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心の治癒と魂の覚醒

        

私のこれからの目標

 新年あけましておめでとうございます。
 皆様は、今年はどのような年にしたいと思っておられるでしょうか?
 私は今年、60歳になります。ついこの間まで40歳になったと思っていたのに、いつのまにか60歳、老年の域に突入する歳になってしまいました。20歳までは人生、長く感じましたが、だんだん時がたつスピードが早くなり、40歳から今までの20年は、あれよあれよという間でした。ということは、これからの20年はさらに早く、あっという間に80歳になってしまうのだろうと思います(80まで生きられれば、の話ですが)。
 この文章を読んでくださっている方の多くは、私より若いのではないかと思いますが、40歳を過ぎていたら、(脅かすわけではありませんが)60歳なんてあっというまに来てしまいますよ(笑)。だから、しっかりとやるべきことはやって後悔のないように生きるようにした方がよいです。
 歳を取るにつれ、容色は衰えからだの機能は低下していきます。これは受け入れなければなりません。しかし、脳(精神)の機能は、適切な管理をすれば、肉体ほど低下しません。実際、70歳を過ぎても抜群の記憶力や判断力、思考力を持っている人に、少なからずお会いしてきました。
 肉体は老けてしまっても、精神だけは死ぬまで若々しくありたいと思います。
 では、どうしたら、若々しい精神を保つことができるだろうかと、最近よく考えます。肉体年齢は若いのに精神的にはずいぶん老けていると感じる人もいて、この差はどこから来るのでしょうか?
 その理由はいろいろ考えられるでしょうが、「目標をもって挑戦し続ける」ということが、大きな要因としてあげられるのではないかと思います。脳というものは、何か目標を懐き、挑戦しようとするとき、自動的にその目標を達成すべくフル回転します。しかし、目標も挑戦もなければ、脳はみるみる萎縮していきます。

 私の60歳からの目標は、「真善美に生きる」です。
 今まで、古今東西の哲学や宗教をいろいろ研究してきてわかったことは、およそ哲学や宗教の目的というものは、一言で集約するならば、「真善美に生きる」ということなのです。真善美について、頭で理解しただけでは真に理解したことにはなりません。実際に真善美に生きることができて初めて、真善美という、およそあらゆる哲学・宗教のエッセンスを理解したことになるのです。それこそが真の哲学者であり真の宗教者です。
 しかし、このことだけが動機なのではなく、他に2つの動機があります。
 ひとつは、過去の偉人の名前を汚さないためです。というのは、私はこれまで、フランクルやブーバー、その他、過去の偉人について書いた本を執筆してきたのですが、もし私が真善美に反するような生き方をしたら、そんな私のことを知った人は、私が本に書いた偉人のことも、あまりよく思わないでしょう。「斉藤はフランクルやブーバーについて本を書いていたけれど、斉藤があんなひどい人間であるなら、フランクルやブーバーなんていうのも、ろくなものではないんだろうな」と思う人がいるのではないでしょうか。少なくとも印象を悪くしてしまうことは間違いありません。私ひとりが不名誉になるなら自業自得ですが、私のせいで、偉大なフランクルやブーバーが不名誉に思われてしまうということは、決してゆるされることではありません。つまり、私は彼らについての本を書いたことで、ある意味、彼らの看板を背負っていることになるのです。ですから、彼らの名前を汚さないために、私は立派な生き方をしなければならない義務があると思っているのです。

 もうひとつの動機は、「恩返し」です。これが一番大きな動機です。
 私は、本当に多くの人から助けられ、多大な恩を受けてきました。私が今日あるのは、私を助けてくれた、たくさんの人たちの善意と親切のおかげです。恥ずかしながら、助けられてばかりの60年でした。
 私は、残りの人生をかけて、その方々に恩返しをしなければなりません。
 しかし、どうやって恩返しをしたらいいでしょうか? お金が裕福にあったらお金で恩返しができますが、残念ながら私にそれだけのお金はありません。お金以外に恩返しといっても、何をしたらいいのか思いつきません。しかも、私を助けてくれた人の中には、見ず知らずの人もいるのです。匿名で、本当に大きな助けを与えてくださった人もいるのです。どこの誰だかわからないその人に、いったいどうやって恩返しをすればいいのでしょうか?
 私は考えました。そして、苦肉の策として、これしかないと思いました。
 それが「真善美に生きる」なのです。どういうことかというと、仮に私が悪いことをする人間になったとします。すると、私を助けてくれた人は、悪人を助けたことになり、間接的に悪事の加担をしたことになるでしょう。ということは、仮にカルマの法則というものが存在するとしたら、私を助けてくれた人は悪しきカルマを積んだことになり、その悪しき報いを受けなければなりません。つまりこれは「恩を仇で返す」ことになるわけで、人間としてもっともやってはいけないことです。
 しかし、もし私が善いことをする人間になったら、私を助けてくれた人は間接的に善事をしたことになり、つまりは善いカルマを積んだことになって、そのよい報いを受けることになるはずです。
 ですから、私はこれからあらゆる機会を見つけて、善いことをどんどんする人間になろうという目標をたてたのです。それを一言で表現したのが「真善美に生きる」です。
 今日から毎日、夜寝る前に一日の反省をし、必ず悪事よりも善事の方が多くなるようにして、「私の善き行いに対する報いはすべて、私を助けてくれた人々のもとにいきますように」という祈りを捧げることにしました。
 私は死ぬまでこのように生きるという決意をしました。
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コメント

あけましておめでとうございます。今年もこのブログで勉強させていただきます。

『真善美』は私も毎朝自分に言い聞かせている言葉です。というのも、これまで読んできた書物のいくつかに出てきた言葉だったからです。この三つを己の中に成長させていくことが、この世、果ては宇宙の進化、発展、成長にもつながる。そのために己の生命があり、それを生かすことがすなわち『真善美に生きる』ことなのだと思ったのです。

また、これはある人から聞かされたことですが、恩を返すことはできないのだと教えられました。恩に報いることはできるが、返すことはできない。私はこの意味をしばし考えました。そこには、人から受けた恩はいつまでも恩としてありがたく持ち続けることであり、返す返さないでなくなったりするものではなく、いついつまでも感謝とともに自分の中に残るものだということなのでしょう。だから、恩は返せない。だが、その恩に報いることはできる。尤もだと思いました。だからこそ、人様から受ける恩というのは尊いものなのですね。その恩を仇で返す。人として最もやってはいけないこと。これは実体験から痛感しています。

先生が挙げていらっしゃるフランクル、ブーバーを私は知りません。学ばなければいけないことがいっぱいです。先生のブログを通して、私も実践とともに精進していきたいと思います。

ありがとうございました。
2020-01-01 Wed 11:39 | URL | とおる [ 編集 ]
斉藤啓一です。とおる様、あけましておめでとうございます。「恩」について、なるほど、そのような考え方もあるのですね。恩を返すというより恩に報いるということなのですね。
今年もよろしくお願いします。
2020-01-01 Wed 12:26 | URL | [ 編集 ]
受けた恩を忘れずに感謝し、善行を心がけるというのは素晴らしいですね。私も心がけたいものです。そういう気持ちの人が少しずつでも増えれば、きっと良い世界になることでしょう。
2020-01-02 Thu 13:56 | URL | ユニ [ 編集 ]
斉藤啓一です。ユニさん、コメントありがとうございます。みんなで力を合わせてこの世界を少しでもよい場所にしたいものです。今年もよろしくお願いします。
2020-01-02 Thu 15:22 | URL | [ 編集 ]

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