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心の治癒と魂の覚醒

        

エゴを消滅させる方法④ 宗教はエゴの産物

 宗教は、エゴの産物です。ですから、宗教を信仰している限り、真の愛は存在しません。存在しているのは、愛の仮面をつけたエゴだけです。
 その証拠に、たとえばある宗教の信者だったときは親切で優しかったのに、その宗教から脱退したとたん、手のひらを返したように冷たく無慈悲になったりします。愛は無条件のはずですから、相手がどのような宗教を信じていようと変わらないはずです。

 ある宗教を信じている人は、たとえあからさまには口にしないとしても、自分の信じる宗教こそがもっともすぐれている、真実である(言い換えれば、他は劣っている、間違っている)と思っているでしょう。その時点ですでに分断と差別が生じているのです。そして、分断と差別が存在するところに愛は存在しません。心の底では「ああ、間違った宗教を信じてかわいそうに」といった、ある種の上から目線の憐れみ、蔑み、あるいは自分は正しい宗教を信じているのだというエリート意識のようなものが見え隠れしています。過激な宗教になると、「間違った宗教から眼を覚まさせてあげよう」などといって他の宗教を攻撃したりします。そうして争いが起こり、ひどい場合は殺し合いの戦争が起こります。
 こんな状態にさせる宗教のいったいどこに、真の愛が存在し得るでしょうか。
 こうなってしまうのも、宗教がエゴの産物だからです。エゴは「自分は特別な存在だ」と思い込むのが大好きです。人を見下すのが大好きです。「世界人類を救うのだ」と思うのが大好きです。「自分は愛が深いんだ」と自己陶酔するのが大好きです。

 人が何か根拠のないものを信じるという動機は、結局、信じたいから信じたのです。
 「いや、直感によって真実だと思ったから信じたのだ」という人がいるかもしれませんが、その直感が正しいという根拠もなく信じているのでしょう。ならば、どのみち信じていることに変わりはありません。
 そして、その信じたいという気持ちは、エゴを喜ばせたい、あるいはエゴの苦しみを消したい、という欲求から来ているわけです。エゴの欲求を満たしてくれる宗教を選んでその宗教を信じているわけです。「その宗教が真実だから」という理由ではなく、「その宗教がエゴを満たしてくれるから」という理由で、その宗教を信じている人がほとんどだと思います(もちろん本人はそのことに気づいてはいないでしょうが)。
 その証拠に、自分の宗教が否定されたりすると、気分を悪くして無慈悲になったり攻撃的になったりするのです。

 イエスは二千年前から、釈迦は二千五百年前から教えを説きましたが、人類はいっこうに救われません。「モーゼもイエスも人類救済に失敗したので神はムハンマドを遣わして教えを説いた」とイスラム教では言いますが、やはり人類は救われていません。
 いったい人類が救われるまで、あとどれくらい待てばいいというのでしょうか?
 それとも、今までの宗教が間違っていたから救われないのでしょうか?
 正しい宗教が世界に登場すれば、人類は救われるのでしょうか?
 Aという神ではなくBという神を信じれば救われるのでしょうか? 「南無阿弥陀仏」でも「南無妙法蓮華経」でもなく何か別の「南無○○○○」と唱えれば救われるのでしょうか?
 そういうことはないと思います。
 宗教では救われないということです。今なお新しい宗教が生まれ、教祖が生まれて、何かを信じることを説いていますが、結局、ひとつの夢から別の夢に変わるだけで、何も解決はされません。信じることには限界があり、よい面もあることは否定しませんが、副作用があるのです。副作用の方が強いので、人類に問題を起こしているのです。

 それよりも、宗教という汚れを落とすことです。宝石が輝くためには、ただ汚れを落とせばよいのです。宗教というエゴの汚れを落としさえすれば、愛が輝きます。人間の本質は愛だからです。宗教が説いている愛は、巧妙に作られたメッキに過ぎません。自分の宗教が否定されるようなことが起きれば、簡単に剥がれ落ちてしまうニセモノの愛です。
 宗教を持たず、いかなる信仰も信念も持たず、根拠のないことは肯定も否定もしない立場であれば、そこに分断も差別も争いも生じません。つまり、そのような、なにものにもとらわれない立場であるときにこそ、真の愛が輝いてくる可能性があると、私は考えているのです。そうしてこそ、戦争という、もっとも悲惨な人類の災厄をなくすことができると思うのです。
 宗教の本質は愛であると思うのですが、皮肉なことに、宗教そのものが人々を分断させ、愛を殺しているのです。宗教という鎖につながれてエゴの奴隷になっているのです。

 愛こそが宗教ではないでしょうか。だとするなら、宗教を持たない人こそが、真の意味での宗教者に成り得る可能性を秘めているということです。
 あえて宗教という言葉を持ち出すならば、宗教心というのは、愛のことです。無条件の愛を目覚めさせる教え、これだけが真の宗教と呼べるものです。分断や差別や争いや対立を招く宗教はすべてニセモノです。エゴが作り出した単なる妄想に過ぎません。
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エゴを消滅する方法 | コメント:2 | トラックバック:0 |
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コメント

 斉藤先生、こんにちは。

 宗教自体がエゴの密集する場所であるということは何となく気づいていましたが、かなり爽快に否定なされましたね(笑)。まったくそのとおりだと思います。宗教では本当の意味で人類は救われていません。

 先生の薦めで読み始めた「宗教は必要か」にも宗教を恐怖から生まれた病気とか人類への無限の惨めさの根源であると酷評しておりますよね。
 教祖の言ったことを解釈する一団の専門家たちが特権階級化するためのものであるとも・・・。

 宗教の誤魔化しには注意が必要なようですね。 
2018-03-25 Sun 16:20 | URL | ワタナベ [ 編集 ]
斉藤啓一です。ワタナベさん、いつもコメントありがとうございます。おっしゃるように、宗教は「誤魔化し」があるというのが問題です。表と裏があるのです。
ただ、前にも書いたように、一部の人にとっては宗教は「足場」の役割を担うこともあると考えています。ですから、全面的な否定はしません。次回、その点についてお話させていただきますね。
2018-03-25 Sun 21:38 | URL | [ 編集 ]

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