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心の治癒と魂の覚醒

        

神の正体② 神の細胞としての人間


 前回は、神とは、人間という細胞によって構成された「ネットワーク」であると説明しました。言い換えると、実体としては存在していないが、「情報」としては存在しているということです。つまり、神とは「情報ネットワーク」のことなのです。これが、私が考える神の正体です。
 たとえば、インターネットを思い浮かべてみてください。
 何か情報が欲しいと思ったとき、インターネットの検索サイトから、必要な情報を得ることができます。もしインターネットというものを知らない未開人がこれを見たら、パソコンという箱の中に全知全能の神がいると思うでしょう。なにしろ、インターネット上には膨大な量の情報が蓄積されているからです。
 しかし、その情報を蓄積したのは、私たちひとりひとりです。同じように、私たちは意識レベルで、すべての人と情報をやりとりしており、その情報は、各人の記憶という貯蔵庫に蓄積されているのです。そして、何か情報を知りたくなったら、必要な情報を蓄積している誰かの意識にアクセスして、そこから情報をダウンロードします。
 たとえば、何か問題が起きて困ったとき、「神様、助けてください」と祈ったとします。すると私たちの意識は、無意識的に、問題を解決するための情報をネットワークにアクセスしてさがしだし、ダウンロードします。
 その結果、問題を解決する方法が閃いたり、あるいは無意識層に働きかけて、その情報を教えてくれる本だとか人と出会うように行動したりするわけです。
 そうしたメカニズムを知らないので、私たちは、あたかも神様という別個の存在が、救いの手を差し伸べてくれたと思い込んでしまうわけです。そして、(人間とは独立して存在する人格的な)神はいるんだと勘違いするのです。
 しかし、そのような意味での神は存在しないと思います。神とは、私たちひとりひとりの意識が蓄積した情報ネットワークのことであり、実体というものは持たないのです。

 私たちは、ネットワークという相互の結びつきの感覚を「愛」という気持ちで感じるのではないかと思います。その意味では、神は愛であると言えなくもないのですが、むしろ、「愛が神である」と言った方が正確です。なぜなら、私たちは神を人格的にとらえているからです。神はネットワークですから人格ではありませんが、同じ人格どうしの結びつきから生まれる愛の感覚は人格的です。ですから、神を人格的なものとしてとらえている私たち人間レベルで言えば、愛こそが神だと言えるのです。

 ところで、私たちは、肉体を構成している個々の細胞にとっては「神」ということになります。私たちは、個々の細胞とは別個の意識を持っているように感じられます。
 しかし、私たちの実体は、細胞によって構築されているので、細胞とは別個の意識というものは原理的にありえません。私たちの意識もまた、個々の細胞が生み出しているのです。私たちの意識というのは、からだ全体の細胞の意識の総体なのです。その中心となるのは脳ですが、脳だけが意識を生み出しているのではありません。からだの細胞すべてによって意識が生み出されているのです。その証拠に、心臓移植をしたある人が、かつてその心臓の持ち主だった人の性格に似てきたという事例が報告されています。
 言ってみれば、私たちは、個々の細胞たちの「神」なわけです。
 同じように、私たち人間の「神」が、どんな存在であるか、どんな性格をしているか、どんな考えや意識を持っているかは、私たちひとりひとりの意識によって決められているのです。
 もし私たちが憎しみや悪意、あるいは恐怖をもって生きるならば、私たちの神もまた、憎しみや悪意や恐怖を持つことになります。そのため、未成熟な時代の人々の神は、生け贄を要求し、逆らえば怒って災いをもたらすという人格をもって現れたのです。彼らは実際、そのような神を知覚していたのだと思います。
 しかし、私たちの精神レベルが向上するにつれ、そうした野蛮な神は知覚されなくなりました。愛である神として現れるようになったわけです。それは、私たちが、さまざまな恐怖や怒りを、かつてより抱かなくなり、そのかわり、愛を抱くようになってきたので、そのような神が意識のなかに姿を現すようになったわけです。
 このように、神は、人間とは別個に原初から存在していたのではなく、人間の意識のネットワークの産物なのだと、私は考えます。
 その意味では、「神が人間を創造した」のではなく、「人間が神を創造した(している)」とも言えるわけです。「私」が細胞を創造したのではなく、細胞が「私」を創造したのと同じです。
 私たちひとりひとりは「神の細胞」です。神の一部であり、断片的ではありますが、神そのものだとも言えるわけです。あなたも私も神なのです。そして、私たちがそうであるように、神は完成された存在ではなく、より完全をめざして、今なお進化を続けている存在です。
 ですから、神に隷属し、神に「おんぶにだっこ」で救いを求め依存することは、間違っているのです。私たちが自主独立の精神をもって、自分で自分を救おうと努力し向上していくとき、ネットワークである神も進化して有効に働くようになり、その神から救いがもたらされるのです。聖書の言葉を借りれば「神は自ら救おうとする者を救う」ということになるでしょうか。

 では、人間が神を創造したのだとすると、人間は、いったい誰が創造したのでしょうか?
 それこそが「神」ではないのでしょうか?
 次回、この問題について考えてみたいと思います。
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神の正体 | コメント:4 | トラックバック:0 |
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コメント

 なるほど、確かに相似形ですね、細胞と人間がヒトと神の関係ですか・・・。ところで、癌細胞はどのようなヒトだと思いますか?
2018-01-22 Mon 12:32 | URL | ワタナベ [ 編集 ]
斎藤さま

一連の記事、その通りだと感じています。
神が人を作ったのではなく、人が神を造った……人の、すべての生き物の持つ情報の集合体に「神」という名を付けた。
名を持つと、個の存在になってしまうため、神があたかも独立した存在のようになってしまいましたが、本来は名を持たぬ存在だと思います。

名は区別してしまいます。
本来は名を持たぬ土地にも名を付けたため、争いも起きました。

自らの名を捨て、境界線を取り除いた時、あらゆる束縛から解き放たれるように思います。
その時に神の意味がわかるのではないでしょうか。

いろんなものに名をつけ、細分化し、それによって誤認の情報も増えてしまいました。

「愛」は「区別」の中に存在せず、「安らぎ」も「区別」の中に生まれない。
自らの存在を壁で囲うような行為では、誰も救われることはない……そう思います。

次回の記事も楽しみにしております。
2018-01-22 Mon 12:52 | URL | 黒いネコ [ 編集 ]
ワタナベ さま

横レス失礼いたします。
がんは病気ではなく、状態だと思います。
細胞が本来の働きや機能を害した状態です。

だからがんは治ります。

社会の中で上手く機能できない(なじめない)人も少なくありません。
だから、助けてあげられる時は、素直に手を差し伸べられるといいですね。

中には、社会に適合するのが、どうしても無理な人が存在するのは事実です。
これをどう捉えるかが、大きな問題なのではないでしょうか。
2018-01-22 Mon 12:58 | URL | 黒いネコ [ 編集 ]
斉藤啓一です。ワタナベさん、黒いネコさん、コメントありがとうございました。
ガンの問題に関しては、考えがまとまったらご紹介していきたいと思います。
「名を持つと、個の存在になってしまうため、神があたかも独立した存在のようになってしまいましたが、本来は名を持たぬ存在だと思います。」

私もそう思います。
引き続き、この問題について書いていきますので、よろしくお願い致します。

2018-01-22 Mon 19:51 | URL | [ 編集 ]

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