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心の治癒と魂の覚醒

        

神の正体⑦ 神の愛はいかにして人を救うか


 リチャード・ドーキンスという、英国の生物学者がいます(ちなみにこの科学者は、神は幻想であり宗教は悪だという意見の持ち主で、その種の本も書いています)。ドーキンスによれば、生物とは遺伝子の「乗り物」に過ぎず、大切なのは個体そのものよりも遺伝子であって、よりよい遺伝子を子孫に伝えていくことが生物の至上目的だと述べています。そうして生物は進化していくというのです。
 遺伝子というのは、ご存知のように、生物の肉体構成に関する情報コードです。つまり、生物の目的は、よりよい生体情報を子孫に伝えていくことだというのです。そうして、よりすぐれた生体へと進化していくためです。
 生物というものは、さまざまな試練だとか病気といった経験から、そうしたものに負けずに生きていくように自らを変容させてきたわけですが、そうした情報が遺伝子によって蓄積され伝達されてきたわけです。
 さて、これと同じメカニズムが、神の細胞である私たち人間にも当てはまるのではないかと、私は考えています。
 これまで繰り返し述べているように、(私の考えでは)神とは、私たちひとりひとりの意識によって構築されたネットワークのことです。
 そして、このネットワークの中に、私たちひとりひとりが経験を通して得られた知識や思考や想念といった情報が蓄積され続けているのです。ちょうど、インターネットのようなもので、誰かがブログを書いてアップロードすると、その情報がインターネットに蓄積されます。そして私たちは、インターネットにアクセスすることで、必要な情報を入手しているわけです。ただ、神であるネットワークがインターネットと異なるのは、私たち自身の持つ情報が、その気がなくても自動的にアップロードされるという点です。

 このように、神、すなわちネットワークには、私たちによってさまざまな情報が蓄積され続けているのですが、ここで重要なことがあります。
 それは、進化に必要な情報だけが淘汰されていく、ということです。
 進化の厳密な定義は難しいですが、ここでは仮に「幅広い環境に棲息できる健全かつ多様な生命体へ変容していくこと」としておきましょう。この定義はそれほど間違っていないと思います。
 当然ですが、環境のせいで絶滅してしまってはおしまいです。そのため、たとえば寒い気候になると、その情報を入手した個体の遺伝子が変容し、子孫に引き継がれて、体毛が生えた子孫が生まれてくるわけです。
 そして、個体数をどんどん増やしていき、棲息領域をどんどん広げていきます。棲息領域を広げていけば、異なる環境になったりします。たとえば今度は乾いた熱い砂漠で生きていかなければならなくなったりするわけです。そうするとそこでまた、遺伝子情報が書き換えられて、そうした環境でも生きられる生命体へと変わっていくわけです。
 このようにして、地球上には、さまざまな種類の多様な生命体が誕生したわけです。
 これが進化というものです。進化というものは、非常に合理的なプロセスであると言えるでしょう。

 さて、生命が合理的に効率よく生きるためには、お互いに助け合うことが必要になります。もしお互いに奪い合い殺しあったら、その生命体の群れは存続していけません。「自分さえよければいい」という敵対関係より、「ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために」という協調関係のシステムの方を採用した群れの方が、健全となり生長していきます。協調関係こそが合理的であるということです。繰り返しますが、生命は「合理主義者」なのです。
 ネットワークである神も、そうして進化をしていくものと思われます。
 つまり、協調関係の情報だけを蓄積し、敵対関係の情報を排除する運動が働いていると推測できるわけです。
 このように、神が持っている「協調関係の情報だけを蓄積しようとする運動」が、私たち人間レベルでいう「愛」なのだと思います。生命の進化は愛によって促進されるということです。愛を高めていくことが生命の進化である、という表現もできるでしょう。
 いわば「愛のネットワーク」、これが神の正体です。まさに、神は愛ということになります。私たちが愛を持ち、その情報を発信していくことで、神は進化していくわけです。
 そして、神が進化していくほど、言い換えれば、より完全なる愛に近づけば近づくほど、ネットワークの構成要素である個々の私たちにも、愛の情報がフィードバックされてきます。つまり、救いがもたらされるということになります。

 たとえば、何か困った状況に陥ったとします。そして、「神様、助けてください」と祈ったとします。この祈りの行為は、いわばネットワークにアクセスする行為です。祈らなくても、「困った。どうにかならないだろうか」と思っていても、同じようにアクセスする行為となります。
 すると、神(ネットワーク)は、困った状況を解決するための情報を検索エンジンにかけて探し出し、そのなかでもっとも有効だと思われるものを、祈った人の潜在意識に向けてダウンロードします。
 その情報が表面意識に浮上した場合は、「閃き」という形で解決策が思い浮かびます。そうでない場合は、潜在意識による無意識的な行動という形となって現れます。具体的には、たとえば、何気なく本屋に立ち寄りたくなり、何気なく本を開いてそのページを見たら、そこに問題解決の方法が書かれていたとか、そういった具合です。
 あるいは、「○○さんは困っている」という情報が、何らかの縁がある人にダウンロードされることもあるようです。たとえば友達などです。潜在意識に情報がダウンロードされたその友達は、なんとなく友人のことを思い出し、久しぶりに連絡してみようと思って電話をかけてみたところ、その友人が困っていることを知り、その人を助けてあげる、といったような具合です。
 神の救いというものは、このようにもたらされるのだと思われます。

 このような現象を経験すると、あたかも人間とは別個の存在が助けてくれたように感じられるのですが、実はそうではなく、私たち人間自身が先祖からこれまでに蓄積した、すぐれた情報のネットワークシステムが作動した結果によるものなのです。
 あえて言えば、すぐれた情報を提供してくれたすばらしい人たちのおかげなのです。
 それがどういう人たちであるかというと、大きく分けて三つに分かれるのではないかと思います。
 ひとつめは、科学や技術その他、有益な知識を生み出した人たちです。たとえば学者と呼ばれるような人たちです。彼らのつかんだ知識がネットワークに蓄積されますから、必要に応じてその知識をダウンロードして活用することができます。
 ふたつめは、困難な状況を克服した人たちです。たとえ克服できなかったとしても、そのために努力をした人たちです。なぜなら、困難な状況を克服するために努力し、知恵を絞り、その方法をつかみ出したわけで、いわば「困難を克服する情報」を残したからです。たとえ困難を克服する方法を入手できなかったとしても、困難を克服しようとしたその勇気や忍耐といった情報は蓄積されます。その情報にアクセスした人は、その情報から困難を克服する勇気や忍耐といったものを入手できるわけです。そうして、困難を克服しようとする人を助けるのです。
 三つめは、愛の行為をした人です。愛の行為をした人は、愛する情熱、愛する勇気、愛する忍耐、愛する知恵、愛する方法といった情報を発信したことになり、それがネットワークに記録されます。すると、その情報にアクセスした人もまた、愛に関する情報をダウンロードして、愛の行為ができる人になるのです。

 以上の三つは、どれも生命が生長発展して進化していくために大切な情報です。したがって、すぐれた知識を学び続けた人、逆境を乗り越えた人、愛の行いをした人は、たとえそれが誰にも知られることなく、賞賛されることがなかったとしても、その人生は非常に価値と意味があるものと言えるわけです。彼らがつかんだ情報は、永遠にネットワークに記録され蓄積されて、永遠に同朋や子孫を助けることになるからです。
 私たちの救いの恩恵というものは、こういう、ほとんど名もなきたくさんの善き人たちのおかげなのです。ですから、「神」に感謝するのはけっこうですが、「神」に感謝するとは、そうしたすばらしい生き方をした人に感謝をするということです。

 私はこれこそが、本当の信仰だと考えています。人間とは別個の超越的な存在を思い描いて、それに向けて熱心に祈ったり、念仏やお経を唱えたりするのは、信仰ではありません。単なる偶像(幻想)崇拝であり、単なる儀式です。
 目の前にいるリアルな人間こそが信仰の対象です。その苦しみを少しでも軽くしてあげようという、燃えるような、それでいて冷静な愛を傾けること、それが信仰であると思います。
 なぜなら、人間は神の細胞であり、断片とはいえ神であるからです。ですから、人間を愛することが神を愛することになるわけです。信仰とは神を愛することであるとするなら、まさにこれこそが信仰ではないでしょうか。イエスは「苦しみにある人を助ける人は、私を助けているのである」と言いましたが、これはそういう意味なのだと思います。「神は救う者」であり「人間は救ってもらう者」という分離は、本来ないのです。あなたが人を助けるとき、あなたは「神を助けている神」なのです。
 どのような人であれ、そこに神を見て拝む人がいたら、その人は真の信仰者です。また、真の覚醒者です。
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神の正体 | コメント:3 | トラックバック:0 |
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コメント

こんにちは、斉藤先生。

 「情けは人の為ならず」という言葉も合理的な神のネットワークの働きを表すものですか?
2018-02-26 Mon 12:32 | URL | ワタナベ [ 編集 ]
斉藤啓一です。ワタナベさん、コメントありがとうございました。個人の利他的な愛は、ネットワークをさらに利他的にし、それが個人にフィードバックされるという点では、たしかに「情けは人の為ならず」と言えると思います。
2018-02-26 Mon 18:20 | URL | [ 編集 ]
斉藤先生、回答ありがとうございました。
2018-02-27 Tue 12:23 | URL | ワタナベ [ 編集 ]

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