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心の治癒と魂の覚醒

        

地に足を着けて素朴に生きる

 まずは例によって、イデア ライフ アカデミーの報告とお知らせから。
 先日、12月1日と2日に、イデア ライフ アカデミーの哲学教室第3回「聖者はいかにして誕生するか-P・ソローキンに学ぶ-」を行いました。
  旧ソビエトに生まれ、革命家として投獄されて死刑判決を受けるも釈放され、国外追放されてアメリカに亡命。ハーバード大学の社会学教授となったピティリム・A・ソローキンの「愛の力の研究」を紹介しました。彼は、古今東西の聖者と呼ばれる人々や、名もなき利他主義者のケースを集め、彼らに共通する項目を探すことで、いかにして「愛の力をもった人」、すなわち愛の実践者は生まれ育つか、その秘密を解き明かそうとした学者です。ソローキンによれば、やはり道徳的で幸せな家庭からは聖者(愛の実践者)が生まれる確率は高いとしながらも、不幸な家庭に育った人は、幸せな家庭に育った人よりも、回心する(つまり愛の実践者になる)ときは急激に回心することを発見しました。また、「予期せぬ親切」によって人は愛の実践者へと生まれ変わるとし、そのよい例が小説『レ・ミゼラブル』だといいます。また、人は苦難に陥ると、前より悪人になる人と善人になる人に分極化されるとし、苦難によって善人(愛の実践者)になるのは、どういう条件によるものなのか、授業ではそういったことを紹介しました。とても有意義な研究をした人物なので、ぜひその一端を動画のダイジェスト版でかいまみてください。
https://www.youtube.com/watch?v=--VJCkb2CIE&feature=youtu.be
 イデア ライフ アカデミー、今年最後の授業は、12月15日と16日に行われる瞑想教室です。運命を好転させるサブリミナル動画と音声による瞑想、突如としてびっくりするような音が流れ、いかなる状況でも心を安定させる不動心養成のための瞑想法などを行う予定です。すべて私が独自に開発したオリジナルです。興味のある方はぜひご参加ください。
http://www.interq.or.jp/sun/rev-1/

 さて、本題に入りたいと思いますが、「人生を生きる」というのは、言うまでもなく、「リアルな世界」で生きるということです。
 しかし、最近の傾向として、とりわけスピリチュアルと呼ばれる世界においては、リアルな世界で生きるのではなく、「観念的な世界で生きている」と思えてなりません。それは宗教もたいてい同じであり、宗教の教えを聴いて頭で理解して、それでリアルな世界に生きているかのように錯覚しているのです。
 たとえば、宗教やスピリチュアルの世界では、「愛しなさい」ということを説きます。愛について、たくさんの言葉が費やされています。そうした言葉を何回も読んだり聴いたりしていると、「自分は愛の人で、愛を実践している人だ」といった錯覚を起こしやすいのです。しかし実際には、ほとんど愛と呼べるような実践はしていないのです。実践していないのに、「自分は愛のある霊的に高いレベルの人間だ」と自惚れていたりするわけです。
 ソローキンも述べていましたが、「愛の宗教」であるはずのキリスト教の信者のなかには、愛の実践者が思ったよりずっと少ないこと、また、愛の実践者の多くは、インテリよりも、それほど学識のない「素朴な人」が多いということです。あるいは、かつては高い学識を持っていても、そうしたものを捨てて素朴になった人です。
 ところが、宗教やスピリチュアルの世界に行くと、やたらと自分の知識をひけらかす人がいます。こういう人は、「認められたい」というエゴに縛られているのです。
 
 知識や学問が無駄だとは言いません。しかし、そうしたものは、基本的に「バーチャル」であり、頭の中だけのものなのです。それで終わってしまったら、愛の実践の邪魔になるのです。つまり、魂の覚醒の邪魔になるのです。知識や学問といったものは、しばしば人を傲慢にします。知識や学問がない人を小馬鹿にしたりするのです。これは真の宗教やスピリチュアルとは反対の異物です。本当に愛を知っている人は、愛の知識が豊富な人のことではなく、実際に愛することができる人です。

 イエスは、「幼子のごとくなれ」と教えました。これは素朴になりなさいということでしょう。
 素朴な人は、地に足を着けて、淡々と誠実に、現実生活を一生懸命に生きています。愛の知識だとか、あの世の知識などといった観念の「幽霊」をもてあそんでなどいません。そういう人は、地に足が着いておらず、電車のなかで、老人を前に立たせておきながら、自分たちは座って得意げに愛についての議論をしているような人たちです。

 しかし、こういう人は、宗教やスピリチュアルの世界に少なくないのです。あの世のことだとか、霊的な不思議なことばかりに興味がいって、それがまるで現実世界であるかのように、夢遊病者のように生きているわけです。
 現実世界を淡々と生きるというのは、エゴにとっては魅力がないのです。だから、エゴを歓ばせるような、私から言わせるとニセの宗教やスピリチュアルがはびこっているのです。
 あの世のことだとか、高次元世界のことだとか、神だとかカルマの法則だとか、そういったことは証明できません。証明できないものは観念の世界から外に出ることはありません。もしあの世が存在するとするならば、あの世に行けばあの世が「現実」になるでしょう。しかし、この物質的な地上世界で生きている私たちにとっては、この世界こそが現実であり、生きる「舞台」なのです。
 その舞台の上で、精一杯に生きないで、ふわ~と観念(という夢)の世界で生きている人たちは、本当に生きているとは言えないのです。
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コメント

 こんにちは、斉藤先生。
 哲学教室ですが、ユダヤの言葉「そこに人間らしい人がいなければ、あなたがその人になりなさい」は響きましたね。 
 人知れぬ愛の実践者になりたいものです。
2018-12-08 Sat 10:27 | URL | ワタナベ [ 編集 ]
斉藤啓一です。ワタナベさん、コメントありがとうございます。「人知れぬ愛の実践者」、これが一番ですよ。ともにめざしていきましょう。
2018-12-08 Sat 19:29 | URL | [ 編集 ]

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