心の治癒と魂の覚醒

        

義父の葬儀に出る

 入院していた義父が死んだ。直接の死因は肺炎で89歳だった。死ぬ直後は認知症も出たり、激しく転倒して頭から大量の出血をしたらしい。
 義父母は函館に住んでいるので、家族で大宮から新幹線に乗り、4時間以上かけて函館についた。
 義母は少し変わった性格で、夫が死んだというのに、普段と変わらずケロリとしていた。後にいろいろ話を聞くところによると、人の痛みや苦しみに対して鈍感なところがあり、悪い人ではないのだが、とにかくそういう性格を生まれ持っている人なのだ(この傾向の一部は、私の妻にも引き継がれている)。なので、まだ義父が元気な頃に函館の実家を訪れると、義父から義母のそうしたところの悪口を聞かされたものである。悪口を聞かされるのはあまり気持ちのよいものではないが、実際、義父の語ることには真実があり、私も同じように感じたことが何回かある。義母の方は、自分の悪口を言われても、やはり人ごとのようにケロリとしている。義父によれば、「人の話を聞かない。いくら注意しても同じことを何回も繰り返す」ということであった。義父が入院したときも、単純に「今日は行きたくないから」という理由で、病院にしばらく行かない日もあった。ほとんど他人事のようであり、そこには夫婦愛といったものはまるで感じなかった。
 要するに、義父と義母の夫婦生活は、あまりうまくいってはいなかったということである。

 義母は夫が死んだことを知らされると、特に悲しみ嘆くといった様子もなく、淡々と葬儀屋に連絡をとり、葬儀の日程などを相談したという。
 葬儀は家族葬、すなわち、ごく身近な人だけで行うことになった。そのために、葬儀屋とどのような葬儀内容にするか、いろいろと交渉しなければならなかったが、義母はまったく当てにならず、結局、私が交渉することになった。葬儀屋も商売だから、いろいろなオプションを提示してきて、「他の方々はこれを選んでいます」などと、高いものを選ばせようとする。たとえば、遺体に着せる死に装束なども、安いものは1万円、高いものになると10万円もした。生地の質が違うらしい。私はこういう点については合理的な考え方の持ち主なので、何も感じない死人に高い着物を着せるのは無駄であるとして、一番安いものを選んだ。他にも、どのような棺桶にするかとか、どのような食事にするかとか、たくさんのオプションがあったが、ほとんど最低料金を選んだ。

 それにしても、腹が立ったのは、僧侶に支払う「お布施」だった。これは葬儀とは別料金である。内訳を見ると、基本料金が20万円、戒名代が3万円、食事代が1万円と書かれていた。戒名なども、3つのランクがあり、いわゆる「位の高い戒名」となると、数十万円もするらしい。また、食事代が請求されていたが、これは葬儀が終わってみんなで会食をするときに僧侶も加わっていただくのが本来のやり方であり、結局この僧侶は会食には出席せず、意味不明の「食事代1万円」をとられることになった。そして、基本料金20万円といっても、3、4回、葬儀場や自宅に来て、ほんの短い(しかもへたくそな)お経をあげただけである。それで20万円もとるのである。一ヶ月にどれくらい葬儀が行われるかわからないが、仮に10回としても、月に200万円、年収にすれば2400万円。しかも宗教活動だから税金がほとんどかからない。この金額はそこそこの企業の役員レベルの報酬である。人の死という、ただでさえ悲しく、またいろいろなことでお金がかかるという苦しい人たちを相手に、平気でこうした高額なお金を、ほんのちょっとお経をあげるだけで要求するというのは、仏教徒にあるまじき行為ではないかと私は思う。「坊主丸儲け」という言葉があるが、よくいったものだ。もちろん、なかにはよいお坊さんもたくさんいるとは思うけれども。
 結局、いろいろな面で節約したにもかかわらず、葬儀代とお布施を合わせて百万円以上の金額になった。

 葬儀やその後の会食には、ごく身内だけ10人ほど来たが、ほとんど故人の話題も出ることなく、世間話で終わった。義母の方は、さすがに遺体が棺桶に入れられてふたをするときだけ涙を流していたが、あとはまたケロリとしていた。妻も同じく普段とまるで変わらない様子だった。
 私個人的には、距離が遠いために、ほんの数回しか義父とは会っていないが、それほど話をしなくても、どこか胸の奥で通じ合うものを感じ、親近感を覚えていた。だから、何ともいえない悲しみと寂しさが広がり、それがもともとの鬱病に加わって、ひどい絶望感に襲われた。
 そして、人間の最後は何とあっけないことだろうと思った。89歳という高齢もあっただろうが(つまりけっこう生きたからいいんじゃないかという気持ち)、少なくとも表面上は悲しむ人は誰もみかけなかった。何といっても、義母がケロリとしていることが、私にはショックだった。だれも悲しんでくれる人もなくこの世を去っていく人の気持ちは、どんなものなのだろうかと思った。もっとも、死んでいく人はそんなことは何も感じないのかもしれないが。
 とにかく、事務的でクールな葬式であった。
 すでに書いたように、義父は警察官として最後は警視にまで努力を重ねて登り詰めた人であり、その苦労は相当なものだったと思う。そうして悪人を何人もつかまえて大活躍したであろう。だが、そんな人が死んだときの、この寂しい葬儀はいったい何なのだろう。私は人間の、また人生というもののはかなさをしみじみ感じた。
 もちろん、だからといって、お金をかけて壮大な葬式をやるのがいいと言っているわけではない。むしろその逆であって、葬式は地味な方がよいと思うし、できればそんなものはしなくてすむならしない方がよいとさえ思っている(単に坊主を儲けさせるだけだ)。問題は心だ。寂しいとか悲しいとか思われることなく死んでいくことは、やはり寂しく悲しいものだと感じた。
 私は、義父がかわいそうでならない。
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コメント

お悔やみ申し上げます。

そんな悲しまないでください。

現役中の死ならば、職場の人たちと
繋がってはいますが、90歳くらいとなると
仕事をやめれば、繋がりはだんだん
なくなっていくものです。

ですが、義父には家族の繋がりが
ありました。

孤独死でもありませんでした。

だから、そんなに悲しまないでください。
親族に見守られて旅立ちました。
豪華でなくても、親族という繋がりが、
ある人は、幸いです。

これから結婚してない人は、
孤独死が待ってます。

義父は、結婚して子孫を残して、
その繋がりがあったことが、
血のつながりや婚姻の奇跡です。

婚姻制度がなければ、孤独死しかありません。
それか、ヘルパーさんが施設にいるでしょうが、
忙しすぎて、構うこともそんなにも出来ず、

義父には、家族がいたこと、見送ってもらったこと、
それは、婚姻制度の奇跡。

孤独じゃない。繋がりが90歳になっても
まだある奇跡。

だから、悲しまないでください。

義父が結婚してなければ、孤独死しかないのですから。
直接の血縁でもない義理の息子までかけつけてくれた。

その気持ち、きっと届くものです。
斉藤さんが悲しいと心から思っていること。
きっと届いてると思います。死者はいろんなことがわかるようになる。

心で義父にお疲れさまと、想って、
どうぞ、旅立ちを祝福してください。

旅立った先で幸せに暮らせるように。
2015-08-10 Mon 23:50 | URL | 丸山 [ 編集 ]
斉藤さま

このたびはご愁傷様でございます。
故人が安らかに眠れることを祈ります。

葬儀がイベント化していく今日では、故人を慕い送るという場でさえ商品にされて、悲しく思うこともあります。

ただ、うちの近所のお寺さんは良心的な方で、お金は少しでも安く……という方針でやっておられます。
母の葬儀の時も、仮通夜は自宅で、通夜と葬儀は葬儀場で、3回お経をあげてもらいましたが、片手で十分でした。もちろん戒名も含んでいます。

町内の方への香典は低い金額が設定されていて、お返しも無し…ということになっています。
葬儀代に困窮しないようにと考えられたものです。
これもお寺の住職が働きかけてくれたことによります。

もちろん、付き合いによってはたくさん出すこともありますが。

人の死に触れる度に、自分の中の悪い部分を持って行ってもらってるように感じます。
その流す涙と同時に。

たった一人でも、その人のために涙を流す人が居てくれれば、今まで存在したことに十分に誇って良いような気がしています。
2015-08-11 Tue 11:39 | URL | 黒いネコ [ 編集 ]
斉藤啓一です。丸山さん、黒いネコさん、コメントありがとうございました。そうですね。義父よりもっと孤独に死んでいく人を思えば、恵まれている方だと思います。ただ、義母の態度を思うとやはり少し悲しく思うのですけれど・・・。
黒いネコさんのお坊さんはとても良心的なお坊さんですね。こういう人こそが「僧侶」というのです。こういうお坊さんが世の中にたくさん増えることを祈ります。
2015-08-11 Tue 21:34 | URL | [ 編集 ]
こんにちは
義母に関しては、一般的にも人の痛みに
まったく鈍感な人は大勢いて、

その人たちは、おそらく、「まじりもの」だと
思います。
話すと魅力的ではありませんか?

「まじりもの」は獣の血が混ざっています。

悲しいことですが、「まじりもの」は
この世にたくさんいます。

その人を責めても、理解する心がないか、
心が麻痺しているために、
当人は自覚できません。

だけど、義母は、結婚しているのに、
浮気をして、義父を傷けたりはしてはいない
はずです。

浮気を繰り返し、夫を傷つける主婦がいて、
その夫は自殺してしまいました。
その主婦はまじりの度合いが高かったと
思います。

義母はそこまで、まじりの度合いは
高くはないと察します。

「まじりもの」はどこにでもいるので、
大丈夫です。そんな、驚くことではなく
ただ、わたしも、そういう「まじりもの」の
行動で傷ついて胸を痛めることが
あります。

「まじりもの」の子孫を残さないために、

わたしが出来ることは、
浮気する男性を選ばないことなど、
なるべく子孫が「まじりもの」にならない結婚というのを
したいと思います。

そういうのを見極めて、配偶者を選ぶというのも、新しい見方であり、それこそ、未来へつなぐ、
正しいあり方かもしれません。





2015-08-12 Wed 15:39 | URL | 丸山 [ 編集 ]
ただ、「まじりもの」かそうでないかで、
人を見ると差別にも繋がるので、

単純に、人の痛みがわかる相手か、
嘘をつかない相手か、

それくらいをみるくらいで、丁度いいと思います。

魂が光っている人もいたりして、
いろいろ世の中にはいて、
いろいろいるからこその、地上と言いますか、

とにかく、地上はいろいろと、混在してますね。
2015-08-12 Wed 15:53 | URL | 丸山 [ 編集 ]
よそ様の親族を「まじりもの」など言って
申し訳ありません。
しかし、遠い過去、そういう混じってしまった
ことなどあり、実際にちらほらいるようです。
ですので、あまり気になさらないでください。
2015-08-12 Wed 20:46 | URL | 丸山 [ 編集 ]
もしかすると、この地上は、色々と混在してなければならないのかも知れないので、

そう思うと、混じっていてもそれはそれで
仕方のないことなのかもしれません。
あり方として、そのほうが通常なのかも
知れません・・・

善人ばかりに地上がなると、
そこは天国となってしまうので、
そういう「時」は、まだ先のことかも
知れません。

歴史を繰り返し、繰り返し、体験して、
いつかは、人はその内面に目を向け始める時が
来るのかもしれないし、

でも少なくとも、今は、世俗は乱れているので
今がその時ではないかもなのです。

数千年先の地球はどうなっているのでしょう。
数万年先でも。

今は情報が乱れ、それがどう、整頓されていくのか、もっと乱れていくのか、

色々、この先の未来がどうなっていくのか、
興味ありますね。

地球の環境が住めるところで、ずっと
あっては欲しいものですけど。

2015-08-14 Fri 19:07 | URL | 丸山 [ 編集 ]
そもそも、この日本が世界地図で見ると
あまりにも小さくて、
海で削れていきなくなってしまわないかと、
心配です。

埋め立てをそろそろ開始したほうがいいのでは、
などと思うし、

しかし、調べるとそれほど心配ではないことみたいです。

下記が説明です

陸地の海洋との境目で陸地が海にならない間は、陸の中央部は必ず一定の高度以上で、海水準よりも、高い標高です。

つまり、はやり温暖化のほうが心配であり、

下記がそうです

気候変動などで海水準が変わったときには(例えば6000年前の縄文海進)、陸地が大幅に減少しています

ツバルなども、温暖化での海水面であって、
温暖化は気をつけて、
エコな環境でいたいものですね。
2015-08-14 Fri 21:35 | URL | 丸山 [ 編集 ]
斎藤先生、お葬式の手配、お疲れさまでした。ウツが出ているときに、葬儀の手配を責任を持ってをしなければならないのは、さぞ大変だったろうと察します。
スピリチュアリズムでは、この世が仮の世界であって、人は死んだらあの世で温かく出迎えられ(悪人はまた違うタイプの『あの世』に行くみたいですが)、もっと幸福な世界へ行くので、この世でどんな死に方をしたかはさほど重要ではない、と言われているようです。私も、それはその通りであろうと思っているのですが、だからといって、苦しみ抜いて死んだりすることを『大したことではない』と達観するところまでは行っていません。
私もそうなのですが、ウツが出ているときは、物事のつらい部分を非常に深く感じてしまう傾向があるので、余計お辛い気分になられたのではないでしょうか?
私は、「自分のことを本当に理解してくれる人はいないと思って生きて行った方がいいんだな」と思う事が時々あります。物事を深く考えたり、じっくりと感じたりするタイプの人は、そう思う事が多いようです。
お義父様は、たとえ斎藤先生一人でもそこまで深く感じ入ってくれる方がいることを、あの世でとても嬉しく感じていらっしゃるかもしれませんよ。
2015-08-18 Tue 14:23 | URL | りっくん [ 編集 ]
斉藤啓一です。りっくんさん、励ましのコメント、ありがとうございました。そのように言っていただくと救われます。
2015-08-18 Tue 20:24 | URL | [ 編集 ]
斉藤先生、お疲れさまでした。
お義父様は、国家公務員でそれだけの地位があれば
経済的には心配なかったと思うのですが
人間の幸福は、人間関係にあるのだと思います。

私の行っている教会でも、お金のない人から頼まれてお葬式をしたことがあります。
キリスト教会は無料でもお葬式をやると、聞いてはいましたが、本当にボランティアでやるんだと驚きました。
お花代がかかりましたが、お香典から献金があったので、赤字にはならなかったようです。

私だって、もし大きいお寺の息子に生まれていたら、今頃は疑問も持たずベテランの葬式坊主になっていたでしょう。

ですから、人生の運、不運はわからないものだと思います。



2015-09-13 Sun 07:25 | URL | 両さん [ 編集 ]
このコメントは管理者の承認待ちです
2015-09-13 Sun 22:00 | | [ 編集 ]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2015-09-22 Tue 17:29 | | [ 編集 ]

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