心の治癒と魂の覚醒

        

ウツになってよかったこと

 本文に入る前に、ちょっとひとこと述べさせてください。
 本日、名前も住所も書かれていない読者の方から、あるものが届きました。「ブログには書かないでほしい」というご希望でしたので、詳しくは書けませんが、どうしても御礼の一言を言わないではいられないので、ちょっとだけ触れさせていただきます。
 本当に、本当に、ありがとうございます。お手紙に書かれてあったことは、いつか必ずそうさせていただきます。

 さて、私がかつて病院のカウンセラーをしていた頃、40才のガン患者さんが入院していました。余命は一ヶ月か二ヶ月くらいだったと思います。奥様とまだ小さい二人の子供がいました。親も健在でした。そんな家族を残して死んでいくことを諦めきれず、最初は代替療法をはじめ、いろいろな治療法を探していました。あるとき、病状が急に悪化して意識不明となり、2、3日くらいして目が覚めたのですが、そのとき彼はこう言ったのです。
「人生のうちで、今ほど幸せな時はありません!」
 私は最初、意味がわかりませんでした。まだ40才の若さで、仕事面でも家庭面でもこれからもっとも活躍されるであろうこの歳で、しかも家族を残してもうすぐ死んでしまう状態にあるというのに、「今が一番幸せ」とはどういうことなのか?
 理由を尋ねると、彼はこう答えました。
「今ほど、家族の愛、友人の愛、病院のスタッフの皆さんや、人々の愛を感じたことはなかったからです」
 その後、彼は治療法を探すことはやめて、まもなく安らかに息を引き取りました。
 私は彼の言葉を聞いて、そのときは、頭では「なるほど」と思いました。
 しかし、いま自分がウツ病となり、それに対してこのブログの読者をはじめ、友人や知人などから、たくさんの励ましの言葉をいただくようになりました。なかにはけっこう高価と思われる健康器具のようなものを送ってくださったり、「自分も時間給で働いている身ですが、どうしてもお金に困ったら連絡をください」とまで言ってくれた方、高額な国民健康保険の請求が来て役場に行ってもどうにもならなかったことについて「議員に頼めば何とかなるかもしれませんよ。何だったら私がかけあいましょうか?」といってくださった方・・・、このように、お会いしたことも本名さえも知らない読者の方から、これほど身に余るありがたい言葉を頂戴し、思わず涙が溢れてきました。また、励ましの言葉をくださらなくても、影ながら私の健康を祈ってくださっている方もいらっしゃるかと思います。そのような方にも心から御礼申し上げたいと思います。

 思えば、私のこれまでの55年の人生のなかで、今ほどあたたかい言葉をかけてもらえたこと、あたたかい支援をしてもらえたことはありませんでした。私は言葉では言い尽くせないほど、皆さんには感謝しています。もし私が死んだら、皆さんひとりひとりの守護霊となって恩返しがしたいとさえ思っています。
 私はこのような経験をこの地上人生において経験できたことを、とても幸運なことだと思っています。これもいわばウツのおかげであると言えるかと思います。私は今になって、あの男性患者さんの言葉が、頭ではなく、心というか、もっと深いレベルで理解できたように思います。人生で本当に大切なことは、病気が治るとか、お金持ちになるとか(もちろんそういうことも大切ではありますが)、もっと大切なことは「愛を知ること」ではないかと思うのです。
 私はこれまで数え切れないほど「神様、助けてください」と祈りましたが、いっこうに苦しみから解放されることがないので、神に対して不信感を抱くようになっていました。しかし、神の目から見れば、ウツが治ることが「救い」なのではなく、こうして人々のあたたかい心、愛を体験することこそが、本当の意味で「救い」ではないのかと思えるようになりました。人生において、愛し愛される体験をすることこそが、人間にとっての真の救いであり、幸福ではないのかと思うのです。

 実は、私は神に対する不信だけでなく、人間に対する不信にも陥りそうになっていました。表の顔と裏の顔の違い、偽善性といったことも目にし、人間というものに対して失望の気持ちが強くなっていきました。そういうことで、私のウツが重くなっていったひとつの原因となったことは確かだと思います。
 しかし、すばらしい人とも出会いました。その中のひとりは、まだ若く、謙虚でおとなしく目立たない感じの人でしたが、私はその人が秘めている霊性の高さをうすうす感じていました。私の推測は正しく、私が会社を辞めるときにウツに効く代替医療の薬と励ましの言葉をもらいました。そうしたあたたかい言葉をかけてくれたのは彼一人だけでした。また、会社を辞めてからも、私を心配して励ましの電話をくれました。こういう人こそが、本当に霊性が高い人だと私は思うのです。

 私のこれまでの人生を振り返るとき、一般の人と比べると、けっこう極端な体験をしてきたなと思います。あるときは「先生」などと呼ばれてVIPのように扱われたかと思うと、あるときは人を人とも思わないようなひどい状況のなかに身をおいて過酷で屈辱的な扱いを受けたことも数多くあります。尊敬に値するすばらしい人や、いわゆるセレブという方々と交流させていただいたかと思うと、(こういう言い方をしては何ですが)人間として最低最悪の腐りきった人と一緒に「同じ釜の飯」を食べたこともありました。聖者のような献身的で謙虚な人に会ったかと思うと、ドラマにでも出てくるような「金の亡者」にも会ったりしました。大企業から数億円をだました「一流の詐欺師」にも会ったことがあります。また、世の中から尊敬されている人の「裏の顔」を見て失望したことも少なからずあります。
 こうしたことは、非常に不愉快で辛いときもありましたが、今振り返れば、どれも貴重な「すばらしい」体験であったと思っています。たぶん、そういう極端な経験をするように、私の魂が計画していたのか、あるいは神様が経験させてくれたのだと思っています。
 今は、私にひどいことをした人を恨んではいません。まあ、思い出すと正直少し腹が立つ思いはしますが、恨んではいません。私も人を不愉快にさせたり傷つけたりしたこともあったと思いますので、そうしたことはお互いさまということで、許すことが大切だと思っています。地上世界には完全な人などいないのですから。しかし今回ウツになったことで、私は神と人間不信から解放されました。これも皆様のおかげです。
 霊性が高いか低いかは、すぐにわかります。どれほどスピリチュアルな知識があるとか、霊能力があるとかは関係ありません。真に霊性が高い人というのは、その愛と謙虚さがどれだけあるかで決まります。なぜなら、霊性とは結局は「愛」であり、愛があれば自然に謙虚になるからです。こういう人は、特別な使命を持った人は別として、たいていは目立ちません。なので、「人を押しのけてまで自分の利益を考える」人ほど成功しやすい今の社会構造では、いわゆる「平凡」な人が多いのです。ときには社会的に虐げられていたりします。「自分は霊性が高い」と思っているような人は、逆に霊性が低いと思って間違いありません。霊性が高い人は、自分を偉いとも、偉くないとも思っていないでしょう。偉いとか、偉くないとか、そういう比較や差別の意識を超えているからです。

 最後に、今現在の私のウツの状態ですが、全体としては本当に「薄皮を剥ぐような」感じではありますが、少しづつよくなっているような気がします。本などもだんだん長く集中して読めるようになってきました。しかし、無理がきかず、少し無理するとたちまち状態が悪化します。比較的夕方から夜は調子がいいのですが、朝から昼過ぎまでの気分は最悪で、ウツという病気の怖ろしさを身に染みて感じます。拷問のようです。医者からは、遠回しな言い方でしたが、私のウツは治らないと言われました。
 しかし、たとえ完治はしなくても、ウツで苦しみながらであっても、いつか社会に貢献できるような活動、世の中を少しでもよくしたり、人々に喜んでもらえるような活動がしたいと思っています。そうすることが、皆さんのあたたかいご支援に対する恩返しであると思っています。今は休ませていただいておりますが、将来はそうしたいという強い願望があります。
 もちろん、どうなるかはわかりません。すべて神様にゆだねたいと思います。万が一、そんな活動ができずに私の人生が終わってしまったら、そのときはどうかゆるしてください。
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コメント

斎藤先生

私も、斎藤先生に心からの応援、励ましを送り、うつが軽くなって行くことを願っている、たくさんの人たちの一人です。私もときどきうつが出ることがありますが、それでも一応生活できていますよ。気長に行きましょう。味方はたくさんいますよ!!
2015-12-07 Mon 22:58 | URL | りっくん [ 編集 ]
斉藤啓一です。りっくん様、ありがとうございます。よろしくお願いします。
2015-12-08 Tue 17:43 | URL | 斉藤啓一 [ 編集 ]
常に、爽やかな選択を
していたとき、
受けとるものは暗雲だとは
思えないような気もします

苦しみを招く、、、
社会的な正しさが正しくないことも
あるかもしれないですね

それよりも、常に
自分にとって
魂から爽やかな道があるのかも
しれませんね

一番静かになったとき、
どの方向が爽やかでしょうか

それは、ひょっとしたら
施策に耽る考えを巡らすときに
正しいと思われる方向と
違うことがあるやもしれません
2015-12-10 Thu 12:29 | URL | 山 [ 編集 ]
斉藤さま

ありがとうございます。
一番温かいのは、人の心なのかもしれませんね。
斉藤さまはもちろん、この場にいる皆さまにも、明るい未来がくることを願います。
とても素晴らしい方々だと感じています。


少し興味本位でお伺いしたいのですが、書き込みをされている「山さん」からは、複数のものを感じます。
おそらく、頭で書き込みされている時と、そうでない時があると思うのですが……。

どこまで観じてらっしゃるのでしょうか?

今回のコメントに、否定しがたいものを感じたのでお聞きしてみました。

2015-12-10 Thu 17:34 | URL | 黒いネコ [ 編集 ]
地球人類が平和でありますように

斉藤先生、こんにちは。

人間は命の光です。そして命の光の本質は愛です。

人によって大きく光り輝く人もいれば、小さく光り輝く人もいます。

イエス・キリストのような聖者は愛の光を強く放射している人です。

命の光、愛の光は程度の差こそあれ、全ての人間が放射しています。

現代は、地上天国が実現する経過・過程の段階なので、私達人間は不完全に見えますが、人間の本質は命の光ですから必ず理想世界が訪れます。

斉藤先生は、うつ病に苦しまれ、苦しみながらも愛のありがたさを教えてくれた教師として感謝されています。成長ではないでしょうか?

私も不眠うつ病を30年間近く患っている者として、ハッと気づかされました。

斉藤先生が大丈夫だということは先生ご自身が一番よく知っていることです。

辛く苦しい時には、イエス・キリストはもっと苦しまれたのに復活されたことを想い出して下さい。

イエス・キリストも斉藤先生のことを応援していると信じます。

斉藤啓一様がご健康でお幸せでありますように

神様聖者様ありがとうございます
2015-12-13 Sun 15:04 | URL | 滝澤通孝 [ 編集 ]
斉藤啓一です。滝澤通孝さん、励ましのコメント、およびお祈りをしていただき、ありがとうございます。なかなかよくならないので辛い状況ではありますが、なんとかご期待にお応えできるよう、がんばるつもりです。滝澤さんもどうぞお元気で!
2015-12-13 Sun 20:28 | URL | 斉藤啓一 [ 編集 ]
斉藤先生(と呼ばせていただきます)

時々、気になっては、覗かせていただいています。
長く苦しい時期をお過ごしですが、言葉の端々に光が感じられるようで、今回の記事はうれしく思えました。


僕も、うつ状態で苦しんだ時期がありました。
3ヶ月は仕事もせず、ただ寝ていたのですが、養う家族もあったため、体と心に鞭打ちながら仕事に復帰しました。
苦しい時期でした。弱みを見せられない、ストレスの多い仕事をこなしながら、夜も朝まで眠れない日々を繰り返しました。
通勤中、車を運転していても、ここでハンドルを切らないとどうなるだろうか・・・などと想像してしまうまでに追い込まれていました。

あの時期、僕を支えてくれたのは、妻でした。
僕にとって、帰れる場所をいつでも用意してくれていました。なぜ、僕が苦しんでいるのか、心から理解してくれていました。そして、言葉少なくても、いつも寄り添ってくれていました。その温もりだけが、当時の僕の救いだったのです。

僕は自分のために生きることを止めました。
挫折した過去の夢をいったん諦め、目の前にある温もりに誠心誠意応えようとしたのです。
目の前にいる愛する妻、そして愛する子どもたちのため・・・それだけに、自分の生命を捧げる思いで、いつも折れそうになりそうな心に愛を誓いながら、ハンドルを切り続けたような時期が続いたのです。

そして、いつかしら、心の闇は少しずつ晴れ、穏やかな地に出たように思います。

もう数年前のことですが、あの苦しんだ時期のことは、決して忘れられません。今は、その時期があったことに感謝しています。愛の一端を教えられた、あの貴重な時期に感謝しています。

そして、あのときに諦めた夢すら、今は新しい希望に輝きながら、より浄らかな装いで、僕の元に帰ってくるような予感すら感じています。


医者は「治らない」と言っているようですが、僕には、斉藤先生の病状は良くなるように思えます。

文章から感じられるものが、以前とは違っていて、とても安心しました。

それでは・・・
2015-12-14 Mon 23:27 | URL | Pale Blue Dot [ 編集 ]
斉藤先生 頑張りすぎではないですか?人を救う活動がこれから先、出来なかったとしても誰かに謝る必要はないと思います。私もそうですが、すでにお書きになった本により人生が変わった人は沢山いるはず。ブログで励まされる人も沢山いるはずです。無理されないでください。でも、またセミナーがあったら行きたいです。
2015-12-14 Mon 23:32 | URL | 平 [ 編集 ]
斎藤様、はじめまして。一言お礼をいいたくて、コメントさせて頂きます。
このブログのお蔭で、多くの勇気と支えを頂きました。ありがとうございました。

初めて斎藤様の著作に触れたのは、「ムー」や「ムーブックス」でした。その時は、「こんな素晴らしい本を書く人は、きっと聖人みたいな方なのだろう、それに比べて自分はなんてダメ人間なのだろう」と思っていました。
なので、このサイトを初めて閲覧した時は、少しショックでした。斎藤様は、勝手なイメージを持つなとおっしゃるかもしれませんが、恐らく、当時そう思った読者は私だけではないと思います。
でも、拝読するにつれて、「斎藤様も同じ人間なんだ。悩み、もがきながら生きている自分と同じなんだ」と思うようになりました。
過去に、仕事上の事で悩んでいた時期があり、その時には死んだら楽になるのにと思っていました。今は、それは自分に与えられた試練だったと捉えています。きっと斎藤様も程度の差こそあれ同じなのでしょう。
このサイトを閲覧できて、本当に良かったです。斎藤様の試練が、経験が、魂の叫びのような文章が、一連の著作よりも私の胸を打ち、希望を与えて頂きました。それは、他の読者も同じ思いでしょう。
長々と読んで頂きありがとうございました。これからも応援させて頂きます。
2016-01-03 Sun 08:17 | URL | [ 編集 ]
斉藤啓一です。コメントありがとうございます。ありがたいお言葉、私も励まされました。「みそのみそ臭きは真のみそにあらず」と言います。同じように、「聖人の聖人くさきは真の聖人にあらず」ということも言えると思います。私は聖人ではありませんが、正直にありのままをさらけだしたいと思います。要は私が何者かではなく、私の文章を読んでくださった方のためになればいいのですから。
2016-01-03 Sun 09:51 | URL | 斉藤啓一 [ 編集 ]
「ブーバーに学ぶ」を読ませていただいて以来、時々こちらにお邪魔させていただいています。久しぶりに来てみましたが、斉藤さまはとても困難な道を通っておられるのですね。どうか気長に養生なさって下さい。しょせん私たち人間は土くれより神の息吹を受けてかろうじて生かされているだけの存在です。与えるのも神、奪うのも神。そして時として神は気に入った作品を業火の中に入れただの土くれを美しい焼き物に生まれ変わらせます。斉藤さまは今美しい作品に生まれ変わっている途中にあると思えます。きっといつの日か斉藤さまの内側から湧き出るように素晴らしい何かが生み出されると確信しています。その日を楽しみにしています。
2016-01-10 Sun 11:15 | URL | セバスチャン [ 編集 ]
斉藤啓一です。セバスチャンさん、コメントありがとうございました。とても美しい比喩表現で励ましのお言葉を頂戴し、心より感謝いたします。今後ともよろしくお願いいたします。
2016-01-10 Sun 17:14 | URL | 斉藤啓一 [ 編集 ]
はじめまして。

昔から数秘術に興味があって、ご著書などを読ませていただいておりました。
コメントを残したいと思いましたのが、私自身がこの記事と非常によく似た体験をしているからです。

私は双極性2型障害の持病を持っております。寛解はあれども完治はない、と言われる病気です。ですが、私もやはりこの病気になってよかったという思いが強いのですね。

持病はありますが、ずっと両親の在宅介護をしていました。父母いずれも要介護5ですので、24時間365日目が離せない状況でした。でも父は昔から死ぬことをとても怖がっていた人なので、これはなんとしてでも自分がちゃんと安心して旅立ってくれるようにしないといけないと思いました。

多くの人の看護や介護の手をお借りして、人の暖かさを心から痛感する体験が出来ました。この時に得た人とのご縁はいまでも私の宝物です。4年近い在宅介護の末に父は最期の3日間、私の手を握って、大変穏やかで安らかに旅立ちました。報われました。

母の介護は今も続いていますが、昨年特養に入所して、いくらか楽になり、今は週に一度通っています。

弟も同じ病気で私よりも重い状態です。3人の付き添いで10年間に十数回救急車にも乗りました。我を忘れて走っていた気がします。

面白かったのは、そのばたばたで高校生の頃から悩んでいたパニック障害がいつの間にか完治したことです。まるでご褒美みたいでした。

先週、実に40年ぶりくらいに一人で外出して発作が起きずに無事に帰宅。ものすごく感動しました。

健康な人ならあたりまえに出来ること「いつでも行きたい時に行きたい場所に行ける」ってなんて幸せなんだろう、と思いました。ずっと不自由していたし、悩んでいたからこそ、わかった「当たり前が幸せ」だということですね。

この調子なら人生の最後の時にどれだけの幸せが待っているかと思うと楽しみです。いまでも結構幸せですが…。

でも無事に定命まで生を尽くしてでないとそこへは至れないと思っています。だからどんなに辛くても自殺は出来ません。自分に負けるのは一番嫌ですし… (^_^;) 他人との競争は嫌いですが、自分に対してはすごく負けず嫌いなんです。

自分が病気になったおかげで、辛い人の気持ちがよくわかるのも嬉しいです。

これから先は自分の出来るささやかな範囲で人のお役に立ちたいと思っています。

出来ればターミナルケアの看取りのお手伝いとか出来るといいのですが、医療の資格もないし無理かもしれませんが、…でもなにかわずかなことでも行動したいと思っております。

先生も随分人のお役に立ってこられたと思いますので、いましばらく休養のチャンスだと思って安らいでくださると嬉しいです。きっといつかまた必要とされる時期が巡ってくると思います。その時までご無理はなさいませんように…。

長くなってしまって申し訳ありません。ご回復を心よりお祈り致しております。
2016-06-09 Thu 19:18 | URL | 運命数9のはるうさぎ [ 編集 ]
斉藤啓一です。運命数9のはるうさぎ様、コメントありがとうございます。これまで厳しい人生を歩まれてこられ、そして乗り越えてこられたその生き方に、とても感動いたしました。襟を正す思いで拝読させていただきました。また、私の体調をお気遣いくださり、感謝いたします。無理せず、いまは再起を準備しつつ、休養に専念したいと思います。
2016-06-09 Thu 20:03 | URL | [ 編集 ]
斉藤先生こんにちは。

私も今月に入って軽いうつになってしまいました。
原因は介護疲れとSNSです。
(SNSなんて実に現代的ですよね。笑)


というのも今年に入って、ある出張料理講座の予定がフェイスブックでしかわからないというので、苦手なパソコンに挑み、FBを始めたのです。
まあ始めは面白かったですよ。苦手なPCも自分でここまで出来たんだー、という自信にも繋がったし。



FBを始めてすぐ、2か月目あたりで高齢の母が腰の骨を折ってしまい、突然に介護生活が始まりました。
始めの内はまだ私もエネルギーがあったし夢中でしたので、さほど苦には感じませんでした。

でも日々のトイレ介助は大変で、食事も噛める噛めないがあったりして、ストレスは徐々にしっかりと溜まっていきました。
あらゆるものをキャンセルし、連日連夜、数時間おきに呼ばれ起こされ、母の体調如何では1時間おきということもあり、、、、せっかく眠っても、夢の中でまで呼び出しチャイムが鳴るのであせって起きてしまう、、、、
そんな日々が続くと脳も体も、、、特に脳が疲れてだんだんうつ状態になってきます。

そうなると、おそらく幸いなことに、とても気づきが早くなったりします。


私はSNS、とりわけフェイスブックの非にさっさと気づくことができました。

(というより、現代人の脳ミソ事情に気づいたと言った方がよいかもしれないです。)

きっとストレスのお蔭なのでしょう、気づけて良かったと思います。


あれは、店や会社や団体、セミナー講師などの告知のツールにはとても良いです。

しかし個人レベルでは、きれいごとを言う自慢したがりの人の集まりです。
自分がヨイショされること、よく思われるであろうことには力を注ぎますが、他者への温かい言葉はありません。
頭にも心にも浮かんでこないのでしょう。


動植物も風景も環境も愛しますが、(愛しているみたいですが)、その心の中に 「他者」 は存在していないのです。
目の前の「人間」が見えていません。ひたすら「自分」です。こんな自分っていいでしょすごいでしょ、の世界なんです。


具体例を挙げたいところですが、そんなの書いても仕方ないのでまとめると、個人でフェイスブックを難なく楽しく
使いこなせる人というのは、日なたの人生を楽しく歩んできた人たちです。そういう人たちのヨカッタ自慢の遊び道具なんです。よって実に浅い! 


どんなに優秀な人生を歩んだ人でも、私はその人達に「幼さ」を感じてしまいます。
早いうちにそれらに気付けたので、私としてもこれはウツ状態になって得られた良かったこと、だと思っています。


今はもう既にFBは、たまに告知を見るだけになりました。ネットを見ると私みたいなFB嫌いな人結構多くて、その意見にことごとく納得出来てしまいます。
おそらくこのブログの読者さんの9割の方には絶対合わないと思います。



先日、現ローマ法王が、「ペットだけを愛さずもっと人間を愛してください。」という声明を出しました。
また、桁違いのスーパースター、マイケルジャクソンの歌にも 「君たちが生きている人を気にかければ・・・・」
という歌詞があります。まったくその通りだと思います。



追伸:母は、今ではなんとか一人で立ち上れるくらいにまで回復しました。 私も前向きに頑張ります。
2016-06-24 Fri 08:15 | URL | 希 [ 編集 ]
斉藤啓一です。希さん、コメントありがとうございました。うつになられたとのこと、大変ですね。まだ軽いということなので、軽いうちにできるかぎりの対処をされてください。
介護の大変さは、いろいろ話を聞きますのでよくわかります。私の母もからだの自由がきかなくなり、認知症もひどくなったので、とうてい自宅での介護はできずに施設で生活してもらうことになりました。介護疲れの問題は深刻で、うつになっても当然ではないかと思います。社会的にどうにかしなければならない課題であると思います。
フェイスブックについてですが、私もフェイスブックは実は苦手で、一応登録していますが、まったく更新しておらず他の人のもほとんど見ることはありません。フェイスブックにもよい面はあると思いますが、おっしゃるように、ネガティブな面もあると思います。合わないと思ったらやらない方がいいと思います。人生は限りある時間なので、もっと有益なことがあれば、そちらにエネルギーを向けた方がいいと思っています。
いずれにしろ、くれぐれもご自愛ください。お母様、一人で立てるくらいになられ、希さんも前向きに頑張ろうという気持ちを持たれてよかったです。どうぞおからだには気を付けながら頑張ってください。
2016-06-24 Fri 20:23 | URL | [ 編集 ]

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