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心の治癒と魂の覚醒

        

武士道精神

 まずはご報告とお知らせから。
 今月21日と22日、イデア ライフ アカデミー瞑想教室第12回が行われました。テーマは、「直観力を鍛える」。直観力には3種類あると考えられます。ひとつは潜在意識の働きによるもの。ふたつめは超感覚的能力が働いたもの。そして三つ目は、自己の実相(仏性・神性)を自覚したことによるものです。重要なのは三つ目の直観です。そのような直観を得るにはどうしたらいいのでしょうか? ぜひダイジェスト版をご覧ください。
 動画視聴はこちらから
 来年から、イデア ライフ アカデミーは月に一度、哲学教室と瞑想教室を交互に行っていきます。より充実した授業内容にしていくべく、今後とも全力を尽くしてがんばりますので、よろしくお願いいたします。1月は休講なので、次回は2月15日/16日の哲学教室から始まります。「原始仏教1」というテーマで、釈迦が本当に説いた教えとはどのようなものなのか、おそらく誰も語られていない深い内容にまで踏み込んでいく予定です。
 参加ご希望の方は「斉藤啓一のホームページ」まで 

 さて本題にうつります。
 哲学的な遺産という点で言えば、ギリシアとインド、中国は、突出してすぐれていると思います。ご存じのように、中国では、偉大な哲学者が多数あらわれました。孔子、老子、荘子をはじめ、易という宇宙哲学を発見し、また大乗仏教、とりわけ禅を発展させました。道元も空海も、中国にわたって教えを学びましたし、また鑑真のように、中国の偉人を日本に招いて仏教の戒律を学んだりもしました。哲学のみならず、日本の文化にもっとも大きな影響を与えてくれた、というより、日本文化の礎となったのは、言うまでもなく中国の文化です。私はそうした中国の文化に深い敬意を抱いています。
 しかし、現代の中国(中国人)を見ていると、そのような偉大な哲学思想を生んだ歴史の子孫とは思えません。文化大革命によって一度は封印されたとはいえ、中国人の精神的遺伝子に、偉大な哲学者たちの思想が受け継がれているはずなのですが、現代の中国人は、孔子や老子、禅の思想とはまったくかけはなれた、正反対とも思えるような物質主義に染まっているように感じられます。
 ならば、そうした偉大な中国文化を学んだ私たち日本人はどうでしょうか。やはり、似たようなものではないでしょうか。
 中国文化が日本的精神と融合して生まれたのが、いわゆる「武士道精神」ではないかと思いますが、その「恥を知り潔く生きる」という精神が、現代の私たち日本人にどれだけ息づいているでしょうか?
 いったい、いつから日本はおかしくなってしまったのでしょうか?
 私はバブル経済のときからだと考えています。
 バブル経済が訪れるまでは、武士道精神に通じる心を持っていた人が多かったように思います。精神性を重んじて、あぶく銭などに目を奪われることなく、お金は汗水垂らして稼ぐべきものだ、などと説教し、そうした生き方を誇りにしていたのです。ところが、そんな大人たちが、恥も外聞も捨て、率先してマネーゲームにのめり込んでいきました。今の中国が、当時の日本のバブルに相当するものを経験しているのではないかと思います。
 ところが、間もなくバブルは崩壊。お金を失っただけでなく、誇りまで失い、醜態をさらしました。今さら「カネより精神性だ」などと説教できるはずもなく、沈黙したまま年老いていきました。いわゆる団塊の世代と呼ばれる人たちです。
 お金はもちろん大切ですし、モノが豊かにあって悪いわけではありませんが、そのために精神性を犠牲にしたら、結局は、お金もモノも失い、誇りさえも失って恥ずかしい醜態をさらけ出すことになるのです。彼らはそうして精神性の大切さを説く資格を失ったので、彼らの子供たちは、精神的な価値や生き方を教えられることなく育ちました。ちょうど彼らの子供世代が多い「引きこもり」が社会問題になっているのも、その原因のひとつは、ここにあるのではないかと思います。
 私は武士道精神の信奉者というわけではありませんが、その精神は見習うべきものがあると思っています。「武士は食わねど高楊枝」という言葉があります。一般にはやせ我慢のたとえとして使われているようですが、目先の安易なものに惑わされることなく、筋の通った精神性を貫ける人間こそが、これからの日本社会に必要な人材ではないかと思うのです。さもなければ、日本はこのままどんどん没落していくしかないでしょう。
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コメント

日本人の精神性の荒廃はいろんな場面で実感しています。教育そのものも汚染されています。

先人たちは今の私たちを嘆くばかりでしょう。どこかで手痛い目に遭わなければ、私たちは気づけないところまで落ちてしまったのでしょうね。気が付いたとき、愛する人々を、国を失う羽目にならなければよいのだがと願ってやみません。
2019-12-26 Thu 11:41 | URL | とおる [ 編集 ]
斉藤啓一です。とおる様、いつもコメントありがとうございます。おっしゃるように、痛い目にあわなければ気づけないのが、人間なのでしょうか。痛い目にあわずに気づく方法はないのでしょうか。私の心配が取り越し苦労に終わることを願うばかりです。
2019-12-26 Thu 18:45 | URL | [ 編集 ]

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