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心の治癒と魂の覚醒

        

「経済的困難による自殺」の本当の理由


 政府の統計によると、10月の自殺者数は、2153人。昨年度の同時期と比較して39パーセント増加したそうです。この増加の原因は、コロナ禍による、倒産や失職、すなわち経済的な困難が原因ではないかと言われています。
 自殺の原因は、単純ではなく、複数の要因が絡んでいることがほとんどだと思いますが、仮に今回の増加の原因が、単純にコロナ禍による経済的な困難であるとして話を進めてみます。
 確かに、これまで、たとえ、そこそこでも順調に仕事をして生活を続けてきたのに、自分に非がないにもかかわらず、あれよあれよという間に職を失い、生活に困ってしまうというのは、まったくショックであり、絶望的な気持ちになって死にたくなってしまうのも、無理はないと思います。

 ただ、ここで慎重に考えなければならないのは、もし経済的な困難が自殺の直接的な原因だとすると、もともと生活に困っている人、たとえばカツカツの節約生活をしなければ生活できない人や、生活保護を受けている人は、とっくに自殺していることになりますが、そうではありません。
 経済的な困難といっても、日本では、食べ物がなくて飢えて死んでしまうことは、ほぼありません。衣食住にも困るほどの極貧の人たちは、世界人口の約一割とされています。現在の世界人口がだいたい77億人~78億人ですから、8億人近い人が極貧の生活をしていることになります。そのほとんどは発展途上国かと思いますが、そうした国々で自殺率が高いかというとそうではなく、自殺率が高いのは、実は先進国と言われている国々なのです。
 ですから、経済的な困難がそのまま自殺の原因の引き金になっているのではなく、経済的困難と自殺の間に、ある要因がはさまっていると考えられるのです。

 それは何か、一言でいうと、「物質至上主義」ではないかと思います。あからさまに言えば「お金」です。すなわち、お金のあるなしが、人間としての価値を決めている社会、これが自殺の原因ではないかと思うのです。
 巷では「お金がすべてではない」などと言われたりしますが、実際には、お金を持っている人ほど尊敬される世の中です(それが本当の尊敬かどうかはともかく、少なくとも尊敬される人として扱われます)。そうした人が、いわゆる勝ち組などと言われ、お金がない人は「負け組」などとされます。ほんの少数の人だけが、貧しくても人格が立派な人を尊敬するでしょうが、ほとんどの人はお金のあるなしで、その人に対する態度を決めます。金持ちなら価値ある人と見なして丁重に扱い、貧乏人なら、価値のない人と見なしてぞんざいに扱うのです。
 つまり、日本社会(日本だけではないでしょうが)では、お金を持っている人は人間として価値があるが、お金がない人は人間として価値がない、という価値観に支配されているのです。

 ですから、経済的な困難に見舞われるということは、人間としての価値が失われたということを意味してしまい、それが非常な精神的苦しみをもたらし、その結果として、自殺してしまうのではないかと思われるのです。
 もし、お金があってもなくても、人間としての価値は変わらず、平等に扱われるような社会であれば、これほど多くの自殺者が出ることはないと思います。
 ですから、もし自殺者を減らそうとするならば、まずはそうした物質(カネ)至上主義のような価値観をなくし、どんな人も人間として尊厳を認め合うようにしなければなりません。
 とはいえ、それはなかなか難しいような気がします。少なくともすぐにそのような社会が実現できるとは思えません。

 したがって、せめて個人としては、「お金イコール人間の価値」という価値観は捨てて生きるべきではないかと思います。
 そのような価値観を持って生きていると、お金というものは、いつ失われるかわかりませんので、自殺してしまう危険が高くなるでしょう。
 たとえば、事業がうまくいっていて、金持ちとして崇められ、社員を奴隷のごとく扱って有頂天になっていた人が、事業がうまくいかなくなって倒産し、豪邸もブランド品もすべて手放して狭いアパートに引越しでもしたら、とたんに周囲から、手のひらを返したように蔑まれてしまうわけです。そのショックは大きく、プライドが傷つけられて自殺してしまうかもしれません。
 もちろん、自殺してしまった人が、すべてこうした価値観を持っていた、ということではありません。冒頭で述べたように、自殺の原因は単純ではありませんから。
 しかし、物質至上主義で生きていると、もし物質が失われてしまったときには、自殺してしまう可能性は高いと思うわけです。

 自殺ということは別にしても、「お金イコール人間の価値」という価値観を抱き、自分より金持ちには媚びて、自分より貧しい人には威張るといったことは、非常に醜い行為だと思います。そういう醜い行為が横行しているこの社会は、ある種の美意識が欠如しているのではないかと、私は感じてしまいます。
 お金のあるなしは、人間の価値とはまったく無関係です。ですから、お金のあるなしで態度を変えたりすることは間違いであり、醜悪な行為なのです。
 こうした考え方を持った人が、この社会に少しずつ増えていけば、経済的な困難を理由に自殺してしまう人も、減っていくのではないかと思うのです。
 
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コメント

仰る通りですね。私は自殺を図ったことがあります。失敗したから今こうしてコメントできています。自分の体験から、自殺を図るその瞬間はまさに発作的だということを断言できます。

拝金主義、物質主義。かつては私もブランド品に身を包んでいた時があります。しかし、年を取るにつれて、また身近な者の死を見、特にひとり暮らしでとても質素な暮らしをしていた伯母の遺品整理をしながら、こういった主義が何も自分の身にはならないことを強く思い知ったのです。自己の価値の認識を自分でできないということは実に不幸なことだと思います。基準をすべて自分の外側に置くことがそもそもの間違いだと思っています。

自分とは何か、そういうことを考えることは生きる上で欠かせない課題だと思います。
2020-11-12 Thu 10:50 | URL | とおる [ 編集 ]
斉藤啓一です。とおる様、いつもコメントありがとうございます。おっしゃるように、「自分とは何か」ということをしっかりと考え、社会的な価値観に左右されないアイデンティティを確立することが大切ですね。貴重なコメントありがとうございます。
2020-11-12 Thu 12:03 | URL | [ 編集 ]
皆、お金を得るために働いているので、お金のない世界になれば途端に仕事をやめるでしょう。私も占いをしていましたが限界を感じやめました。10年程前から色んな声が聞こえるようになり、気が狂いそうな苦しい日々の中で、お釈迦様の教えの真実もその声から聞きました。この世は苦しみの世界であるということです。どうしても否定出来ない自分が居ます。この世は闇の苦しみがある場所で、この世で生き辛い人は別な世から来ていると聞いています。この世で楽しみを求めると又この世に生まれる(死ぬ)のだよ、と聞いています。やはり否定出来ない自分が居ます。幸いにも生まれた時から幸せも喜びも感じたこと無く、楽しいの意味さえわかりません、皆が楽しみとこの世の幸せを追い求めて生きる中で、このような話が出来る場所は見つかりませんでした。話しても頭が変だと言われるだけです。コロナ禍の中で、どれだけの人々が苦しんで亡くなったのかと感じています。メディアはそれを報じません。
記事を拝見していると、真実を伝える方がおられるのだと喜びに似た感覚があります。これからも拝見させて頂きます。宜しくお願い致します。
2020-12-03 Thu 12:31 | URL | あんこ [ 編集 ]
斉藤啓一です。あんこ様、コメントありがとうございました。お釈迦様もおっしゃっておられるように、この世の真実、すなわち、この世界は苦しみであるということが理解できる人は、ほんの少数なのですよ。ましてや、そうして修行を行おうなどという人は、さらにまたわずかでしょう。お釈迦様が言うように、この世に対する欲望に目がくらんで、真実が見えなくなっているのです。とはいえ、真実を見るというのは辛いものです。しかし、一度真実を見た者は、もうあとに引き返すことはできず、ただ前進あるのみです。
2020-12-03 Thu 18:17 | URL | [ 編集 ]

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