悠々と生きる2010-07-09 Fri 20:33
覚醒の修行者というと、苦行や禁欲を行い、眉間に皺を寄せ、くそまじめで、どこか悲壮感が漂うイメージがあるかもしれません。
しかしながら、もしもそんな印象を周囲に持たれているとすると、あまりいい修行はしていないことが多いので、注意が必要です。なぜなら、一見まじめで真剣に思えても、暗さや悲壮感というものは、基本的にはエゴから発せられるからです。 つまり、どこかに不自然なとらわれがあるのです。 確かに、修行は楽ではありませんし、もともと地上から解脱する動機で修行を始めた人が多いと思いますので、人生に対して悲観的な思いを持っていたりするものです。だから、むかしから修行者には、暗く悲壮的な感じが漂っていたのかもしれません。 しかし、覚醒の修行は、肩に力が入っていてはうまくいきません。まじめで一所懸命であることは必要ですが、力みがあったり、せわしかったりしていては、修行はうまく運びません。そうではなく、ゆったりと、余計な力を抜き、悠々とした感じで臨んでいくことが、非常に大きなポイントとなるのです。 力んだりかたくなるのは、エゴによってコントロールしなければならないという思いが根底にあるからです。もちろん、最初はそうなっても仕方がありませんし、最初からだらけているよりは、力んでかたくなるくらいの方がいいと思いますが、いつまでもその姿勢ではダメなのです。 どこか楽天的で、のんびりとした雰囲気を醸し出しながら修行をした方がいいのです(ただし本当にのんびりしてはダメです)。エゴにとらわれない人は、カラッとしていて、どこか「能天気」な感じが漂うものです(しかし本当に能天気ではダメです)。 修行は、このように、悠々と、明るく、ほがらかに、柔和に、ゆとりを感じさせるように行じていくときに、もっとも効率的になるのです。サットヴァ・グナの境地ということですね(サットヴァ・グナの境地については、カテゴリー→修行のガイドライン→修行を成功させる重要なポイントをご覧ください)。 覚醒の修行は、それこそ24時間すべてが修行ですから、「人生そのものを悠々と生きる」といってもいいかもしれません。どんなときも、あわてたり、力んだりせず、悠々とふるまうのです。この「悠々と」という言葉を、念仏や題目のように心の中で唱えるといいかもしれません。そうして、意識的にリラックスし、肩の力を抜いて、端正に、ゆとりをもった身の振る舞い方を心がけていくのです。 たとえば、歩くときも、せかせかと歩かず、おおまたで、悠々と歩きましょう。歩き方ひとつ見ても、そこに性格が出ていたりするものです。虎が歩くように、堂々と、優雅に歩くように意識してみてください。そうして歩き方を心がけること自体が、覚醒の修行となっているわけです。 もちろん、アーサナや呼吸法や瞑想をするときも、悠々とやりましょう。仕事も悠々とやりましょう。人と話すときも、悠々と話しましょう。明るく、笑っているような気持ちで行うのです(そのために、常にかすかな笑みを浮かべているといいかもしれません。態度によって気分も変わりますから)。 笑っているとき、人は明るく、リラックスしています。ですから、少し大げさにいえば、修行は笑いながら行うべきなのです。どんなことも、笑いながら悠々と行うようにするのです。人生は、どんなときも、なにがあっても、笑いながら、悠々と生きるべきなのです。そうすれば、自分の可能性を最大限に発揮することができます。 これが、人生と修行の極意だと思うのです。 私なども、そんな偉そうなことはとてもいえないので、そのように生きられるよう、心あらたに努力していきたいと思っています。 スポンサーサイト
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コメント
こんにちは。
悠々と笑みで。。。いいですね。 そのことを忘れずに、時々口に出しながら、頑張っていきたいと思います。 私の場合、考えすぎるのが障害になっているように思います。ふと気がつくと、思考と分析の虜になっているときがあります。思考を手放して、常に魂の存在に気付き、その声を聞くことは、なんて難しいことでしょう!たまに、「あっ、また忘れて考えてばかりだ、、」と断片的にしか自分の内を見つめることができません。 先生は、どのように、マインドを明け渡して、魂につながるようにされてますか? そして、その状態を継続するのは、また大変ですが、なにかコツのようなものがあれば。。と模索しています。 魂につながる時間を増やして、悠々とリラックスし、高い意識を継続できれば。。そして、そのことが、自然に機能して、楽しめれば有難い!!と思っています。 2010-07-11 Sun 09:04 | URL | WakayamaKajimoto [ 編集 ]
斉藤啓一です。コメント、ありがとうございました。
思考や分析は、必ずしも悪いとは思われず、少なくてもくだらないことを考えているよりはずっといいと思いますが、思考よりも高次の意識とつながる方向性を持たなければならないわけですね。しかし、それは長期にわたる根気強い努力が必要だと思います。 思考を制御するためのコツですが、次のようなことを試してみてください。もし考えたくなるような問題が浮かんだら、「この問題については、何日の何時に(具体的な日付と時間を設定する)しっかりと考えてあげるから、それまでは黙っていてくれ!」と、「思考」に言い聞かせるのです。 すると、その考えたくなるような問題が、あまり頭に浮上しなくなって、心を「空」にしやすくなるかもしれません。 2010-07-11 Sun 11:29 | URL | 斉藤啓一 [ 編集 ]
斉藤先生
お返事、ありがとうございました。 「思考をとりあえず日時を決めて、手放す」 なるほどと思いました。 確かに、その時は重要に思えても、少しでも時間をおいて、無理やりでも放り出すと、案外、もう考えるまでもないなあと思うことが多いような気がします。 それでも頭に浮かぶときは、これは考えなさいと言われているのかもしれませんね。 自分の内面への旅は、なにか、事を考えるのではなく、「なぜ、今、自分はこのことにこだわっているのか」を問うべきですね。 考えたくなるのも、エゴからくる、こだわりかもしれません。 空の境地は、根気強い努力が必要ですね。 焦らず、頑張ってみます。 ありがとうございます。 2010-07-11 Sun 19:55 | URL | WakayamaKajimoto [ 編集 ]
はじめまして、斉藤先生。
唐突ですが、「サットヴァ・グナの境地」って何ですか?教えてください。お願いします。 2010-07-13 Tue 15:22 | URL | 前田 敦 [ 編集 ]
斉藤啓一です。コメントありがとうございました。
サットヴァ・グナの境地については、 カテゴリー→修行のガイドライン→修行を成功させる重要なポイント をご覧ください。 よろしくお願い致します。 2010-07-13 Tue 16:38 | URL | 斉藤啓一 [ 編集 ]
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