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心の治癒と魂の覚醒

        

覚醒に至るための動機について


 まずは例によって報告とお知らせから。
 先日6月1日/2日のイデア ライフ アカデミー哲学教室は「グルジェフ 人と思想1」というテーマで行いました。グルジェフという人を知らない方は、非常に大切な教えを残した人なので、ぜひダイジェスト版の動画(無料)をご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=45ZQsZ29Gds&feature=youtu.be
 なお今月の瞑想教室(6月15日/16日)は、「ヴィパッサナー瞑想法」をとりあげます。そして引き続き次回の哲学教室「グルジェフ 人と思想2」は7月6日/7日になります。関心のある方はぜひ参加なさってみてください。
 詳細↓
http://www.interq.or.jp/sun/rev-1/

 グルジェフは、戦争という悲劇を起こさないようにとの願いをこめて、人間を育成する修行のための学校を開いたのですが、ようやく軌道が乗っていよいよこれからというときに、財政上の問題や、彼自身の交通事故などの不運が重なり、結局、その後、彼が思っていたような成果を出すことなく世を去ってしまいました。他にもいろいろな聖者たちの人生を見ると、このようなことが少なくないのです。そのたびに私は思うのです。「いったいなぜこのような皮肉が起こるのだろう? なぜ神はそんなことを許すのだろうか?」と。グルジェフや他の聖者たちが、突発的な不運に見舞われさえしなければ、今の世界はもっとよくなっていたはずです。最近、社会問題となっている異常な事件も起こらなかったかもしれません。
 どうも、「世の中をよくしよう」として何かをしようとすると、それを阻止しようとする、何らかの力が働いているように思われてなりません。
 しかし、グルジェフは最後の最後まで、その力と闘い続けました。私も彼を見習って、闘い続けようと思います。自慢に聞こえてしまったら申し訳ありませんが、イデア ライフ アカデミーという、人生におけるもっとも大切なことを、リーズナブルな料金で、これほど詳細に包括的に紹介している場所は、そう多くはないと思うからです。イデア ライフ アカデミーに学びに来たからといって、幸運が引きよせられたり、お金が入ったり、仕事で成功したりするといったことはありません。イデア ライフ アカデミーの目的は、真善美の生き方をしたい、自分の人生を真善美に近づけていきたい、その結果として、この世界をよいものに変えていきたいという願いを持った人が学びに来る場所です。しかし、それこそが「覚醒への道」なのです。

 さて、ここから本題に入りますが、いま申し上げたように、覚醒への道というものは、真善美の生き方をしたい、自分自身を真善美に近づけたい、という動機で行うべきだと、最近つくづく思うに至りました。言いかえれば、「自分を立派にしたい」という、ただそれだけの動機です。
 たとえば、瞑想の本などを読みますと、「瞑想すると頭がよくなる、運がよくなる」といった恩恵が書かれていたりします。確かに瞑想は潜在能力を開発させるので、そのような効能はあるかもしれませんが、そのような世俗的な効能を目標に瞑想を続けると、エゴが増強して邪道に陥る可能性が高くなるのです。というのも、覚醒していない私たちの行動の動機というものは、ほとんどエゴによるものだからです。あからさまに言えば、「瞑想して頭がよくなって人よりいい学校や会社に入ろう、運をよくして人からうらやましがられるようになりたい」といった動機が、多くの場合、背後に潜んでいるからです。たとえ最初はその思いはそれほど強くなくても、だんだんと強くなってしまう可能性があります。ですから、そのような動機でへたに瞑想して潜在能力を開花させると、極端な場合、悪魔的な人間になってしまう危険があります。そこまでいかなくても、エゴが強化されていやらしい人間になりかねません。

 では、そういう世俗的な動機ではなく、「悟りを開きたい、覚醒したい」という動機はどうなのでしょうか?
 実際、そうした願いを真剣に懐いて、多くの聖人と呼ばれる人は宗教の道に入ってきました。最初の動機としてはそれでもいいと思います。しかし、その「悟りを開きたい、覚醒したい」という動機の背後には、やはりエゴが潜んでいる場合が多いのです。繰り返しますが、悟りを開いていない、覚醒していない私たちのほとんどは、エゴが動機になっているからです。つまり、これもあからさまに言えば「悟りを開いて人から偉く思われよう、認められよう」という動機が絡んでいることが多いわけです。最初はそんな動機はなくても、エゴを根絶やしにしない限り、しだいにエゴが育ってきて、傲慢な人間になって道からそれてしまうわけです。ですから、どこかで、「悟りや覚醒よりも、自分を立派にすることを第一の目標にしよう」という動機に変えなければいけないと思うわけです。

 そこで私は、最初から、「自分を立派にする」ということを、唯一の動機にするべきだと思うのです。具体的には、自分を真善美に近づけることです。
 もちろん、この場合でも、覚醒していない私たちは、その動機の背景にエゴが潜んでいます。すなわち、「立派な人間になって人から尊敬されよう、認められよう」といった動機です。
 しかし、そのような動機を懐くこと自体、「自分は立派ではない、真善美ではない」ということになります。そのような「下心」があるということは、まったく立派ではないし、真でも善でもなく、美しくもありません。「自分を立派にする」という動機を持っていると、そのことが自覚されやすいのです。ですから、「自分自身を立派にする」という動機こそが重要だと思うわけです。覚醒というものは、自分を立派にしよう、真善美に近づけようという努力の「副産物」として手に入るものだと私は考えます。

 しかしながら、ほとんどの人は、「自分を立派にしよう」などという動機には、あまり魅力を感じることなく、強い動機になりにくいのです。それよりも、「能力が開発される、成功する、幸運を引きよせる」といった、エゴの欲求を煽るようなものに惹かれ、強い動機と情熱を傾けるわけです。しかしそれは、覚醒とは正反対の方向であることは言うまでもありません。
 こうした理由から、真に悟りを開くこと、覚醒するということが、いかに難しいか、おわかりいただけるかと思います。ただただ自分を立派にすること、真善美に近づけることに、燃えるような情熱を懐いて飽くなき前進を続けていく人のみが、覚醒に至るのだと思うわけです。
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