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心の治癒と魂の覚醒

        

 雑念にどう対処するか 1

 瞑想をしていると、雑念が次から次へと湧いてきます。まるで、顔の前をぶんぶん飛んでいる虫のようです。そのために、意識が集中できません。そうした雑念に対して、どう対処したらいいのでしょうか?
 雑念は、心という、ある種の水槽に沈殿していた、さまざまな想念が浮上してきたものです。それは、どうでもいいような、「意識の雑音」のようなものもあれば、過去に経験した重大な心の傷に関係したものもあります。カルマを形成させるエネルギーを持った業想念(怒りや怨念や貪欲さなど)の場合もあります。いずれにしろ、心という、ある種のメカニズムが自動的に反応している現象なのです。
 こうした雑念に対処するのは、雑念が出ること自体を気にしないことです。雑念がいくら出ても、それをつかむことなく、川の流れのように、さらりさらりと流していけばいいのです。出ては流し、出ては流し、ということを、ひたすら繰り返していけばいいのです。そうしていると、雑念はしだいに“放電”していき、雑念はあまり出なくなってきます。

 ところが、雑念が出ると、「しまった! 雑念が出てしまった、自分もまだまだダメだな」といったような思いが出てしまうわけです。それが問題なのです。
 このような思いが出てしまうのは、ある種のエゴの見栄が関係しているからです。つまり、「雑念が出るというのは、未熟な証拠である。自分はたいしたことがない人間なのだ」という思いがあるのです。そのため、雑念が出ると、雑念そのものより、雑念が出たことで生じる思いそのもので、心をかき乱してしまうのです。心がかき乱されるということは、雑念そのものにエネルギーを与えることになります。せっかく雑念という形で“放電”しているのに、雑念にとらわれることで“充電”してしまうのです。これでは、いくら瞑想を続けても、意識はきれいになってきません。
 しかし、「自分はたいした人間じゃない。雑念が出るのは当然」という気持ちでいると、雑念が出ても、そのことがそれほど気にならなくなります。つまらないプライドを捨てると、瞑想は進歩するのではないかと思います。
 雑念にとらわれなくなると、感情にもとらわれなくなってきます。小さなことでカリカリしたり、小さなことで動じたりしなくなってくるのです。逆に、感情にとらわれない努力をすることで、雑念も少なくなってくるようです。
 この点からしても、日常生活における心の持ち方が、瞑想などの修行と同じくらい重要であることが、よくわかるような気がします。
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修行法 | コメント:3 | トラックバック:0 |
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コメント

こんばんは
確かに、雑念がまるで湧いてくるように次から次に出てきてしまいますね(笑)
瞑想法を習った時、マントラを唱えなさいとか
ヨガでは、呼吸に意識を向けなさいとか・・・
色々言われてきましたが、瞑想の途中からは結局それが出来ない自分を責めたりする始末です(笑)
雑念を、流れるにまかせる。。。難しいですよね。
雑念を冷静に観察できるぐらいになりたいです!

さて、今宵も瞑想をしますが・・・
きっと・・・
雑念のオンパレードなんでしょうね(笑)
有難うございました。まだまだ暑い日々です。
お身体、ご自愛くださいね☆
2010-09-12 Sun 22:55 | URL | クニハラ [ 編集 ]
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2010-09-13 Mon 23:13 | | [ 編集 ]
斉藤啓一です。コメント、ありがとうございました。
本当に、「雑念のオンパレード」というのは、その通りですね(笑)。
ただ、雑念が出るということは、ゴミのような想念が放電されていることであり、それはいいことだから、雑念が出ること=悪 というようには、あまり思わない方がいいかもしれません。
とにかく、雑念に対しては、根気ですね。
続けていけば、少しずつ何かが変わっていくと思います。
まけずに、がんばっていきましょう。
2010-09-14 Tue 09:11 | URL | [ 編集 ]

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