心の治癒と魂の覚醒

        

効率的に「自分の頭で考える」ためのヒント①

 当然のことであるが、考えるという行為には目的がある。ときと場合によっては、その目的が弱くあいまいであったり、強く明確であったりするし、意識的な場合もあれば、無意識的な場合もある。しかしいずれにしろ、私たちは何らかの目的があって考えるという行為をする。たとえば、何か問題や困ったことがあるとか、叶えたい夢があるといった場合、どうしたら問題や困ったことを解決できるか、どうすれば夢を叶えることができるか、と考えるのだ。
 さて、効率的に自分の頭で考えるには、まず何よりも、その目的を明確にしなければならない。しかも、その目的を達成しようという強い意志や情熱がそこに伴っていることが大切である。
 私たちの脳は、そうした目的を持ったとき、みちがえるように活性化し、フル回転するようになる。
 頭の良し悪しの違いは、遺伝や生育環境といった要素が関係していることは確かだが、それ以上に決定的なことは、「明確で強い目的を持っているかどうか」によるところが大きい。
 いわゆる一流大学を出ても、社会では頭のよくない無能な人もいれば、小学校しか出ていなくても、社会では頭がよく有能な人もいる。その違いは強く明確な目的を持っているかどうかで大部分は決まると私は考えている(禅の道元なども似たようなことを言っていた)。前者は、「一流大学に合格する」という強く明確な目的を持って努力(勉強)したからそうなったのだが、合格してその目的が果たされ、次なる目的を持たないで過ごしたために、頭が悪く無能になってしまったと考えられる(もちろんそれだけが要因のすべてではないだろうが)。
 すでに述べたように、私たちの脳は、強く明確な目的を持つと、その目的を実現するために、フル回転する。それは潜在意識の層にまで及ぶ。そのため、直感的にすばらしいアイデアが閃いたりといったこともよく起こるようになる。また、一見すると不思議な現象とも思えるようなことが起きたりする。たとえば、たまたま読んだ本のなかに、その目的を達成するための情報が書いてあったりとか、その目的を達成するための協力者に偶然出会うといったことだ。
 こうして、ある目的を達成するために、脳は非常に活発に働くようになり、その目的に関することにおいては、非常に冴えた頭になる。いわゆる天才と呼ばれる人たちは、遺伝的な要素に加えて、こうして強く明確な目的を持って粘り強く努力を続けた人たちであると思われる。
 もっとも、そうした天才と呼ばれる人たちは、それ以外のことでは案外平凡であったり、「ぬけて」いたりすることがある。自分の専門分野に関しては驚くほど頭がいいのに、それ以外の、たとえば何かを買っておつりの計算がうまくできないとか、経済観念が著しく欠如しているとか、服装のセンスがないとか、単純な詐欺にだまされたりとか、怪しい宗教にはまったりといったことがあったりする。
 そうしたことは、社会生活で深刻なトラブルさえ起こさないのであれば、問題はないだろう。この世に万能な人間などいないのだから。ただ、自分の専門分野とは違う領域に置かれてしまった場合は、けっこう辛い思いをするかもしれない。
 それでも、一般的に言えば、ひとつの領域において高度な頭のよさを身につけた場合は、それ以外の分野でも、ある程度の応用は効くことも多い。それはおそらく、「興味があるかどうか」によるのだと思う。お笑いタレントでありながら文学の才能を発揮する人もいるし、学者でありながら起業や投資で成功しお金をもうける人もいる。これらは興味があるかどうかだろう。つまり、ある分野で高度な脳力を発揮できた人は、興味さえあれば、他の分野でも脳力を発揮できる可能性が高いということだ。

 このように、効率的に自分の頭で考えられるようになるには、まず何よりも目的を持つことが土台となる。それも強くて明確な目的でなければならない。こうした目的を持たなければ、他にいかなる手段をもってしても、効率的に自分の頭で考えられるようにはならないだろう。
 さて、この目的には4つの種類というか、段階がある。それは「究極の目的」、「長期的な目的」、「中期的な目的」、「短期的な目的」だ。この4つの目的を同時に頭の中に入れておく必要があるのだ。
 最初の「究極的な目的」とは、いってみれば「人生の目的」、「人生のテーマ」とでも言うものである。「自分はこの人生で何をやり遂げたいのか」ということだ。このブログを読んでいる人の多くは「覚醒すること」であったり「地球を卒業すること」、「霊性を高めること」ではないかと思うが、「世のため人のために貢献すること」といった目的を持つ人もいるかもしれない。
 この究極的な目的は、大きな心境の変化がない限り、基本的には変わらない。それに対して、長期、中期、、短期の目的は、状況や段階に応じて変わる。仮に、「世のため人のために貢献する」という究極の目的を持った場合、それを達成させるには何をするべきかを考えて、それを長期の目的にする。たとえば、「医者になって」、世のため人のために貢献するということであれば、長期的な目的は「医者になること」となるだろう。もし何らかの事情で医者になることができなくなった場合は、何かほかの手段で「世のため人のために貢献する」ということになり、その手段が新たな長期の目的に変わる。
 そして、その長期的な目的を達成するには何をするべきか考えて、それを中期の目的にする。今の例でいえば、「大学の医学部に合格する」となるだろう。そして、医学部の医学部に合格したら、次には「国家試験に合格する」となり、次には「インターンになる」といったように変わっていくだろう。
 そして、医学部に合格するという中期的な目的を達成するには何をするべきか考えて、それを短期の目的にする。今の例でいえば、「予備校の入学試験に合格する」となるかもしれないし、「全国模擬テストで偏差値65以上をとる」といったようになるかもしれない。
 ここで大切なことは、常に究極の目的、長期、中期、短期の目的を同時に意識することだ。なぜなら、たとえば短期の目的だけに集中していると、視野が狭くなり、究極の目的からそれてしまうことがあるからだ。もし医学部に入るために「予備校の入学試験に合格する」ということだけしか頭にないと、勉強ばかりして、そのために勉強ははかどるかもしれないが、医者になるには体力や精神力、高い倫理性なども求められる。そうしたものは勉強だけでは身に付かない。したがって、常に4つの目的を同時に頭に入れておかなければ方向がそれてしまうのだ。4つの目的を同時に意識していれば、勉強ばかりやっているといった偏った生活をすることなく、体を鍛えることもするだろうし、精神力や倫理性を養うために、たとえば幅広い交際をしたり、ボランティア活動といったこともするようになるかもしれない。
 また、ときには無駄と思われることも自分にゆるすという、ゆとりある姿勢でいることも大切だ。あまりがんじがらめに目的やそのためのスケジュールに縛られるべきではない。言い換えれば、極端に効率性や合理性を追求しすぎるのはよくない。というのも、潜在意識は、一見すると無駄に思えるような行為や体験であっても、後になって、実はそれが目的を達成するために役立つものであったと気づくことが少なくないからである。脳というものは、しばしば非合理的な行動や体験に私たちを導くことがある。だが、それは「非合理的」に思われるだけであって、実は「合理的」である場合が少なくないのだ。だから、一見すると「無駄なこと」あるいは「失敗と感じること」を体験したとしても、落ち込むことは不要である。しっかりと目的を持ってさえいれば、そういうこともまた、目的達成のためのステップであるかもしれないのだ。
 いずれにしろ、あくまでもめざすところは、「究極の目的」である。長期、中期、短期の目的は、そのための手段でしかない。あたかも、船が羅針盤を使ってめざす陸地に向けて進みながらも、その過程では、岩礁や急流をさけて右や左に舵をとるようなものである。
 このように、4つの目的を同時に抱くことにより、脳は非常によく働くようになり、無駄がなくなり、効率的に自分の頭で考えることができるようになる。
 あなたは、究極の目的、長期的な目的、中期的な目的、短期的な目的は何かと尋ねられたら、すぐに答えられるだろうか?
 -続く-
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