私のウツの調子2016-09-21 Wed 21:31
いま現在の私のウツの調子を書かせていただきます。
結論から言いますと、70パーセントまで回復しました。しかし、それ以上にはなかなか回復せず、言わば足踏み状態です。まず、何をしても、長くできません。頭脳労働をしても肉体労働をしても、疲れやすく、長く続けられません。ぼちぼちと執筆活動を再開したのですが、以前は数時間くらい集中できたのに、今は1時間か2時間くらいが限界で、そのくらい執筆すると強い疲労感に襲われ、同時に気分も落ち込んで横にならなくてはなりません。肉体労働も、1時間ほど自転車に乗ったり歩いたりしているのですが、やはり1時間が限界で、それ以上はできません。1時間でも、疲労感が激しく、終わった後はしばらく横になります。疲労の原因は運動不足だろうと思って、少し前まで自転車やウォーキングを毎日していたのですが、身体が鉛のように重くなり、ふらふらしてしまうので、今は一日おきくらいにしています。 新薬エビリファイの量を増やせば活力が出るかと思って倍に増やしてみましたが、効果はありませんでした。サプリメントなども、今のところ、活力が湧いてくるようなものには出会っていません。気分の落ち込みは、疲れていなければあまりありませんが、疲れると、陰鬱な気分に襲われます。 何の心配も煩わしいこともなく、ただ毎日を平安にのんびり暮らすことができれば、もっと回復できるのかもしれませんが、あいにく、そのような恵まれた環境にはなく、なんだかんだといろいろと神経を疲弊させるような問題を抱えていて(生きている限り誰だって同じですが)、それがウツの回復の足かせになっているといった事情もあります。人生というものは、本当によくもまあ、次から次へと悩みの種がやってくるものだと感心してしまいます。「もぐら叩きゲーム」みたいに、こっちのもぐらを叩けばあっちからまたもぐらが出てきて、そのもぐらを叩いたと思ったら別のところからまたもぐらが出てくる……、といったように、人生というのはまるで終わりなき「もぐら叩きゲーム」のようなものではないかと思ったりもします。これ以上いうと愚痴になるのでやめますが、私だけでなく、誰しも悩みや問題を抱えて生きているわけで、私などはマシな方かもしれません。 そういうわけで、ウツになる前の活力を100パーセントとすると、今は70パーセントくらいの出力しか出せないでいます。「休み休みでしか何かをできない」といった感じで、少し大げさですが、ある種の障害者になったような気持ちで、そんな自分がじれったくなるときがあります。頭や肉体を使った後は、身体中に重りをつけられているような感じで、精神も集中できなくなり、物事を考えられなくなり、ときおり、乗り物酔いみたいな軽い吐き気がしてきます。何をする意欲も気力もなくなります。こうなると、ただ横になってじっとしているしかありません。そうして30分か1時間くらい横になっていると少し回復するので、また何かを始める、といったことの繰り返しです。 それでも、ウツがひどかったときは10パーセントか20パーセントくらいしか出力が出なかったことを思えば、ずいぶん回復したことは確かです。これも、物心両面にわたる皆様のおかげであると感謝しています。 インターネットの情報によれば、ウツ病が完全に寛解(完全に治る)ことは少ないとありました。やはり、70パーセントとか、よくて80パーセントくらいまでは回復しますが、「元気ハツラツ」にまで治ることは少ないようなのです。 それでも私はあきらめずに、これからも改善に向けて努力していくつもりではいますが、しかし、たとえ70パーセントの出力といえども、ある意味では、それでも恵まれていると思っています。ときどき、身体が動かない障害者の人が、口に棒をくわえて、その棒でパソコンのキーをひとつひとつ時間をかけて打って文章を書いたりしている光景をテレビで見かけたりしますが、それでもコツコツやっていくと、いつのまにか大量の文章ができあがっていたりします。 そのような方に比べれば、私はずっと恵まれています。以前の状態と比べることなく、もともとこの程度の出力なのだと思えば、あまり悲観せずにすみます。 ウツがひどいときは、執筆などまったくできなかったのですが、今は、亀のように遅い歩みではありますが、コツコツと文章を打てるようになりました。どのような内容の本であるかは、もう少し固まってからご紹介させていただきたいと思いますが、私の体験がかなり盛り込まれた内容の本です。いつ完成するか、いつ出版できるのかはまったくわかりません。 以上が、いまの私の現状です。70パーセントの出力のまま、本を書き、ブログを書き、「もぐら叩き」をしています。「70パーセントの力しか出せない」ではなく「70パーセントも力が出せる」と考えるようにしています。 そうして、しぶとく、コツコツと、亀のように歩んでいくまでです。人生はしぶとい人間が最後には勝つと私は信じています。 ただ、活動できる時間とエネルギーが限定されてしまったので、今では、本当に有意義なことのみを選択して、時間とエネルギーを使うようにしています。そう思うと、今まで自分はなんて無駄で意味のないことに時間やエネルギーを費やしてきたのだろうかと痛感します。見ているときは面白いが見終わったら何も残らないテレビ番組やビデオを見るとか、読まなくてもいいような本を読むとか、考えなくてもいいようなことを考えたりとか、とにかくいろいろと人生の貴重な時間とエネルギーを無駄に使ってきたなあと思ったりします。若いときは、それでもいろいろな経験が肥やしになりますからいいとしても、残りの人生が限られてくる中年以後は、時間とエネルギーの使い方に十分に気をつけて、物事に優先順位をつけて、本当に価値のあることだけに時間とエネルギーを費やすようにした方がよろしいのではないかと思います。 スポンサーサイト
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コメント
滝澤さん、コメントありがとうございました。お互いに、今は70%でも少しずつその割合を高めるようにがんばっていきましょう。
2016-09-29 Thu 20:07 | URL | [ 編集 ]
70%回復されたことを、心からお慶び申し上げます。
いろいろと苦しまれたので、劫も晴れて、今後はいいことが起こると思います。これからは、是非、徳を積んでいかれたらよろしいかと思います。 2016-10-03 Mon 18:19 | URL | ジョンウー [ 編集 ]
斉藤啓一です。ジョンウーさん、あたたかいコメント、感謝いたします。そうですね。徳を積むことはとても重要なことだと思います。そのように心がけていこうと思います。
2016-10-03 Mon 18:41 | URL | [ 編集 ]
斉藤先生。私は凡人ですので悟りがどんなものか全くわかりませんが、禅僧の生き方にヒントがあるのではないかと考えてます。
私は悟りの境地とは静寂のイメージがありましたが本当は、躍動感に満ちたエネルギッシュでダイナミックな世界なのではないかと考えてます。禅僧でも高僧と言われる人ほど日常生活をエネルギッシュに送っています。江戸時代の白隠禅師は、我、大悟すること16回、小悟すること枚挙にいとまなし。とおっしゃったそうですが、書、画、詩に勤しみ、弟子に問答と喝で気合を入れて日々精力的に過ごしてました。これは、日々を真剣に生きることと悟りは連動しているのではないかと思えるのです。いかがでしょうか 2016-10-07 Fri 23:14 | URL | ジョンウー [ 編集 ]
斉藤啓一です。ジョンウーさん、コメントありがとうございました。悟りに関してですが、あくまでも私見としての考えを述べさせていただければ、おそらく悟りとは静寂にしてダイナミック、日々真剣に生きると同時にのんびりと悠々と生きる、といった、相反する要素が高い次元で融合された境地ではないかと思います。また、その人本来の個性が生き生きと発揮される状態とも言えると思いますので、悟りを開いた人がみんな同じ人格になるということもないと思います。悟りとは日々真剣に生きることだとも言えますが、それは凡人のような、どこか緊張感や悲愴感が感じられるような「真剣さ」ではなく、ゆとりのあるものではないかと思います。
2016-10-08 Sat 20:58 | URL | [ 編集 ]
斉藤啓一です。滝澤さん、コメントありがとうございました。私はアセンションについてはよくわかりません。人類の意識レベルの向上といった大きなことよりも、自分自身の意識レベルを向上させることの方により関心があるからです。
2016-10-14 Fri 10:56 | URL | [ 編集 ]
斉藤先生 70%の回復 本当に良かったです。何年先でも、先生の本が出来上がるのを楽しみにしています。
2016-10-14 Fri 11:39 | URL | 平 [ 編集 ]
斉藤啓一です。平さん、コメントありがとうございました。あたたかいお言葉、心から感謝です。励まされました。
2016-10-14 Fri 14:12 | URL | [ 編集 ]
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2016-12-20 Tue 20:28 | | [ 編集 ]
一度甲田光雄先生の著書を参考になさってみてはいかがでしょうか?鬱は食からの見直しが役立ちます。
食べる物が精神と肉体に大きな影響を与える。食を変えれば運命を変えることにも繋がります。 私も4年ほど前鬱でしたが、治ったというより自力で乗り越えました。 医者や薬には頼ってません。その背景には因縁相手の因縁消化、守護霊・ご先祖さまの支えをリアルに体験。人はいつも守護霊に護られていたことに氣づけました。鬱で何度も心が死にます。何度も偽の自分を殺しましたし、鬱は一度か二度精神的に死なないと生まれ変われない。 結果、 魂を覆っていた重いものが取れました。 魂があらわになると怖いものなんてこの世にありません。 私は斉藤さまの著者をたくさん読みました。新たな意識を与えてくれたことに歓喜を覚えたこと忘れません。 2021-10-08 Fri 09:25 | URL | [ 編集 ]
斉藤啓一です。無名さん、貴重なコメントありがとうございました。人生、いろいろありますが、ひとつひとつ乗り越えていくしかありませんね。私の著作を多数ご愛読くださり、心よりお礼申し上げます。
2021-10-08 Fri 20:45 | URL | [ 編集 ]
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