心の治癒と魂の覚醒

        

リトリート(集中訓練)の勧め

 ヨーガの世界に、「リトリート」という言葉があります。これは「苦行」だとか「集中訓練」といった意味です。行者たちは、普段の修行よりも時間をかけて、定期的に「リトリート」を行うのです。たとえば、3日間だとか、一週間だとか、あるいは一ヶ月といった期間、朝から晩まで修行だけに専念するのです。
 このリトリートを、私たちもしてはどうかと思うのです。
 もちろん、私たちは、そんなに長期間は修行などできません。しかし、いくら多忙とはいえ、休日にはある程度、まとまった時間が作れると思います。どうか「休日はレジャーに行くから無理!」などといわないで下さい。英気を養うためにはレジャーも必要ですが、「仕事も遊びも覚醒も何もかも手に入れたい……」というのは、さすがに虫が良すぎると思います。やはり、何かは犠牲にしなければなりません。時間を節約し、あまり意味のない娯楽などは、できる限り削っていかなければ、修行のための時間など、とうてい作り出すことはできません。

 そこで、一週間に一度、休日に、1時間の瞑想の時間を作っていただきたいのです。それが私たちにとっての「リトリート」です。1時間なら無理ではないと思います。
 毎日毎日何時間も修行している専門の行者からすれば、一週間に一度、わずか1時間の瞑想を「リトリート」などというと笑われそうですが、一般の人からいえば、毎週1時間の瞑想を続けるというのは、それなりにすごいことではないかと思うのです。
 1時間、ずっと座った姿勢を崩すことなく、雑念に振り回されずに瞑想することが、どれほど難しいか、実際にやってみるとわかると思います。毎日3分間の瞑想とはまるで違います。足や腰は痛くなる、雑念やあらゆる妄想で気持ちが乱される、退屈で仕方がなくなる、眠くなる、きつくなる、「こんなことして何になる」と空しくなってくる……、いかに私たちは集中力に欠け、忍耐に欠け、落ち着きに欠けているか、わかってきます。また、1時間も座った姿勢でいられない肉体的な脆弱さもわかってきます。
 つまり、リトリートの意義のひとつは、時間をかけて集中的に修行をすることで、自分の弱点がわかってくることにあるのです。
 そのことを知るのは、エゴにとって不愉快ではありますが、だからこそいいともいえるわけで、体験的に自分の弱点がわかるからこそ、改善していくこともできるのです。そうして、リトリートをきっかけにして、修行が一段と進んでいくようになるのです。そのためにも、定期的にリトリートを行うことは大切です。

 毎日行っている3分間だけの瞑想では、なかなか意識が深く入り込めません。意識を深めるには、やはりある程度の時間が必要なのです。たとえば、30分くらい続けていると、ふっと雑念が少なくなって、まるで霧が晴れるような状態になることがあるのです。その他、通常の意識とは違う状態を経験することがあります。
 こうした状態を経験できる(かもしれない)のも、リトリートの意義といえるでしょう。いずれにしろ、リトリートを行うことによって、いろいろな気づきを得ることができるはずです。

 1時間以上の時間がとれる人は、もっと時間をかけて下さい。3時間でも、半日でも、丸一日でもいいでしょう(丸一日修行したら本格的な行者です!)。
 各自の都合によって、計画的に行ってください。ただし、これも定期的に継続していくことが大切です。
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