菩薩の道2018-04-21 Sat 11:38
前回の記事で述べた、エゴと「凡夫として生きること」について、補足したいと思います。 このブログを読んでくださる皆様には言う必要はないと思いますが、「凡夫として生きる」といっても、低劣な欲望をまるだしにし、怠惰でだらしなく、自分勝手で、みみっちい生き方をする、という意味ではありません。むしろ、その逆で、高潔な生き方をすることです。 私たちはエゴに支配されているのに、そのことに気づいていません。これでは永遠にエゴが作り出す夢(妄想)に埋没したままで、そこから覚めることはできません。「自分はエゴに支配されているのだ」、つまり「凡夫なのだ」と自覚することによって、エゴの妄想から覚める道が開かれます。 たとえば、怪物に襲われるという怖ろしい夢を見ていたとき、自分は夢を見ているのだと気づけば、怖ろしいとは思わなくなるでしょう。「ああ、単なる夢にすぎない」と思うでしょう。夢にとらわれなくなるでしょう。 したがって、自分はエゴの作り出している夢を見ているのだという自覚が必要なのです。エゴの夢を見ている人は「凡夫」です。だから、凡夫としての自覚を持って生きるわけです。 しかし皮肉なことに、その自覚を持てばエゴの夢が消滅します。だから、凡夫であるという自覚を持っている人は「非凡」になるのです。 自分が凡夫であることを本当に自覚したならば、あらゆる心理的束縛から解放されます。たとえば、嫉妬や怒りから解放されます。嫉妬や怒りというのは「自分の方がすぐれていなければイヤだ」といったエゴの欲望から来ているからです。 しかし、心の底から自分はエゴの凡夫なのだと自覚していれば、そんな欲望は起こりません。たとえば、自分は本当に馬鹿だと自覚していれば、自分より頭がいい人がいるのは当然だから嫉妬は起きないでしょう。また、人から「馬鹿だ」と言われても、その通りなのだから腹は立ちません。嫉妬や怒りの感情が湧き立つのは、どこかに「自分は人よりすぐれていたい、すぐれているべきだ」という、ある種の傲慢さがあるからです。 嫉妬や怒りから解放されたなら、心は自由で、すがすがしくなります。そんな人は真に非凡ではないでしょうか。 嫉妬や怒りがある限り、そこに愛はありません。嫉妬や怒りの感情から解放された人こそが、本当の「愛の人」になるわけです。だから、「凡夫」こそが「愛の人」なのです。「愛の人」という、高潔で非凡な人になるわけです。 法華経に常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)という菩薩(人を救うことを修行としている修行者)が登場します。この菩薩は「あなたは仏(覚者)になれる身であるから、私はあなたを尊敬します。決して軽んじたりしません」と、会う人会う人に語ったといいます。人々はうざくなり追い払いますが、するとこの菩薩は遠くから同じことを叫んだといいます。 良寛は、この菩薩を心から敬愛し、「比丘は唯万事はいらず常不軽菩薩の行ぞ殊勝なり(常不軽菩薩の行こそが最高のものであり、仏道修行者はただこれだけを行っていればよく、他には何もいらない)」とまで言っています。 愛の人は、上から目線でものを言ったりしません。「自分は悟ったから偉い、おまえたちは悟っていないかわいそうな人たちだ。だから、慈悲の心で教えを説いてやるよ」などという思いはないでしょう(というより、そのような思いがある人は悟っていないと思いますが)。 愛の人は謙虚で、万人を尊敬するのです。尊敬とは、自分より偉い人を称える気持ちです。「自分の方が上だ」という思いがあれば尊敬の心など湧きません。つまり、万人を無条件で尊敬できるというのは、そこにはエゴがないことを意味します。仏教の目的はエゴを消滅することですから、万人を尊敬することが、最高の修行ということになるわけです。良寛はそこを言っているわけです。 「凡夫」こそが、万人を尊敬し、万人を謙虚に愛することができるのです。 しかし、それは何と難しいことでしょうか。 つまり、「凡夫」になることは、簡単なことではないということです。 ほとんどの人は、本当に自分は凡夫だと思っていません。思いたがりません。非凡になろうとします。人を尊敬するどころか、人から尊敬されようとします。 だから、実は「凡夫」になろうとすることさえも、絶望的だということです。 「凡夫」になろうとすることさえも、エゴなのです。 私たちは、「凡夫」にはなれません。 「凡夫にはなれない」と心の底から自覚したとき、「凡夫」になります。 スポンサーサイト
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コメント
斉藤先生こんにちは、凡夫になることさえ難しいのですね、険しき道ですね。だからこそ求める価値はあると信じ、進みたいです。
尊敬する良寛さんのエピソードありがとうございます。自分以外のすべての人を敬うとそれだけで修行が進むようですね、福祉系の仕事をしていると大事なことだと分かります。 季節の変わり目は体調を崩しがちになるので気を付けてお過ごしください。 2018-04-23 Mon 12:23 | URL | ワタナベ [ 編集 ]
斉藤啓一です。ワタナベさん、コメントありがとうございます。「凡夫になることさえ難しい」とわかれば、決して険しい道ではありませんよ。案外、いつのまにかなっていた、といった感じかもしれません。
ワタナベさんもどうぞおからだに気をつけて無理のない範囲でがんばってください。 2018-04-23 Mon 18:27 | URL | [ 編集 ]
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