心の治癒と魂の覚醒

        

その後のウツの経過

 前回、ブログで私がウツになったことを紹介したところ、たくさんの読者の方々、また友人・知人から励ましのメッセージやメールをいただきました。この場を借りて心より御礼申し上げます。こうした皆様のあたたかいお言葉の方が、薬などよりずっと気持ちを穏やかにし、元気づけてくれます。本当にありがたいと思っています。私はそんな皆様に幸運が訪れますことを祈ります。もっとも私が祈らなくても、こうした(よい)カルマは、いつか必ず善い結果として訪れるでしょう。霊的世界の掟によれば、不純な動機で莫大な寄付をするより、真心をもって苦しんでいる人に優しい言葉をかけてあげることの方が、ずっと高く評価されると、本で読んだ覚えがあります。そのよき報われの訪れは、現世かもしれないし、霊界においてかもしれないし、あるいは来世においてかもしれませんが、必ず大きな幸運が皆様を待っていることは間違いないと思います。もちろん皆様は、そんな動機で私にメッセージをくださったわけではないとは思いますが。

 ところで、私の体調ですが、残念ながらあまり回復していません。ただ、何となく「薄皮をはぐような」感じではありますが、ほんの少しよくなったような感覚もあります。しかしそれで油断して無理をして神経を使うような活動をすると、とたんにその後、ガクンと体調が悪くなります。インターネットの情報によれば、回復までには3ヶ月から6ヶ月の休養が必要だそうです。いま私はだいたい3ヶ月ほど休んでいることになります。回復までの道のりはまだ長そうです。
 ただ、毎日静かに休んでいるわけではなく、どうしてもやらなければならないことがあります。そのなかで一番やっかいなことは、施設に入った母の実家の売却処分です。母の認知症が進んで「家を売却する」という考えが理解できず、また私が母の実の子供ではないなどの理由で、家の処分のために「成年後見人」というものに私がならなければならなくなり、そのための法的手続きがやっかいで、司法書士のもとに行ったり、家庭裁判所や不動産屋や役所に行ったりしています。膨大な書類をかき込まなければならず、ウツで頭が集中できない私にはキツイものがあります。また、家の中の家財も処分しなければならず、あげくの果ては庭の樹木が伸びすぎて隣の敷地に入り込んだため隣の家から苦情が来て、私ひとりで何本もの枝を切るということもしました。そのときは熱中症になりかけたり、顔と肩の二カ所をスズメバチに刺されたりしました。ただでさえ具合が悪くて横になっていたい状態なのに、これこそまさに「泣きっ面に蜂」です。
 しかも、こんな苦労をして家を売却しても、実はその代金は私のもとに一銭も入ってきません。というのは、私の親は家を担保にして生活保護を受けていたからで、売却代金はすべて市に返却することになっています。要するに、私は一文にもならないことをしているわけです。

 また、穏やかに療養生活ができない理由として、お金の心配があります。先日、国民健康保険の請求書が届きましたが、なんと一ヶ月6万5千円もの金額を、今後一年ほど払い続けなければなりません(役所に私が病気で働けない状態なので減額してもらえないかと頼みに行きましたが無駄でした)。そのうえに税金や年金の支払いもあり、家賃(8万円)の支払いもあります。しかも今年は家賃の更新をしなければならず、毎月の家賃にプラスしてさらに一ヶ月分の家賃と不動産屋の手数料として家賃の3分の1を支払わなければなりません。また、義父が死んで義母が北海道で独り暮らしをしているため、妻が一ヶ月おきにいろいろと世話をするために行かなければならず、そのための交通費もかなりの金額になります。これでは、多少の「傷病手当金」をもらっても、とうていまかないきれず、貯金を崩していくよりありません。しかし豊かな貯金があるわけではないので、このままでは貯金がゼロになるのは、だいたい1年後くらいになります。その頃には傷病手当金ももらえなくなるし、その後どのように生活していくかという不安が脳裏から離れません。今のペースでは、1年後にウツが完全に治る可能性は微妙であるし、仮にウツが治って働けるようになったとしても、前のブログで書いたように、この年齢ではほとんど仕事は見つかりません。
 そのようなことを考えると不安になり、それがウツを悪化させ、ウツが悪化するとますます不安を強く感じるようになるという悪循環になっています。経済的な問題が、なかなかウツが回復しない理由のひとつとなっていることは確かです。
 私は、お金に対して罪悪感のようなものは持っていないと思いますが、漠然として「お金持ち」というと、何かいろいろと贅沢をしている人であるというイメージは持っていました。しかし、私のように質素な生活をしてきて、突然病気で働けなくなるということも人生には起こるわけで、贅沢などしなくても、人間的な生活をするには、やはりある程度「お金持ち」でなければならないのだということを、今更ながら痛感しています。
 ある調査によれば、退職から死ぬまでにかかる生活費は、質素な生活をしても5千万円、ある程度上等な生活(ときどき旅行に行ったり趣味を楽しんだりといった程度の)の場合は1億円が必要だと言われています。
 しかし、そんなお金を持っている人は、いま現在、ほんの一部の富裕層だけでしょう。今の日本の貧困層(年収122万円以下)は6人に1人であり、貯蓄がゼロの人は3割にのぼっており、こうした傾向は年々悪化しているとのことです。
 一流企業に勤めている人以外は、いくらまじめにコツコツ働いても、これからの日本社会は「人間らしい生活」をすることが難しくなっているのです。「お金持ち」にならなければ、死ぬまで人間らしい生活をすることは不可能になっているのです。
 お金がたくさんあれば幸せになれるとは限りませんが、人生の多くの問題はお金で解決できてしまうことも事実です。私もお金が十分にあれば、心穏やかにのんびりとウツの回復だけに専念できるであろうし、そもそもウツにはならなかったかもしれません。
 もっとも、人生の問題をお金で解決してしまう生き方が、霊性向上にとってよいことなのか悪いことなのかは議論の余地があると思います。人間はこの世的な苦しみを通して人間性や霊性を向上させていくものだと思うからです。
 とはいっても、生身の肉体を持ってこの世に生きている以上、お金がないことは本当に辛いです。よほど高い境地に達した人は別でしょうが、お金がなければ心の平安を得ることは難しいといえるでしょう。

 そういうわけで、私は気楽にウツの治療に専念している状態ではなく、外面的にも内面的にも苦しみや不安と闘い、回復までに1年というタイムリミットをつきつけられながら、毎日、回復に向けてがんばっているような状態です。
 なんだか、自分の苦労を自慢しているような感じになってしまいましたが、私と同じような、いえ、私よりもっと深刻な状況にあるウツの人はかなりいると思います。そうして追いつめられて、ついには自殺してしまう人もいるのだと思います。私は自殺という選択肢を選ぶつもりはありませんが、自ら命を断ってしまいたいという気持ちはよくわかります。人生というものはこれほどまでに容赦なく過酷なのかと感じます。

 ただ、病気というのは、治そうと無理にがんばらない方がいいようです。私のウツの苦しみは、過去の悪しきカルマによるものか、それとも生まれてくる前に計画したものなのか、それとも神の試練なのかはわかりませんが、とにかく訪れたことには意味があり、それを素直に受け入れて、病気と闘うようなことはしない、病気という思いをなるべく持たない方がいいようなのです。神がゆるせば、治るものなら治るだろうし、治らなければ、何らかの理由で治らない方がいいのだと思うようにしています。苦しみをすべて神にゆだねるようにしています。
 かといって、治す努力は何もせず、怠惰になることを意味しているわけではありません。「天は自ら助ける者を助ける」という聖書の言葉があるように、私はウツを回復するための情報を、インターネットや本、人からのアドバイスなどからできるかぎり集め、実行できることは実行しています(残念ながらお金がかかることはできませんが)。明るい日に散歩したり、温熱療法やオイルマッサージをしたり、自己暗示療法をしたり、その他、レタスにマヨネーズをかけて食べるといった不思議な治療法もアドバイスをいただいたので実行しています。いくつかのサプリやホメオパシーなども服用しています。ボランティアの霊能者から遠隔治療をしてもらっていますし、神社にも病気平癒の祈願をしてもらいました。とにかくどんなことでも可能性があることは試してみるという方針でいます。
 あとは、「人事を尽くして天命を待つ」という心境でいようと思っています。
 人間という存在が苦しみに対処するには、この姿勢が一番いいのではないかと思っています。
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コメント

斎藤様

拝読させていただきました。
豪力です。

心の平安とお金の関係、とても考えさせられます。
自分一人だけならまだしもご家族の生活ことまで案じあければならない二重苦ですからとても気苦労多いことと存じます。

精神のバランスを保ちながらできることを粛々と行う。これ以上にできることはありませんし、その継続の先に光明は見いだせるように思います。

あとは
やるだけやったなら天命に任せるしかない、
ほんとそうですよ。
私もそう思ってなんとか生きてます(^^)


ではでは、
いつも気づきをいただきましてありがとうございます。


斎藤様、
お体ご自愛のほど重々お願い申し上げます。
2015-10-21 Wed 19:52 | URL | 豪力 [ 編集 ]
斉藤啓一です。豪力さん、コメントありがとうございました。お気遣いに感謝いたします。「やるだけやったあら天命に任せるしかない」でがんばっていきます。
2015-10-21 Wed 22:12 | URL | [ 編集 ]
2002年からの愛読者です。
一読して、ご病気、よくなってきたと感じました!!
現実が大変でも。
たしかに、努力してもどうにもならないことは天に任せるというのが一番だと思います。私も悩みで眠れないときには、神様にお願いするのを忘れていたことを思い出します。そしてお任せしますという気になると眠れるのです。
先生、どうぞくれぐれもご自愛下さい。
2015-10-23 Fri 14:50 | URL | [ 編集 ]
斉藤啓一です。コメントありがとうございます。また、古くから私の文章を読んでくださり、感謝いたします。私のウツ、よくなってきたと感じられましたか。私としてはまだまだ道のりは遠いと思っているのですが、第三者から見れば、よくなっているのかもしれませんね。すべてをお任せして過ごしていきます。
2015-10-23 Fri 20:37 | URL | [ 編集 ]
斉藤先生は今、夜道を歩いている所なのですから、日が暮れる心配をすること自体が、取り越し苦労ではありませんか?夜道で太陽(光明)がのぼりますようにと祈るのは、自然の法則にも、人間の法則にも反していますよ。夜なのですから、あわてて夜道を帰る事はなく、腰を落ち着けて、のんびり構えて、ゆっくりと物事をする時なのではありませんか?詩聖ゲーテの若き日の畏友マックス・フォン・クリンゲルに「誠の人間というものは、彼の義務が要請する時と場合に於いてのみ、世の舞台に出なければならないが、それ以外は退いて家庭に帰り、少数の友人と交わり、尊い書籍に学んで、なるべく人知れず生きるべきである」という言葉が有ります。私はこの言葉に大いに共鳴しております。スペインのキリスト教神秘主義者である十字架のヨハネなども、「夜を照らした黒雲」「神の暗黒の光箭」と言っておりますし、白隠禅師も「大円鏡光、黒きこと漆の如し」と同様の主旨のことを言っております。中国禅の第六祖慧能の言っている「一切の福田は心というものを離れない」という言葉の深い意味も、心が鬱病で闇夜であっても、福田(生まれつき一切の道徳仁義・功名富貴という幸福や成功を約束してくれる心の光明としての本心本性、不生の仏心)が一生涯離れることはないという事ではないでしょうか?焦ってはいけません。闇夜はゆっくりと帰りましょう。安岡正篤という陽明学者の「運命と立命-陰隲録の研究-」のような悪業も善業も超越した至誠の人「袁了凡」の立命の人生を記した尊い書籍は、腰を据えて読むと大いに目が開かれるかもしれませんよ。
2015-10-25 Sun 07:14 | URL | 袁人 [ 編集 ]
斉藤啓一です。袁人さん、コメントありがとうございました。確かにおっしゃることはごもっともであり、私もゆっくりと歩きたいと思っていますが、税金と家賃の支払いは待ってはくれない、というところが厳しいところですね。
2015-10-25 Sun 15:02 | URL | [ 編集 ]
税金と家賃の支払いという、火急の必要が満たされますように、ブログをご覧の皆さんに祈って頂きましょう。斉藤先生も祈りの人ジョージ・ミュラーのように、目下の事態を信仰の試練と受け止めて、神のみを見つめて祈り求めるべきです。「一切の福田は心を離れない」という六祖慧能の言葉の別の意味は、福田が単なる潜在能力や潜在的可能性を秘めた心の一機能と見るのではなく、全能なる神そのものだと信じて祈るべき、内なる信仰対象だと信じて生きることを意味していることだと思います。「ジョージ・ミュラーの祈りの秘訣」いのちのことば社が、全託の祈りの参考になります。
2015-10-26 Mon 05:34 | URL | 袁人 [ 編集 ]
斎藤 さま

予測が足りなくて申し訳なく思います。
今からでも可能かもしれませんので、試してください。

斎藤さまの場合、国保の減免が可能だったのではないでしょうか。
正当な理由のある自己都合退職の場合、所得の計算が1/3になります。

【特定理由離職者】に当たると思われますので、今一度確認してみてください。
参考のURLです。
https://www.city.narashino.lg.jp/kurashi/kokuho/kokuhoosirase/hijihatutekirisyokutaisaku.html

http://www.mhlw.go.jp/bunya/koyou/koyouhoken05/pdf/03.pdf

https://www.bengo4.com/other/1142/1274/b_136376/

2015-10-26 Mon 09:27 | URL | 黒いネコ [ 編集 ]
斎藤さま

早く不安から解放されることを願い、余計なことかもしれないと思いつつ、コメントを続けます。

厚生労働省のサイトです。
http://www.mhlw.go.jp/kokoro/support/promotion_4.html

不本意かもしれませんが、障害者年金をもらうこともできるのではないでしょうか。

税金も安くなるような気がします。

今は、ただ休養することだけでいいのですから、使える援助は使っていただきたく思います。

すでにご存じであれば、聞き流してくださいませ。
2015-10-26 Mon 09:44 | URL | 黒いネコ [ 編集 ]
斉藤啓一です。黒いネコさま、貴重な情報をありがとうございました。役所を信用していたのが間違いだったようです。ネットでも調べるべきでした。役所に再度行ってきます。またご報告させていただきます。取り急ぎお礼まで。
2015-10-26 Mon 20:57 | URL | [ 編集 ]
今年の2/28日付けで、精神障害者手帳を返上したばかりの者ですけど、かかりつけの精神科医の診断書が必要になります。それが傷害の等級の判定基準になるのではないかと思います。いきなり本人が役場に行って傷害年金受給とはならないと思うので、担当の精神科医への相談が最優先ではないかと思います。申請してくれる病院の直近の精神病院か心療内科の医師の所見や署名捺印も貰いに行った記憶があります。 外来の事務員が親切に手続きを説明してくれるはずです。私も今年にはいって斉藤先生の本で悟りの世界に誘われたので、回復を祈るばかりです。

2015-10-27 Tue 12:21 | URL | 元障害者 [ 編集 ]
斉藤啓一です。黒いネコさま、先日は情報をありがとうございました。役所に問い合わせましたが、結論からいえば、減額は昨年の収入が土台となっているため、今年度の減額はできないということでした。残念ですが、情報をお寄せいただいたことには感謝いたします。
また、元障害者さんもコメントと情報をありがとうございます。参考にさせていただきます。また回復を祈ってくださり、感謝いたします。
2015-10-27 Tue 21:58 | URL | [ 編集 ]
斉藤さま

せっかく役所にお問い合わせしていただいたのに、残念でした。
民健康保険税が軽減される制度が平成22年4月1日に施行されて、私の時はわずかにその時期から外れてしまい、高額な保険料を払い続けた経験があります。
離職した時に、ハローワークでの細かな説明はなかったですし、社会保険の任意継続や使えそうな制度等は誰も教えてくれませんでしたから。
一部の知っている人だけが有利に利用できる制度も、まだまだあるのでしょうね。

でも、失敗することで、不利な立場を経験することで、とても勉強になりました。
今はそれも必要なことだったのだと感じています。

ひとつ良いことを上げれば、斉藤さまの文面から感じるものが、凪いでいることです。
不安に駆られているという情報なのに、とても穏やかなものしか感じないのです。
不思議ですね。
今の状況を受け入れているからそうなのか、内面の浄化が進んだからなのか、理由はわかりません。
透明に近づいているのでしょうか……。
2015-10-28 Wed 12:46 | URL | 黒いネコ [ 編集 ]
斉藤啓一です。黒いネコさん、コメントありがとうございました。皆様のあたたかい励ましや支えにより、全体的にはほんの少しではありますが、ウツの方は回復に向かっているような気がします。完治まではまだ時間がかかりそうですが、峠は越えたように感じています。もっとも、ウツはちょっとよくなったときが大切らしく、ここで無理をするとさらに深刻になるそうなので注意しなければなりませんが。
私の文章から穏やかなものを感じられたのですね。自分では自分のことがよくわからないので何ともいえませんが、心のどこかで「きっとどうにかなる」という思いがあるためなのかもしれません。ただ気分の方は、毎日毎日、どんよりして澱んだ感じの世界に生きてはおりますが・・・
2015-10-28 Wed 21:47 | URL | [ 編集 ]
先生、こんばんは。
ブラック企業が栄えて、斉藤先生のような方が困窮することに理不尽さを感じます。

先生も書いていらっしゃったように、日本はホームレスでも糖尿病になれる豊かな国です。

本当に困ったら、キリスト教会に行ってみてください。
私が通う貧乏な教会でも、困っている人には500円あげるそうです。
500円あれば、牛丼屋さんで腹いっぱい食べられるでしょう。
大きな教会では、ホームレスの社会復帰も支援していると思います。

いかし、先生には何万もの読者がついています。
必要なものは必要なときに与えられると信じています。

超人覚醒法の本だって、たまたま本屋で見つけたのですから。

チャンスを逃すことはないと思います。

先生がウツを克服して、ベストセラーが書けるように祈っております。
2015-10-31 Sat 18:02 | URL | 両さん [ 編集 ]
斉藤啓一です。両さん、コメントありがとうございました。神は私をどこに連れていこうとしているのか、今はまったくわかりませんが、どこに連れていかれようと、私は決して人間的高潔さと魂の純粋性は失わないようにするつもりです。ホームレスになり、教会で施しを受けるという経験も、長い人生、魂を磨くよい経験になるかもしれません。
そういう運命を神がお望みなら、私はそれを受け入れます。
2015-10-31 Sat 20:41 | URL | [ 編集 ]
斎藤先生

私も、他の読者の方々と同様、先生の文面から、うつ症状が少しずつ回復に向かわれているとの印象を受けました。
私もうつ病を患ったことがあり、ここしばらくは薬なしでもとりあえず生活に支障をきたすことはありませんが、「うつが完全になくなった」と実感することは、まずありません。生きて行けばいくほど、自分に直接関係のあるなしに関わらず「この世はある意味地獄だな」と思う事が多く、先生が「求道者の慰め」というカテゴリでお書きになっているように、「この世は幸せになるための舞台ではないんだな」と思う事しきりです。そして、守護霊などの高い存在は、確かに私たちに常に助けを与えてくれているのだとは思いますが、実際に目に見えたり話したりできるわけではないので、どうしても「もっとわかりやすく実感できる慰めや喜びが欲しいな」と思ってしまいます。更に、こんな話は普通家族や友人とはしないので、ますます孤独感にさいなまれることになってしまうのです。
先生を始め、このHPの読者の方々の多くが、そのような思いを抱えて生きていらっしゃるのではないかと思います。とにかく、同じように考えている人たちがこの世に存在していること、そして先生のようにそのことをクリアに文章にして公開してくださる方がいらっしゃることに深く感謝します。

2015-11-01 Sun 20:22 | URL | りっくん [ 編集 ]
斉藤啓一です。りっくんさん、コメントありがとうございました。励まされました。確かに、ある日突然、すっきりとウツから完全に解放されるということはないような気がします。おそらく、この地上世界そのものが、大なり小なり人をウツにさせる構造になっているからではないかと思ったりもします。でも、皆さんがおっしゃるように、私のウツも少しはよくなっているかもしれません。ただ、まだ無理はききません。ちょっと無理をするとすぐに具合が悪くなります。まだ時間がかかりそうですが、負けずに歩んでいきたいと思います。
2015-11-01 Sun 22:22 | URL | [ 編集 ]
斉藤先生へ
いろいろと現実的な災厄が降りかかってきて大変な時期かと思いますが何卒、目前の困難を乗り越えていただきたく心からお祈り申し上げます。
時には、めげそうになることもあるかと思いますが、最後には必ず乗り越えてくださると信じてます。
もし、埼玉県にお住まいならば、是非、三峰神社に行ってみてくださいませ。秩父の山奥にあり、とても清々しい神気に満ち溢れており、精神面にもいいと思います。また、この神社は、金銭、財政において、強い御利益があるそうです。先生のご多幸を祈ってます。
2015-11-03 Tue 21:53 | URL | 幸運祈祷 [ 編集 ]
斉藤啓一です。励ましのコメント、心より感謝いたします。三峰神社にはむかし行ったことがありますが、とてもいいところですね。近いうちに行ってみようと思います。ありがとうございました。
2015-11-03 Tue 22:14 | URL | [ 編集 ]
地球平和の祈り

罪と苦しみが消えてなくなる

私達が幸せでありますように

地球人類が平和でありますように

神様ありがとうございます

聖者様ありがとうございます
2015-11-05 Thu 00:24 | URL | 滝澤通孝 [ 編集 ]
改めて、いい歌だと思いました
よかったら、聴いてみられて下さい★

焦らず、身を任せながら、、
ですね

きっと、大丈夫です★

「let it be」
http://youtu.be/IgpJD5KzR0k
2015-11-05 Thu 09:14 | URL | 山 [ 編集 ]
聖書の詩篇94:19 わたしのうちに思い煩いの満ちるとき、あなたの慰めはわが魂を喜ばせます。その他、詩篇34:15.18~19.55:22.94:19.イザヤ57:18~19.66:13a.エレミヤ31:13b.2コリント1:4~5.2テサロニケ2:16~17.などが慰めになると思います。
また、特別ないやしの祈りがあります。「イエス・キリストの十字架によるいやしの祈り」という祈りです。祈る前に、イザヤ53:5のみ言葉を心を込めて読みます。「彼が刺し貫かれたのは、わたしたちの背きのためであり、彼が打ち砕かれたのは、わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって、わたしたちに平和が与えられ、彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」この言葉を信じて、十字架上でわたしたちのために釘で手足を打ちつけられ、血を流されたイエス・キリストを思いながら、自分の思いつく限りの罪を一つ一つ告白し「主よ、わたしをいやしてください。」と祈ります。特に重い病の方は、一日七回、この祈りをするとよいと思います。(一日七回とは詩篇119:164あなたの義のさばきのために、私は日に七度、あなたをほめたたえます。に基づいています。)私自身、実証済みです。精神障害者手帳の返上のほかに、サルコイドーシスという国指定の難病の重症化を食い止めることが出来ました。参考まで。
2015-11-10 Tue 09:40 | URL | 元障害者 [ 編集 ]
斉藤啓一です。元障害者様、信仰による癒しの方法をご丁寧に詳しく教えていただき、ありがとうございました。うまくできるかわかりませんが、試してみたいと思います。
2015-11-10 Tue 16:58 | URL | [ 編集 ]
斉藤先生は、ご自分で「悟りを開くためのヒント」という立派なご本をお書きになっているのだから、再読して悟りを開いてしまえば、問題解決です。
2015-11-10 Tue 21:19 | URL | 一読者 [ 編集 ]
斉藤啓一です。一読者さん、コメントありがとうございました。本はあくまでも知識レベルの領域です。本を読めば悟りが開けるなら、世の中のほとんどの人は悟りを開いているでしょう。泳ぎ方を習ったからといって泳ぐことはできないように、知識では悟りは開けません。ですから「ヒント」でしかないのです。人は求道心さえあれば、悟りを開くように導かれるものと考えます。私の病気も、知識レベルではなく、悟りを開くための実践プロセスとして与えられたものであると思っています。
2015-11-10 Tue 21:44 | URL | [ 編集 ]
一休禅師の言葉と易経の言葉を紹介します。真の仏法とは?という問いに対して、一休禅師は、仏法を修行するとは、仏法を習うことではない。僻事(自分の間違った考え)を破ることだ。僻事とは、「迷い、悟り、衆生、仏」の四相を分別心をもって迷いを厭わしく考え、悟りを羨み、凡夫(衆生としての自身)から離れて、仏を(外に)求める心のことである。四相を分別心(知慮心)で理解しようとする限り、四相に妨げられて、迷いの凡夫自身の内にある本分の仏を晦まされて しまうのである。と言われています。
易経の頤卦にも、欲に迷いて自己の固有する霊亀(自分が生まれつき持って生まれた明徳・仏性・ 悟り)を捨てて、頤(下アゴ)を垂れ動かす物欲しげな状(さま)をなすのは、凶なる所以である。とあります。これも同様のことを語っているのではないでしょうか。
2015-11-11 Wed 04:40 | URL | 一求道者 [ 編集 ]
ヨハネ9:1~3に、生まれつきの盲人について弟子たちが「彼が盲目に生まれついたのは、誰が罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」と問うたのに対して、「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざ(一求道者さんの言う、霊亀、仏性、悟り、キリスト教で言う、聖霊の癒しや神癒、内なる人)がこの人に現れるためです。」とあるのは、キリスト教の悟りに他ならないと私は考えています。幕末の儒者で言志四録を著した、佐藤一斎は、儒家の悟りについて、「仏教徒が常に悟りについて口にするからといって、儒者が仏教徒に似ていると言われるのを憚って、悟りという言葉を用いないのは善くないことである。何かにつけて心に感じることや啓発されることがあれば、みな悟りというべきである。」と語っているのは万教に通じる真理の言葉だと思います。仏教徒・儒教徒・キリスト教徒に関係なく、同じ人間の生まれつき固有の本分、本性、本心、主人公、無位の真人、内なる人を問題にしているのですから、宗教の本質的な部分には、何の差別もないと私は考えます。「すべての罪を告白して、(内なる)キリストに癒しを祈る」のは、一休禅師の自己の僻事を破ることに他ならないと考えられます。
2015-11-11 Wed 07:06 | URL | 元障害者 [ 編集 ]
斉藤啓一です。一求道者さん、そして元障害者さん、詳しい情報をありがとうございました。参考にさせていただきます。感謝をこめて。
2015-11-11 Wed 11:53 | URL | [ 編集 ]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2015-11-16 Mon 00:46 | | [ 編集 ]
何回もすみません、気になったので
返信は大丈夫です

クリシュナムルティが
こういっていたと書いてありました。

「Have you not noticed that your parents and teachers tell you that you must amount to something in life, that you must be successful like your uncle or your grandfather?
Or you try to imitate the example of some hero, to be like the Masters, the saints; so you are never free.

君たちは、親や先生たちが、人生で何かに到達しなければならないよ、
おじさんやおじいさんのように成功しなければならないよ、と言うのに気づいたことがないですか。
あるいは君たちは何かの英雄の手本を模倣したり、大師や聖人のようになろうとします。
それで、君たちは決して自由ではないのです。」

ダンテスは、
こう言っていたようです

「君がどうかい?」


指月という言葉があるように、
その人がではなく、その人が指した先にある月を見るように、
彼らが言わんとする方向に目をやらねば、
彼らという表象に囚われてしまうかもしれないですね。

そして、細かい宗教は、
その表象の違いでモメていますが、
その表象の奥にあるものに目を向けるときなのかもですね。

そういった意味では、
私と、世の中で目撃する人々とは、なんの違いもなく

生というバックグラウンドが映し出す影といえば影のようで
私たちは、共有しあっているようにも見えます。

なんの違いがあるでしょうか?

限りのない無限の話をするとき、
人は目覚めに向かう話をします
それは、個の生命が全体の中で目をあけるような経験のようで
それを体現した人の表彰を見るようになったのかもしれません

それは、個から全体の中での
無限性を色々語ったものに過ぎないかもしれません

そういったものは、
表象でのことへの囚われになるかもしれません。

いま、直面している苦しみ

それでも、大丈夫だということだと思います

大変な苦しみかもしれません

自分のことだけしか考えられないかもしれません

人々がみな抱えている苦しみかもしれません
人間らしさってなんだろう?

それを出来るだけの強い魂たち

自分らしさってなんだろう?

何を忘れていただろう?

何を思い出すときだろう?

それでも、大丈夫だと思います

安心と安らぎは、内側に自分をもぐりこませるようでもあります
それは、世界にもぐりこむのと似ているようです

ゆっくり、よりそって
そっとふれあって

生の中にある苦しみと
歓喜にふれあって
2015-11-16 Mon 08:04 | URL | 山 [ 編集 ]
斉藤啓一です。山さん、奥の深いアドバイス、ありがとうございました。潜在意識への示唆となるかと思っています。
2015-11-16 Mon 18:57 | URL | 斉藤啓一 [ 編集 ]

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