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心の治癒と魂の覚醒

        

人生の目的


 まずはご報告とお知らせから。
 今月8月15日/16日のイデア ライフ アカデミー瞑想教室は「全託の境地と瞑想」で行いました。全託とはすべてを神にゆだねるという、いわば信仰の極地です。もし全託の境地を体得することができれば、あらゆる悩みはすべて解消されるでしょう。もちろん、それだけにこの境地に至ることは容易ではないのですが、しかし結局、これが幸福になるための一番の近道なのであり、高い霊的覚醒に至った人はすべてこの境地を体得しているわけです。ぜひダイジェスト版の動画をご覧いただき、全託というものについて理解するきっかけになればと思います。
 →動画視聴
 来月の哲学教室は、アメリカ心理学の父とも呼ばれ、とりわけ宗教経験の特徴について研究したウィリアム・ジェイムズを取り上げます。今回の「全託」とも大きく関係しており、単なる心理学の知識というよりも「いかに生きるべきか」のヒントを与えてくれるすばらしい人ですので、ぜひ授業にいらしてください。
 参加ご希望の方は「斉藤啓一のホームページ」まで

 それでは本題にうつります。今回は、イデア ライフ アカデミーのテキストに書いた記事がとても重要だと思いましたので、それをそのまま引用させていただきたいと思います。

 もっとも基本的なことですが、「人生の目的を明確に定める」ことです。「自分はこの人生で何を成し遂げたいのか」、その目的を明確にして、それに焦点を当てた生活をすることです。その目的に役に立たないことはしないことです。そうすれば、人生を無駄に過ごすことがなくなります。明確な目的がないと、気まぐれに、あれをやったりこれをしたりして、結局、人生において何もやり遂げずに死んでいく、ということになりかねません。これは、きわめて当然のことなのですが、この当然のことができていない人が大半なのです。つまり、人生の目的を定めないで生きているのです。
 そしてもうひとつ重要なことは、万が一、この目的が間違っていた場合、それでも後悔しないように、あらかじめ対処しておくことです。人間は完全ではありません。「これが人生の目的だ」と結論したとしても、間違っている可能性があるわけです。その場合に備えておく必要があります。俗にいう「リスク管理」です。

 さて、人によって人生の目的は異なるでしょう。ある人は「お金持ちになること」、ある人は「有名になること」、あるいは「人助けをすること」など、いろいろあると思いますが、さらに深く「では、なぜそれが目的なのか?」と追求していくのです。すると、たとえば「お金持ちになること」が目的の人は「贅沢をしたいから」ということになるかもしれません。そしてさらに「なぜ贅沢をしたいのか?」と突き詰めていくと、他の目的でも同じですが、結局は「心の満足」に行き着くと思われます。要するに、すべては心を満たしたいがためなのです。
 ですから、人生の目的というものは、「心の満足」ということになります。あとは、いかにしたら心の満足が得られるか? ということになってくるわけです。

 この「心の満足」というものの究極を問いつめていったら、どうなるでしょうか?
 これは、各人が行う課題ですが、参考のために私の考えを述べてみたいと思います。
 結論から言えば、肉体をもってこの地上世界に生きている限り、完全に心の満足を得ることはできません。なぜなら、肉体の欲望にはきりがなく、地上世界はそのきりがない欲望をどこまでも満たしてはくれないからです。一時的な満足感は得られるでしょうが、それは必ず失われます。すべてが、最終的には肉体の老化と死によって失われてしまいます。人生など短いものです。つまり、やがて失われてしまう満足感などは、はかないもので、完全ではありません。
 
 古今東西の偉人たちの多くが語っている内容が真実であると仮定すれば、人間の本質は肉体ではなく、魂です。魂は肉体に幽閉されているのです。しかし魂の本来の住む場所は、高い霊的世界です。そこは、時間と空間の制限がなく、魂そのものが自己完結的に満足感を懐いているので、霊的な世界でのみ、本当の心の満足が得られるのです。

 しかし、高い霊的世界は、高い徳の世界ですから、自分もそれに見合うように、高い徳を身につけなければ移行できません。さもなければ、再び、地上世界に生まれてくることになります。私たちはそれを何回も繰り返し、地上において本当の心の満足を求めるという、空虚なことをずっと続けてきたのです。
 この地上人生は、仮の宿にすぎません。私たちが地上世界に来た目的は、ここで一生懸命に徳を養い、人格を向上させて、死後に、本当の住処である高い霊的世界に帰還し、真の心の満足を得るためなのです。これが、釈迦やキリスト、その他の偉人たちの教えのエッセンスです。

 このように考えるなら、この地上人生の目的はただひとつ、「徳を養って人格を向上させること」だけということになります。その結果として、地上に生まれ変わることはなくなります。その意味では「二度と地上に生まれ変わらないこと」が目的であるとも言えるわけですが、そのためには徳を養う必要があるわけですから、結局、両者は同じことになります。イデア ライフ アカデミーは、この2つを目的にしています。
 もっとも、中には「地上に生まれ変わりたい」と思う人もいるかもしれません。徳を養って人格を向上させた人は、地上に生まれない選択もできるし、生まれる選択もできます。しかし、徳を養わなかった人は、生まれない選択肢はなく、必ず生まれてきます。ですから、徳を養う生き方をすれば、好きな方を選択できるわけですから、徳を養う生き方をして損はないのです。

 しかし、はたして本当に、人間の本質は肉体ではなく魂なのでしょうか? 霊的世界など存在するのでしょうか? 徳を養って人格を向上させれば、真の心の満足が得られる高い霊的世界に行くことができるのでしょうか?
 それはわかりません。古今東西の偉人たちや、いわゆる心霊科学の調査などにより、ほぼ間違いないとは思われますが、絶対に真実という証明はないのです。もしかしたら、肉体が滅びたら、人はまったくの無になって完全に消滅してしまうのかもしれません。
 ですから、リスク管理として、万が一、そのようなことになったとしても、後悔のない人生を生きる必要があるのです。

 では、魂も死後の生もないとしたら、いったいどのような人生を送れば、後悔がないと言えるでしょうか?
 どうせ死んだら無になるのなら、生きているうちに、地上の快楽をなるべく味わって死んだ方がいいのか、また、死後の世界がないならば、悪いことをしてもバレなければ罰せられることもないわけで、富や名声をつかむために、バレない程度にうまく悪事を働いた方がよいのか、という考えも出てくるでしょう。
 確かに、死後の世界が存在しないとしたら、こういう生き方によって後悔のない人生を送れるかもしれませんが、万が一、死後の世界が存在したら、それこそ悲惨です。霊界の低い階層に生き、そこで長い間、さんざん苦しいめに遭う、さらに地上に生まれてさらに苦しむ可能性があります。ですから、これではリスク管理のある生き方とは言えません。

 では、徳を積んで人格を向上させる生き方をした場合はどうでしょうか。確かにメリットばかりではありません。ともすると地上世界は、「正直者は馬鹿を見る」ようなところがあり、徳の高い人は必ずしもこの世的に幸運であるとは限らず、それどころか不遇となる場合も少なくありません。残念なことに、この地上世界は、狡猾にうまく立ち回って生きる人の方が、この世的な幸運には恵まれる傾向があります。
 しかし、そもそも徳を積んで人格を向上させようという発想をもっている人は、そのような狡猾な生き方をしても、決して心の満足は得られないでしょう。それよりも、たとえこの世的には不遇でも、正しく生きること、そのものに、心の満足を見出すようになるはずです。
 ですから、たとえ死後の世界が存在してもしなくても、どちらにしても、徳を養い人格を向上させる生き方をしていて、後悔することは決してない、ということになるのです。
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コメント

どうやったら徳が積めるのかよくわからなくなったので、ちょっと検索してみました。お掃除、こっそり寄付、親切、手助け、いつもにこやかにしている、行儀よくする、、、なんかが提唱されていました。
そういうのだったら、出来なくはないかなと思います。心掛けたいものです。

2020-08-21 Fri 16:20 | URL | ユニ [ 編集 ]
斉藤啓一です。ユニさん、コメントありがとうございました。わざわざ検索してまで徳を積む方法を模索するというのはご立派です。徳を積むのは意外に難しいです。私は毎朝、運動のために自転車に乗るのですが、そのとき道に落ちている空き缶やペットボトルなどを拾ってきたりしています。そんな小さなことくらいしかできませんが、「塵も積もれば山となる」で、これからもあらゆる機会を見つけて徳を積んでいきたいと思っています。
2020-08-21 Fri 16:26 | URL | [ 編集 ]

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