心の治癒と魂の覚醒

        

本格的な瞑想を行うために必要なこと

 覚醒(解脱)とは、どのような状態なのかについては、いろいろなモデルやメタファーを用いて説明できると思います。たったひとつだけの定義で説明することは不可能だと思います。それゆえ、いろいろな人が、多角的な説明をすることは、とてもいいことだと思うのです(もちろん、ひとつの説明だけが唯一正しいと主張したり思いこむことがない限りにおいて)。
 私も、いろいろな表現で説明してきましたが、今回は、瞑想の意義について理解を深めるという視点から、新たなモデルを紹介したいと思っています。
 それは、深い井戸の底に光り輝く宝石が沈んでいるモデルです。その光り輝く宝石が、真我(神我)であり、魂であり、ハイアーセルフ、神といった究極的な存在です。その光源を、内的な意識を深めて発見し、その光とひとつになるのが、覚醒であり解脱です(そのようにたとえることにします)。

 ところが、この井戸水は、たくさんの泡が混入していて濁っているのです。そのため、底に沈んでいる宝石の光が表面に届いてきません。つまり、人間の本質は神であり魂であると、普通の人は思わないわけです。
 そこで、逆に表面から意識の光を通して水の底を照らしてみるのですが、水中の泡のために、光が乱反射してしまい、意識の光が底まで届いていかないのです。
 この水を濁している泡が、雑念や業想念といったものです。こうした雑念や業想念によって、瞑想を試みても、意識(という光)が違う方向に曲げられ、拡散させられて、深い意識層にまで届いていかないのです。
 そうではなく、レーザー光線のように、意識の光を、まっすぐに心の深層にまで照射させることが必要なのです。それが、瞑想の目的です。

 そのためには、2つのことをしなければなりません。
 ひとつは、泡をなるべく除去して水を透明にし、光の拡散を防ぐことです。
 ふたつめは、多少の泡くらいでは影響を受けないくらい強くて持続力のある意識の集中力を養うことです。この二つが、瞑想を成功させるためには必要となります。
 最初の「泡を除去する」ということですが、これは雑念や業想念を除去することです。すでに解説したように、雑念や業想念という泡は、表面に浮上してはじけることによって消滅します。ただしそのとき、そのはじけた泡で心を乱し、そのために新たな泡を作ったりしなければ……という条件つきですが。具体的には、ネガティブな想念や感情、あるいは不運といった運命的な現象になって消えるのです。
 他には、この泡を消す作用をもった「薬」を入れることです。具体的には、善いカルマを積んだり、崇高で美しい想念を積極的に抱くようにすることです。そうすると、この泡は小さくなったり、消滅してしまいます。
 さらにまた、この泡(雑念や業想念)は、肉体の不調から生じている面もあるので、肉体を健康にすることによっても、それなりの消滅をはかることができます(ヨーガのアーサナや食養生、戒律などの目的のひとつがこれです)。
 このように、井戸のなかから泡が消えていくと、瞑想が非常にやりやすくなります。雑念や業想念に意識を乱されることが少なくなり、文字通り、澄み切った心境となって、心の深くまで意識が浸透していくようになるのです。それがある程度まで深くなると、底に沈む宝石の光がぼんやりと見えてきて、なんとなく神聖な気配を感じたり、実際に光を見たり、超能力的なことを経験したりするわけです。そして究極的には神や真我を見いだして合体するのです。
  
 瞑想を成功させるために、もうひとつ大切なことは、集中力と持続力を鍛えることです。集中力とは、注意を一点に向けることであり、持続力とは、この状態を長い時間維持できる力のことです。短時間であれば、強い集中力を発揮できる人はたくさんいるでしょう。たとえば、すぐれたバッターがボールを打つ瞬間、ボールは止まって見えるそうですが、この「止まって見える」というのは、極度に意識が集中されたときに感じる独特な感覚なのです。とはいえ、この極度の集中力はほんのわずかな時間であり、この集中力を1時間も持続できる人間はいないはずです。
 ところが、瞑想の達人になりますと、これほどの集中力を1時間も、場合によっては何時間も持続できるようなのです。ところが本人は、1分くらい瞑想した感覚しかないようです。極度に集中しているため、時間は止まって感じられるからです。
 このくらい強力な集中力を身につけますと、多少の雑念や業想念が湧いてきても、影響を受けません。というより、そういうものは湧いてこなくなります。消えたわけではありませんが、意識の力によって一時的にはねつけられてしまうわけです(そのため、瞑想からさめて集中力が弱まるとと、雑念や業想念の影響を受けるようになります)。

 普通の人は、1時間ほどの間、集中できるどころか、不動の姿勢で座っていることがまずできません。足や背中が痛くなって瞑想どころではなくなってしまうのです。
 そのために、ヨーガでは、アーサナや坐法の訓練を長い期間にわたって積み重ね、何時間も楽に瞑想できるからだ作りに励むわけです。おそらく私たちのほとんどは、まだそこまで訓練を積んでいないので、本格的な瞑想に入る前に、とりあえず日常的なアジナーチャクラ瞑想や祈りを行っているわけです。それは本格的な瞑想のための準備という意義もあります。
 しかし、日常生活を営みながらの瞑想では、どうしても意識が深部にまで入っていけないので、やはり一定の時間、座って、瞑想に意識を集中する修行が必要となるわけです。
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