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心の治癒と魂の覚醒

        

魂は実在するのか?(5)

 霊界では「ある人に会いたいと思った瞬間に、目の前にその人が現れる」という現象があるといわれています。
 しかし、これは奇妙なことです。たとえば、ある人に会いたいと思ったその瞬間に、その人は別の人と会っていたかもしれません。すると、その場から連れ去られるように姿を消して、会いたいと思ったその人のもとに現れるのでしょうか? もし同時に複数の人から「会いたい」と思われた場合は、どうなってしまうのでしょうか?
 すると「いや、霊界という場所は、一人の人間が同時にいくつもの場所に姿を現すことができるのだ」と言うかもしれません。まるで分身の術を使っているかのようです。
 これは、もっともらしい説明に聞こえますが、実体とかけ離れています。
 たとえば、もし同時に、あなたが百人の人と話をしたとします。あなたは、同時にその百人の人の話を理解し、考え、適切な言葉を口にすることができるでしょうか?
 そのようなことはとてもできませんし、想像もつきません。そうなったら、果たして個人というものの統一性というものがなくなってしまいます。個人の統一性とは、誰かと話をしているときは、その人の話だけに意識が向けられているということです。そして、ひとつの思考や感情だけがあるということです。意識の焦点が一点に向けられているからこそ、個としての存在が成り立つわけです。もし同時にたくさんの人に意識を向け、さまざまな思考や感情が同時進行したら、いったいどれが本当の自分の思考や感情として認識するというのでしょうか。その人の意識の本体というものがどこにあることになるのでしょうか?
 結局、「会いたいと思ったらその人が目の前に現れる」という現象は、その人が作り出した幻影ではないでしょうか。そう考えた方が自然です。
 霊能者など、死者を呼び出して、その人と会話をするというのも、同じことでしょう。霊能者が勝手にその死者の幻想を作り出しているのです。しかし、すでに述べたように、脳内の量子もつれ現象により、その死者が残した記録にアクセスできますので、誰も知らないはずの情報を口にしたりするわけです。たとえば、会ったこともないその死者の姿形などを言い当てたりするわけです。
 そういうカラクリを知らない一般の人は、ズバリその事実を言い当てたのを知って驚き、本当にその死者の魂が現れたのだと信じてしまうのですが、そうではない可能性があるわけです。
 以上のように考えると、同時に複数の場所に存在するとされる「魂」なるものは、果たして存在するのかどうか、あやしく思われてくるのです。
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霊界と生まれ変わりの真実 | コメント:3 | トラックバック:0 |
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コメント

ドストエフスキーの作品の一つに『悪霊』があります。この作品は無神論的な革命思想を『悪霊」に見立て、それに取りつかれた人々が自分たちと意見を異にしていった転向者を殺害するという行為を通して、破滅していく姿を描くとともに、悪徳自体の中に喜びを見い出す悪霊に魅せられた人物を登場させ、自らが神になろうとする人間をえがいています。そこにドフトエフスキーは、19世紀後半の人間をとらえている「悪霊」の姿を見たと言ってよいのでしょう。それは単に19世紀の世界のことではなく、現代の姿でもあります。(引用文 五味川純平『人間の条件』の主人公梶上等兵のモデル 隅谷三喜男先生の本より)
2017-10-25 Wed 06:33 | URL | 山﨑哲 [ 編集 ]
斉藤 さま

気が向いた時で良いので、いつか記事のテーマとしていただけたら幸いです。

何故、神や魂というものが人の社会で存在し始めたのか? その成り立ちや存在意義を考察してほしいのです。

「神」や「魂」というと、統一された認識と思いがちですが、実はそうではないと考えます。
太古から人の力の及ばないものは「畏怖」の対象とされてきました。それは世界中どこでも同じだと思います。そしてそれはいつのころからか「神」と呼ばれることも多くなります。
それ自体は自然なことです。

ただその「神」が人と同じように怒り悲しみ、果ては人の願いを叶えるような存在として描かれるようになりました。

「神」が絶対の存在で、すべてが「神」のおもいのままであれば、「人」は必要ありません。
完全な存在であるということは、それ以上は変化しないということです。

人の力を超える何かはあるかもしれません。
ただその「何か」だけを大切にし、誰かを否定するようなことは、自らの存在を否定することと同じです。

「神」は、人の都合の良い願いを叶えるような存在ではあり得ないと思います。
「人」が人の存在意義を求めるように、「神」は神のために存在するのだと思います。

大自然を「神」と呼ぶ人もいます。
自分の中の異質な能力を「神」と呼ぶ人もいます。
人知を超えた真理を「神」と呼ぶ人もいます。

でも人に都合よく作られ、現状を責任転嫁するために語られる「神」は、「手段」でしかありません。

人を一括りにして語ることができないように、神もまた、多くのものを含んでいるのではないでしょうか。
2017-10-26 Thu 10:09 | URL | 黒いネコ [ 編集 ]
斉藤啓一です。山崎哲さま、そして、黒いネコさま、コメントありがとうございました。
神というものに対する多角的な考察は、いま行っている一連のシリーズが終わった最後に論じてみようと思っています。そこには多分に人間の期待のようなものが神を作り出した要素があるような気がしていますが、そもそも神とは何なのかについて、けっこう突き詰めた内容を紹介したいと思っております。
よろしくお願いいたします。
2017-10-27 Fri 11:02 | URL | [ 編集 ]

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