FC2ブログ

心の治癒と魂の覚醒

        

神の正体⑤ 創造主が求める情報とは

 前回は、創造主は不完全な存在であり、完全をめざして進化していく存在であると述べました。そして、その不完全性を補うために、私たちを創造し、私たちから情報を得ようとしているのではないかと述べました。
 では、もう少し具体的に、いったいどのような情報を創造主は求めているのでしょうか?
 それは、当然ですが、自らの不完全性を、より完全にするための情報でしょう。
 ならば、創造主の不完全性とは何なのでしょうか? それを知れば、求めている情報が何であるかが、推測できるはずです。

 創造主は、究極の一者であり、この宇宙を創造するほどの強大な叡智と力を備えているわけですから、不完全なものなど何もないと、私たち人間は考えます。全知全能であるかのように思えます。
 確かに、自らの被造物である宇宙のことであれば、すべて知っているでしょう。
 しかし、それ以外のことでは、知らないことがあると思います。
 それはおそらく、「自己」に関することです。つまり、自分が何ものであるか、という知識がないのです。
 そう推測する理由はこうです。
 創造主は、ある種の意識体と言えるかと思いますが、意識とは、観察し、知覚し、認識し、思考する精神作用の主体のことです。
 意識が思考するには、その前に何かに対する認識が必要であり、認識するには知覚が必要であり、知覚するには観察が必要です。たとえば、ネコのことを思考するには、まずネコを観察し、そうしてネコを知覚し、ネコというものを認識しなければなりません。
 このようにして、意識というものは、あらゆるものを観察して知識(情報)を入手することができますが、観察できないものは、情報を入手できません。
 では、創造主が観察できないものとは何でしょうか?
 それは、自分の意識です。つまり、自分自身です。
 なぜなら、意識そのものを観察することは、原理的に不可能だからです。たとえば、私たちは自分の意識を観察することはできません。内面で生じる衝動や感情や思考は観察できますが、意識そのものを観察することはできません。仮に、意識が意識を観察するとした場合、今度は「意識を観察する意識を観察」しなければ、完全に意識を観察していることにはならないからです。その次は「意識を観察する意識を観察する意識を観察」しなければならず、どこまでもきりがなくなります。
 ですから、意識は意識を観察することはできないのです。
 たとえるなら、眼が眼自身を観察できないのと同じです。意識を観察することは、原理的に不可能なのです。
 創造主というものが、意識体であるとするなら、自分の意識を観察できないとは、自分を観察できないことになります。つまりは、自分が何ものであるかがわからないのです。自己に関する情報が欠如しているのです。
 これがおそらく、創造主の持っている不完全性です。

 では、自己に関する情報を得るには、どうしたらいいでしょうか。
 直接には無理です。ならば、どうしたらいいでしょうか?
 たとえば、眼を見たいときは、どうすればいいでしょうか?
 そのためには、鏡をのぞいたり、写真に撮ったりすれば、間接的に、眼は自分自身を見る(観察する)ことができます。
 このように、直接的には無理ですが、間接的には、自分自身を知ることができます。
 そこで、創造主は、自らの意識を分離させたのだと思います。分離させれば観察できるからです。ただし、正確に言えば、「投影させた」と表現するべきかもしれません。なぜなら、文字通りの意味で分離させたら、「一者」としての存在ではなくなってしまうからです。要するに、鏡に自分を映して自分を見るようなもので、鏡というものを知らない人がはたから見たら、一人の人間が分離して二人になったように見えるのと同じです。

 そうして、神は、自分の分身(投影)である生命体を創造したのではないかと思います。人間だけではありません。すべての生命体です。なぜなら、生命はすべて意識を持っているからです。
 ただ、それでも、あらゆる生命体のなかで、人間(の意識)が、もっとも創造主の分身に近いのではないかと思います(他の星には、人間よりももっと創造主に近い存在がいるかもしれません)。
 創造主は、最初から、自分と同じ意識体(生命体)を創造したのではありません。まずは、もっとも原始的な意識体、ある種の「意識の分子」のようなものを創造したのだと思います。というのも、その原始的な意識体がしだいに高度なものに進化していく(つまり自分の姿に近づいてくる)、そのプロセスを観察したかったからだと思います。
 こうして、地球にひとつの細胞が誕生し、時間をかけて、その細胞が寄せ集まっていき、しだいに高度な生物が誕生していったのではないかと思います。つまり、進化していったということです。
 すでに述べたように、創造主は今なお進化し続けている存在ですから、進化していく存在を創造しなければ、自分自身を知ることができないのです。つまり、完成された生命体では意味がないのです。そのために、最初は原始的な生命体を創造したのでしょう。

 ひらたくいえば、創造主が人間を創造した理由は、「自分さがし」のためだと言えるかもしれません。
 私たち人間が、本能的に知的探究心を持っているのも、私たちが、そうした創造主の意識を投影された存在だからです。私たちの好奇心が行き着くところは、最終的には「自分とは何か」ではないかと思います。私たち人間が存在している目的は、「自己の探求」ということになります。
 そうして創造主は、私たちが自己を探求するのを観察することで、「自己とは何か」に関する情報を入手しようとしているのだと思われます。
 あまり適切なたとえではありませんが、「鵜(う)飼い」に似ているかもしれません。すなわち、鵜を海に放して魚をとらせ、その鵜から魚を得ている漁師、それが創造主ではないかと思うわけです。
スポンサーサイト

神の正体 | コメント:2 | トラックバック:0 |
<<神の正体⑥ 神は創造主ではない | ホーム | 神の正体④ 世界を創造した目的>>

コメント

 なるほど、創造主が鏡に投影した姿がわれわれだと。
 鏡写しと同じように左右といえる何かが真逆になっている可能性がありそうですね。そう考えると面白いです。
2018-02-13 Tue 12:36 | URL | ワタナベ [ 編集 ]
斉藤啓一です。ワタナベさん、コメントありがとうございました。「鏡に投影」というのは、あくまでも比喩ですが、左右逆転といったところまで考えてみるのも、もしかしたら面白いかもしれませんね。現象的にはどういうことになるのでしょうか。案外、そこから新しい可能性が見えてくるかもしれません。
2018-02-13 Tue 16:49 | URL | [ 編集 ]

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

| ホーム |