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心の治癒と魂の覚醒

        

 「断情報」のすすめ

 まずはご報告とお知らせから。 
 今月2月20日/21日のイデア ライフ アカデミー哲学教室は「カバラ思想の本質」というテーマで行いました。魔術や占いの一種であるかのように誤解されがちなユダヤの神秘主義カバラとは、どのような教えなのか? ぜひダイジェスト版をご覧ください。
 動画視聴
 来月は瞑想教室(3月20日/21日)で、「高次からの恩寵」というテーマで行います。霊的修行は、やはり自力だけでは限界があります。高次の霊的存在からの援助がどうしても必要になります。そのような援助を受けるにはどうすればいいのかについて、ご紹介していく予定です。
 参加ご希望の方は「斉藤啓一のホームページ」まで

 では、本題に入ります。
 釈迦は弟子にこう説教しています。
 「修行僧は時ならぬのに歩き廻るな。定められたときに、托鉢のために村に行け。時ならぬのに出て歩くならば、執著に縛られるからである。……そうして修行僧は、定められたときに施しの食物を得たならば、ひとりで退いて、ひそかに坐れよ。自己を制して、内に顧みて思い、こころを外に放ってはならぬ」(『スッタニパータ』第二章386~)
 つまり、托鉢は仕方がないが、それ以外は人がいる所にいくな、ということです。なぜなら、人がいるところは、五感を通して地上的な欲望を刺激するような情報が入り込んでくるからです。こんな感じで意識が外にばかり向けられていたら、霊的修行などできません。ですから釈迦は、「自己を制して、内に顧みて思い、こころを外に放ってはならない」と言ったのです。五感を通して物質的なものが意識に入り込んでくるのを極力阻止し、常に精神内部に意識を向けていることが大切になってくるわけです。
 私たちは、常に誰かとつながっていないと心穏やかでいられません。常に外部から何らかの情報(刺激)を取り入れていないと落ち着かないのです。まるで、酒を飲んでいないと不穏になるアルコール依存症のようなものです。いわば「情報依存症」に陥っているのです。常にスマホでラインやメールやSNSなどで人とやりとりし、あるいはyoutubeを見たり、音楽を聴いたり、ゲームをしたりしています。
 こんな感じで、いつも外部の刺激にさらされているような状態なので、自己の内面を見つめる時間といったものは、ほとんど失われています。こんな状況では、霊的に成長することは決してできないでしょう。ですから、可能な限り、余計な情報は遮断することが大切です。
 外部から入ってくる情報のうち、どれだけ本当に必要なものか、本当に大切なものか、よく吟味するべきです。仕事や生活をする上で本当に必要な情報は取り入れるべきですが、大部分は、単なる好奇心だとか、退屈しのぎといったようなもので、まったく必要のない、それどころか有害でさえある情報を取り込んでいるのではないでしょうか。
 必要ではない情報は極力遮断しましょう。そして、意識を内面に向ける時間をなるべく多く持つようにしましょう。
 しかし、すでに述べたように、私たちは「情報依存症」になっていますので、これはけっこう苦しいです。ある種の苦行と言えるかもしれません。苦行というと、「断食」などが浮かんできますが、断食ならぬ「断情報」は、断食と同じか、断食以上に苦しいかもしれません。
 しかし、自分が本当に変わるときというのは、苦しみが伴うものです。人間は、多くの場合、苦しみを通して変わるのです。霊的修行というのは、自分を変えていく作業のことですから、苦しみは覚悟しなければなりません。
 この地上世界は、戦場のようなものです。自己との戦い、誘惑や苦難との戦い、その連続です。苦しみの連続なのです。それがこの地上人生というものです。戦場にいる兵士たちは、自宅にいるときのように、平穏にくつろぎ、楽しみ、憩いを覚えることなどあるでしょうか。敵は、いつどこから攻めてくるかわかりません。常に警戒していなければならないのです。地上という戦場にいる私たちも、それとまったく同じです。この地上に、真の憩いの時間などといったものは存在しません。ただ、存在しているかのように錯覚しているだけです。
 
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