現代人は集中力が欠如しているのか?2021-03-10 Wed 12:37
私はよく名前の漢字を間違えられます。私の名前は「斉藤」(戸籍上は「齊藤」ですが難しいので普段は「斉藤」という字を使っています)ですが、「斎藤」と書かれるのです。私のもとに寄せられるメールの半数以上が「斎藤」となっています。
今まで気にしてはいませんでしたが、あまりにも間違いが多いので、これはもう「うっかりミス」というレベルではない異常さを感じて、今回、これについて書いてみようと思います。 この間違いは、今まで、出版社からも間違えられました。また、amazonで私の本の著者名も「斎藤」と書かれて間違われました(連絡して訂正してもらいました)。 出版社とか、amazonでサイトを構築している人は、いわば活字のプロであるはずですが、そのような人が間違えるのですから、普通の人が間違えても無理はないとも言えるのかもしれませんが、一般常識として、名前を間違えるというのは、相手に対して失礼なことだとされていると思うので、なぜもっと慎重になれないのかなという疑問が生じます。 しかし何といっても極めつけは、私がここ最近、税の関係で依頼している会計士が間違えていることです。しかも三度もです。最初に書類が送られてきたとき、「斎藤」となっていたので、電話をして指摘し、今度は間違わないようにしてくださいと頼みました。会計士と言えば、それこそ書類を作るプロ中のプロですから、そのプロが、しかも名前という、もっとも重要なところを間違えたのですから、これはかなり問題だと思うのですが、人間は誰でもうっかりということがありますから、このときは受け流しました。しかし、その後、半年ほどしてまた書類を作ってもらったのですが、またしても「斎藤」になっているのです。そのときも注意したのですが、「すみませんでした」と謝ったので、さすがにもう間違いはないだろうと思っていたところ、本日、確定申告に使うために、書類が送られてきたのですが、「斎藤」となっているのです。こうなると、もうどうかしているとしか思えません。「仏の顔も三度まで」という言葉がありますが、一度だって問題があるこうしたミスを、三度もくり返すこの会計士は、「改善していく」ということができない人なのでしょう。おそらく今後も同じ間違いを繰り返し、書類を書き直す余計な手間隙で貴重な時間が奪われたり、ストレスになるので、もうこの会計士に依頼することはやめました。 私はホームページでも著作でもどこでも「斉藤」と書いてあるのに、半数以上の人が「斎藤」と表記してメールを送ってくることが、不思議でなりません。 これはもはや、うっかりミスというレベルではなく、全般的に、現代人の集中力が欠如してきた、ひとつの証ではないかという気がしてきました。そういえば、このところニュース番組を見ても、むかしよりも間違いが多くなり、キャスターがそれを訂正することが増えたような気がします。それも、かなり基本的なミスが多いのです。 霊的な道を歩む上では、集中力や注意力は欠かせません。自己の内面の動き、言葉、行動に注意深く集中している必要があるのです。何らかの原因で、現代日本人は、この集中力が欠如してしまったのではないかと思います。これは大きな問題ではないかと思います。 今回、この記事を読んでくださった方は、今後、コメントやメールをくれるときには、「斎藤」ではなく、ちゃんと「斉藤」と書いてくれるものと思いますが、それでもなお「斎藤」と書いてしまうようであれば、霊的な道を歩む上で不可欠な能力が欠如していると思っていただいたほうがよろしいかもしれません。 スポンサーサイト
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コメント
こんにちは、斉藤先生。言われるまで気づきませんでした。
確かに斉藤という漢字は多くて大変だったのでしょうね。 現代人は集中力が欠如しているというか、道具や情報に踊らされているので落ち着きがないのかもしれませんよね。私はスマホに頼りたくないので未だにガラケーです。見てるとスマホの人はしょっちゅう携帯に触っています。ひどいときは歩きながらで。あれは危ないので絶対やめるべきですね。 2021-03-10 Wed 15:20 | URL | ワタナベ [ 編集 ]
斉藤啓一です。ワタナベさん、コメントありがとうございました。私もガラケー愛好者なのですが、もうすぐ使えなくなるというので、最近、スマホも入手しました。しかし、ほとんど使っていません。ガラケーの方が使い勝手がよいです。確かにスマホには便利な点もありますが、おっしゃるように「スマホ中毒」になっている人が多いですね。たぶん、たいしたことがないものを見ているのだと思いますが、人生の貴重な時間の無駄だと思います。
2021-03-10 Wed 17:55 | URL | [ 編集 ]
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