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心の治癒と魂の覚醒

        

魂は実在するのか?(4)

 魂が存在しないとすると、たとえば幽体離脱して、地上世界や霊界を見聞したということは、どのように解釈したらいいのでしょうか。
 それは、脳が作り出した幻想なのでしょうか?
 ある医師は、自らの臨死体験によって、それは脳の作り出した幻想ではなく、魂や霊界は実際に存在するのだと確信を得たといいます。
 というのは、自分が臨死体験をしている間、大脳の前頭葉の機能が停止していたからだというのが、その根拠です。ご存知のように、前頭葉は私たちの思考を司る部位ですから、この部分が機能停止していたら、臨死体験のようなビジョンを見ることはできません。その体験を認識したり、何かを考えたりすることはできません。
 そうなると、確かに臨死体験は脳が作り出した単なる幻想とは言えなくなります。
 神経細胞によって脳が働くときは、そこに電流が流れますから、脳波を測定すれば、機能しているかどうかわかります。脳波が感知されなければ、神経細胞に電流が流れていないことになり、機能停止と見なされます。
 しかし、だからといって、脳が機能していないことにはならないのです。
 というのは、すでに紹介した「量子もつれ」によって、脳細胞どうしが情報を直接にやりとりしている可能性があるからです。量子もつれによる脳の活動には電流が流れていないので、脳波で測定はできないはずです。つまり、脳は機能停止しているように見えます。しかし実際には、機能している可能性があるわけです。
 したがって、臨死体験中であっても、脳の前頭葉は活動していたかもしれません。そうなると、臨死体験は、やはり脳が作り出した幻想である可能性が否定できなくなるのです。
 しかも、脳内の量子もつれは、いわゆるESPやサイコメトリーの働きと関係あることも紹介しました。臨死体験中に、超感覚的な能力を発揮する理由も、これで説明がつきます。つまり、臨死体験中に、脳内の量子もつれによって脳が機能していたために、さまざまな幻想と共に、それが客観的な事実と一致するという事象も生じるわけです。そのために、魂が浮遊して部屋の様子や遠く離れた場所の様子を目撃したり、その内容が事実と一致したりするわけです。また、まったく学んだ覚えがない言語を話すといった現象も、その言語情報にアクセスできれば可能となるはずです。

 そもそも、仮に、脳とは独立して思考作用を司っている魂なるものが存在した場合、なぜ脳に思考機能が備わっているのかという疑問が生じてきます。魂が思考できるのであれば、思考機能を司る前頭葉は必要ないことになります。
 また、魂の状態で体験したことを記憶しているということになりますから、記憶を司る扁桃体も必要がないはずです。体験したことを、魂が記憶すればいいからです。
 なのになぜ、脳などというものがあるのでしょうか?
 自然というものは、必要がないものは生み出さないはずです。脳がなくても思考したり記憶できたりするのであれば、脳という器官は生物に備わっていないと考えた方が合理的です。むしろ、邪魔になるだけでしょう。
 このように考えても、脳とは別に、思考する魂のようなものが存在するとは考えにくくなるのです。
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霊界と生まれ変わりの真実 | コメント:10 | トラックバック:0 |
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コメント

>「まったく学んだ覚えがない言語を話すといった現象も、その言語情報にアクセスできれば可能となるはずです」という論は、実証のまったくともなわない可能性としての「説明」にすぎないでしょう。
量子もつれで超常現象すべてが説明可能だとする考え方は、量子もつれを「拡大視」し、それをもって「極端な一般化」しようとする試みのように思われます。

↑「可能になるはずです」といった説明は、理屈に過ぎません。
応答型真性異言現象が意図的(実験的)に「可能になるはず」の検証をともなってこそ科学的説得力があると思いませんか?


生まれ変わりの根拠のラタラジューの事例の応答型真性異言は「技能」です。

「技能」は超ESP(万能の透視能力)を駆使しても獲得できないことが、百数十年にわたる心霊研究、超心理学研究によって明らかになっています。 したがって、今後、学んでいない技能を超能力で獲得したという超能力者が発見がされないかぎり、「ラタラジューの事例」は、生まれ変わりの科学的証拠として超心理学史上に残っていくはずです。

生まれ変わりの事例でジェイムス・レニンガーくんの事例は第二次世界大戦の 時に戦死したパイロットの記憶があり、その人物が特定でき、子孫や関係者でしか知りえない記憶も持っていてその関係者も認めています。


生きている人の無意識の脳の機能だけでは説明がつかないと思いませんか?
2017-10-09 Mon 14:17 | URL | 通りすがり [ 編集 ]
斉藤啓一です。通りすがりさん、コメントありがとうございました。

>「まったく学んだ覚えがない言語を話すといった現象も、その言語情報にアクセスできれば可能となるはずです」という論は、実証のまったくともなわない可能性としての「説明」にすぎないでしょう。

まさにその通りです。実証されていれば、何も私がこのブログで書く必要などありませんからね。私は霊現象を否定しようとしているわけではなく、実証されていないものを安易に肯定することを否定しているのです。これは「霊界と生まれ変わりの真実」のカテゴリーで最初に説明してありますから、もし読んでいなければ読んでください。

「技能」は超ESP(万能の透視能力)を駆使しても獲得できないことが、百数十年にわたる心霊研究、超心理学研究によって明らかになっています。

技能が獲得できる研究はあります。70年代のソ連の科学者ウラジミール・ライコフ博士の「人工転生」の研究です。簡単に言うと「あなたは過去の偉人の生まれ変わりだ」と催眠術をかけると、その偉人の才能を技能とともに習得されたのです。

生きている人の無意識の脳の機能だけでは説明がつかないと思いませんか?

そうかもしれません。だからといって、安易に魂だとか生まれ変わりといったものを認めることもできないのではありませんか?


2017-10-09 Mon 14:35 | URL | [ 編集 ]
斉藤さま

議論は良いですね。ワクワクします。

一般論としては、その人の記憶はその人しか持ち得ない……と解釈します。
だから、その人の記憶があれば、その本人だと思い込んでしまいます。

ですが、記憶とその人格は直接的なつながりは無いと考えます。
確かに記憶(経験)が人格に影響を及ぼすこともありますが、もし記憶が人格を作り上げるとするなら、人間はAIと同じ構造であることになってしまいます。

突き詰めると同じような構造であるともいえると思いますが、人は記憶すらも改変でき、内に多数の人格を抱えていると考察しています。
だから「忘れる」こともできる。
さらに思考しているのは脳だけでなく、体全体で考えているのではないでしょうか。

人の進化は遺伝子に記憶され、記憶は細胞に刻まれます。
そして「個」としては別の扱いになった各々の人だけれども、元は同じところから枝分かれしたに過ぎず、実はつながっている。
だから共感もするし、記憶が伝わることも、意思を飛ばすこともできる。

人は「個」であり「全」だと思っています。
……人だけではなくて、生き物すべてかもしれません。

解明しようと一点だけを凝視すれば、全体が失われ、結果が歪んでしまいます。

頭で考えるばかりではなく、心で感じることも、科学には必要な気がします。
2017-10-10 Tue 13:28 | URL | 黒いネコ [ 編集 ]
斉藤啓一です。黒いネコさま、いつもコメントありがとうございます。
黒いネコさまのご指摘を受けるたびに、まだまだ奥が深いなあと感じます。なかなかいっぺんには難しいので、ひとつひとつ消化していきたいと思っています。
よろしくお願いいたします。
2017-10-10 Tue 17:46 | URL | [ 編集 ]
回答ありがとうございます

記憶は個々だけではないという点は興味深いです


ただジェイムス・レニンガーくんの事例みたく生まれ変わりと思わしき記憶の人物が特定でき、子孫や関係者でしか知りえない記憶の場合どう説明できますか?

・親戚でもない赤の他人の異人種

・ジェイムズくんが生まれる遠い昔に亡くなっている



2017-10-11 Wed 08:54 | URL | 通りすがり [ 編集 ]
斉藤さま
通りすがりさん

自論を並び立ててすみません。
自分を含めた周りを観察し続けて得たことなので、万人に示せる証拠はないことをご理解ください。

記憶は脳に刻まれているという前提が一般的だと思います。
ただ、TVにでている霊能者と呼ばれる人たちを見ていると、ただの思い込みであろう人、対象者の感情を読んでいる人、対象者の記憶を読んでいる人、という風に見て取れます。

エンパシーやシンパシーは、相手を読み取る力です。(意識の同化の方がしっくり来る方もいるかもしれませんね。)
その能力に振り回される人も多いと思いますが、似た性質を持っている人同士は共感しやすく、影響も受けやすいものです。

過去の人……と考えると、共感しにくいのではと考えがちですが、実はそうではないと思っています。
時間の概念はまだまだ考察中なので説明できるほどのものはありませんが、人によって時間の流れは様々で、距離や時間は意識とは直接的な関係がありません。
ですから記憶は日時と結びつきが弱く、パソコンで取り込んだデータには日時が記憶されますが、人の記憶はその時の状況は強く反映されますが、日付や時間はほとんど関係ありません。
イベントが誕生日などの強い紐付けであれば記憶に残りますが、人の記憶は時間よりも感情が優先されます。

見えているであろう人の話に耳を傾けると、ほとんどの人が日時は情景から推測しているようで、記憶そのものも前後していることが珍しくないように思います。

人が亡くなってもその遺伝子を受け継ぐ人、その人を良く知る人がその人の記憶を受け継ぎます。
記憶を受け継いだ自覚はなくとも、受け継がれていきます。
そしてそれは、現代のSNS流出問題のように、チャンネルさえ合えば読み出し可能なものだと考えています。

おそらくですが、亡くなった人の記憶を持っている人よりも、今、生存している人と同じ記憶を持つ人の方が多くいると思われます。
直接的に関わりのない人の記憶や経験を、部分的にでも見てしまった人は、意外と多いのではないでしょうか。
また臓器移植などで提供者の記憶を感じたりするのも、細胞そのものが記憶しているためだと思います。

意識せずに、LINEのアカウント・パスワードが一致してしまう確率がゼロではないように、似た「質」を持ち得た人がチャンネルを向けると部分的にでも同化が起こる……。

記憶は「個」に縛られるものではなく、実は開かれていて、誰でもアクセスできる。
こういうことが俗に言う「アカシックレコード」と呼ばれているのではないでしょうか。

情報はすでに目の前に溢れているのに、それは不思議な世界のものだと決めつけているのが現状ではないのでしょうか。

……あまり書き込み過ぎると迷惑になりそうなのでこの辺りでやめておきます。
最後に……通常、脳がしっかり起きている時は感じにくいものを、催眠術やトランス状態など、脳の機能を休めることで感じやすく、表面化しやすくすることは事実だと思います。
ただ、無理にそういう状態を作るのは、体に良くないと感じます。
自然にいれば、頭で考えること、体で感じることのバランスが良くなって、誰でももっといろんなものを感じるようになる気がします。

乱文失礼いたしました。
2017-10-11 Wed 13:56 | URL | 黒いネコ [ 編集 ]
自分のコメントを読み返すと、書き方が上手くなくて凹みます。
読みにくくてすみません。

斉藤さまのこの記事の「前頭葉の機能が停止していたから…」という部分については、「前頭葉の機能が停止(低下)したからこそ」他の機能(体のことです)が働いていたのだろうし、脳も特異な動きをしたのだと思います。
ですから、斉藤さまのいうように、前頭葉の活動云々では「死」を定義できないと考えます。
現代の「脳死判定」も本当は安易に走るべきものではないと思っています。

本当は「脳」と「体」は密接にかかわりあいバランスしていたのに、いつのころからか「体」よりも「脳」が優位に立ってしまいました。
これが現代病の元だと思います。
2017-10-11 Wed 14:34 | URL | 黒いネコ [ 編集 ]
斉藤啓一です。通りすがりさま、黒いネコさま、コメントありがとうございました。
さて、通りすがりさまのご質問についてですが、私なりの考えを述べさせていただきます。もちろん仮説です。ただ、このコメント欄では書ききれないので、よくご理解いただけないかもしれません。すみませんが、詳しくは今後のブログで書いていきますので、そちらを参照していただければと思います。

たとえば、私たち肉体の細胞は日々死んで日々生まれています。個々の細胞には「魂」があって、生まれ変わりをしているとはちょっと考えにくいものがあります。
同じように、私たち個々の存在は、より大きな存在の「細胞」なのではないかと考えています。
しかし、細胞が死んでも遺伝子情報は新たに生まれる細胞に引き継がれるように、私たち一人一人の情報も新たに生まれる人に引き継がれていくような仕組みではないかと考えています。
言い換えると、私たちの思考や生きた情報のすべてはどこかに記録されており、新しい生命が生まれるとき、何らかの原因で、その過去の人の情報にアクセスして情報を取り込み、そして生まれてくるのではないかと思うわけです。そのために、まるで生まれ変わりのように見えるのではないのかと。

ざっと述べると以上です。もちろん真実はわかりません。生まれ変わりという現象は本当に存在するのかもしれません。いずれにしろ、安易に肯定も否定もせず、そのいずれかがはっきりと実証されるまでは、信じるということはせず、探求し続けるべきではないか、というのが私の主張です。
2017-10-11 Wed 14:40 | URL | [ 編集 ]
斉藤さま

『私たち個々の存在はより大きな存在の「細胞」』という説明がとてもしっくりきますね。
なるほど…と感心してしまいました。

通常の捉え方では「個」に見えるけれど、実際はどこかでつながっているのが真実だと思います。
日本の「和」ですね。

だから「我」が強くなれば強くなるほど、「全体」から剥離していき、自分の存在そのものが危うくなってしまいます。
「対立」すればするほど「全体から剥離」してしまいます。

「個」であり「全」である……、人はすべてを内包できるのに勝手な理由をつけて線引きをし、自らを正当化するために他者を否定する。

斉藤さまの言葉を借りるなら、ひとつの細胞が自分の存在を示すために、全体を否定し、個であることのみを重視する。
それは本当の死だと思います。

自暴自棄になった人が無差別殺人を行う……これも、「個」に執着した上のことだと思います。
「個」であることを捨てる必要はないと思いますが、「全」であるということともバランスしなければ、いつかは壊れてしまいます。

がん細胞は、元は普通の細胞です。 その普通の細胞のバランスが崩れてしまったものががん細胞。
でもそれは、正常な状態にも戻りうるものだと考えます。
「がん」はひとつの状態にすぎず、それそのものが毒物のように周りを死に至らしめるものではありません。

なぜそのような状態になったのか……個だけをみるのではなく、全体を通してみれば、病気も、社会問題も、もっと見えてくるものがあるのではないでしょうか。

だから思い込みの状態をリセットするのはとても大切だと思います。
このブログが基礎なって、すべての人がむやみに情報に踊らされることがなくなるといいですね。
2017-10-14 Sat 11:09 | URL | 黒いネコ [ 編集 ]
斉藤啓一です。黒いネコさま、コメントありがとうございます。

「思い込みの状態をリセットするのはとても大切だと思います。」

まさにその通りだと思うのです。安易な思い込みを捨てることから、人間の本当の意味での霊的成長があると私は考えているのです。
引き続き、この問題について書いていきたいと思います。
いつも示唆に富んだコメント、学ばせていただいています。




2017-10-14 Sat 17:15 | URL | [ 編集 ]

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