心の治癒と魂の覚醒

        

修行がうまくいかなくて悩まない

 真剣に修行しているほど、自分の至らなさについて悩むことが多くなってくると思います。なかなか瞑想に集中できなかったり、よくない想念が湧いてきたり、人を妬んだり、不摂生をしてしまったり、雑念にとらわれてしまったり……。
 そうして、ついため息をつき「あ~、自分はダメだなあ、こんな調子では覚醒なんてほど遠いなあ……」と、落ち込んでしまうことが多くなったりします。
 今まで、こんなことで悩んだりしたことはなかったと思います。これは、進化向上をめざす者につきまとう悩みであり、いってみれば、「崇高な悩み」なのです。
「満足した豚であるよりは、不満足な人間の方がいい。満足した人間であるよりは、不満足なソクラテス(聖人の意味)の方がいい」と、哲学者のジョン・スチュアート・ミルがいっていました。こうした悩みはもっとも人間らしく、素敵であると思うのです。

 しかしながら、覚醒をめざす私たちは、もう一歩前進したいところです。
 というのも、「自分はダメだな~」と感じるのは、自分はまだひとかどの人間ではないということに対する不満や不安が土台になっているからです。つまり、そのように思うのは、たとえそれがいかに崇高な悩みではあっても、やはりエゴなわけです。覚醒するためには、エゴを超えなければなりません。
 したがいまして、私たちはこの「崇高な悩み」さえも捨て去るべきだと思うのです。
 つまり、修行がうまくいかなくても、がっかりしないことです。もう少し正確にいえば、「がっかりしている自分」への執着を捨て去るのです。
 もちろん、心情としては、到らないところがあれば、がっかりして当然です。しかし、そのがっかりした気分にとらわれずに、その思いをつかんだりせずに、さっと受け流すことが重要なのです。

 考えてもみていただきたいのですが、がっかりしても、なにもいいことはありません。無駄なだけです。「はあ~」とため息をついて「自分はダメだな~」と思うだけで、30秒から1分くらいの時間が経過します。それを一日に何回かやるとしたら、トータルで数分、もしかしたら数十分くらいになってしまうかもしれません。そんな時間があったら、それこそ「3分間アジナー・チャクラ瞑想」ができてしまいます。一年間のトータルでいったら、何時間にもなるかもしれません。このような、落ち込みによる無駄な時間というものは、私たちが考えている以上に膨大な時間とエネルギーの浪費になっているのです。
 ですから、思ったように修行が進まなくても、そのことで思い悩むのはやめましょう。自分への執着を捨てましょう(そうすること自体が覚醒の修行です)。そんな時間があったら、瞑想をしましょう。悩んでいる時間を惜しんで、ひたすら行じるのです。覚醒の道を歩み始めたら、後ろを振り返ったり、立ち止まったりすることはやめて、ひたすら前を見て前進していくだけです。

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修行の基本的な姿勢 | コメント:7 | トラックバック:0 |
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コメント

こんにちは。

おっしゃるとおりだと思います。

トンネルにいるようで、先の光も見えない状態ですが、理由はよくわからないけど、この道は間違ってなくて、確かに求めているものだという確信はあります。
それだけで、幸せですね。
なにか情熱を持って、見つけたい、目指す目的があるというのは。。
実際、悩みながらも、探求し模索していること自体の喜びがあります。
そして、同じ悩みや話ができて、励ましてくださる仲間がいることも幸せです。
感謝です。
2010-07-12 Mon 10:33 | URL | WakayamaKajimoto [ 編集 ]
こんにちは、斎藤さん。たしかに悩むよりは一秒でも多く瞑想したり、徳を積んだ方がよいですよね。

後ろを見ずに前を見る。そんな簡単そうなことがどれほど難しいかと考える人もいるでしょうね。

私は修行自体はもちろん一生懸命やりますが、結果うまくいかなくても、それも神の思し召しだと考えています。

「簡単に手に入る結果より、今は苦労しなさいよ」。と神が覚醒までの道のりを険しくしてくれるという、いわば苦難のサービスをしてくれているのだな、という具合にです。

Wakayama Kajimotoさん、トンネルならいつか出口に辿り着きますよ。一緒に頑張りましょう。
2010-07-12 Mon 18:16 | URL | ワタナベ [ 編集 ]
斉藤啓一です。以上、お二人のコメント、どうもありがとうございました。
おっしゃるように、辛くても自分の進む道や目的をもっている方が、幸せだと思います。「幸せはそれを手に入れたときではなく、手に入れるまでの過程にある」といった人がいましたが、そうなのかもしれませんね。

それと、「神が苦難のサービスをしてくれている」という発想は、すばらしいですね。そのように思いながら、現実を受け入れていくことによって、人間は前進し、ついにはなにかをつかむことができるのではないかと思います。
励ましのメッセージにも感謝いたします。
2010-07-12 Mon 19:48 | URL | 斉藤啓一 [ 編集 ]
斉藤先生、こんばんは。

3分瞑想を続けて、3週間が過ぎました。
続けられるようなので、瞑想を4分にしました。
雑念が多いですが、とにかく続けます。

私はクリスチャンですが、お祈りは嫌いです。

クリスチャンのお祈りは
病気が癒されますように・・・
結婚相手が与えられますように・・・
などと、お願いごとを並べ立てた挙句に
すべてを御手にゆだねて、イエス様の名を通してお祈りします、となります。

そんなに思い煩いが多いのは、少しもゆだねていないではないか、と思います。

その点、アジナーチャクラの瞑想は
雑念は多いものの、光だけをイメージするのは良いですね。
これこそ真の祈り、の気がします。

2010-07-12 Mon 23:49 | URL | 両さん [ 編集 ]
斉藤啓一です。コメント、ありがとうございました。
3分間瞑想を続けられて、今度は4分間にされたとのこと。すばらしいですね。瞑想を続けますと、瞑想をしていないときでも、自動的かつ無意識的に瞑想に近い状態になるのです。その恩恵はとても大きいものがあります。そうして、神(高次の存在)とのパイプができるようになり、自然に霊的覚醒に都合がいいように導かれていくのです。

それと、「そんなに思い煩いが多いのは、少しもゆだねていないではないか」というのは、確かにその通りですね。神にゆだねるのがなぜ大切かといえば、神の方が人間よりずっと深い智恵を持っており、自我の小賢しい智恵なんかよりずっと人間を幸せに導いてくれるからです。
私もこの言葉を肝に銘じて、これからも精進していこうと思いました。
すばらしいご指摘、ありがとうございました。
2010-07-13 Tue 16:50 | URL | 斉藤啓一 [ 編集 ]
こんにちは。

「神にゆだねる」の理解は難しいですね。
私は、「人事をつくして天命を待つ」に似ているかなと思っています。
人として、地上で、できる限りの努力をして、結果には執着せず、結果は神にゆだねるということだと思います。
神(宇宙)は、最善の結果を必ずもたらしてくれると信頼して、ゆだねれば、そして、自然の流れにゆだねれば必ず救われる、導かれると理解しています。
そのように信頼して、ゆだねれば、どんな苦悩が訪れても穏やかな安らぎの気持ちで感謝しながら乗り越えていけるのではと思います。

励ましのメッセージ、ありがとうございました。
その声を力にトンネルを進みます!
2010-07-14 Wed 09:54 | URL | WakayamaKajimoto [ 編集 ]
斉藤啓一です。コメント、ありがとうございました。
「人事を尽くして天命を待つ」という表現もできるかもしれませんね。
ただ、その「人事」が、自我によるものではなく、やはり神と一体となり、神の媒体として行われることが大切ではないかと思うのです。
「人間としての自分がやる」ではなく、「神としての自分がやる」と思えるくらいの心境をめざしていきたいものです。
2010-07-14 Wed 21:16 | URL | 斉藤啓一 [ 編集 ]

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