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心の治癒と魂の覚醒

        

神の正体③ 世界と人間は誰が創造したのか

 これまで考察してきたように、もし神が、人間どうしの意識のネットワークであるとするなら、この世界、そして人間は、いったい誰が創造したのでしょうか? 神が創造したのではないのでしょうか?
 原因があって結果があるという因果律が正しいとすれば、この世界という「結果」があるわけですから、その「原因」、すなわち、「創造主」が存在していると考えられます。
 一般的には、神が世界を創造したとされます。神イコール創造主ということになっています。
 では、仮にそうだとすると、その神(創造主)は、誰が創造したのか?という疑問が生じてきます。
 これについて、神学などでは、神というのは究極の根源であり、誰も神を生み出したものはなく、最初から存在していた、ということで決着をつけています。
 一方、世界を創造したのは神ではなく、「自分で自分を生んだのだ」という自己生成論を唱える学者もいます。つまり、創造主というものは存在しないという考え方です。表現を変えれば、自分こそが創造主だというわけです。
 しかし、たとえそうだとしても、「では、自分で自分を生み出すその力はどうやって備わったのか?」という疑問が生じてきます。それも「自分で備えたのだ」とすると、自分で備えるその能力はどうやって備わったのか?」と、同じ疑問の繰り返しとなり、回答にはたどり着けません。結局、この自己生成論も、「最初から自己を生成する能力を宿していた」ですませるしかなくなってしまいます。
 つまり、創造主が「神」であっても「自己」であっても、それより前のことは考えないようにすると言っているわけです。ある種の思考停止です。
 こうした根源的で形而上学的な問題を追及していくと、どこかで思考停止しなければならなくなるのです。考えてもわからないからです。つまり、根源的一者である「創造主」という概念そのものを認識する能力は、人間には備わっていないということです。

 人間の認知能力では、世界や人間を創造した存在をとらえることは、不可能だということです。不可能なのに、無理にとらえようとすると、本質が歪められることになります。仮に、この世界を創造した存在が神であるとしてあれこれ考えたりすると、真実の神の姿とは違う、デタラメな姿を「これが神だ」と考えてしまうことになります。これは「狂信」です。(創造主としての)神について論じたり考えたりし、たとえわずかでも「神とはこういうものである」とした時点で、すでに「狂信」になってしまうのです。
 創造主について考えたり思ったりした時点で、もうその本質を歪めてしまっているのです。たとえるなら、創造主について知ろうとすることは、闇を見るために光を当てるようなものです。光がなければ何も見ることはできませんが、光を当てたら闇は消滅してしまいます。人間にとって、創造主は、原理的に認知不能、観測不能な存在なのです。

 このように、創造主とは、私たちの認知をはるかに超えた存在であり、創造主に思いを向けた瞬間に実像が消えてしまうのであれば、創造主を神と崇めたり、祈ったり、何かを求めたり期待したりすることは、できないということになります。創造主に思いをはせた瞬間に創造主は消滅するからです。残るものがあるとすれば、自分が勝手に作り上げたイメージです。ある種の「偶像崇拝」と言ってもいいでしょう。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教では偶像崇拝を禁じていますが、神について論じた時点で、すでに偶像崇拝しているのです。
 以上のような理由から、創造主は私たち人間にとって「神」とはなり得ないと、私は考えています。認知不能という意味では、存在していないも同然だからです。神は創造主ではありません。私たち人間が太古の時代から「神」としてきたのは、創造主ではなく、私たちの意識の総体としてのネットワークです。

 では、結局のところ、創造主とは、何者なのでしょうか?
 それは「わからないというもの」です。わからないということが、創造主の本質であり属性なのだと思います。「永遠なる未知」と表現してもいいでしょう。おそらく、それが創造主の正体です。

 とはいえ、創造主について考えること自体が間違っていると言っておきながら、やはりどうしても、次のような疑問が生じてくるのではないかと思います。
 「いったいなぜ、創造主は、この世界や私たちを創造したのか?」
 何か目的があったのでしょうか? 目的があったとしたら、それは何なのでしょうか?
 すなわち、私たちは何のために創造されたのか、という疑問です。
 次回は、その点について考えてみたいと思います。
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神の正体 | コメント:5 | トラックバック:0 |
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コメント

 神について論じた時点で偶像崇拝だとは・・・究極が出た感じですね。闇を照らすと闇がなくなるというたとえは流石ですね。先生が以前提唱した「実在」という呼び名を思い出しました。実在していても実在せぬのと同じことなのですね。
2018-01-30 Tue 12:32 | URL | ワタナベ [ 編集 ]
斎藤さま

斎藤さまの言われる「永遠なる未知」……これが本質だと思います。

理由がなくても人は生きていけます。
すべての生き物がそうであるように、生きているということで、世界のバランスを保っています。
ただ人は、生きることに意味を見出そうとします。
生きる理由を欲してしまいます。

自然に生きていれば、真理の流れのように、世界のバランスを保つ生き方につながります。
無理に理由を付ければ、それは世界のバランスを崩してしまいます。

人は考えることで知恵を成長させました。
人は考えることで感じることを忘れていきました。

もし創造主が存在するなら、その意図は誰にもわからないと思います。
でもそれを感じることは可能ではないでしょうか。

神は語るものではなく、感じるもの……。

斎藤さまの言われる『創造主に思いをはせた瞬間に創造主は消滅するからです。』と同じですね。

風が吹けば桶屋が儲かる……人が面白く理由付けをした代表ですね。
月の重力で潮の満ち引きなども、人が勝手につけた理由……。
太陽系の星は、公転と同じ方向に自転しているのに、金星だけが逆回転しているのは、真理では自然なことなのに、人の意識では不都合な状態となってしまいます。

人は自然の摂理を受け入れることでしか、本当の知恵を手に入れられないと思います。
人が自分に都合の良い尺度で世界を図ると、世界は大きく歪んでいきます。

斎藤さまの考察は、確実に中道を歩いていると思います。
大きく振れなければ、中道を確認することも難しいかもしれません。
だから時には大きく振れることも必要だと思いますが、最後にはしっかりと中道に立っていて欲しいと願います。

……神に対してだけでなく、他の人も、他の生き物に対しても、そこから何かを感じようとした時に、必ず見えてくるものがあるように思います。

まとまりのない文章になってしまいました、すみません。
出てくる言葉をそのまま書いていたら、まとまりが悪くなってしまいました。
2018-01-30 Tue 17:46 | URL | 黒いネコ [ 編集 ]
斉藤啓一です。ワタナベさん、黒いネコさん、コメントありがとうございました。こうして皆様のいろいろな感想やご意見を読ませていただくことで、私自身もまた新たな考え方が芽生えてきます。どうぞこれからも、ご意見、ご感想、よろしくお願いいたします。
2018-01-31 Wed 10:04 | URL | [ 編集 ]
斎藤さま

まとまりがつかなくて途中で止めてしまいましたが、やっぱり追記しておきます。

物事すべてに絶対値が存在します。
そしてそれと同じだけ、相対値が存在します。

日本人は特に相対を重んじる文化を形成していると感じています。
だから『和』であり、『協調性』が高い。
そして軸を調整することも容易にこなし、TPOに合う行動をとることができます。

絶対値で事を考える国では、軸が変化することが無く、力強いものの、対立も多い。

世界は相対で出来ています。
相対の裏に絶対が出来ています。

神というものが存在し、人の存在が現実のものならば、人が変化すれば神も変化し、神が変化すれば人も変化する。そしてその関係性も……。

絶対値で神を捉えると、神は変化せず、また人も変化しない。
「0」と「1」の世界です。

相対の世界では、自分が変われば相手も変わります。

絶対の世界では、自分がどう変わろうとも相手は変わりません。

軸を移動させる相対という思考に長けた日本文化。
これが優れているというわけではありませんし、必ずしも良い結果をもたらすものでもありません。
時と場合により、軸を移動させれば、二枚舌という風に思われることもあります。
でも、そこに完全否定は存在しません。

絶対の中には、完全否定が存在します。

……すべての世界において、完全否定などありえない、あってはいけないものだと思います。

相対で出来上がった世界を部分的に照らせば、その部分の絶対が浮かび上がるかもしれません。
でもそれは、ある限られた方向への姿であり、全体を捉えるものではない……。

ノイズが大きく上手く表現できません。
すみません。
乱文失礼いたしました。
2018-01-31 Wed 13:55 | URL | 黒いネコ [ 編集 ]
斉藤啓一です。黒いネコさま、コメントありがとうございました。とても面白い視点からの考察ですね。こういう考え方もあるのだなあと参考になりました。私なりの表現をしますと、世界は白でもなければ黒でもなく、灰色である、ということになるのかなと思いました。
2018-01-31 Wed 17:12 | URL | [ 編集 ]

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