心の治癒と魂の覚醒

        

業想念の消滅と祈り

 前回も述べましたように、覚醒するには、いわゆる業想念をできる限り浄化しなければなりません。業想念はある程度は物質的なエネルギーのような性質を示すようで、それが肉体のあちこちに蓄積されています。とくに脊柱に、まるで汚れのようにこびりついているようです。
 もし脊柱がそうした汚れでつまったままクンダリニーが活性化して上昇しますと、強引にその汚れを焼き尽くしながら上昇するといわれ、そのときは大変な苦痛が伴うとされています。その汚れが少なければ、たいしたことなく頭頂まで上昇してチャクラを開いてくれるのですが、汚れが多いと、結局は上昇できずにどこかでエネルギーが滞ってしまい、(おそらく)その部位に関係した内臓がクンダリニー自体のエネルギーでやられてしまうようです。
 クンダリニーでなくても、シャクティなどの生命エネルギーが修行によって増強され、それが肉体に充電されるようになると、そのエネルギーも汚れを焼き尽くすように作用しますから、病気(正確には汚れを浄化するための好転反応)が生じたりするわけです。

 業想念というのは、過去生も含めて、今までに蓄積されてきた悪い想念のことです。すなわち、怒り、憎しみ、悪意、嫉妬、恐怖、不安、執着、邪欲、不誠実、利己主義といったもので、そういった想念が、ある種のエネルギーとして心の深い層(霊体あるいは幽体)に蓄積されているのです。覚醒するには、まずこの汚れを浄化していかなければなりません。しかし、それは何世代もの過去生から蓄積されていますから、個人差はあるにしても、そうとうな量の汚れが沈殿されていると思っていいでしょう。
 とくに修行をしなくても、私たちはこの業想念を適当に浄化させられています。ひとつは、すでに述べたように不幸や不運という形で浄化させられます。ところが、そういう不幸や苦しみを体験しますと、得てして人間というものは、そのことを恨んだり不満を抱いて、人や世の中を呪ったり、ますます心をゆがませてしまったり、悪意を強くさせてしまいがちです。
 つまり、せっかく浄化されて、不幸な運命の原因である業想念がそれだけ消滅してきれいになったのに、それをわざわざつかんでしまい、さらにひどい汚れにして自分のなかに取り入れてしまっているのです。そうして、ますます不幸の種を心の土壌に巻いてしまっているわけです。いわば、せっかく毒を吐き出したのに、その吐いた毒にさらに毒を混ぜ、再び飲み込むようなことを、私たちはしているのです。
 しかし、そのことを誰が責められるでしょうか。不幸な経験をすれば、そのことを怒り、自分を苦しめた人や世の中を呪い、こころをいじけさせてしまうのは、無理もないことです。人間の自然な心情として、当然だと思います。
 覚醒することが難しい大きな理由のひとつが、ここにあるのではないかとも思うわけです。しかし、言い方を変えれば、これをクリアできれば、覚醒はぐんと容易になるともいえるのではないでしょうか。ここはひとつ、前向きに考えていきたいと思うのです。

 業想念を浄化するには、不幸な運命に遭遇したり、不適切な思いが浮かんだりしても、それに反応して悪い想念を出さないようにすることです。何があっても、恐怖や不安、怒りや不満、執着や邪悪な思考を起こさないことです。
 といっても、それは口でいうほど簡単なことではありません。それには長期にわたる不屈の忍耐が要求されるでしょう。しかし、決して不可能ではないと思います。
 これをうまく行うひとつの有力な方法は、高次の存在の協力を得ることです。つまり、神や守護神といった存在の助けを借りるのです。
 汚れた水で汚れを落とすことはできません。汚れを流すにはきれいな水が必要です。業想念という汚れを流すにも、きれいな想念が必要なのです。つまり、邪悪な思いが出てきたら、清らかな思いを出して、邪悪な思いを清らかな思いで流し去るのです。
 とはいえ、業想念エネルギーはすさまじい嵐のようなものですから、それが心を吹き荒れているときは、清らかな思いなど、そう簡単に出せるものではないでしょう。
 そこで、高次の存在から、きれいなエネルギーを流してもらうようにするのです。たとえば、次のように祈るのです。
「神様(あるいは守護霊、守護神様、あるいは自分が尊敬する聖者の名前)、あなたの神聖なる光のエネルギーで、業想念を浄化してください。ありがとうございます」
 そうして、すべてを神にゆだねます。つまり、自力で業想念を浄化しようと力む気持ちを捨て、受け身の気持ちで、神様が業想念を浄化してくれているのだと信じ、そのことに感謝するのです。
 すると実際、神や守護神や聖者とチャネルができて、そこから業想念を浄化するエネルギーが流入されてくるはずです。たとえはっきりと実感がなくても、とりあえずそう信じてください。実証はできませんが、いろいろな本や私の体験からも、神や守護霊、守護神、聖者方は、業想念を浄化するために、必ず力を貸してくれるようなのです。しばしば、単なる気のせいというレベルを超えた、圧倒的な光を感じて一瞬のうちに業想念が吹き飛んでしまうこともあります。それは非常に驚くべき体験ですが、多くの場合は、穏やかに少しずつ光を放射してくれて、徐々に消してくれるようです。たぶん、なんらかの事情で、その方がいいのでしょう。
 とにかく、決して自力であせって消そうとするのではなく、「消していただく」という、全託の気持ちが大切です。消し方は、神に任せることです。必要なら、劇的に一瞬のうちに消してくれるでしょうし、もし穏やかに消した方がいいのだと判断されれば、少しずつ消えていくはずです。その場合は、その方がよかったのです。
 繰り返しますが、業想念は、自力で消そうとしない方がいいようです。「神様に消していただく」という気持ちを持ち、業想念ではなく、神の清らかで神聖なエネルギーに意識を向けるのです。そして、自分の業想念を消してくれようとしている神に感謝を捧げるのです。それを、業想念が出るたびに、ひたすら行い続けていくことで、人は少しずつカルマから脱却し、覚醒の意識が開かれていくのではないかと思うのです。
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