魂の救済2020-07-28 Tue 12:11
まずはご報告とお知らせから。 今月7月19日/20日のイデア ライフ アカデミー哲学教室のテーマは「ソクラテスとプラトン」でした。誰もが名前だけは知っている有名なギリシアの哲学者です。ソクラテスの弟子がプラトンで、ソクラテスは本を残しませんでしたから、ソクラテスの思想を代弁する形でプラトンが著作にまとめました。ですから、基本的にソクラテスとプラトンの教えは同じであると考えていいのですが、ソクラテスは結局、何を言いたかったのかというと、徳を養う人生を送りなさい、それを人生の最優先課題にしなさいということでした。ひらたくいえば、「立派な人間になりなさい」ということです。こうしたことは、一見、陳腐に聞こえるかもしれませんが、しかし結局は、これこそが、人間が地上に生きる目的だと、二人は言っているのです。人生とはそのための、わずかな短い期間にすぎません。物質的なものや名声などを求めても、やがてそのようなものは失われてしまう、はかないものです。それよりも、自分を高めるために、全身全霊で生きること、すべてをさしおいて、このことを最優先にし、寝ても覚めてもこのことばかり考えるくらいであること、そして勇敢に徳を実践できる人間になること。人生で本当に価値あることは、これだけなのです。このことに本当に気づくことは、たとえるなら、10億円の宝くじに当たるよりもずっと価値があることなのです。このように、ソクラテスとプラトンの教えから、人生で本当に大切な生き方とは何か、という気づきが得られるのです。こうしたことは、ダイジェスト版の動画では十分に表現しきれていませんが、とりあえずダイジェスト版をご覧になってみてください。そしてもっと二人の思想を深く理解したいと思ったら、ぜひ完全版をお求めになってください。 →動画視聴 イデア ライフ アカデミーでは、ソクラテスとプラトンの教えを土台に、徳を高めるためのすばらしいあらゆる教えを順次、紹介していくつもりです。人生の目的をはっきりと見すえて、人生を無駄にしないためにも、ぜひとも教室に学びに来てくださればと期待しています。 参加ご希望の方は「斉藤啓一のホームページ」まで それでは本題にうつります。 私は、お金を盗むのはもちろん罪ですが、時間を盗むのも罪であると思っています。つまり、人に無駄な時間を使わせてしまうことです。そんなことがなければ、その人は、もっと有意義なことに時間を使うことができたかもしれません。人生とは結局、生きている時間のことなのですから、人の時間を無駄にしてしまうことは、大げさに言えば、その人の寿命を短くさせてしまうことではないかと思うわけです。 ですから、この記事を読んでくださる方の時間を無駄にしないように、読んでためになる内容、人生を豊かにするような内容のことを書かなければならないと、心がけているつもりでいます。 今までは、このことはそれほど困難ではありませんでした。もちろん、本当にためになるかどうかの判断は読者にゆだねなければならないのですが、少なくとも私自身としては、それなりにためになるだろうというものを書いてきたつもりです。 しかし、最近になって、このことが、とても困難に感じるようになりました。実は、今回の記事を書くために、三日間、考えこみました。以前なら長くても半日で書き上げてしまっていたのですが。 そうなってしまった理由は、何が本当に「ためになる」ことなのか、どんな情報が、本当に「人生を豊かにする」のか、わからなくなってきたからです。 たとえば、テレビでお笑い番組だとかバラエティーだとかドラマなどを見て、とても楽しかったとします。しかし、楽しかったけれど、後には何も残らない、ということがあります。 もちろん、「楽しかった」ということ自体が、「ためになった」と言えなくもないし、「人生が豊かになった」と言えなくもないのですが、果たして、楽しい人生イコール豊かな人生と言えるかというと、私にはそうは思えません。 このことは、人によって価値観が違うと思いますので、私の考えが唯一絶対に正しいと言うつもりはありませんが、本当に豊かな人生というものは、「自己を成長させ向上させること」にあるのではないかと、私自身は思っています。 自己を成長させ向上させるとは、言葉を変えれば、徳を養うことです。徳、すなわち、正義、正直、誠実、善、美、勇気、忍耐、その他、こうした性質を自分のものとすることです。いうまでもありませんが、単に徳に関する知識を蓄えるということではありません。徳のある人間になることです。徳とは知識ではなく実践だからです。 しかし、徳のある人間になったからといって、何か「得」があるとは限りません(思わず駄洒落を言ってしまいましたが)。それどころか、徳があるがゆえに、この世の中では、損をすることだって少なくありません。たとえば「正直者が馬鹿をみる」という言葉があります。人をうまく利用し、ときには賄賂を渡したり、だましたり裏切ったりして、その場の状況を読んで要領よく狡猾に生きた人が、カネや地位といったものに恵まれる、といった傾向が、少なからずあり、そんな中で正直に生きていたら、まず、だまされますし、いいように利用されて、結局は不遇に泣くこともあるわけです。 そうなると、徳を養うこと、つまり、自己を成長させ向上させることを記事にすることは、本当に読者の皆さんにとって、「ためになること」なのだろうか? よいことなのだろうか?「自分の人生は豊かだ」と思っていただけるようになるのだろうか? といった疑問が生じてきてしまったのです。 そのような人物の典型が、ソクラテスであり、イエス・キリストでした。この二人はまさに徳のかたまりのような人でしたが、最期は民衆に憎まれ、死刑になってしまいます。イエスなどは、弟子にさえ裏切られました。 これは極端な例とは必ずしも言えません。日本ではあまりないかもしれませんが、たとえば共産主義や独裁国家の国で政治家の不正を暴く言論をしたら、たちまちつかまって、最悪、死刑になってしまうでしょう。コロナウイルスの危険性を初期に訴えた中国の知識人はけっこういると思いますが、拘束されたり、迫害されたりしています。今の香港で民主主義を訴える活動家もそうです。 徳のある人が得をするのではない、それどころか、苦しむことがある、というのが、この不条理な世の中の現実です。もちろん、よいこともあるでしょう。しかし、絶対にそうなるとは限らないわけです。 イエス・キリストは言いました。「私はこの世に平和をもたらすために来たのではない。争いをもたらすために来たのだ」と。この言葉の真意はよくわからないのですが、私なりの解釈をしますと、この悪しき腐敗した世の中で徳を発揮しようとするなら、悪と善との戦いが始まる、という意味ではないかと思います。 ところで、死刑になったソクラテスやイエスは、徳のある生き方をしたことに、後悔したでしょうか? 後悔はしていませんでした。ソクラテスはそんな自らの運命を喜んで受け入れましたし、イエスの場合は、おそらく最初から死刑になることを承知した上で、あのような生き方をしたのです。それによって人類に偉大な教えを残すためにです。 確かに、この世的には、ソクラテスもイエスも悲惨な人生を送りましたが、魂は救われたのです(もっとも、最初から救われた魂だったのだと思いますが)。 以前からもそうでしたが、とりわけ最近になって、私は「魂の救済」ということに、人生の最大の価値と目標をおくようになりました。極論ですが、魂さえ救われれば、この短くてはかない地上人生など、どんなに辛くても、たいしたことではないと考えるようになりました。長くてもせいぜい百年、健康寿命を考えれば七十年という短い間に、ちょっと人より金持ちになったり、地位や名声を得たりして楽しかったとしても、それが何だというのでしょう。砂上に造られた城のようなもので、すぐに波が来て崩れ去ってしまう、はかないものです。 むしろ、人生が楽しいと、地上の事物に対する執着が強くなり、魂の救済の障害になりかねません。その意味では、人生というものは(あまりにも悲惨でない限りにおいて)苦しみがあった方がいいのです。 とはいえ、このような考え方は、物質主義が支配的な現代社会には、ほとんど受け入れられないでしょう。しかし、私は自分に正直に生きたいので、魂の救済、言い換えれば、徳を養って自己を向上させる、というテーマに重点を置いた記事を、ますます今後も書いていこうと思っています。イデア ライフ アカデミーも同じで、そのような授業を行っていこうと思います。 しかし、覚悟してください。徳を養う道は険しく、イエスが言ったように、そこに平和はなく、争いがあるかもしれません。不遇に見舞われるかもしれません。それでもなおこの道を歩んでいこうという勇気をもっているなら、私の記事を読んでください。そのためにどうなっても、私は責任はとれませんのでご了承ください(笑)。 それがいやな人は、読まない方がよいです。あるいはまた、読むだけで、真剣に徳を養う意思のない人も、読んでも時間の無駄ですから、読まない方がよいです。もっと楽しい記事を書いている人はたくさんいますから。 スポンサーサイト
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コメント
私はとても熱心と言えるシルバーバーチ読者(間違っても信者ではない)ではありませんが、己の30年前の人生を振り返った時、彼は実に見事に纏めてるなと。
「魂が真の自我に目覚めるのは太陽が光り輝いている時ではありません。バラ色の人生の中では霊性は発揮されません。危機、挑戦、困難、障害、妨害の中にあってこそ発揮される」 「断腸の思い、悲痛、苦痛を体験しないことには、そのあとに訪れる恩寵の有難さが十分に理解できません。人のために役立とうとする人間は試練を覚悟しなければなりません。時には力の限界までしごかれることも」 尚、私「一匹狼」の人となりについては”【セルピコ】己の正義を貫いた―汚職に立ち向かう若き警官の物語” で検索すれば、その一番下に私「一匹狼」の地獄が描かれています。参考までに。
斉藤啓一です。一匹狼さん、コメントありがとうございます。公務員として不正に闘いを挑まれたのですね。その勇気に敬服いたします。こういう人がもっと公務員にいてくれたらと思いますが、公務員は「事なかれ主義」の人が多いようで、なかなか難しいのかもしれません。でも、公務員であろうとなかろうと、正義を貫く勇者がもっと出現するのを期待したいものです。
2020-07-28 Tue 14:10 | URL | [ 編集 ]
動物の死骸が腐敗していく様を目にしたとき、形ある命というものがまるで幻だったかのように思え、これが人ならばと考えたとき、私はある種の虚しさを感じました。この腐敗していくものが本物であるわけがないと強く思ったのです。この時、私は初めて肉体を自分と思うこと、人と思うことの間違いを知りました。
生きている間の様々なこともだた過ぎゆくものでしかありません。過ぎゆくものだからこそ救いもあると言えます。ですが、人の心がそれをつかんで放そうとしない。それが煩悶を生みます。 誰が言っていたか忘れましたが、私たちは一本の大木であり、生きていくことはその木が彫り込まれていくことであり、最期のときに初めて自分という彫像が出来上がるのだとか。すべては自分という心、魂を作り上げていくものであり、そこに例えば善悪のような解釈、判断を付けていくのが人間の性だということ。すべては自分が自分を彫り上げていくわけです。 やはり、人は心、魂であり、この世を旅立つ時までは自分というものは製作過程に過ぎず、その間、人は自分の魂をより向上させるべく、目指すものを選んでいくのでしょう。しかし、残念なことに、向上の「こ」の字もないような人間が何と増えていることかと思います。自分という柱をしっかりと持てる人間だけが、形よい彫像となるのでしょう。 2020-07-29 Wed 13:33 | URL | とおる [ 編集 ]
斉藤啓一です。とおる様、コメントありがとうございます。とおる様は人の成長を彫刻にたとえておられますが、まったく同じことを、ギリシアの仏陀ともいうべきプロティノスも言っています。「自分が自分の彫刻家となり、日々、その自分という彫刻を美しいものに仕上げるように努力せよ」。いずれにしろ、自分を向上させることが人生の最大目標だと思うのですが、おっしゃるように、それに気づいていない人は、せっかくのこの地上人生をほとんど無駄に過ごしているようなもので、本当にもったいないと思います。
2020-07-29 Wed 13:47 | URL | [ 編集 ]
早速の返信、ありがとうございました。
【セルピコ】の映画ブログでは、最後は「つづく」、とせざるを得ませんでした。内容が映画の枠を超えてしまうからです。 あの内容は、単に地獄の一丁目でしかありません。切腹に依る死を覚悟はしていたものの、年末の仕事納めになっても、私は間違いなく「生きて居ました」 大見得を切って戦いを挑んだ以上、負けが決まれば、即ち「結果が出せない」なら、「潔く腹を斬る」覚悟だけは間違い無く在りました。なのに「未だ生きている」 この事実は、私を目に見えない何者かに感謝させただけではなく、反撃の切っ掛けさえも作ってくれました。 「もしかすると、この戦い、勝てるんじゃないのか?」 「その証拠に俺は生きてる」 「あんなゴミのような連中の命と俺の命の引き換えだけは御免だ」 「なら、勝つ為に、生き残る為に、俺は戦う」と。 40対1という圧倒的に不利な戦いに、勝てると思える「この傲慢さ」 職場は「ろくでもない無能役人のゴミ捨て場」と化していました。然も私に「ゴミに成れ」と強要して来ます。 純粋な怒りは本当に強い。これは、地獄から得られた果実の一つです。 「ゴミ捨て場に棲息する貴様等と俺を一緒にするな」と。 6年間に渡り戦い続けた私は、「地位・役職には依らない権力」を握り、荒れ果てた職場を、それなりに正常に復活させました。 そして、己の役目を終えた私は、新たな転勤地に意気揚々と向かいます。まさか、更なる「とんでも地獄」が待ち構えているとも知らずに。 数年後、「管理職である上司の書類送検となった刑事事件」、で終息します。私の様な頑固一徹な輩には、生き難い世の中に、とうの昔になっていました。
全くその通りですね。
魂を向上させることは人間の一番大事なことと思います。 ただ、自分を振り返って見てみると、いわゆる「意識だけ高い系」になっていないか心配です。親切を実践しているつもりで、人の迷惑になっていたり、利用されているだけになった場合もありました。 世間とのズレもはなはだしいような、、。 今ではあまり頑張らないように、寿命まで淡々と生きたいと思っています。 2020-08-02 Sun 16:11 | URL | ユニ [ 編集 ]
斉藤啓一です。一匹狼さん、そしてユニさん、コメントありがとうございました。
一匹狼さんの人生は、まるでドラマのようですね。私もこの世の組織に何度か属したことがありましたが、結局、なじめませんでした。組織というより、この世の中になじめない性格なのだと自分では思っています。こういう人が世の中には少数ながらいるのでしょう。いえ、本当は想像以上に多いかもしれませんが。 ユニさんの「意識だけ高い系」という指摘は大切ですね。まさにこういう人が少なくありません。私も自戒を込めて、このような罠にはまらないように気を付けなければならないと思いました。貴重なコメント、感謝いたします。 2020-08-02 Sun 19:59 | URL | [ 編集 ]
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