心の治癒と魂の覚醒

        

ウツで会社を辞める

 ウツがひどくなり、先月で会社を辞めた。
 今から3、4年ほど前から、すでにお話したように、公私ともにいろいろストレスがあることが重なり、ウツ病になってしまった。何をする意欲もなくなり、気分はひどく落ち込んで、執筆もできなくなり、ただ一日中、横になって過ごしている日が多くなった。精神科医に行って抗うつ剤を三ヶ月試してみたが効果はなかった。
 しかし、生活のために何か仕事をしなければならない。執筆は神経の使う仕事でもう執筆する意欲はなくなった。仮に執筆して本を出していけたとしても、今日の出版業界は空前の不況で大手の出版社さえも倒産し、書店に並べられた本の半分は売れなくて出版社に返本されるような状態である。したがって、よほどのベストセラー作家でない限り、本を書いて生活できる時代ではなくなった。
 すでに述べたように、ウツになると神経を使うような仕事はできない。無理してやっても長時間できない。それ以前に、そのような仕事をしようという意欲さえ湧いてこない。何か神経を使わない単調な仕事でもないかとハローワークに行って探してみるが、50歳をすぎた私にはほとんど求人がなかった。ときおり「年齢不問」と書いてあるものがあって応募してみたりしたが、実際には年齢制限がある場合が多く、またひどく安い賃金であり、どれも不採用だった。35歳を過ぎると求人件数ががたんと減る。40代の私の友人のひとりは、70件以上もの求人に応募したが、すべて不採用だったという。
 そんな中、ある会社の社長から「うちの会社の社員になりませんか」という誘いを受けた。
 これはまさに仕事を探していた私にとって「渡りに船」ともいうべき有り難いお誘いである。私はそうして社員になった。今から2年前のことである。

 しかし、ウツが治ったわけではないので、仕事をするには大量の精神安定剤を飲んで落ち込んだ気持ちをごまかしながらやらなければならなかった。私は強いウツの落ち込みと闘いながら、毎日のように「神様、助けてください」と祈りながら、片道2時間もかけて通勤したが、助けてくれる気配はないので、ついには「神様、私を殺してください」と祈りながら出勤するようになった。とにかく、死んだ方がどれほどマシかと思うくらい、拷問のような、地獄のような毎日であった。
 すでに前のブログで話したように、大量の精神安定剤を服用したために禁断症状が出てそれにも苦しむようになったので、減薬に挑んでみたが、結局、仕事量がどんどん増えてストレスが積み重なっていくばかりになったので、減薬は失敗し、それどころかさらに増えていく傾向になってしまった。
 そうなると、一ヶ月分を処方されている薬が足りなくなり、一ヶ月しないうちに薬をもらいにいくようになった。医師は平気で大量の薬を出してくれるタイプであったが、薬剤師がうすうす私のオーバードースに気づいたらしく、「一ヶ月しないと薬は渡せませんよ」と言われた。だが、それでは仕事ができず困るので、オーバードースをしている患者がよくやること、すなわち、別の精神科医に同時に通ってそこでも薬をもらうことにした。こうしたことは、もちろんやってはいけないことであり、狂気の沙汰なのであるが、私はそれほど追いつめられていた。

 そうして別の精神科医に行くと、その医師は「会社を辞めても最長1年半は、給料の6割が支給される傷病手当という制度がありますよ」と教えてくれた。私はもう仕事を続けるのに限界を感じていたし、仕事に行けなくなる日も時間の問題だと思っていたので、この傷病手当という制度があると知って、仕事を辞める決意をした。
 別の精神科医に行くことはオーバードースを助長させる狂気の試みであったが、結果的にはこの情報を知ることができて、とりあえず私は救われたことになる。人生というものは、どんなことで道が開かれるかわからないものだ。行きづまったら、今までとは違う行動をとってみるというのも、道を開く上で有効な手段であるということがわかった。
 こうして、先月、会社を辞めた。ちょうど2年勤めたことになる。私の今までの人生でもっとも辛く苦しい日々であった。
  最初は、一ヶ月も休養すれば改善するだろうと思っていたが、すでにもう一ヶ月半ほど、一日の大半を横になって過ごしているが、いっこうによくならない。むしろ、重くなっているような気さえする。とにかく、何もする意欲が湧かない。食事や入浴さえもおっくうになる。ちょっと神経を使うようなことをすると短時間でぐったりしてしまう。ブログなどの文章も書けない。ただ、多少の波があり、比較的調子のよいときもある。いまこうしてブログが書けているのも、今日は比較的調子がいいからなのだが、それでも大きな努力を必要とし、ウツ独特の落ち込みと闘いながら書いている。

 前にも書いたが、ウツの苦しみは経験した人でないとわからないと思う。深い悲しみ、寂しさ、絶望感、虚しさ、とにきは生き埋めにされたような耐え難い息苦しさに襲われる。暗黒の世界にひとり取り残されたような孤独感、いてもたってもいられないほどの強い不安感・・・。
 私のように過去何回かウツを発症させ、抗うつ剤も効かず、長期に渡って治らないウツは「難治性ウツ病」と呼ばれる。難治性鬱病の3分の1は自殺してしまうと、どこかの本に書いてあった。
 確かに、このような拷問のような苦しみを、今日も明日もあさっても、場合によっては何ヶ月も何年も毎日毎日味わわなければならないとしたら、本当に死んだ方がマシだと思う。そして実際、私は一時期、本気で死ぬことを考えていた。どこでどのように死のうかと、かなり具体的に考えていた。
 しかし今は、これも私に課せられた試練だと思って耐えるようにしようと思っている。この苦しみが、神の試練によるものなのか、過去のカルマの報いによるものなのか、魂を磨くために自ら計画したものなのかはわからないが、とにかくこの苦しみを耐えることが求められているのだと思う。また、もし私が自殺してしまったら、今まで「地上人生は魂を鍛えるためのトレーニングジムだ」などと、本やブログに書いたり、セミナーで言ってきたことが嘘になってしまう。私は皆さんをだましたことになってしまう。
 かといって、私はウツの人が自殺したからといって、その人を責める気持ちはまったくない。最近では、ウツ病の人が自殺しても、それは「自殺」ではなく「病死」だと考えるという機運が高まってきている。実際、そうだと思う。単にウツの苦しみから解放されたいという動機だけでなく、ウツという病気は、「自分という存在を消してしまいたい」という、健康な人から見ると奇妙な願望が非常に強くなってくるのだ。それはしばしば抵抗しがたいほど強烈になってくるので、死ぬということがまったく怖くなくなるどころか、甘美なことのようにさえ思えてしまう。そうして何らかのきっかけで自制心を失い、いわば衝動的に自ら命を断ってしまうのだ。私自身も正直なところ、今は死ぬつもりはないが、これ以上、何らかのストレスが積み重なったら、「絶対に死なない」とまで断言できる自信はない。正気を失って死んでしまう可能性が決してないとはいいきれない。

 まだ他にも書きたいことはたくさんあるのだが、ここまで書いてきて具合が悪くなってきたので、今回はこのへんで終わりにしたい。いずれにしろ今の私は、社会的には無職で何の役にも立たず、ベッドや椅子の上で一日じゅうぐったりしながら苦しみにじっと耐えているだけの、まるで死人のようになってしまった。若ければそれもよい経験として後に活かせるだろうけれども、年齢も50代の半ばに来てこのようなありさまでは、社会的には完全な敗者であり、それをブログに書くことは、わざわざ「生き恥」をさらしているようなものである。しかし、この私の体験が、皆さんにとって何らかの参考にでもしていただけたならば、たとえ敗者といえども少しは存在価値があるかなという思いがあり、こうして文章を書いている。
 苦しみのなかで、過去のさまざまな出来事が断片的によみがえってくる。私の人生を振り返ったとき、楽しいことも幸せを感じたこともあったけれども、大半は苦闘と失望の連続だったことに気づく。そういったものが積み重なって、ついに限界がきて倒れてしまったのだと思う。ちょうど、ボディブロウをさんざん浴びせられてきたボクサーが、耐えきれずダウンしてしまったような感じだ。
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コメント

欺瞞なくありのままを語られる斎藤先生のお姿に敬服させられます。

先生の存在価値は計り知れないほど貴重なものです。どれだけ先生のご著書「真実への旅」で元気づけられたことか。

試練の時かと存じますが、
快方へ向かうよう遠方よりご祈念申し上げます。





2015-09-22 Tue 19:37 | URL | 豪力 [ 編集 ]
斉藤啓一です。豪力さん、励ましに満ちたコメント、ありがとうございます。こうしたやさしい言葉が、私をどれほど支えてくれることか。本当に心から感謝申し上げます。
2015-09-22 Tue 21:22 | URL | [ 編集 ]
斎藤先生
お辛い中、自らの経験をブログに書くことで勇気づけられる読者がいるかもしれないとの思いから筆を取られた(キーボードに向かわれた)先生の勇気と率直さに敬意を抱きます。
私は20代のときに、先生と似たような状況を経験しましたが、年齢にかかわりなく、ウツをわずらって「自分は社会の役に立ってない」「存在を消してしまいたい」と思う事はとても辛いものです。とにかく、今はゆっくり休養されて、ウツが改善してから次のことを考えられた方が効率も良いかと思われます。私も、今は一応他人から見れば普通の生活をしているかもしれませんが、人生全体を振り返ると、苦しいことの間に点々のように幸せや嬉しさが感じられたようなものだと思います。ただ、誤解を恐れずに言えば、ウツになった自分を否定する気持ちは、他人に何と言われようと、全くありません。むしろ、ウツになってまで、周囲に安易に迎合しなかった自分を、よくやった、とすら思っています。斎藤先生も、素晴らしい叡智と慈愛を持たれているのですから、ご自分を誇りに思ってくださればいいと思います。たとえしばらくウツでぐったりして、死人のように横たわっていようが、斎藤先生の中から叡智と慈愛が消えてなくなったわけではありません。この世の中で、賢い人ほど、死人のようにぐったりしたり、死にたいとまで思いつめることがあるのだと思います。どうぞ少しでも元気を出してください。皆応援しています。
2015-09-22 Tue 23:53 | URL | りっくん [ 編集 ]
斉藤啓一です。りっくんさん、慈愛に満ちた励ましのコメント、心よりありがたく、感謝いたします。りっくんさんも若い頃は同じような経験をされたのですね。とても勇気づけられました。本当にありがとうございます。
2015-09-23 Wed 00:17 | URL | [ 編集 ]
斉藤先生のご自身の内情を包み隠さず正直に露吐されておられるお姿に非常に感銘を受けました。心よりご自愛くださいますようお祈り申し上げます。皆様方と同じで、まずは鬱を治すことに専念された方がよろしいかと存じます。
私も先生の作品に励まされた者の一人です。
くれぐれもご自身のことを役立たずなどとお考えになりませんよう、重ねてお願いいたします。私は誰が何と言おうと、先生を尊敬しております。先生の一刻も早い回復を日々お祈り申し上げます。
2015-09-23 Wed 00:18 | URL | 夜迦 [ 編集 ]
体調優れぬ折にご返事をいだだきまして
誠にありがとうございます。
豪力です。

斎藤先生のブログを拝見するたびに、いつも「はっ!」と気付かされます。

私はなるべく試練を避けながら「横向き」に歩んでいるとしか言えないのですが、先生は正面を向いて真実の道を突き進んでおられる。自身の弱みをさらけ出すことをも厭わず、また嘲笑されることがあっても、葛藤につぐ葛藤を抱えながら前に進んでいく。

・・もう、何と言いますか、同じく道を求めるものとして自分自身が情けなくて情けなくて・・・・斎藤先生の生き様には正直、頭が上がりません。
私はまだまだ見てみぬふりをしている。その自覚もある。
すいません、独り言が過ぎましたm(__)m

先生のブログのお陰で軌道修正ができました。
気づきをいただき感謝申し上げます。

また是非体調のよろしい時は投稿をいただけますと嬉しいです。
楽しみにしています。
(RSSでチェックしてます)
2015-09-23 Wed 00:40 | URL | 豪力 [ 編集 ]
斉藤先生、ご苦労お察しします。
鬱のときは、薬と休養しかないです。

それで、結局は経済的な問題になりますが、病院の先生と相談されて、障害年金の申請をしてみるといいと思います。

年金は病気が軽ければ、働きながらもらうこともできます。

先生の病状が快方に向かうことをお祈りいたします。
2015-09-23 Wed 03:14 | URL | 両さん [ 編集 ]
斉藤先生

いつも先生の著書に励まされております。

今朝は先生の著書を手に取り、先生のご快復を祈りました。

今日はまた先生の本を読み返したいと思います。

いつもありがとうございます。
2015-09-23 Wed 10:01 | URL | はと [ 編集 ]
斎藤 さま

このブログに救われている人たちがどれほど多いのかが良くわかります。
斎藤さま、とても頑張りましたね、頑張り過ぎたくらいだと思います。

私にはこうやって言葉を綴る以外、何もできません。
何かしてあげられるほどの力を持ちません。
それでもこの場に言葉を重ねてしまいます。

とても深く傷ついてしまっていて、今は立ち上がる力さえ小さくなっているように見えます。
でも、光が小さくなっているとは感じません。
諦めるというような思いを、そこに見つけることもできません。

できるだけ吐き出してください。

できるだけ声を上げてください。

今はご自身のために、ご自身の為だけに、自然の流れに身を任せて欲しいと願います。
微力ですが、少しでも心が軽くなるように祈ります。

太陽はいつもあなたの頭上にあります。
2015-09-23 Wed 11:08 | URL | 黒いネコ [ 編集 ]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2015-09-23 Wed 16:49 | | [ 編集 ]
斉藤啓一です。夜迦 さん、 豪力さん、両さん、はとさん、黒いネコさん、コメントありがとうございました。あまり詳しいご返事を差し上げられないのを申し訳なく思います。しかし皆様からのあたたかいお言葉、私は何度も読み返し、心に刻んでおります。同じことを何度もいうようですが、皆様からのこうしたあたたかいお言葉は、どれほど私を力づけ、励まし、支えてくれることでしょうか。本当に心からありがたく、感謝しています。
 なお、管理人(私)に直接メッセージをくださる方がいらっしゃいますが、このブログのシステムの機能上、ブログのコメント欄以外のメッセージには返信ができないようです。これまで何人かの方々からありがたいメッセージをいただきましたが、上記の理由から、お礼の返信ができません。この場を借りてお礼申し上げます。
2015-09-23 Wed 20:36 | URL | [ 編集 ]
苦しかった期間が長ければ、回復する時間も
長くかかってしまうのかも知れません。

わたしも何もできないで布団の中で
ただ苦しんでいた期間など、けっこうあります。

自分も今、働けるという状態ではないので
何も言えることはないのですが、

就職に関しては、土日に新聞の折り込み求人にある、タクシードライバーや、介護のルート運転手など、50代でも大丈夫なのあります。

新聞の折り込み求人を毎週見てみると、こんなのもあるんだと、60代活躍中と書いてあるのもあります。

そういうのを見ながら、ゆっくり休養してくださいね。
2015-09-26 Sat 20:21 | URL | 丸山 [ 編集 ]
斉藤啓一です。丸山さん、コメントありがとうございました。確かに回復までには時間がかかりそうな感じです。元気で働いている人を見ると羨ましく感じます。
仕事に関しての情報もありがとうございました。私は新聞をとっていないのでわかりませんでしたが、50代以上でもあることはあるのですね。ただ、タクシードライバーは神経を使うので、ウツの私にできるかどうか不安ではありますが・・・。
いずれにしろ、励ましのコメント、心より感謝申し上げます。
丸山さんもお元気になられるよう、お祈りしています。
2015-09-26 Sat 20:35 | URL | [ 編集 ]
お祈りをありがとうございます。
わたしも斉藤先生が苦しみから解放され、
鬱が治っていくこと祈ります。

鬱は、昔の認識は根性論だったかも
知れませんが、

今は、鬱は脳の病気である、というのが
わかってるそうです。
ですから、恥だとは思いません。
スピリチャルのこれまでの作品と、脳の病気は
また別問題だと感じられます。
スピリチャルと、病気を同じく考えることは、まだ脳科学も解明されているものでは
ないと思うので、その点を気になさらないほうが
いいと感じられます…

というのは、どんな思考の持ち主でも、
何故だか鬱になったり、ならなかったり、
癌もいくら煙草を吸ってもなったり、
ならなかったり、
何故だかわからないが、スイッチが入ってしまう、ということが見渡すと時折、見受けられるからです。

以前、鬱は蜃気楼のようなものと書きましたが、
掴みどころがなく、絶対にこういう思考をしたら
鬱病にならない、なんてことはないと
思うのです。

ただ、状況があまりにもハッピーなことがあると、
それにつられる様に、ドーパミンが大量放出して、鬱が飛んでいくというのは確かにあると
思います。しかし、それも何らかの理由で
放出が制限されれば、鬱のままかも知れませんし。
いずれにせよ、スピリチャルを研究されている方が絶対に鬱など病気にかからないというのも
それも違うと思うのです。

ですから、病気のことはそういう意味では
深く気になさらないで、心を楽にされて、
治療されていくのを祈ります。





2015-09-27 Sun 01:30 | URL | 丸山 [ 編集 ]
わたしの場合は、例えば、海の波の写真があったとして、念じればざぶんざぶんと
動いて見えます。止まれと念じるととまります。

すべてのものが、念じれば動いて見えます。
黒いしみが、人が走ってるよう走り出します。

幻覚ですと、止まれという指示はきかないそうですが、脳科学では、この状態も
説明がつかないことだと思います。

幻覚は見たい時に見れます。

自分のマインドも目の前に映し出せて
それを、携帯に念写もします。それは
誰にでも見れるようになってます。

わかってないことはたくさんあるので、
脳のことは、自然に治るように、
なるべく自然に触れることが出来ますよう、祈ります。
2015-09-27 Sun 03:07 | URL | 丸山 [ 編集 ]
斉藤啓一です。丸山さん、理解あふれるやさしいお言葉、ありがとうございました。深く感謝します。
2015-09-27 Sun 17:54 | URL | [ 編集 ]
こんばんは。
以前、こちらにコメントさせていただいたことがあるのですが、そのときは違うHNでした。

ふと、あなた様のブログを思い出して検索したところ、あなた様がうつで苦しまれていること、それをブログ上で書かれている知らせに驚きの心中のまま書かせていただきます。

思い起こせば、あなた様の著作「カバラ数秘術」を若いころに手に取りながら、未来への期待と不安が入りじまった心模様の日々が懐かしく思われます。最初の職場の人たちにこれを使って占い、大変喜ばれたことはとても良い思いでなっています。

私も病気で長期入院をした経験がありますので、ご心中はお察し申し上げます。ですが、苦悩や障害ほど人を成長させてくれるものだとづくづく感じている次第です。

いまは心身とも休ませる時、なにとぞお気を楽にしてご自愛してくださいませ。

心よりあなた様のご健康回復を望む一人より。
2015-10-08 Thu 23:05 | URL | Super Human Crew [ 編集 ]
斉藤啓一です。Super Human Crew さん、励ましのコメントありがとうございました。おっしゃるように、これも魂を成長させる試練だと思って受け入れています。そんななかで、こうして励ましのお言葉をいただくことは、回復に向けての大きな支えになります。心より感謝いたします。
2015-10-09 Fri 12:08 | URL | [ 編集 ]
魂の暗夜を過ぎ越した先には、うつ病というエジブトのファラオの軍勢(煩悩の軍勢)を一網打尽にして、紅海(煩悩の海)を渡りきる奇跡の日(悟りの日=人から裁かれる前に自分を裁く日=死ぬ前に死ぬ日=光の存在を自覚する日)がやって来ると信じます。 希望を捨てずに、カタツムリのような歩みでも、自然の流れの中で、老化して、命の灯が燃え尽きる日が自然に訪れる日まで歩み続けて行きましょう。斉藤先生ほどの正直者を神仏が見捨てるはずが無いじゃありませんか。くれぐれもご自愛くださいますように。
2015-10-12 Mon 04:02 | URL | one chosa [ 編集 ]
斉藤啓一です。one chosa さん、コメントありがとうございました。とても嬉しく、励まされました。心よりお礼申し上げます。今なお回復の光明がまったく見えない状況ですが、one chosa さんのおっしゃるように、与えられた命はそれが自然に燃え尽きるまで生きるつもりでいます。one chosa さんのご健康とご多幸をお祈りしております。
2015-10-12 Mon 20:07 | URL | [ 編集 ]
老子、覚醒と検索して、ここに辿り着きました。
なにか吸い寄せられるかのようでした。

流麗な文章をお読みし、謙虚な方だなぁと、
カテゴリ:覚醒した意識の特徴

から、たくさん興味深く、楽しく読ませていただきました。

なにか、できるだろうかと思ったので、
書き込ませていただきました。

存在してくださって、ありがとうございます。

すごく、
どうみられるとか、
あれができる
あれができないとか
ささいなことで
いろいろ言われる社会ではありますが

存在に感謝いたします。
ここの記事を読むことが出来ました。

実は、わたしは、
どうでもよいのですが、自分では覚醒と呼ぶような体験をしたと思っております

その時からは、
世界が時がたってないようでもあり、
たっているようでもあります



存在していることを
大海のなかで
許されているかのようでもあります

どうでもよいことです
でも、このまま
書いてみます

大海のなかでは
水通しは境目のないようです

あなたに
何が出来るでしょうか

大海の中で
隣の水に話しかけているようで

苦しみのさなか
憂鬱のさなかから
抜け出せなくても

あなたのままで
あるがままで

苦しくって苦しくって
わたしには、
それがわからなくて

学生時代に、
ウツと診断されていたであろう時期が半年ほど
ありました

どういう自分でいけばいいのか
なにが正解の自分なのか
わからなくなりました

人前で表情をつくることすら、
おっくうで、
また、どうしていいかもわかりませんでした


ある日、
それは遠い昔ですが、
全部が自分だと思ったら、
そのときは、
一時の安らぎがありました

それは、しばらくして
その体験があったとき

あぁ、あのときの体験は
ってなにか思い返しました

必死で、自分を探していたんだなと

必死だったと

辛くブラックホールのようで


なにを書いているのか。。
なにができるのかわからないのですが。。

あのときの
自分にもし
言葉をかけるなら

ということしか
思いつきませんでした

直感で書いてみます

あなたが
どんなあなたであっても
ささいなことでしかなくって

本当に存在してくれて
ありがとう

非常に心地悪い中

そこからでれないなら、
無理にでなくていい

心地悪さと
一緒にいて

それでも、
大丈夫だよと

復帰もなくていい

なにもできなくてもいい

二ヶ月本当に
動けなくなるようで

そうだったとしても

それでもいい

世界が必要だというもの全て

自分が必要だと
思うもの全て

それも、
もってなくても
それでもいい

それが嫌でも
それでもいい

言葉がでなくても
それでもいい

あなたは、
生まれたときから
あなたで
あなたから離れたことは無い

わたしは、
あなたの勇気に
涙が出るほどで
あなたの苦しみを
かかえられなんて出来なくて

あなたのそばから
離れてしまうかもしれない

でも、
あなたは
あなたから離れない

それって
とっても高貴で
神聖なもののように思える

あなたの苦しみから
あなたは離れなくって

最後まで
あなたの側にいる
あなたに
永遠の忍耐強さを見る

宇宙を見る

それって、
なんて素晴らしくって

本当に、
見せてくれて
ありがとう

私は、最も
神聖なのは

苦しみと
神聖さの

両方でゆれぎあう
人間にある

深い苦しみに寄り添う

存在だと思った


あなたから
離れない

あなたに
ありがとう

存在を許してくれてありがとう

許せないことも
許してくれて
ありがとう。

わたしは、
この広い宇宙で
出会えたこの一瞬の火花に

深い敬意を感じる

深い中で
通じ合う

表面では
わからない

同士であるがゆえに

同士、永遠の友人として


あなたの
深い炎であるがゆえ

あなたの
それは誇りになり

それは、
次の人の
光になりうるもので

柔らかな淡い光は

あなたが
どこにいっても
2015-10-17 Sat 06:35 | URL | 山 [ 編集 ]
斉藤啓一です。山さん、コメントありがとうございました。とても深い悟りの内容で、どう表現したらいいかわかりませんが、何か啓発されるところがありました。このようなメッセージを送ってくださいまして、心より感謝いたします。
2015-10-17 Sat 20:25 | URL | [ 編集 ]
実は、あなたの 深い炎であるがゆえ

という部分は、炎は、ゴウ という言葉だったのですが、
勘違いをされやすい言葉でもあり、この場では不適当だと思ったので変えたのですが、
なぜか、大切な気がしたので、やっぱり書いておきます。。(過去の自分に対する文章としても)

もし、宇宙になんらかの因果関係、原因と結果それを結ぶゴウ(行為)があるのなら、
楽しいをもたらす原もあるのでしょうか。
これからの因果関係は過去とは関係あるでしょうか?関係ないかもしれません。

新しい因果をどう結びましょうか。
それは誰かの光になるかもしれません
強い魂なので大丈夫じゃないでしょうか。

ウツの人が立ち直った例をたくさん
集めてみるのはどうでしょうか? 1つでも、2つでも。たくさんあるかもしれません
同じ境遇の人たちの光になるかもしれません。

----------
私の場合、どれが私だ って断定するのをやめて
どれも私か、たしかにな、、ってことがきっかけだったような気もします。

につかわしくないことをする と斉藤一人さんは書いていらっしゃるようです。
焼肉を食べに行って、口を油まみれにして、おかわりする など
参考ですが、なにかになりましたら。

大丈夫さ、は宇宙の中にあるより、
大丈夫さ、の中に宇宙があるようでもあります。
なので、あらゆる自由が許されてる節があるのかもしれません。
わかりませんが、、、
大丈夫さから、包み込まれているような観点もあることも感じながら。
2015-10-20 Tue 08:24 | URL | 山 [ 編集 ]

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