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心の治癒と魂の覚醒

        

「当たり前」の大切さ

 まずはご報告とお知らせから。
 今月9月19日/20日、イデア ライフ アカデミー哲学教室の授業が行われました。テーマは「W・ジェイムズに学ぶ宗教の本質」。ウィリアム・ジェイムズはアメリカの心理学者、哲学者で、宗教経験の研究とプラグマティズムで有名です。宗教というと、特に信仰を持たない一般の人にとっては、どこか「いかがわしい」といったイメージがありがちですが、それは宗教を組織や教義と同一視しているためです。少なくともジェイムズが主張する宗教とは、宗教組織や特定の教義とは関係のない、個人的な体験のことです。したがって、いわゆる宗教的な行為はせず、自分では宗教を信仰していると思っていなくても、実は宗教的な生き方をしている人もいるのです。授業ではその一例として、ヴァイオリニストの鈴木鎮一を取り上げています。ぜひダイジェスト版をご覧ください。宗教というものに対するイメージが変わるかもしれません。
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 では、本題にうつります。
 私が最近、つくづく思うことは、大切なことは「基本」であり「当たり前のこと」である、ということです。しかし、このことに心の底から気づくことは、意外に難しいのです。その証拠に、私たちは、基本的なこと、当たり前のことを、はたしてどれだけ実践できているでしょうか?
 たとえば、人生で一番大切なことは、人格の向上であると私は考えています。ひらたくいえば「善い人」になることです。なぜなら、結局のところ、善い人になることが、幸せをつかむためには必要不可欠の要素だからです。これは私独自の主張ではなく、釈迦もイエスも、ソクラテスも孔子も、その他、ほとんどの聖者たちが異口同音に主張していることであり、彼らの教えのエッセンスなのです。聖者たちは、結局は、「当たり前」と私たちが思っていることを説いているのです。
 しかし、「善い人になることが大切である」などと言うと、「陳腐だ」といって片付けられてしまうのです。「説教くさい」とか「そんなことわかっているよ。何を今さら」と思われるかもしれません。
 けれども、わかっているなら、それを実践しているはずですが、はたして私たちは、善い人になるために、どれだけ努力しているでしょうか?

 たとえば、ビジネスや商売をしている人は、寝ても醒めても「どうしたらお金が儲かるだろう? どうしたらお客さんをたくさん集められるだろう?」と考えます。そして、一生懸命、涙ぐましい努力をしています。これほどの情熱をもって善い人になろうと努力している人は、ほとんどいないでしょう。
 もちろん、お金は大切です。お金がなければ生きていけません。生きていけなければ、善い人になろうと思ってもできません。しかし、悪い人がお金を手にすると、まずろくなことはありません。へんなことにお金を使って身の破滅に至ることもしばしばです。お金によって幸せになるには、まず前提として善い人でなければならないのです。善い人がお金をもつとき、そのお金によって幸せになれるのです。ですから、お金よりも善い人になることを優先すべきなのです。「お金儲けもがんばるが、それ以上に善い人になるようにがんばる」ということです。
 さらにまた、地上の物質世界の幸せのみならず、それを超えた霊的な幸せ(魂の救い)という点でも、善い人であることは必須条件です。悪い人が、自分を改めようともせず、神に祈ったり宗教的な行事をしたところで、救いは得られません。
 このように、何よりもまず、善い人になることが、人生でもっとも大切なのであり、それを人生の最優先にするべきなのです。

 ところが、そのために本当に真剣に努力している人は、ほとんどいないように思います。
 お金を儲けることに関しては、寝ても醒めてもそのことばかり考えている人は珍しくありませんが、善い人になるために、寝ても醒めてもそのことばかり考えている人は、どれほどいるでしょうか?
 善い人になることは、容易なことではありません。片手間にできることではなく、全身全霊で努力していかなければ、善い人にはなれません。というのも、私たちは利己主義のかたまりともいうべきエゴの殻に閉じ込められており、その殻を打ち破るのは、並大抵のことではないからです。ひたすら、善い人になるために有益なことを学び、その種の本を読んだり、徳の高い人について教えを受けたり、学んだことを実践するために自ら創意工夫していかなければなりません。
 そうしたことをしていないのなら、本当に善い人になることの重要性をわかってはいないということです。

 私は還暦になってようやく、このことに気づきました。もちろん、表面的な知識としてはわかっていました。しかし、真剣にそのための努力をせず、小手先のテクニックばかり求めてきたような気がします。何事もそうですが、基本ができていなければ、いくらテクニックを学んでも活きてこないのです。善い人になろうとせず、小手先のテクニックばかり捜し求めても、幸せにはなれません。一時的な幸運は訪れるかもしれませんが、そうしたものは、はかなく崩れ去ってしまうでしょう。
 還暦を迎えると、死を意識するようになります。いつ死んでもおかしくないと思うようになります。もちろん、平均寿命を80歳とすると、あと20年は生きられる計算になりますが、善い人になるという大事業を達成するには、ぎりぎりの歳月だと思っています。しかも、老化により、今後は肉体的にも精神的にもこれまでのような活動はできなくなりますから、善い人になるために費やすことができる年月は、実質上、もっと短くなるでしょう。
 この「人生の目的は善い人になることであり、それを最優先にして生きるべきだ」という真理に、もっと早く気づいていればよかったと後悔しています。今まで、まったく余計な回り道をしてきました。しかし、後悔しても失われた時間を取り戻せるわけではありません。
 なので、せめてこの記事を読んでくださっている皆さんには(たぶん私より若い人が多いと思いますので)、こうした後悔はして欲しくありません。ですから、私のつかんだ気づき、すなわち、くり返しますが、「人生の目的は善い人になることであり、それを最優先にして生きる」ということが真理であることを、どうか信じてください。そして、そのために、全身全霊で努力してください。
 無駄なことに時間を浪費しないようにしてください。くだらないテレビ番組ばかり見たり、ゲームばかりしたり、頻繁に意味のない飲み会に出たりしないでください。もちろん、息抜きとして少しくらいはいいでしょうが、善い人になるために役立たないことに余計な時間を費やすことは、なるべく避けてください。時間はあっというまに過ぎ去ってしまいます。
 善い人になるためには、善い教えを学ぶことが基本となります。古今東西のすぐれた思想・哲学・宗教、および、偉人たちの生き方を学ぶことです。しかし、学ぶだけでは単なる知識に終わってしまうので、いかにしたらそれを実践レベルにまで落とし込むことができるか、それを自ら考え、工夫していかなければなりません。そして、コツコツと実践していくことです。そうしてはじめて善い人になる道が開かれていくのです。

 以上の目的を達成するために、古今東西の哲学・思想・宗教をバランスよく紹介しているイデア ライフ アカデミーは、きっと皆様のお役に立てるものと信じています。こう書くと宣伝しているように思われそうで嫌なのですが、金儲けのためにこの教室を運営しているわけではありません。実際、満員になったとしても、授業のために費やした経費や労働力などを考慮すると、ぜんぜん割りに合わないのです。それでもこの教室を続けているのは、私が社会貢献できるものといえば、これくらいしかないからです。金儲けだとか名前を売りたいわけではありません。私の個人的な利害という点では、人が来ても来なくても、あまり変わらないのです。ただ、私としては、人生でもっとも大切なことを学べる場所であるという確信と自負がありますので、せっかくこうした場があるのに利用しないのは、もったいないとは思います。あるいはもちろん、他にもっとよい学びの場がある人は、それはそれでけっこうなことなのですが。
 もし「人生の目的は人格の向上、すなわち、善い人になること」という、あらゆる聖者が口をそろえて語った人生の真理に心の底から気づいた人は、ぜひイデア ライフ アカデミーにいらしてみてください。遠方で来られない方は、動画でも学ぶことができます。ただし、何事も相性というものがありますから、イデア ライフ アカデミーが自分に合わなければ、来なくてもいいのです。そのかわり、あなたにふさわしい学びの場を他に見つけていただきたいと思います。
 いずれにしろ、人生の最も重要な目的をないがしろにして、人生を無駄にしないでいただきたい、余計なおせっかいかもしれませんが、私が言いたいのはそこなのです。
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コメント

本当にそのとおりですね。
御釈迦様が正思惟を説かれていますが、そこから始めたいと思っています。
貪瞋痴を避けることや、愛語など心がけたいことはいくらでもあります。
ただ、そうやっていると、他人の意図も妙にわかるようになってきて、何か辛いというか、余りの発想の違いに付き合えない人が出てきました。
親族も例外ではありません。
困ったものですが、仕方がないことなのでしょうか?
孤独はやはり辛いと思う時があります。



2020-09-25 Fri 00:35 | URL | ユニ [ 編集 ]
斉藤啓一です。ユニさん、コメントありがとうございます。おっしゃること、よくわかります。最初は仲良くても、一方が自己変革すれば、気持ちが通じ合わなくなってしまいます。そのために孤独感を感じるようになります。これは避けて通れません。釈迦は、「自分より上か、せめて同じ境地の人と一緒に歩め。そういう人がいなければ一人で歩め」と言っています。いっときは孤独になりますが、やがて同じ志をもった人と出会って孤独が解消されることもあるかと思います。
2020-09-25 Fri 12:06 | URL | [ 編集 ]
よいお話をありがとうございます!本当だと思います。
いつぞや、あるカトリックの司祭の『祈りの勧め』をネットで読み、実行しています。それは他人のためにいのることです。自分や家族だけでなく、知人、近所の人、知り合い、気になる人々の健康をいのっています。そしてそれは秘密です。効果としては、自分が好きになれることです。自分を好きになると他人に対してもオープンな態度で接することができるようになります。とはいえ、それ以上いっていないので自己改革は本当に長い道のりです。
2020-10-10 Sat 20:09 | URL | あき [ 編集 ]
斉藤啓一です。あきさん、コメントありがとうございます。人のために祈るのが、結局は自分のためになる一番よい祈りではないでしょうか。自己改革は、おっしゃるように長い道のりです。しかし、あきさんはスタートされました。世の中の人たちの大半は、スタートラインにさえ立っていません。スタートラインに立つだけでも、これから何回も生まれ変わらなければならないでしょう。それを思えば、とにかくスタートしたのですから、これはものすごくすばらしいことですよ。お互いにがんばっていきましょう。
2020-10-10 Sat 21:26 | URL | [ 編集 ]

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