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心の治癒と魂の覚醒

        

いつ死んでもいいように生きる

 皆様、新年あけましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願い致します。

 ところで、前にも述べたことがあるのですが、なぜ新年があけると「おめでとう」と言うのでしょうか?
 普通、「おめでとう」と口にするのは、めったに得られない幸運や成功を手にしたときだけです。しかし新年というのは、時間がたてば必ずやってくるわけですから、特におめでたいというわけではないはずです。
 しかし、それをあえて「おめでとう」と言うのは、新年を無事に迎えることがいかに大変なことか、ということに由来しているのだと思います。むかしは、戦だとか飢饉といった災害に見舞われて、常に命を失う危険にさらされて生きてきたわけです。ですから、無事に年を越せた、つまり生き延びることができた、というのは、大変なことであり、まさに「おめでたい」ことであったわけです。
 現在では、むかしほど命を失うリスクは減りましたので、新しい年が来ても、あまり深く考えず、お決まりの文句のように「おめでとう」と口にしているわけです。
 しかし、死はいつ訪れるか、誰にもわかりません。来年の元旦には、「おめでとう」とは言えないかもしれません。
 せっかく縁起をよくしたいと願っている一年最初の年に、このような不吉なことを言って、その気持ちに水を差してしまうようですが、しかし、人生というのは、常に最悪の場合のことを考えて生きるべきだと思うのです。
 よくスピリチュアルなどでは、「よいことだけを願っていなさい。そうすればそうなります」といったことを言いますが、最近の科学的な研究では、こうした楽観主義的な態度より、むしろ悪いこと、つまりリスクを考えているような、やや悲観主義的な傾向のある人の方が、逆に成功や幸福を手に入れているのだそうです。

 人生における最大のリスクと言えば、死ぬことでしょう。すでに述べたように、人間はいつ死ぬかわかりません。ですから、日頃から、いつ死んでもいいように、悔いのない充実した生き方を心がけるべきではないでしょうか。決して「縁起でもない」といって避けるべきではないのです。むかし、ホスピスのカウンセラーをしていた頃、まだ死ぬような年齢ではないのに、突如として病魔に襲われて余命が短いことを宣告され、そしてその宣告通りに死んでいった、たくさんの患者さんに接してきました。私はそれを見て、本当に人間はいつ死んでしまうか、わからないものだと痛感しました。

 人はいつ死ぬかわからないという自覚が真にあれば、人生を有意義に生きるようになります。たとえば、もしあなたが「あと一ヶ月の寿命です」と言われたらどうでしょうか? 毎日の時間を、無駄なことに使うことはしなくなるでしょう。くだらないテレビ番組を見て時間をつぶすといったことはしなくなるはずです。そして、人生におけるもっとも大切なこと、もっとも優先するべきことを考え、それを実行に移そうとするはずです。実際、ホスピスの患者さんはそのように生きる人が多く、余生が今まで以上に濃密となり、精神的に向上を遂げた人が多くいました。

 死を意識して生きたとき、人は本当に真剣に生きるようになり、人生が充実して豊かになってくるものです。人生で本当に大切なものは何かを探索し、それを最優先にしようとします。
 ただ、実際にそう生きたいと願っても、どうしたらいいのか、わからないといったことも少なくありません。
 私が昨年に始めたイデア ライフ アカデミーは、そのような、人生を本当に意義あるものにしたいと願う人に、良質な情報を提供することを目的にしたものです。単なる趣味だとか、教養のための「スピリチュアル」の場ではなく、やや大袈裟にいえば命がけの探求の場です。なぜなら、人生とは命の長さ、つまり、命が地上に生存する時間のことですから、その時間を無駄なことに費やすことは、命を縮めていることになるからです。

 肉体が生きているだけでは、真に「生きている」とは言えません。精神的な成長を常に遂げながら生きている人こそが、人間として「本当に生きている」と言えるのではないでしょうか。
 その意味で、来年の元旦は、(本当の意味で)生きることができて「おめでとう」と、声を掛け合いたいものです。
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コメント

五年ほど前、東京で一緒に働いていた同僚が亡くなりました。普段通りに生活して、就寝、目を覚ますことはなかったのです。

しばらくして私は、この同僚の死の意味を考えました。自分も精神的にどん底だったからです。とても親しくしてくれた同僚、また東京での再会を誓い合いながらも、それはかなわぬ夢となりました。

彼の死を考えて私がたどり着いた答えは、『生きればこそ』という思いでした。死をも考えていた私に、彼の死は再び生きることを教えてくれたのです。

先生が仰るように、いつ死んでもいいようにと意識することがあります。まだ私には難しいですが。でも、それを見方を変えて、生きればこそすべてができることなのだと自分に言い聞かせています。苦境にあるとき、私はこの同僚の教えを思い起こし、未来に希望を持って今を生きようと思うのです。

このことを思い出させていただきました。先生、ありがとうございます。
2019-01-02 Wed 07:13 | URL | とおる [ 編集 ]
斉藤啓一です。とおる様、コメントありがとうございました。そうですか、ご友人の死から学ばれたわけですね。生きることは成長することです。そして生きるとは時間のことです。なので、時間を大切に、これからも過ごしていきたいと思いました。貴重なコメントありがとうございます。
2019-01-02 Wed 19:21 | URL | [ 編集 ]
 明けましておめでとうございます。斉藤先生。
 私も日々の出会いは当たり前でなく、いつ亡くなってしまうかわからないという気持ちで生きています。
 一期一会で生きましょう。
2019-01-04 Fri 14:47 | URL | ワタナベ [ 編集 ]
斉藤啓一です。ワタナベさん、コメントありがとうございました。一期一会、いい言葉ですね。今年もよろしくお願い致します。
2019-01-04 Fri 17:22 | URL | [ 編集 ]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2019-01-10 Thu 15:10 | | [ 編集 ]

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