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心の治癒と魂の覚醒

        

仏教が説く「不都合な真実」

 次回のイデア ライフ アカデミーのテーマは「原始仏教1」です。原始仏教、すなわち、釈迦の直接の教えです。日本のほとんどすべての仏教は大乗仏教ですが、大乗仏教は釈迦の死後、百年ほどたった後、釈迦の教えとは違う教えを作りだして「これこそお釈迦様の本当の教えだ」と勝手に決めつけ、それが中国にわたって日本にやってきたものです。仏教の定義というものを「釈迦の教え」であるとするなら、大乗仏教は「仏教」とは呼べません。
 ただし、だからといって、大乗仏教には価値がない、というつもりはなく、大乗仏教は大乗仏教なりの価値があると思っています。
 というのも、釈迦の教えを、その通りに実践するには、出家するしかなく、たとえ出家したとしても、その修行は大変にけわしく、すべての人が実践できるわけではないからです。ましてや、在家の人には実践は不可能です。せいぜい、釈迦の教えのうち、わずかに実践可能なものを行うことができるくらいです。
 その点で、大乗仏教は在家の人でも実践できます。それが大乗仏教の価値あるところだと思います。
 しかし、大乗仏教が、釈迦の教えの代替物にはなり得ません。釈迦がめざしていたもの、すなわちそれは「解脱」ですが、それが大乗仏教を実践することで可能になるなら、釈迦は、わざわざ出家しなければならない厳しい実践の教えを説いたりしないでしょう。最初から大乗仏教の教えを説いていたはずです。
 もっとも、大乗仏教でも、真剣に実践するならば、解脱の可能性はあると私は考えています。ただしそのためには、非常に厳しい修行となるでしょう。そのため結局のところ、原始仏教の修行の厳しさとほとんど変わらなくなってしまうわけです。どのみち安易な道というものはないのです。「仏様の名前を適当に唱えてさえいれば解脱できる」などという、虫のいい話はないのです。そんなものは単なる気休めでしかありません。仏様の名前を唱えて解脱するには、それ以外のすべてのものを捨て去って、命がけでひたすら念仏を唱えなければならないでしょう。そこまでしたら、解脱する可能性はあると思います。

 釈迦の教えによれば、解脱するには、この地上世界に対するすべての愛着や欲望を、徹底的に、完全に捨て去り、消滅させなければなりません。
 しかし、そんなことができる人は、どれくらいいるでしょうか。欲望を消滅させることの難しさは釈迦自身、よく理解しており、「激流をわたって向こう岸(彼岸)に至るようなものであり、それができる人はきわめて少ない」と語っています。まさしく「激流」なのです。穏やかな流れであっても、川を泳いで向こう岸にわたるのは難しいのに、激流となったら、ほとんどの人は流されてしまうでしょう。しかも、釈迦という最高の指導者の直接の弟子であっても、すべての弟子が解脱したわけではありません(たぶん、かなり少なかったはずです)。ならば、そのような指導者を持たない、私たちのほとんどは、解脱できる可能性はきわめて低いと言わざるを得ません。
 欲望を消滅させなければ解脱できないという理論(真理)は、大乗仏教でも同じなはずですから、結局、大乗仏教の道を歩んでいたとしても、この世に対するすべての欲望を消滅しなければならないのです。その意味では、原始仏教でも大乗仏教でも、その道はけわしいということになります。

 このように、仏教というものを理解すればするほど、絶望的な気分になってきます。人間存在というものの、救われがたさ、という現実を直視させられるのです。釈迦は冷徹なほどの合理主義者であり現実主義者でした。「苦しみたくなければ欲望を捨てなさい。欲望を捨てられないのなら苦しみなさい。以上」といった感じで切り捨てます。釈迦は慈悲深い方だったと思いますが、だからといって、真理をねじ曲げてまで気休めを言うことはありませんでした。
では、いったい、どうしたらいいのでしょうか?
 「欲望を捨てない限り苦しみはなくならない」というのは、真理であると思います。「大食していたら痩せない。痩せたければ大食してはならない」という理屈と同じくらい明白です。苦しみから解脱したければ、欲望を消滅していく道を歩んでいくしかないのです。たとえそれがどんなにけわしかったとしてもです。
 もちろん、急にすべての欲望を完全に消滅させることなど不可能です。しかし、根気強く、時間をかけて、少しずつこつこつと欲望を減らしていくことはできます。その道を歩んでいくしかないのです。あとはただ、いかに効率よくその道を歩むか? です。
 イデア ライフ アカデミーでは、そのような道について、考えていきたいと思っています。

 「原始仏教1」の授業は、2月15日/16日です。
 参加ご希望の方は「斉藤啓一のホームページ」まで
 
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コメント

今生で悟りが得られたら素晴らしいですね。
私も正見が得られるようにしたいと思っています。
2020-01-27 Mon 18:30 | URL | ユニ [ 編集 ]
斉藤啓一です。ユニさん、コメントありがとうございます。まずは正見からですね。地道に努力していきましょう。
2020-01-27 Mon 22:24 | URL | [ 編集 ]

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