心の治癒と魂の覚醒

        

自分の頭で考える

 私のうつの方は、新薬エビリファイの服用をきっかけに、少しずつ回復に向けて進んでいる。まず、精神安定薬の減薬であるが、一日1錠以内にほぼおさまっている。その使用の大半は睡眠薬代わりで、かつてのように落ち込みや不安を解消するという目的にはあまり使われていない。いわゆる離脱反応のようなものもほとんどなく、何となく気休め程度に服用しているところがあり、もう飲まなくても平気ではないかと感じている。一方、何かに長い間集中して活動することはまだできないが、それでも少しずつその時間は伸びている。不眠の問題はまだあるが、知人から龍眼肉(りゅうがんろう)という漢方薬が不眠に効果があると勧められ、これから試してみるところである。
 このように、症状的にはよい状態に向かっているのであるが、気になるのは、この調子よさがエビリファイによって維持されているのかどうかということだ。つまり、もしエビリファイの服用を止めたら、もとに戻るというのであれば、本当に回復しているとはいえない。
 そこで、今後の作戦としては、とりあえずエビリファイの服用を続けて十分にうつ症状が改善された後に、今度はエビリファイを少しずつやめていくことにした。
 以上が私の現状で、うつに関して読者の皆様の参考にしていただけることはあまりない。そこで、今後、そのような変化があったときにのみ紹介することにして、このところずっと私の闘病生活ばかりを書いてきたこともあり、少し違う話題について書いていきたいと思う。
 今回のうつの体験から、私はいろいろなことを学んだ。とりわけ、人生において、生きるうえで、もっとも大切なものは何かについて、多くの発見があった。それをひとつひとつ書いていきたいと思う。

 さて、最初に何よりも一番、皆さんに訴えたいことはこれである。
 「自分の頭で考える」。
 うつになり始めたとき、私は専門家に任せていれば治してもらえると、何となく思っていた。専門家というのは高度な知識と技術を身につけており、権威があり、われわれ素人があれこれ口をはさむ余地はないのだと。
 だが、それは間違いだった。これまで3人の精神科医のもとに行ったが、どの先生も述べていることが微妙に違い、投薬のやり方に関してはかなり違っていた。精神科医の一人は、他の精神科医について「あの先生はまったくデタラメな薬の処方をしている。それで悪化した患者さんが自分のもとに来ている」などと批判しているくらいなのだ。
 ネットなどでいろいろ調べても、精神科領域は、かなりデタラメなことが行われているのが現状のようだ。もちろん、すべての医師がそうだとは思わないが、もともと「精神」という、目に見えない、あいまいなものを対象にしている世界であるから、そこから導き出される理論や治療法も、どうしてもあいまいなものになってしまうのだろう。たとえば、抗鬱薬がなぜ効くのか、そのメカニズムは実証されていないということをご存じだっただろうか(仮説があるだけ)。しかも、基本的には症状を抑えることが目的の「対症療法」に過ぎず、(純粋に脳の生理異常が原因でない限り)本当にうつを治すものではないのだ。風邪薬と同じである(風邪薬は風邪を治す薬ではなく、症状を抑えるだけ)。
 精神科領域に限らず、基本的に現代医学は対症療法が中心である。私はそうした対症療法を必ずしも否定するものではないが、本当の治療(根本治療)ではないことは確かであり、本当に病気を治そうと思ったら、根本治療をめざさなければならない。
 そのためには、病気となった根本原因を知り、その原因にアプローチすることが原則であろう。
 しかし、基本的に対症療法に主眼をおく現代医学の医師は、そこまでやってはくれない。そこまでの知識を持たない医師も多いようだし、持っていたとしても、そのようなアプローチは手間暇がかかり、多くの患者が押し寄せてくる現状では、物理的に不可能である。また、そんなことをしていたらお金にならない。さらに患者にも問題がある。患者の多くは根本的な原因をさぐってそこから治していくといっためんどうなことをするよりも、「とにかく早くこの苦痛を何とかして欲しい」と願う。それはあながち無理もないことではあるが、それではなかなか治らない。たとえば、喫煙が原因となっている病気に対して「たばこはやめたくない。でも病気は治したい」というのでは、病気が治るわけがない。
 そういうわけで、私は自分のうつを治すには、自主的に自分の頭で考え、自主的に計画を練って行動にうつしていかなければダメだとわかった。そして、何とかここまでこぎつけることができた。医師という「権威」を盲信し、ただ服従している姿勢では、病気はなかなか治らない。もちろん、権威者の意見に耳を傾けることは大切である。だが、盲従はいけない。必ず自分の頭で考えなければいけない。自分の頭で考え、自分の判断で行動していかなければならない。

 病気治療に限らず、人生のあらゆることも、「自分の頭で考える」ということが大切だ。国(政治家)がこう言っているから、権威がある人がこう言っているから、新聞やテレビでこう報道されているから、たくさんの人がこう信じているから、伝統ある宗教がこう説いているから、社会の常識がこうだから・・・、こんな理由で盲信してはいけない。政治家も、権威があり専門家とされる人も、間違ったことを言うことはいくらでもあるし、新聞やテレビなどは基本的に営利目的なので、間違った情報や偏った情報を流すことは日常茶飯事であり、たくさんの人が信じていても、伝統ある宗教が説いていたとしても、間違っていることもたくさんあり、社会の常識なども当てにならない。
 だからといって、それらを頭から否定するべきだと言っているのではなく、まず自分の頭で一生懸命に考えて、それから、それを受け入れるか受け入れないかを決めるべきだと思うのだ(もちろん、このことは私のブログにも当てはまる。皆さんは私のブログに書かれていることを頭から信じてはいけない。だれの意見も頭から信じたり、頭から否定してはいけない)。
 とにかく、どんなことも、まずは自分の頭で考えるのだ。納得がいくまで、忍耐強く考え抜く習慣を養うことだ。

 とはいえ、それは口でいうほど簡単なことではない。
 まず、的確な判断をするには正しい知識を入手しなければならず、そのためには、優良な情報を入手しなければならない。
 幸い、現代はインターネットという、情報を入手するには非常に便利なツールがある。けれども、その情報は玉石混淆であり、間違った情報も少なくなく、膨大な量の情報のなかから、真に正しく優良な情報だけを選ばなければならない。それはかなり難しい。どうしても「治したい」という欲があり、欲があると、その欲をくすぐるような言葉にだまされやすくなる。たとえば「努力もせず簡単に病気が治ります」といった宣伝文句に、ついだまされてしまったりする。
 だが、それでもなお、私は「自分で考える」ことを勧めたい。権威にも、欲望にもとらわれることなく、ひたすらどこまでも考えて考えて考え抜きながら、自己責任において、自分の歩む道を決めていくべきなのだ。
 最初は、そのような生き方をすれば、いろいろ失敗もすれば、だまされたりすることもあるだろうが、そうした痛い経験を通してこそ、真に血肉となる教訓を学ぶことができ、その結果として、しだいに賢くなっていき、だんだんと自分の考え方や判断力が磨かれてきて、やがては正しい選択と行動ができるようになっていく。これは人間として成長してきたことの証であり、霊性という観点からも、進化向上してきた証であると思う。

 いわゆる「権威者」や「支配者」にとって、各自が「自分の頭で考える」ことほど怖れるものはない。なぜなら、各自が自分の頭で考え行動するようになると、自分の立場が脅かされるからである。そのため、過去の歴史を読めばわかるように、権威者や支配者と呼ばれる人々や組織や国家は、一般人(彼らから言わせれば服従者)が自分の頭で考えないようにするために、あらゆる手段をとってきたことがわかる。たとえば戦時中など、戦争反対を叫ぶ者は「非国民」というレッテルを貼って迫害してきたし、戦争に負けた国は、勝った国から国民が「自分の頭で考えない」という洗脳的政策を施してきた(日本はその犠牲者だ)。
 また宗教団体なども、信者が自分の頭で考えないように暗に強制しているし、宗教的な色合いが強い企業などもそうだ。さもなければ組織としてまとめることはできず、自分の地位が危なくなるからだ。最たるものはテロリストで、自分の頭で考えようとする人間は、同士であろうとそうでなかろうと抹殺してしまう。独裁国家は拷問や死刑にし、企業の場合は解雇や左遷に追い込んでいく。
 だが、そのようなことをしている限り、世の中はよくならない。平和はいつまでたってもやってこない。人類の進歩は妨げられる一方だ。私たちは、キリスト教界から迫害されてもなお「それでも地球は動く」とつぶやいたガリレオを、また、「見えない服」を着て街を歩いている王様に向かって、ただひとり「王様は裸だ!」と叫んだ子供を見習わなければならない。

 次回は、なるべく効率的に「自分の頭で考える」ためのヒントを紹介してみたい。
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コメント

こんにちは。
私は近年、密教修行をしたと豪語する輩…(失礼)男性に立て続けに辟易する、ということがありました。
密教そのものは奥深いものと理解していますが、なんというかそれを鵜呑みにした者というか「盲従」した人に教わったに違いない人達が過激すぎて閉口します。

それを知り合いに言ったら、「密教修行?人生って時間あるんだねー。」 と返してきたのがなんとも可笑しかったですが(笑)。

主観と客観のバランスですかね。
自分で考える際のバランス感覚は大事だなー、と思ってコメントした次第です。

先生の体調がさらに良くなっているご様子で良かったです。薬の減り方がすごいですよね。 エビリファイもきっと飲まなくてよくなりますよ!


2016-03-05 Sat 09:03 | URL | KK [ 編集 ]
斉藤啓一です。KKさん、コメントありがとうございました。私も若いとき、少し密教の修行をしたことがあります。そのときも、同じ修行仲間のなかには、常軌を逸している人をみかけました。心が汚れたままでへたに修行をすると、かえってエゴを増長させてしまうのだと思います。何事もバランス感覚は大切ですね。その感覚を失うと道をあやまります。
私の体調、気遣っていただきありがとうございます。
2016-03-05 Sat 21:09 | URL | 斉藤啓一 [ 編集 ]
(補足です)

斉藤先生こんにちは。前回のコメントにちょっと補足させていただきます。

知人から言われた、
「人生って時間あるんだねー。」  は、
密教修行や霊性の修行そのものをすることではなく、それらを小バカにしたのでは決してなく、そういう「常軌を逸した人」とか「バランスを欠いた人」
に対し、それらを修正する時間は取らないんだね、そういう努力はしないんだね、という意味です。 慢心してるヒマなんかないでしょうに。 という意味です。
なんかちょっと誤解を招く書き方でした、すみません。

…しかし、何事も注力しなければ浅いままですし、専念すれば容易に自負心(という名のエゴ)が強くなってしまう。
なんだかなぁ、、、と感じてしまいます。

先生は流されない稀なタイプの方なんですね。

2016-03-11 Fri 06:17 | URL | KK [ 編集 ]

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