神性を自覚する2019-03-23 Sat 11:39
今月はいろいろと忙しく、更新が一回になってしまいそうです。楽しみにしてくださる読者の皆様にはお詫び申し上げます。
例によって、まずはご報告とお知らせから。 3月2日と3日に、イデア ライフ アカデミー哲学教室第5回を開きました。テーマは「禅問答とは」。禅問答とは、禅に伝わる理論では解決できない、ある種の「なぞなぞ」です。このなぞなぞを必死に考えることによって悟りに至ろうとするのです。授業では、まず禅問答(公案とも言う)についての概略を説明し、禅問答の目的は左脳を抑制して右脳を活性化させて悟りの意識に近づくこと、そしてそのユニークな例として、左脳が出血して麻痺した脳科学者の「悟り体験」などを説明しました。そして参加者みんなで禅問答を考えました。授業のダイジェスト版をぜひご覧ください。 https://www.youtube.com/watch?v=jzE_SVVsPQA 今回は哲学教室で禅問答の概論を紹介しましたが、次回からは、瞑想教室で、毎回一問、一緒に禅問答を考えていく予定です。ひとつ禅問答の例をあげてみましょう。授業でも取り上げたのですが、次のようなものです。 風になびく旗を見ながら、二人の僧が言い争っていた。 「これは旗が動いているのだ」 「いや違う。風が動いているのだ」 さて、皆さんはどちらだと思いますか? 旗あるいは風が解答ではないのです。なぜなら、それは論理的な解答だからです。 そこに、慧能という、中国で禅を確立した高僧が通りかかって次のように答えました。 「旗が動くのでも、風が動くのでもない。あなたたちの心が動いているのだ」 これが、禅問答の解答なのです。 皆さんも、ぜひ禅問答に挑戦してみてください。かなり脳が疲れますが、意識を変容させるには非常に効果の高い修行法です。 3月16日と17日、イデア ライフ アカデミー瞑想教室第5回を開きました。テーマは「アジナーチャクラの活性」です。アジナーチャクラは人体に7つあるとされる霊的中枢のなかでも最も大切なチャクラとされ、ここが活性化されることで、いわゆる霊的世界へと参入する道が開かれていきます。今回は、そのアジナーチャクラの活性化の方法をいくつかの視点から紹介しました。私が独自の開発した「アジナーチャクラ刺激サウンド」も公開しました。この音を耳にすると、アジナーチャクラが位置していると思われる脳の周辺が、くすぐられるような感覚を覚えるはずです。ダイジェスト版で聴くことができるので、皆さん、ご覧になってください。 https://www.youtube.com/watch?v=k76Cm8u-0_8 次回の瞑想教室(4月20日/21日)は、「インナーチャイルドを癒す」というテーマで行う予定です。インナーチャイルド、すなわち、幼い頃に親から受けた虐待などで受けたトラウマを癒すための、いくつかの方法を紹介します。やはりインナーチャイルドの問題は大きく、これを抱えていると霊的修行の障害にもなります。インナーチャイルドを抱えていると思われる方は、きっと参考にしていただけると思いますので、ぜひご参加ください。 参加ご希望の方↓ http://www.interq.or.jp/sun/rev-1/ さて、では本題に入りたいと思います。 悟りだとか覚醒、霊的進化といったことをめざす際に、非常に重要になってくるのが、「自分の本質は神性(仏教流に言えば仏性)である」という自覚です。この自覚を深めれば深めるほど、霊的覚醒は促進されていきます。私たちは単なる肉のかたまりではなく、私たちの本質は神に由来する魂なのであり、肉体は、いってみれば魂がこの地上で生活するための「潜水服」のようなものにすぎません。神は高貴であり崇高で、偉大な創造力を持ち、純粋な愛を持っています。そうした神の属性、すなわち「神性」こそが、私たちの本質なのです。 もちろん、神と人間とは違います。神が巨大な火であるとすれば、人間は小さな火です。しかし、大きさは違っても、火という性質はどちらも同じです。ですから、神性という点では、「人間は神である」と言っても間違いではないのです。大きな火も小さな火も「同じ火である」と言うようなものです。私たちの本質は神性であり、私たちは神なのです。 ですから、悟りや覚醒といっても、肉のかたまりが神へと「変身」するということではないわけです。ここが重要なのです。私たちはすでに神であり、それを思い出して自覚すること、これが悟りや覚醒ということです。 仏教では、悟りを開くことを「成仏」と言います(死ぬことではありません)。仏に成ることを成仏というのです。しかし、この成仏という言葉は、あまり正確ではありません。なぜなら、私たちの本質は仏だからです。すでに仏なのです。だから、仏に「成る」必要はないわけです。仏に成ろうとする修行の方向性は間違っているわけです。 「成る」のではなく、「思い出す」のです。自分は仏であることを思い出し、自覚すること、これが成仏ということです。 繰り返しますが、私たちの本質は神であり仏なのです。修行とは、そのことを思い出して自覚することにすぎません。ですから、そのためには、「私の本質は神性であり、私は神である」と、常に心の中で唱えて、想起と自覚を促し続ける必要があるのです。その自覚が深まれば深まるほど、神の偉大な創造力と愛が発揮されてくるのです。 スポンサーサイト
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コメント
>私たちはすでに神であり、それを思い出して自覚すること、これが悟りや覚醒ということです。
私もようやくこの考えに行きつき、その『思い出す』ということを意識するようになりました。が、まだまだ未熟です。しかし、人は神の分け御霊という言葉はこれ以上ない私を導く救いの言葉となっています。 方や仏教では成仏、仏性と言っては、その実、人と仏を分離しているように思えてなりません。分離された状態だからこそ、今の葬式仏教、仏教もどきが横行するのでしょうね。私は宗教を取るよりも、道というものを歩みたいと思っています。 いつも為になる投稿、心より感謝申し上げます。 2019-03-24 Sun 08:38 | URL | とおる [ 編集 ]
斉藤啓一です。とおる様、いつも熱心にご愛読いただきありがとうございます。おっしゃるように、仏と自分とを切り離して考えることは、仏教の根本的な理念に反します。人は常に自らの仏性を自覚するように努力すること、これが仏教における道であると思います。
2019-03-24 Sun 10:46 | URL | [ 編集 ]
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