきませんでした。相手は、こちらの良心に甘えてこれを利用しつくし、金銭のみならずこちらの時間、労力を当たり前のように要求・搾取し続け、常に無理難題を押し付けてきました。私は、ずっと長年これに悩まされ続けてきましたが、歯を食いしばって、ずっとこれに耐え、相手の為を思い、一所懸命に駆けずり回ってきました。

それなのにどうしていつもいつも相手の方ばかりが得をするのか、こちらばかりがいつも煮え湯を飲まされ続けなければならないのか、今回の手酷い仕打ちによって、いよいよ我が身が惨めで情けなくなりました。そもそもなぜこんな人間と親戚関係になってしまったのか...。つくづく自身の運命を恨めしく思わずにはいられませんでした。
毎日毎日、相手が憎くて、恨めしくて、何とか復讐することは出来ないかと、気がつけば本気でそんなことばかり考えていました。でも、そんな自分の気持も苦しく、文字通り針の筵、辛い日々でした。

ところが、そんな折、偶然こちらのブログのこのページを見つけました。拝見していく内に、荒立っていた心が少しずつ落ち着いていくのが分かりました。恥ずかしながら、私には前世や来世があるのかどうかも、カルマについても知識がなく、よく分かってはおりません。しかし、それでも、こちらのブログに書かれている内容を読み進めていく内に、不思議なことに、あれ程までに憎しみでいっぱいだった心が静まりました。救われた気持ちになりました。
こちらのサイトに出会っていなかったら、私は人でなくなっていたかもしれません。それを思いますと、ただただ感謝の一言です。本当にありがとうございました。

今後は、卑劣な方法で自分を裏切った者と決別できたこの機会を幸運と思い、自然に任せて忘れられるのであれば、この恨みつらみをスッパリ忘れ、一日も早く、心の底から自分が幸せだと感じられるようになりたいと思います。そしてまた、自分が正しいと信じている生き方を貫いていきたいと思います。

こちらのサイトのお陰で本当に救われました。今後もこちらにおじゃまして、生きていく上でのお手本にさせていただきたく存じます。ありがとうございました。
2016-05-16 Mon 16:30 | URL | kansha [ 編集 ]
斉藤啓一です。kanshaさん、コメントありがとうございました。kanshaさんのお気持ち、私なりによくわかります。世の中には本当に理不尽でひどい人というのがいるものです。憎んで当然だと思います。ただ、憎しみという感情は本当に辛く苦しいものです。復讐の炎が燃えたぎります。それに対して、簡単に「ゆるしなさい」と言う人がいますが、そんなに簡単にゆるせるものではありません。
しかし、時間を経るにつれて、こういう憎悪の感情にとらわれているのは、結局は自分の自由を奪い、幸せの障害になっていることにだんだん気づきました。それはすごく人生を無駄にしているように思えてきました。こんなことにエネルギーを消費するくらいなら、もっと建設的なことに使った方がよいと思うようになってきました。
そう思えるようになるまで、それなりの時間はかかりましたが、気持ちが平安になると、いろいろと物事がよい方向に変わっていく気がしました。
どうか、この険しい状況を乗り越えていかれますように、祈っております。乗り越えることができれば、必ずその後にはおおいなる次なるステップが待っていると思います。
今後も、よろしくお願い申し上げます。



2016-05-16 Mon 17:06 | URL | [ 編集 ]
斉藤先生

私のコメントに対し温かなお言葉を頂戴したばかりか、この苦しい胸の内をご理解くださったこと、本当に有りがたくて、思わず涙が溢れました。

人は、散々な目に遭った挙句に相手を呪わしく思うことさえも「人を呪わば穴二つ」だと称して、戒めようとしますが、そもそもこちらをそのような目に遭わせ、「呪いたい!」と思うまで追い込んだ相手が一番悪いのではないのか?
すでに相手に酷い目に遭わされている被害者が、相手を恨めしく思ったからといって、なぜそれを更に「そのような目に遭わせた者を恨むな、呪ったりするな。」と糾弾されなければならないのか?

と、甚だ理不尽で、絶望的な気持ちでいました。

しかしながら、斉藤先生は私の気持ちをご理解くださり、その上、「簡単に許せるものではない」ともおっしゃって、私の気持ちに寄り添ってくださいました。そのメッセージに、頑なになっていた気持ちが一気にほぐれていきました。本当に、更に救われた思いが致します。

とはいえ、私はまだ相手のことを完全には許せてはいないかもしれません。また、憎らしい、という気持ちがいつどこから沸き上がってくるやもしれません。
それでも、こうしてこのブログで荒んだ気持ちが癒やされ、斉藤先生のあたたかいメッセージに救われたことは、やはり有難いことであり、紛れも無い事実です。

それに、今回の酷い裏切りがなければ斉藤先生との出会いもなかった、ということを思えば、尚の事心が救われる思いが致します。先生のお優しい、しかし力強いコメントを胸に、この苦しい経験を必ず乗り越えていきたいと思います。本当に感謝の一言です。これを何とか乗り越えていきたいと思います。
2016-05-16 Mon 20:58 | URL | kansha [ 編集 ]
斉藤啓一です。kanshaさん、再度コメントありがとうございます。私の拙いコメントが多少なりともお役に立てたようで私も嬉しいです。どうか、ご無理のない範囲で、それなりの時間をかけて、今のお気持ちに向き合っていってください。おっしゃるように、もっとも辛いとき、苦しいときというのは、見方を変えれば、そこには大きなチャンスや幸せへのステップが隠されているものです。kanshaさんは、それを感じ、見抜けるすばらしい感性、才能をお持ちのようです。きっとそれがkansyaさんをよい方向に導いてくれると思います。おからだには気を付けて。健闘を祈ります。
2016-05-16 Mon 21:53 | URL | [ 編集 ]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2016-05-17 Tue 10:07 | | [ 編集 ]

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