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心の治癒と魂の覚醒

        

この世の不条理をどう考えるか

 例によってまずはご報告とお知らせから。
 今月7日と8日、イデア ライフ アカデミー哲学教室第12回は、「交流分析とエゴ」というテーマで授業を行いました。交流分析は、性格および他者との関係性をテーマにした心理学&心理テストで、私たちの心には、規範的な親、養育的な親、大人、自由な子供、順応した子供の5つの人格が存在しているといいます。そして、それらのうち、どの人格が支配的かにより、行動や人間関係のパターンが決定され、広い意味では運命が決められる、という考え方をしています。そして、繰り返し同じ行動(運命)パターンを繰り返してしまう現象を「人生ゲーム」と呼んでいます。これはイデア ライフ アカデミーの表現で言えば、「エゴに操られている」ということになります。エゴに操られている状態から解放されるにはどうすればいいか、交流分析を通して紹介させていただきました。ぜひダイジェスト版をご覧ください。
動画視聴はこちらから
 次回(21日/22日)は今年最後の授業となりますが、瞑想教室で「直観力を鍛える」というテーマで行います。世に天才と呼ばれる人、また、いわゆる悟りというものも、結局のところ、「直観力」がすぐれているかどうか、ということになるのです。直観力を鍛えるための瞑想法を紹介する予定です。
 参加ご希望の方は「斉藤啓一のホームページ」まで
 
 さて本題にうつります。
 先日、アフガニスタンで復興支援を長い間続けてきた医師の中村哲氏が銃撃されて亡くなりました。中村医師については以前よりテレビなどで知っており、その献身的で人道的な活動に大きな敬意を抱いていました。その医師が、こういう亡くなり方をした事に、深い悲しみと憤りを覚えます。このまま活動を続けていったら、まだまだ多くの人を救済してくれたことでしょう。
 歴史を振り返るなら、立派な人が悲劇に見舞われるとか、迫害されて殺されてしまうという事実に数多く遭遇しますし、私個人的にも、ホスピスに勤めていた頃、善い人がまだ若いのに病気で亡くなっていくという場面をいくつも見てきました。
 このような、世のため人のために貢献している人が悲劇に遭うと、「神はなぜ守ってくれないのか?」という思いにかられます。
 これについては、単純に「神はいないのだ」と考える人もいるでしょうし、信仰の篤い人は、「すでに使命を終えたから、天国で幸せに暮らしてもらうために神が呼び寄せたのだ」といったように考えるかもしれません。あるいは「過去生で犯した悪しきカルマの報いである。これで悪業が消えたのだ」と考えるかもしれません。
 しかし、本当のところ、その理由については、誰にもわからないし、証明しようがありません。
 人間は、不条理や理不尽なことを経験すると、それに合理的な説明を求めたくなります。しかし合理的な説明など不可能であり、証明できません。そのために、強引に神の意思だとか、過去生のカルマといったことをもちだして、不条理や理不尽から来る不愉快な思いを解消しようとするのです。かといって「神はいない」と断定するのも、合理的な説明ではありません。神は存在するか存在しないかを証明することは不可能だからです。なぜなら、それを証明するには全宇宙すべての情報を入手しなければならないからです。つまり全知全能にならなければならないわけで、そんなことは不可能だからです。
 では、不条理や理不尽だと感じることに遭遇したとき、私たちはどう考えるべきなのでしょうか?
慈善活動に熱心に取り組んでいた英国のダイアナ妃が不慮の事故で亡くなったとき、親交のあったマザーテレサは「私には神の考えがわからない」と言ったそうです。マザーテレサほど筋金入りのクリスチャンはいないと思いますが、そんな彼女が、この不条理な出来事に接して「神はいったい何を考えているのか?」と、ある種の憤りとも思える言葉を口にしたのです。とても正直で人間的だと思います。
 マザーテレサほどの人でさえ、正直に「わからない」と言って、強引な理由づけをすることなく、その悲しみや憤りをそのまま受け入れたわけです。
 私は、不条理や理不尽な出来事に遭遇したら、マザーテレサのように、ただそれを受け入れるしかないと思っています。
 もちろん、受け入れるといっても、何もしないわけではなく、不条理や理不尽なことが人為的なものであり、改善可能なものであるなら、それを改善すべき行動を起こすことが大切だと思いますが、不条理の理由を、証明不能な領域に求めて不愉快さをごまかすことは、あまり意味がないと思っています。多少、慰めを得ることができるかもしれませんが、根本的な解消には至らないことが多いからです。酒や精神安定剤を服用して苦痛を一時的に麻痺させているようなものです。応急措置的には、そうしたことにまったく意味がないとは言いませんが、自分をいつまでもごまかすことには限界があります。
 悲しみや苦しみは、辛いことですが、必ずしも悪いことではありません。それは「生きている」ということの証でもあるからです。死人は悲しみも苦しみも感じません。不条理も感じません。「生きている」からこそ、不条理や理不尽に反応して、悲しみ苦悩するのです。それは人間的ではないでしょうか。もし不条理や理不尽から来る悲しみや苦しみを感じたくなければ、精神的に死ぬしかありません。不条理や理不尽さに苦悩するということは、生きている、ということなのです。人間は生きなければならないのです。
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コメント

私もそのように思います。私はスピに傾倒しているわけではありませんが、すべては一つであるというワンネスという考えは受け入れているつもりです。今回の事件に限らず、不幸な事件事故は日常多々報道されています。

そうした悲劇の中で死にゆく者も自分なら、それを見せられているのも自分。そして、見せられている私たちは生きているという状態にある。合理的な理由で片づけるのではなく、真摯に受け入れ、そこからいかに私たち自身が向上していくのか、その課題を与えられているのだと思っています。

自分のことだけに囚われずに、広くも狭くも他者との関係を自分の中に取り込まなければいけない時に来ているのでしょう。
2019-12-14 Sat 11:27 | URL | とおる [ 編集 ]
斉藤啓一です。とおる様、コメントありがとうございます。「不条理を課題としてとらえる」、まさにこの姿勢が大切だと私も思います。貴重な示唆をいただき感謝いたします。
2019-12-14 Sat 15:34 | URL | [ 編集 ]
本当に不条理に思える事件でした。多くの人が彼の死に衝撃を受け、悲しみました。
しかし、こういった話は意外と多いものです。
イエス・キリストの死がまさしくそうで、真理を説き、病人を直しただけなのに、十字架に架けられ殺されてしまいました。その出来事にどういう意味があったかというと、一つには予言を成就させるためのお役目ということがあったと思います。それを成就させることによって、キリストの教えは世界に広く知られるようになりました。
中村さんの死も、予言があったわけではないですが、彼の尊い死によって、多くの人が胸を打たれ、何かを目覚めさせる役割があったように思います。少なくとも、現地での尊い活動が、広く知られることになりました。
それは、多くの人に受け継がれることと思います。
2019-12-17 Tue 14:39 | URL | ユニ [ 編集 ]
斉藤啓一です。ユニさん、コメントありがとうございました。確かに、イエスや中村医師のように、有名で協力者がたくさんいた人は、後世にその業績が受け継がれ、不条理と思えるものも不条理ではなくなるかもしれません。しかし、こういう人たちは例外的であり、ほとんどの善き人は、人知れず孤軍奮闘して善意の行いをしており、そういう人が不条理な死に方や迫害を受けてつぶされているという事実があり、そういう人は自らの活動が受け継がれることもないでしょう。そう思うと、やはりこの世は不条理であります。なので、その事実を悲しいながらもあるがままに受け入れるより他にないと思っているのです。
2019-12-17 Tue 14:49 | URL | [ 編集 ]
ちょっと言葉が足りなかったようで申し訳ありません。私の考えでは、多くの人に善なる道を伝えた・・ということはもちろん立派なことですが、特に注目もなされず、犬死したような場合でも何か意味があるのではないかと思うのです。私にはわからない何か理法のようなものが。
人が死んだらどうなるかは、私は霊感も何もないので実際のところよくわかりません。
でも、死後も魂は生き続けるのではないかと半分くらいは思っています。
そして、時期が来たら生まれ変わり、違う立場を経験しながらあらゆることに対する理解を深め、成長してゆくのだと思います。たぶん最後は神の視点と同期するまで。

中村さんの死は残酷なように思えますが、彼にしてみれば、人々のために尽くすことで感謝され幸福だったし、射殺されたのはあっという間の出来事で、余り苦しみもなかっただろうと思います。苦しいのは残された人々なのです。
それよりも、寝返りも打てず、痛みに耐えながら苦しい時を過ごしながら、ただ死を待っている普通の老人や病人が多く存在します。彼らは仕方なく我慢しているだけかもしれませんが、とても立派です。想像するだけでも恐ろしいことを経験しているのです。

2019-12-18 Wed 10:46 | URL | ユニ [ 編集 ]
斉藤啓一です。ユニさん、ご返信ありがとうございます。その人が幸せかどうかということは、本人以外、誰も決めることはできないのではないかと思います。中村さんは(もし魂が存在して霊界にいるとしたら)、どう思っているのでしょうね。苦しみに耐えながら死を待っている老人や病人の方々の方は悲惨ですが、しかしそれでも、そうした苦しみに何か意味があり、いつかその苦しみが報われる時が来るのだとしたら、救われますね。この宇宙というものが、そういう摂理に基づいているのだと信じたいです。
2019-12-18 Wed 17:43 | URL | [ 編集 ]
斎藤 さま

痛ましい事件や事故がニュースで流れると、自分の無力さや、生きることの難しさを感じてしまいます。
ただ、この中村医師の事件に限らず、「訪れた死」に対して、残された者が「後付けの解釈」をそれが真実のように語ってはいけないように思います。
「死」は「死」でしかありません。
誰に訪れる「死」も、みな同じもの。
そこに上下は有り得ないと思っています。

残された者にできることは、その「死」から自分が読み取ったもの、学んだものを、これからの人生に活かし、可能であればそれを紡いでいくことではないでしょうか。

私は、中村医師のこれまでの行動には、尊敬と感謝しかありません。
そしてその命を一方的に奪ったものに対しても怒りを覚えます。
だから、より良い世界になるように願っています。

ありのままを受け入れる……それが悲しみや、痛みであっても、余計な解釈で事実を曇らせずに、それを自分で受け止める。
そうでなければ、人は成長しないのではないでしょうか。
2019-12-28 Sat 16:01 | URL | 黒いネコ [ 編集 ]
斉藤啓一です。黒いネコさま、コメントありがとうございます。私も基本的には黒いネコさんと同じ考えです。ただ、こういう不条理な出来事に対して、何らかの意味づけをしたい、という人の気持ちも理解できます。なかなか難しいです。しかしいずれにしろ、私たちの努力によってより良い世界にしていきたいものです。
2019-12-28 Sat 19:25 | URL | [ 編集 ]
以前はスッタニパータばかりを読んで心の疲れを和らげていましたが、最近はこのブログや動画拝見することが多くなりました。私には色んな声が聞こえます。
斎藤様のことを本当の事しか言わない人と、言っています。真実を知っている人は居るのでしょう。しかし、誰も他の人に知らせないのです。斎藤様は本当に稀な方です。お会いすることは叶わないですが、この世にもこのような方が居られると思うと救われる気がします。真っ暗闇の中の光です。この世で確実なのは肉体が死ぬことだけです。他に確固たるものは何もありません。中村さんは現実的に人々を助けられた方、きっと良い世界に行かれたと感じています。
2020-12-17 Thu 23:33 | URL | あんこ [ 編集 ]
斉藤啓一です。あんこ様、心励まされるコメント、ありがとうございました。私はなるべく自分にも人にも正直にありたいと思っていますので、私が思う「本当の事」を伝えたいと願っています。これからもよろしくお願いいたします。
2020-12-18 Fri 09:47 | URL | [ 編集 ]

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