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心の治癒と魂の覚醒

        

目的を定め集中する

世の中に、命と時間ほど大切なものはありません。その他のものは、失っても取り戻せる可能性があります。たとえば、お金を失っても、また取り戻せる可能性があります。しかし命と時間だけは、失ったら決して取り戻すことができません。
 また、命というのは、結局、「生きている時間」のことですから、時間を大切にすることは命を大切にすることであり、命を大切にすることは、時間を大切にすることになります。逆にいえば、時間を大切にしない人は、命を大切にしていないのです。

 しかし、私たちはあまり時間を大切にしていません。お金に関しては、十円でも百円でも節約しようとしますが、時間に関しては、かなり無駄にしています。
 仮に、一日一分、時間を節約したとすると、年間で6時間もの時間を節約したことになります。十分節約すれば、年間で二日半となります。正月やお盆休みなどの休暇で「あと一日休みがあったらなあ」と思うことがありますが、一日十分節約したら、二日半が休みになるのです。一日十分の節約なら、やろうと思えばできるでしょう。もちろん、細切れの時間とまとまった時間とを同列に比較することはできませんが、「塵も積もれば山となる」ことに変わりはありません。

 私たちが時間を大切にしていない大きな理由は、「生きる目的」が明確に定まっていないからです。「自分は人生においてこれをやり遂げるんだ!」という、強くて明確な目的があれば、その目的とは関係のないこと、ましてや、障害になるようなことに時間を使わなくなるでしょう。たとえば、大学に合格するという目的をもった受験生は、バスを待っているときのような、ほんの一分や二分の時間であっても、無駄にせず英単語を覚えたりします。目的が明確にある人は、決して時間を無駄にしようとはしません。

 皆さんの「生きる目的」は何でしょうか? まずはそれを明確に定めることが大切です。なかには「生きる目的なんてない。人生の流れのまま、おもしろおかしく過ごせればいい」という人もいます。もちろん、そういう人はそれでいいのです。他人がとやかく言う筋合いではありません。ただ、死が目前に迫ったとき「人生において何一つやり遂げたものがない」といって後悔しなければ、それでいいと思います。

 もし皆さんが、解脱や悟りといった、人生最大にして最高の目的を持つならば、それは片手間で達成できるようなものではないので、わずかたりとも時間を無駄にはできませんし、また、無駄にしようとは思わないでしょう。
 あるとき、釈迦の弟子たちが集まって「出家する前はどんな仕事をしていたのか」について話が盛り上がりました。そこに、たまたま釈迦がやってきて、「修行とは関係のない談義をしてはいけない」とたしなめました。
 そんな釈迦を、厳し過ぎると思うかもしれません。しかし、そんな釈迦の厳しさは、この世の悲惨さを骨身に染みてわかっており、そんな世界から弟子を救済してあげたいという、深い慈愛から発したものなのです。家が火事になり、一刻も早く逃げないと焼け死んでしまうといったとき、もし家族が世間話などしていたら、「そんな話などやめて早く逃げろ!」と言うでしょう。誰もその忠告を「厳しい」とは思わないでしょう。このたとえは、決して大げさではないのです。

 人生の目的を明確に定めると、時間だけでなく、あらゆる無駄がなくなります。目的に貢献しない余計なものは欲しくなくなりますから、買わなくなり、すると、家がすっきりします。同じく、無駄な人間関係もそぎ落としてすっきりします。
 また、余計なことで悩まなくなります。すなわち「こんなことで悩んでいても、人生の目的に貢献するだろうか? むしろ、障害になるのではないか?」と考えて、悩むのをやめ、悩みが少なくなってくるのです。

 もし、このような生き方が「窮屈だ」とか「ストイックだ」と感じるなら、自分の掲げた「人生の目的」に、実はあまり魅力を感じていないのだと思います。本当にその目的に魅了され、何としてもそれを達成したいという願望があれば、窮屈などとは感じないでしょう。あたかも守銭奴が、一円のお金さえ無駄遣いせず節約してカツカツの生活をしていても、それを窮屈とは感じないようなものです。それどころか、「こうして目的に近づいているのだ」と感じて、喜びさえ感じるようになるはずです。
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修行の基本的な姿勢 | コメント:7 | トラックバック:0 |
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コメント

こんにちは、斎藤先生。
確かに、人生に目的が無い時の自分は無駄な事ばかりして、無駄な事ばかり言っていたような気がします。
今は一日一秒が尊いですね。
おっと、先生の貴重なお時間が私への返信にとられてしまう。すいません(笑)
2023-09-06 Wed 19:38 | URL | ワタナベ [ 編集 ]
修行とは関係のない談義をしてはいけない、そのとおりですね。胸に刻みます。ありがとうございます。
私は今年から惰性で付き合ってきた知人、自分の目指す方向と違う人との交流を順次断っていっています。心を割くものを減らして自分のやりたいことに心を注いでいます。たまに余計なことが勝手に頭に思い浮かんでしまいますがこれを何とか消していって心がもっと穏やかでいたいなと瞑想をしますが瞑想がうまくいってるのかの判断ができません。
2023-09-16 Sat 00:09 | URL | おちゃるす [ 編集 ]
斉藤啓一です。おちゃるす様、コメントありがとうございます。瞑想がうまくいっているかどうかは、まじめに取り組んでいる人なら必ず突き当たる問題かと思います。コツは、逆説的ですが、瞑想から何も効果を期待せず、求めず、ただ瞑想することではないかと思います。
健闘をお祈りします。
2023-09-18 Mon 14:09 | URL | [ 編集 ]
斎藤先生ありがとうございます。アドバイスを読みまして効果を求める自分が恥ずかしくなり、初心忘れるべからずだと思いました。少しでも瞑想の効果を感じてしまったがために、いつのまにかそちらを追い求めてしまっていたようです。反省します。
2023-09-19 Tue 17:23 | URL | おちゃるす [ 編集 ]
こんにちは。
最近、修行として何をしたら良いのだろうと考える事が多くなっていました。
五戒というのもありますが、わりと普通のことですし、本を読むとか瞑想もボランティアもしています。
何となく迷子のような気分でしたが、この間、お寺の方からお釈迦様のお弟子、周梨槃特の話を聴き、とても感動しました。
とりあえず私も修行として丁寧な掃除をする事に決めました。
新しい知見があるかどうかは分かりませんが、実行する事にしました。
2023-10-09 Mon 16:04 | URL | ユニ [ 編集 ]
斉藤啓一です。ユニさん、コメントありがとうございます。修行として何をしたらよいか、というのは、迷うところですね。また、このような疑問は求道心があるしるしだと思うので、よいことだと思います。どのような心構えで行うかによって、すべてのことが修行になるのではないかと思います。「神様(仏様)に喜んでいただくために、世のため人のために」という動機で行うことは何でも修行になるのではないでしょうか。つまり、修行とはエゴ(偽りの自己)を消滅させることですね。私はそう考えます。
2023-10-09 Mon 17:18 | URL | [ 編集 ]
斉藤様
ご返答ありがとうございます。
人のためにと思って行動するのですが、勘所が悪いせいか、返って迷惑になる事もあったかもしれません。なかなか難しいものです。
日々精進を心掛けて少しでも前に進みたいと思っています。
2023-10-09 Mon 23:52 | URL | ユニ [ 編集 ]

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