心の治癒と魂の覚醒

        

人生というゲーム


 仮想現実を描いた映画は、むかしからいくつかある。『トータルリコール』だとか、『マトリクス』などが有名だ。『スタートレック』には、「ホログラムデッキ」という仮想現実を作り出す船室が登場する。また、アメリカのドラマで、こんな内容のものがあった。
 二人の若い男女が、リゾート地で椅子に腰かけながら、幸せそうなときをすごしている。すると、男性が突然、「なんか、焦げ臭いにおいがしないか?」と女性に尋ねる。女性は「しないわ。気のせいよ」という。男性もそうだなといって、二人で眠りにつく。ところが、これは仮想現実で、実はこの男性は仮想現実を作り出すカプセルの中にいて、その場所が火災となり、煙が立ちこめていたのであった。

 仏陀やイエスなどの聖者たちが、もし現在に生きていれば、彼らはこの仮想現実という言葉を使って教えを説くかもしれない。人間の本質は霊的なもので、本体は霊的な領域に存在しており、ただ意識だけが物質世界だけにフォーカスしてしまっているために、物質世界という仮想現実に生きているように錯覚しているのであると。
 人間は、この仮想現実の世界を、まるでチェスのコマのように、カルマの法則だとか、喜怒哀楽に振り回されながら、生きている。それは実際、ゲームのような面白い一面もある。ビジネスのゲーム、金儲けのゲーム、恋愛のゲーム、冒険のゲーム、趣味のゲームに熱中するときもある。
 だが、楽しいゲームはそういつまでも続かない。いずれ形勢が悪くなってきて、悔しがり、悲しがり、絶望的になる。それでも、この世界は現実であるという認識のままであれば、「ゲームの負けを取り戻すぞ!」とばかり努力を重ね、しばしば成功して、ゲームの終盤を成功でおさめることもある。一方で、ゲームの敗残者として苦渋のままゲームオーバーを迎える人もいる。

 たとえ、この世的に名声や富や成功をおさめたとしても、それは人間が本来もっている偉大な霊性に比べれば、子供だましのようなものだ。だいの大人がままごと遊びをするようなものである。地上の人生は、本来の人間の実相からすれば、単なるゲーム、むしろ屈辱的なゲームであるといいたい。しかも社会によって、この屈辱的なゲームをするように強いられているともいえる。
 一方、こんなゲームの繰り返しにあきあきした魂の持ち主、物事を慎重に考察する鋭い感性を持った人たちは、「この世界はどうも変だぞ」と、うすうすながら気づきはじめる。「焦げたにおい」を感じるのだ。釈迦やイエス、ヨーガの求道者たちは、この世界がリアルな世界ではなく、映画のような幻影であり、仮想現実であることを見抜いた人たちだ。
 実は、誰もが死んで霊界の入り口に立ったとき、この事実を悟るそうなのだが、すっかりと忘却しているのである。

 この物質世界こそが現実であり、唯一にしてリアルな世界だと信じ切っている社会からすれば、このようなことを考える人は、まず頭がおかしいといわれる。
 釈迦やイエスや多くの聖人たちが説いたことなのに、彼らは頭がおかしいとはいわれずに「偉大な人」といわれ、私たちがいうと、同じ事をいっているのに「頭がおかしい」といわれる。もちろん、彼らのように「仮想現実」から見事に脱出できるかどうかは別としても、この世界は仮想現実だという考えそのものは、誰がいおうと変わらない。「うそだと思うなら、世間が偉大だと認めている釈迦やイエスの教えに耳を傾けてみろよ」といっても、誰もそうする人はいない。洗脳されたカルト教団の信者が、その他の事柄にはガンとして耳を貸したりしないように。

「おまえはサルだ」と催眠術をかけられ、自分はサルだと信じ込んでサルのように人々が暮らしている国に行ったとしよう。そして、その住民を片っ端からつかまえてはこういったとしよう。
「おい! 木に登って木の実をあさったり、地べたにはいつくばったり、なわばり争いなんかやめろ! 俺たちは人間なんだぞ!」
 そんなことをいったら、頭がおかしいとバカにされるか、無視されるか、あるいはひっかかれるであろう。同じように、聖者たちはこういってきたのだ。
「おい! つまらないものに欲望を抱いたり、屈辱的な生き方をしたり、お互いを殺し合うことをやめろ! 俺たちは神なんだぞ!」
 結局、そんなことをいったがために、イエスをはじめ聖者たちはバカにされ、迫害されてきた。それでも、追随者が彼らを伝説的な存在、言い換えれば「権威者」にしたてたので、一応、世界は彼らを聖者とみなすことにしたが、彼らのいいぶんを本気で受け入れているわけではない。せいぜい、彼らが説いたことを机の上で研究するだけの人間をたくさん生み出しただけである。学者たちは本気で彼らの教説など信じてはいない。ただ知性を喜ばす「ゲーム」を楽しんでいるだけである。もし本当に信じているのであれば、なによりも実践して、この地上という仮想現実、ゲームボードからの脱出を試みるであろう。

 あえて地上での人生を「ゲーム」と呼ぶならば、私たちがこの地上にやってきたのは、「この地上が仮想現実だということに気づくゲーム」をしに来たのである。霊界に戻って始めて、これがゲームだったことを思い出し、「しまった! また同じゲームをしに地上に行かなくては!」と残念がる。
 ついにゲームであることを見抜き、屈辱的なゲームを卒業して、比較にならないほど高貴な目的と生活に向けて上昇していく魂たちを、羨望の目で見つめながら。

 私は、渋谷の街頭に立って、「ねえ、あなた。この世界は現実ではないんですよ。私たちは幻覚を見ているんです。私たちの本当の姿、本当の住む場所は、ぜんぜん違うものなんです。そのことに目覚めようではありませんか!」
 などと人々に声をかけるようなことはしない(そんなことをしたら警官がやってきて「おまえ、クスリやってるだろ」といわれるのがオチだ)。
 そのかわり、広大なインターネットの片隅で、小さくこのことを訴え続けていこう。
 私は「本当の現実」についてはまだ知らないが、この地上が仮想空間であることは、これまで30年以上もの研究の末に、ほぼ間違いないものとして確信している。人類の実存にかかわる、これほど重要なことに気づいた者の義務として、そのことを訴えていかなければならないと思っている。
  
スポンサーサイト

求道者の慰め | コメント:7 | トラックバック:0 |
<< 神という言葉 | ホーム | 神と波長を合わせるために>>

コメント

こんにちは、斎藤さん。
この世は幻である、という事ですね。仏教でもこの世の全ては「空」と言っていますよね。 

どうやら我々人類は眠りながら、見ている夢を「これは夢だ!」と気付かなければならないような難しい試練を与えられているようです。

しかも寿命という時間制限を与えられた難易度の高いゲームを・・・

あくまでも眠っている間に気付かないとこの遊戯の勝者にはなりえないということですね。

どうか勝利したいものです。
2010-08-31 Tue 19:14 | URL | ワタナベ [ 編集 ]
斉藤啓一です。ワタナベさん、いつもコメントありがとうございます。
確かに、これをゲームとするなら、寿命というタイムリミットがあるわけですね。そこが難しいところです。たとえ完全な覚醒は果たせなかったとしても、せめてラストタイマーにはなりたいものです。
寿命はいかんともしがたいわけですが、しかし、健康に注意すれば、ある程度は伸ばすことができると思います。そうやって時間を稼ぎながら、なんとかこのゲームの勝者になろうではありませんか!
2010-08-31 Tue 21:42 | URL | [ 編集 ]
突拍子もない思いつきかと思っていたことが、こんなところに書かれていたとは。少しスピリチュアルなことに興味が出てきました。他の記事も拝見させていただきます。 無知蒙昧な高校生より。
2012-07-03 Tue 15:48 | URL | ging@ [ 編集 ]
斉藤啓一です。ging@さん、コメント、ありがとうございました。「突拍子もない思いつき」が、しばしば偉大な真実を向かわせることもありますよ。がんばってください。
2012-07-03 Tue 15:57 | URL | [ 編集 ]
当然それがスターオーシャン3ですね。
2012-11-18 Sun 09:04 | URL | 電車男。 [ 編集 ]
斉藤啓一です。電車男さん、コメントありがとうございました。
2012-11-18 Sun 09:11 | URL | [ 編集 ]
多分その回答がスターオーシャン3ですよ。
2012-11-25 Sun 06:32 | URL | 電車男。 [ 編集 ]

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

| ホーム |