心の治癒と魂の覚醒

        

愛して後悔することはない

 皆様、いつもブログをご高覧くださり、ありがとうございます。本文に入る前に、少し申し上げたいことがあります。ときどきコメントをいただいており、それに対して極力ご返事のコメントを書こうと思っているのですが、このブログのシステムの問題か、それとも私の操作が間違っているのかわかりませんが、まれにコメントが反映されないとか、書けない場合があるようなのです。そういう場合はどうかおゆるしください。なお、「管理者だけが閲覧できる」という場合は、システム上、ご返事ができませんので、ご了承ください。

 次に、現在の私のうつの状態について簡単にご報告させていただきます。
 少し前までは、かなり回復して気分の強い落ち込みはほとんどなくなりました。ただ、心身を使う何らかの活動については長続きせずすぐに疲れてしまう状態でした。そのため、体力を鍛えようと、庭の手入れをしたり家の片付けをしたり、散歩をしたり、軽くジョギングをしたり、ヨガをしたりして、少しずつ体力をつけようとしました。けれども、思ったような成果が出ません。少し無理すると翌日に具合が悪くなります。これは体力というより自律神経が弱っているせいかと思われます。それでも、休んでいる限りは回復しないと思ったので、ちょっと具合が悪くても毎日のように鍛えました。ところが、やはり文字通り「無理」は「無理」で、少しこじらせてしまった状態になりました。気分も落ち込み意欲が減退し、からだも重くて、ここ最近はまた横になっていることが多くなってしまいました。症状的には2、3歩後退してしまった感じです。精神安定薬は一日1錠以内でおさめていますが、新薬エビリファイは微量ですが毎日服用しています。なお、この不調の原因は、時期にも関係しているように思います。というのは、毎年きまって梅雨の時期に調子が悪くなっているからです。
 それでも、全体的にはずっとよくなっているので、今の不調も一時的なものと考えています。何事もそうだと思いますが、ものごとというものは直線的によくなっていくのではなく、小さな波を描いてよくなったり悪くなったりを繰り返しながら全体的にはよくなっているという経過をたどるものと思います。いずれにしろ、ここまでよくなることができたのも、皆様方が物心ともに支えてくださったおかげに他なりません。心から感謝しています。
 ということで、しばらく休んだら、また無理のない範囲で少しずつ鍛えていこうと思っています。今はちょっと小休止です。あまり目先のアップダウンにはとらわれないようにしようと思っています。もし皆さんのなかにも病気やその他の悩みで苦しんでおられる方がいたら、小さな波を描きながら全体的にはよくなっていくのだということを認識されるとよろしいと思います。

 さて、では本文に入ります。
 前回の「後悔しない生き方」と関連がありますが、私が今まで半世紀以上生きてきて、「おそらくこういう生き方は後悔しないだろう」と思われるものは、「弱い者いじめはしない」ということです。
 子供などは、まだ他者の気持ちに共感できる能力が欠如しているため、面白がって弱い者いじめをするということがあります。限度を超さなければ、ある意味、それは仕方がないことです。私も中学生までは、友達をいじめたり、またいじめられたりしました。自分がいじめられてはじめて、いじめられる人の痛みがわかるようになり、それからはいじめることはしなくなりました。高校生以後は、気づかないうちにいじめてしまったことはあったかもしれませんが、少なくとも意図的に弱い者いじめをしたことはないと思います。
 しかし、いくら子供のときとはいえ、友達をいじめた経験というのは、この歳になっても辛い気持ちで思い出されます。後悔しています。いじめられた経験も不愉快ですが、後悔はありません。しかし、いじめた経験は後悔の念が伴います。それは辛いものです。

 私は、人間は男女を問わず「美学」というものを持って生きるべきだと思っています。倫理や道徳ではなく、美学の見地から「これはしない、これはする」という、いわば生きざまの指針のようなものです。ただし、「これはしてはいけない、これはしなければいけない」というものがたくさんあると、それに縛られ、自由に生き生きと生きることはできないので、あまりたくさんは持たない方がいいと思います。1つか2つ、多くても3つくらいでいいでしょう。
 美学を持って生きると、後悔しない人生を送れる可能性が高まります。
 その美学のうち、もっとも大切だと思うのが、「弱い者いじめはしない」というものです。弱い者は決していじめない。できれば助けてあげる、こういう生き方を美学として持つとよいのではないかと思います。
 残念なことに、弱い者いじめは、子供の世界だけでなく、大人の世界にもはびこっています。もしかしたら子供の世界より大人の世界の方がずっと数が多く、かつ陰湿かもしれません。子供の場合、たいてい腕力が強い子が腕力の弱い子をいじめるという単純なケースが多いですが、大人の場合は腕力というより、権力や地位や財力といったもので人を差別して弱い者いじめをします。典型的なのが、地位を利用して上司が部下をいじめるという、いわゆる「パワハラ」でしょう。
 子供はまだ他者の痛みに共感する能力が育っていないという点で仕方がないと思いますが、いい歳をした大人が自分より立場的に弱い人間をいじめたり、いばったり、暴言を吐くというのは、もっとも低劣な行為であると私は思っています。もっとも恥ずべき行為、醜い行為です。美しくありません。美学を持っていないから、弱い者いじめを平気でできるのです。
 いうまでもありませんが、弱い者いじめをするような人間に霊性が高い人はいません。いくら瞑想したり何千回お経やマントラを唱えたり、聖書を暗記するくらい読んだり、祈ったりしても、弱い者いじめをする限り、霊性が向上することはないと思っています。
 そしていつか、弱い者いじめをしたことを深く後悔するときがやってくるでしょう。その後悔には激しい自己嫌悪が伴うでしょう。

 ですから、霊性を向上する道を歩むなら、ぜひ「弱い者いじめはしない、できれば助けてあげる」という美学を持つようにしてください。他にもたくさんの美学があると思いますし、あとは自由に決めればよいと思いますが、すでに述べたように、あまりたくさん持つと不自由になるし、またひとつひとつの美学が散漫になるので、せいぜい3つ以内でいいと思います。「弱い者いじめはしない、できれば助けてあげる」という、これだけの美学でも、あとは少しくらい欠点があろうと悪いことをしようと、死んだときに天国の門は開いていると思います。人間というものは、あまりにも「これはしてはダメ、これはしなければダメ」というように自分を縛ってしまうと、器が小さくなってしまいます。「小さな善人」にはなれますが、大物にはなれません。別に大物になる必要はないのですが、器が小さいと人を許容することが難しくなりますし、それでは霊性を高める上での障害となりますので、やはり器は大きい方がよいです。要するに、人間はあまり小さなことにコセコセしない方がよいです。多少欠点があっても、多くの人を受け入れることができる器の大きい人、懐の深い人をめざすべきだと思うのです。
 ちなみに私は2つの美学を持っています。ひとつはいま申し上げている「弱い者いじめはしない、できれば助けてあげる」で、もうひとつは「誰にも媚びない、誰にも威張らない」です。私は人間の本質とは関係のない地位だの権力だの名声だの財力だのルックスだの職業だの、あるいはその他のことで、下心を持って誰かに媚びたり、あるいは自分より下だと思えば見下して威張るような人間が大嫌いです。それは非常に醜い。私はそんな醜い人間には絶対になりたくありません。
 ちょっとカッコつけすぎかと思われるかもしれませんが、男なら(女もそうですが)、人間らしく生きるためには「カッコよさ」を身につけることは大切なことだと思うのです。それが美学というものです。

 弱い者いじめはしない、できれば助けてあげる、ということは、愛のひとつのあらわれであると思います。すなわち、「弱い者いじめをしなければ後悔しない」というのは、「愛すれば後悔しない」ということだと言えるでしょう。
 私の半世紀以上の人生を振り返っても、愛さないで後悔したことはたくさんありますが、愛して後悔したことはひとつもありません。
 ただし、愛することは必ずしも楽しいものとは限りません。むしろ、愛することには傷つくというリスクが伴います。「愛することは傷つくことだ」と言い切ってもいいかもしれません。自分が愛しても、愛で応えてくれるとは限りません。感謝もされず、それどころか恩を仇で返されるようなこともあるかもしれません。なので、傷つきます。とても辛いです。
 傷つくのは、まだ条件がある証拠であり、真の愛ではないからです。とはいえ、人情としては、なかなかそこまでの高みに至ることは難しい。だから、愛するのであれば、傷つくことは覚悟することです。しかし、そのような勇気を持つことで、人は真の愛へと至る道を踏み出すことになると思うのです。
 いずれにしろ、愛して後悔することはありません。「絶対にない」、と言ってもいいと思います。
 愛さないで後悔することはあります。しかし、愛して後悔することは絶対にありません。
 それが、私が今までの人生で学んだ教訓のひとつです。
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コメント

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2016-05-26 Thu 12:05 | | [ 編集 ]
斉藤啓一です。Kさん、ご丁寧なコメントありがとうございました。拝読いたしますと、Kさんは人生で何回か訪れる試練(テスト)に見事合格されたようにお見受けいたしました。その結果として、おそらく人生における新たな展開が今後待ち受けているように思います。
そのためのきっかけとして、このブログが多少なりともお役に立てたようで私も嬉しく思います。しかしブログはきっかけにすぎず、この試練に合格させたのは、ほかならぬKさんご自身の魂の力であることは言うまでもありません。
一方、このようなご感想をいただくことで、私自身、とても大きな元気をいただきました。私の方こそ、心より御礼申し上げます。
これからもがんばってください。
2016-05-26 Thu 20:26 | URL | [ 編集 ]
先生。 こちらこそ、身に余るお言葉、恐縮です。けれどレスが遅くなってしまって、すみませんでした。

先生が書いてくださってるように、もしも私が"合格できた"としたら、その奇跡をもたらしたもののほとんどは、こちらで拝見した先生の言葉やご教示によるものです。

これらなくして、今の平和はありませんでした(おかげさまで無事解決いたしました)
心から、お礼申し上げます。
ありがとうございました。

またしても長いコメントですみません。
2016-05-29 Sun 18:37 | URL | K [ 編集 ]
こんにちは。今までkkとしてコメントさせていただいておりましたが、この記事に先にK様がコメントされていたので、混乱を避ける為に自分の名前を 「希(のぞみ)」 に変えました。
(何事も希望あってこそ、と思って希にしました。)


さて記事の内容、心から同意します。
『弱い者はいじめず、出来れば助ける』
シンプルだけど的を射ていて響きます。
先生は文才がおありなので物事が的確に書けて伝えられていいですね。
(私、いつも書き急いでしまって言葉が足らず、なんか変な誤解を生むことが多いです。苦笑)


本当に、、、愛することは傷つくこと、、8割方これかな、って思います。

私もごく最近、非常に小さいレベルのことで恐縮なんですが、いわゆるSNSで自分とは全く畑違いの方々をフォローしていて、、ものすごく人間味のあふれる会社なんで大好きで会社全体を応援したくてフォロー続けていたら、先方には 「一時的な気の迷いでフォローする人がいる」 と思われていたようです。 
(ハハハ、、、、、それならばと解除しましたけどね。)

うーん、、、、私は、、、多少なりとも傷ついてしまったので、、、、条件付きの愛だったのかぁ、、、、


分野違いの方々とか、既にできてしまった輪の中に入るのは、ネットだろうが実際だろうが人間社会では難しいなって思います。つまりは波長の合うもの同志しか集まれないわけでね。
みんな、どの程度まで広く浅くて、どの程度まで警戒しているのかわからないです。

後悔は、、、きっとしないかもしれないけど、、、、
行き場がなくなってしまったように感じています。





2016-06-02 Thu 09:59 | URL | 希 [ 編集 ]
斉藤啓一です。望さん、コメントありがとうございました。また、ブログの内容に共感してくださり嬉しく思います。この人間社会では、善意が理解されないことは、残念ながら少なくないと思います。それでも、善意を理解してくれることもあります。どうぞ改名されたお名前(望)の通り、未来に希望をもって歩まれてください。せっかくの善意の気持ちを捨ててしまうことは大きな損失であると思いますので。
2016-06-03 Fri 20:29 | URL | [ 編集 ]
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2016-06-04 Sat 13:08 | | [ 編集 ]
斎藤先生、お久しぶりです。
「弱い者いじめはしない」は絶対的に正しいと思います。ただ、今の世の中は、別に「弱い者」でなくてもいじめに合うことが日常茶飯事のようです。昔は、勉強が苦手だったり、病気がちだったり、裕福でない家の子供がいじめにあったりしていたようですが、今の社会は、どんな理由でも「集団からちょっと外れている」「みんなと同じでない」といじめに合ったりします。いじめを止めさせようとした子供や大人がいじめのターゲットになることもあります。特に子供の場合、何らかの理由でいじめに合った子のことを、大人が「あの子は弱いんだからいじめてはだめよ。かわいそうでしょう」といった言い方をすることによって、被害者の自尊心が傷つくということもあります。いじめに合った子が親に言いたがらない理由の一つは、この自尊心の問題ではないかと思います。
「誰でもいじめのターゲットになりえる。いじめられる側が弱いのではなく、いじめる側の品性が卑しいのだ」ということを、大人が身を持って示す必要があると思います。
2016-07-03 Sun 23:06 | URL | りっくん [ 編集 ]
斉藤啓一です。りっくんさん、コメントありがとうございました。おっしゃる通りだと思います。いじめる品性が卑しいのですね。そのことをしっかりと主張して、いじめられる人の自尊心を傷つけることのないようにしなければいけないと思います。
2016-07-04 Mon 11:53 | URL | [ 編集 ]

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