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心の治癒と魂の覚醒

        

オウム真理教はなぜ道をあやまったか?


 本日も「真の仏教」について論じる予定でしたが、ご存知のように、昨日、オウム真理教の教祖やその信者がついに死刑になりましたので、今回は予定を変更して、この話題について論じてみたいと思います。もっとも、ある意味では「真の仏教とは何か」ということも間接的に知ることができるのではないかと思います。

 さて、私は20代前半の若い頃、オウム真理教の前身である「オウム神仙の会」という、小さなヨガ団体に半年ばかり入っていました。これについての詳しいことは拙著『悟りを開くためのヒント』で書いたので、ここでは簡単に申し上げますが、そこで、道場に通ったり合宿にも二度ほど参加したりして、麻原の指導を受けたわけです。また、麻原の師匠であるパイロットババというインドの行者を招いたときも、その人の指導を受けました(このインドの行者はいまは「私はインド公認の大聖者である」と宣伝している女性ヨガ指導者の師匠になっています)。
 弟子たちはみな熱心でした。超能力だとかそういう浮ついたものに憧れてきた人は少なく、ほとんどが「解脱」だとか「人間としての真実の生き方」といったものを真剣に求めていました。私も同じでした。
 麻原の説教は、かなり高度なもので、歯切れがよく、少なくとも説教に関してはすばらしいものがあったことは確かです。理路整然と論理的に話すので、理数系の若者にはたまらない魅力があったと思います。また、ヨガの難しいポーズや呼吸法もマスターしていましたから、それなりにヨガの達人だったようです。
 ですから、私をはじめ多くの若者が心酔し、彼こそ真の最終解脱者であり、仏陀であり、グルであると信じてしまったわけです。

 しかししばらくして、私は当時からオカルト雑誌に記事を執筆していたのですが、その記事が自分の説教をマネして書いたものだといって麻原から電話がかかってきたのです。その口調は、常軌を逸していると思われるほどヒステリックで粗暴な言葉使いでした。
 私が最終解脱者として抱いていたイメージは釈迦であり、釈迦は決して粗暴な言葉使いをしたことがなく、静かに穏やかにゆっくりと、説いてきかせるように話したと聞いていましたので、まずはこのことに大きな違和感を覚えました。
 私はマネはしておらず、麻原とは関係のない別の本から引用したと言って、その本の題名まで告げましたが「いや、あの本には書いてない!」の一点ばりなのです。
 最終解脱者なのに、そのくらいの事実がわからないことにまた驚きであり、仮に百歩ゆずって私がマネをしたとしても、そんなに激怒するようなことなのだろうかと思いました。
 あくる日、私は道場に呼ばれました。広い部屋に案内されると真ん中に座布団がおいてあって、そこに坐らされました。そして、まわりを信者に囲まれました。私の目の前に坐ったのは、今回、死刑になった早川でした。早川は「あなたの記事のここは尊師の言ったことだ、ここもそうだ、あそこもそうだ」と言うのです。それはどの本にも常識的に書いてあることなのですが、あくまでも麻原が言ったといってゆずりません。ところが、麻原が電話で文句を言った肝心の箇所は出てこないのです。
 おそらく、後で本を見て、私が正しかったことがわかったのでしょう。しかし、「最終解脱者」が間違ったではすまされません。なので、とにかく私が間違ったことにするために、まったくくだらないことで因縁をつけて私を悪者にしたのだと思います。
 私はもう麻原は電話の時点でインチキだと感じたので、「マネはしていませんが、似たような文章を書いてしまったことをお詫びします」という手紙を書いて渡すと、ようやく解放してもらえました。ちなみに、その場所に麻原は結局顔を出しませんでした。
 そしてすぐに脱会しました。それからまもなくオウム真理教となり、最初は「子供が出家して帰ってこない」という問題が出てきました。私はそのニュースを見て「たぶん、問題を起こすだろうな」と納得がいきましたが、さすがにサリンをまいて世界を震撼させるテロを行うことまでは予想できませんでした。

 さて、今回、論じたいのは、まじめに解脱や人間の真実の生き方といった、いわば釈迦の弟子と同じ動機で入信した弟子たちが、なぜ、あのような凶悪事件を起こしてしまったかです。それについては、いろいろな学者がいろいろと言っていますが、現場にいた者として、私の見解を述べてみたいと思います。
 まず、彼らの多くは、入信する前に、すでにヨガの思想に洗脳されていました。ここが重要なポイントです。たとえば、ラジニーシというインドの有名なグルがいましたが(後に彼の教団は毒をまいたり、教祖は麻薬違反で逮捕されました)、その教団に入っていた人も何人かいました。
 ヨガ系の教えでは、グルは絶対者であり、グルを疑う者は決して解脱できない。グルを心底信じるものだけが救われる。そのためにグルは弟子のその信仰の強さを試すのだということが、言われているのです。たとえば、ヨガの伝説的なグル「ババジ」などは、はるばる山奥にババジの弟子になるためにやってきた人に対して、「もし私の弟子になれないなら死ぬというのなら、死んでみろ」と言っています。そうしたらその人は崖から飛び降りて死んでしまいました。するとババジはその信仰の強さを認めて、生き返らせてやり、自分の弟子にしたのだと、そんな話が伝えられています(本当かどうかはわかりませんが、インド宗教にはまった人は、こうしたことを信じてしまうのです)。他には、ミラレパという人物がいて、この人物も師匠から、師匠への信仰を試されるようなことをさんざんされています。
 こうした話が脳裏に焼きついているために、グルから「そんなことしてはまずいのではないか」と思われるような命令を受けても「グルはちゃんとよく考えて、結果的にあなたのいいように導いてくれているのだ。だから、それを信じて行うことだ。それが真の弟子であり、そうしてこそ解脱ができるのだ」というように、すでにそうした教えに洗脳されている人が、オウムのもとにやってきたのです。私もその一人だったわけです。

 なので、麻原からすれば、カモがネギを背負ってやってきたようなものです。自分を最終解脱者でありグルだと信じさせさえすれば(そのために利用されたのが、空中浮揚のトリック写真です)、なんでも自分の思う通りになる奴隷がやってきたことになるからです。
 麻原からの「坂本弁護士を殺せ」とか「サリンを作れ」という命令は、どの弟子も最初はおかしいと感じたはずです。ところが、「グルには私たちには想像も及ばない考えがあるのだ。私たちを試しているのだ。グルにしたがっていれば何も問題なく、すべてがうまくいくのだ」と思い込んでしまったのだと思います。
 そうしてあげくの果てに、あのような凶行に及んでしまったのだと思います。

 私も、他の修行仲間から、出家しないかと強く誘われました。「これからこの教団は大きくなっていく。いま出家すれば、麻原の側近の弟子になれるぞ。そのチャンスを逃すのはもったいないだろう」と言われました。そう言われると、心がぐらつきました。何しろ、解脱できるかどうかはグルに近ければ近いほど可能性があると、インド系ヨガでは説かれているからです。

 しかし、結局、なぜ私が出家せず脱会したかというと、きっかけはさきに紹介したトラブルにあったのですが、あの件がなくても、私は脱会していたと思います。
 その理由は、まず完全に麻原を信じられなかったからです。最初は、信じられないのは自分の信仰が薄いからだと思い、自分を責めたりしましたが、しだいに、どうもそうではないと気づきました。
 確かに、麻原の説教はすばらしいのですが、麻原そのものに「美しさ」を感じなかったのです。私にはそこが非常に重要だったのです。
 麻原は、見た目も美しくありませんでしたが、見た目は別としても、とにかく全体的に美しさを感じられなかったので、「何かがへんだぞ」という疑念が晴れませんでした。

 後で深く気づいたことですが、「美しさ」というものは、実は大変に重要なことなのです。私は、真理であれば美しく、善であれば美しいと考えています。美しさを感じない真理、美しさを感じない善というものは存在しないと考えています。
 こうした考え方は、私の気質が、もともと芸術家タイプであったことと関係するのかもしれませんが、ギリシアの思想を学生時代に学んだことも大きかったと思います。ギリシアの思想では、「美」というものを、解脱の非常に重要な要素であると考えているのです。

 断言してもいいですが、美しさを感じないものは、まずニセモノです。少なくとも不備があります。もちろん、見せかけの美しさという意味ではありません。見た目もある程度は重要ですが(人は内面の状態が外面に表れるものですから)、それよりも、もっとトータルにかもし出されるものです。
 汚いもの、汚れを感じさせるものは、いかにその説教がすばらしくても、あるいは、いかに「聖者」と呼ばれているとしても、まずニセモノだと思って間違いありません。
 釈迦はこう言っています。
 「悪いことをせず、善いことをすること、心をきれいにすること、これが仏教である」と。
 この「心をきれいにすること」を、もう少し突っ込んでいえば、「心を美しくさせること」と言えるでしょう。
 ここが、宗教の最大のポイントであり、解脱修行をする上での主軸になるのです。
 ここをなおざりにして、やたらにテクニックばかり追い求めても意味はありませんし、むしろ邪道に陥ってしまいます。オウム真理教ではクンダリニーヨガを教えていましたが、クンダリニーヨガそのものは、エネルギーを高めて超能力を開発するだけで、それだけでは解脱しません。それに加えて「心の浄化」の修行を徹底的にしないと、狂人になり、邪悪になってしまいます。
 麻原はその間違いを犯してしまったのです。麻原はクンダリニーヨガは成就していたと思われますが、心の浄化がまったくできていませんでした。そもそも彼は若い頃にニセ薬を販売して逮捕されるなどの事件を起こしていますし、もともと心が汚れていたのです。心が汚れたままエネルギーを高めるような修行だとか、苦行をすると、まず間違いなくおかしくなります。
 しかし、インド系の教えしか知らない人は、そうなりやすいのです。

 ですから、私はひとつの教えだけを学ぶというのは、よくないと思っています。
 いろいろな宗教を学ぶべきです。そうすれば、その宗教の欠点や弱点もわかってきます。それを他の宗教で補う必要があるのです。
 ヨガ、仏教、キリスト教、ギリシア哲学、道教、ユダヤ神秘主義(カバラ)、クリシュナムルティ、そして心理学と芸術。こうした教えは、解脱に必要な「必須カリキュラム」だと、私個人は考えています。また、言うまでもないことですが、こうした教えを学びながら、地に足をつけて現実生活から学ぶ姿勢も不可欠です。
 みなさんには、ぜひ、これらすべてを学んでいただきたいと思っています。このうち、どれかひとつだけに心酔することは危険です。それぞれ真理の一面はとらえていますが、真理は「一面」ではなく「全面」だからです。ですから、真理をとらえて解脱するためには、少なくとも上記にあげた思想はすべて学ぶべきだと思っています。
 そうしていたら、オウムのような事件は起きなかったのではないかと考えています。

 宣伝になってしまいますが、実は上記の教えを学ぶ塾のようなものを今、計画しています。
 東京の東村山市に別荘を持っている人と知り合いになり、使っていないから貸してあげるよと言ってくださいました。その三階に広い部屋があり、12人~16人くらい収容できますので、こじんまりした勉強会ですが、月に二回くらいのペースで開こうと思っているのです。
 「いかなる宗教組織、グルに頼ることなく、独力で魂の覚醒をめざす人のための情報提供の場」というコンセプトです。いうまでもありませんが、宗教団体ではないし、私もグルなどではありません。私は単なる「案内役」です。勉強会に来た人は、年齢・性別・職業・家柄・過去の経歴、その他、あらゆることに関係なく平等に尊重されます。かたぐるしい緊張した学びの場所ではなく、明るく楽しく、勉強会の終了後には、みんなでお茶を飲みながら歓談しようと思っています。会費は一回三千円くらい頂こうと思っていますが、お茶会は無料です。なので、お茶会だけに来てくださっても、ぜんぜんOKです。なぜなら、そうして人が集まってくれれば、お互いに情報を交換することができ、私も参加者も役に立つからです。
 今年の9月くらいから始めようと思っています。詳細が決まりましたら、またお知らせをしたいと思っています。近郊にお住まいの方はぜひ、いらしてください。ただ、いつまでこの家が借りられるかわからないので、存在しているうちに来てください(笑)。
 私の「野望」は、この勉強会から、「美しい人」をなるべくたくさん輩出し、苦悩している人を少しでも慰めてあげられるような人を世に送ることです。
 私は無力なので、残念ながら、世の中を変えることはできません。しかし、世の中を変えることができる人を変えることはできるかもしれないと、ひそかに期待しています。
 自分も他者も世の中も、みんな美しくなる。そんな勉強会にしたいと思っているのです。

 あともうひとこと。いま紹介した必須カリキュラムのなかのユダヤ神秘主義カバラのセミナーを行います。難解なカバラの基礎から奥義まで、すべて理解していただき、しかも実生活に活用できるレベルまで紹介するという、かなり無謀(?)な内容になるかと思います。

 日時:2018年8月26日(日) 10:30~16:30(終了後、懇親会あり)
 場所:ホテルローズガーデン新宿(東京都新宿区)
 会費:9800円(税込)
 こちらもぜひ、よろしくお願いいたします。
 詳細&申し込み↓
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コメント

読ませていただきました。ご著書にもふれてあったので、今回のことで、もしかしたら、言及されるのではと思っていました。現場近くにいらした先生ならではの着眼点、なるほどなあと、思っていました。人々にとても大きな傷を与えた大事件で、私などが、どうこう言えるものではないとは思いますが、一区切りになったのだと思います。ところで、後半に先生の今後のご活動の予定。ご活躍を楽しみにしております。それと、前回までの続き、楽しみにしていますので、来週あたり、お願い申し上げます。
2018-07-07 Sat 19:08 | URL | ももたろう [ 編集 ]
斉藤啓一です。ももたろうさん、コメントありがとうございました。確かに、これは深刻な事件でしたが、宗教というものを考えさせる大きなきっかけともなりました。
来週は前回の続きをします。期待してくださっていて、嬉しいです。よろしくお願い致します。
2018-07-07 Sat 20:04 | URL | [ 編集 ]
醜いモノとは、結局・・・他人から称賛されて良き人と思われて、でも結局他人よりも美味しい思いしようとする心根でしょう。金女名誉等の欲望よりも、やれ悟りだ霊性だと宣いながら結局人に褒められたいと言うセコイ性根を捨てる事が先決かと。
麻原タイプは他人と世間を見下しながら(彼自身見下されてた幼少期が有ったみたいですが・・それは馬鹿をヤッタ事に対する言い訳にもならない)蔑んでる世間他人に称賛されなければ満たされない人間だったのでしょう。
真面な宗教団体なら少しは「人に褒められるよりも信用・信頼される人になりなさい」と言うモンじゃないですかね?
「人は人となるべし。この人と成りえて神ともなり佛ともなる」慈雲尊者
人間やめて超人志向???最終下落者でしょうね。
斎藤さんは麻原の所に行ったのですか?私は仙道のT氏に一時師事してましたが・・・
「ここまでは教えてやるから後は自分で考えろ!」でしたけど(笑)
阿含宗には少し係わってましたが、若い頃正直、女の子が多い団体には中身の胡散臭さは(一言では語りつくせないほど有ります)別として興味が有りました(笑)
だけど、阿含宗関係の友人??付き合っていると下らないオカルト本健康食品を買わされ、私の懐から向こうにお金が流れるが逆は絶対ない!そのくせ二言目には「友達だろ!」もたらされる情報・スキルにも目を見張るものもなく自然に分かれました。


2018-07-07 Sat 23:37 | URL | 阿字観マニア [ 編集 ]
斉藤啓一です。阿字観マニアさん、コメントありがとうございました。まさにおっしゃる通りですね。「自己賞賛欲求」、「自己承認欲求」、「優越感」といったものが、あらゆる汚いものの根源にあると思います。宗教はそういうものを無くすのが本来の目的だと思うのですが、逆に、自分が認められたいという欲求を満たす手段として宗教を利用している人が多いです。
2018-07-07 Sat 23:51 | URL | [ 編集 ]
やはり特殊かつ異様な世界だったのですね。何より、私自身も麻原には微塵の美しさも感じたことはありませんでした。

「心の浄化」そして「生き方」を求めて、私も自身を振り返り、慣れぬ書を紐解くようになりました。本当に始まったばかりで、何を手に取ればと思っていたところでした。先生のご指摘になった一連のものを生涯かけて学んでいきたいと思います。

ありがとうございました。
2018-07-08 Sun 08:16 | URL | とおる [ 編集 ]
斉藤啓一です。とおる様、コメントありがとうございました。
「心の浄化」と「真実の生き方」の探求は、この世に生まれた人間の課題であると私は思います。宗教はその課題を助けるものだと思いますが、一歩間違うと狂信になってしまう危険があります。なので、私は特定の宗教にのみ信仰するのではなく、あらゆる宗教を学んで偏りのない普遍的な教えを自らのなかに確立するべきだと考えているのです。
2018-07-08 Sun 18:15 | URL | [ 編集 ]
 こんにちは、斉藤先生。私も一時期「日月神示」にはまっていましたが、もう大丈夫です。うまい距離のとりかたができました。長いこと神示を読んでいた先輩が自分の名前で威張っていたり、空き缶を神社の駐車場にポイ捨てしていたのを見て醒めました。

 やはり真善美という徳は本当ですね。
2018-07-09 Mon 12:43 | URL | ワタナベ [ 編集 ]
斉藤啓一です。ワタナベさん、コメントありがとうございました。
ポイ捨てはけしからんですね。まして神社のなかでというのは。本当にその人が宗教的精神性が高いかどうかというのは、そんなささいな行動のなかに出てくるものだと思います。
2018-07-09 Mon 17:06 | URL | [ 編集 ]

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