心の治癒と魂の覚醒

        

 争いを避ける生き方

 本日、漁船衝突事故で拘留されていた中国人船長が釈放されることになったというニュースが流れました。この決断については、賛否両論があるようです。「中国の圧力に屈した腰砕け外交だ」と非難している野党の党首もいました。同じように思っている国民も多いかもしれません。
 私も、正直なところ、この解決が正しかったのかどうかはわかりません。尖閣諸島は石油が発掘されることが最近わかり、それまではあまり関心を示さなかった中国が、いきなりこれは自分たちの領土だと主張しています。日本からすれば、中国は自分勝手で横柄な感じもしなくはありませんが、中国は中国の言い分があり、自分たちは正しいと思っているのだと思います。
 しかし、仮に、日本が強硬な姿勢を保ち続けたら、どうなっていたでしょうか。漁船の衝突という小さな出来事が、両国の関係を悪化させ、両国の経済に深刻な打撃を与え、最悪の場合は戦争が起きて数え切れないほどの人が死んでしまうかもしれません。
 お互いに自分が正しいと思っている場合、いかに理屈を振り回し正論をぶつけ合ったとしても、いずれどちらかが「私が悪かったです」と非を認め、関係が修復されることは、まずありません。結局、憎しみが憎しみを呼び、復讐が復讐を招き、今のパレスチナのようになってしまう可能性の方が、はるかに大きいといえるでしょう。
 それほどの人的また物的損害の大きさを考えたら、石油が少し出るくらいの尖閣諸島などくれてやった方がマシだったと思うことになるのは必至です。小さな火が大火事になるとはこのことです。火は小さいうちに消しておくのが、何よりも賢明です。
 ところが、深みにはまると、それこそ「意地」になり、尖閣諸島なんかよりも、相手の国をつぶすことが目的となり、憎悪をはらすことが目的となってしまうわけです。
 個人でも、友達や恋人と小さなことで喧嘩が始まり、お互いに意地を張り合ってゆずらず、仲良くしていればすばらしい体験をたくさんしたであろう未来の可能性をことごとくダメにし、そればかりか、憎しみあい傷つけあって、お互いの人生を暗く不愉快なものにしてしまったりするのです。
いったい、何という愚かなことでしょうか。
 結局、人類は、こうした発想で今までやってきて、その結果が、今日のような有様になっているわけです。まさに、ここに人類の業(カルマ)を見るような思いがします。新たな発想が必要なのです。
 争いをしても、得になることは、あまりありません。総合的に考えると、損をすることの方が多いです。
 しかも、すぐに争うというのは、それだけカルマの力に流されているという証拠でもあります。これでは、いつまでも解脱も覚醒もできません。

 しかしながら、かといって、完全無抵抗主義がいいかどうかといわれると、私も迷います。相手が自分を攻撃してきたり、殺そうとしているのに、いっさい無抵抗で、攻撃されるがまま、殺されるがまま、というのは、それはそれで立派なことなのかもしれませんが、私にはできそうもありません。人生というものは、ときには徹底的に戦わなければならないときも、あるような気もします。
 しかし、そういう状況は、そうめったにあるものではありません。99パーセントは、争う必要も価値もないようなことであり、私たちは単に感情的になって(カルマの力に巻き込まれて)争っているだけなのではないでしょうか。
 そういう争いは、なるべく避けるように努力することが、覚醒に到る大切な修行のひとつではないかと思うのです。
 何かあれば、自分からすぐに「ごめんなさい」と謝ればいいのではないでしょうか。心ある相手であれば、「自分も悪かった」と思い、それから強い友情も生まれるでしょう。もし「そうだ、おまえが悪いのだ!」などというような相手だったら、それは付き合う価値もない人ですから、そのことがわかったということで得をしたことになります(そんな相手と付き合っていたらロクでもない目に合わされるでしょう)。
 また、なるべく譲れるものは相手に譲るのです。それで多少は損をしたように感じても、人生の収支というものは案外しっかりしているもので、後でその分が返ってくるものです。たとえそういうことはなかったとしても、相手がそれで喜び、相手が感謝してくれてお互いに気持ちのよいつきあいができれば、それも大きな得だといえるのではないでしょうか。少なくても、そのような大きな人間になれたという恩恵があります。

 もっとも、このように、すぐに謝ったり、相手に譲るような人、とりわけ男は、強い信念のない、くらげのような「意気地なし」と誤解されてしまうことが、なくもありません。こういう男性は、あまり女性にはモテないかもしれません。しかし、やたらに威張ったり強そうにふるまう男性に魅了されるような女性は、あまり頭のよくない女性です。本当に頭のいい、感性のすぐれた女性は、一見弱そうだが実は強い男と、一見強そうだが実は弱い男を、実によく見抜きます。ですから、心配はいりません。頭のよくない女性に愛されても、ロクなことにはなりません。本当にいい女から愛されましょう(笑)。
 自己保身や恐怖からではなくして、すぐに謝ることができる、そして相手に譲ることができるには、本当に強くて勇気がなければ不可能です。それはある程度、自分にうち勝っていなければできません。そして、自分にうち勝っている人こそが、本当の勇者なのではないでしょうか。なぜなら、世の中に、自分にうち勝つほど難しいことはないからです。個人も人類も、謝ることもゆずることもできず、すぐに争いを始めるのは、臆病で意気地なしだからです。控えめにいっても、カルマの力に負けているのです。
 覚醒をめざす私たちは、なるべく争いを避ける生き方を心がけていこうではありませんか。
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修行の基本的な姿勢 | コメント:6 | トラックバック:0 |
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コメント

斉藤さん

興味深いコメント拝読いたしました。

基本的には共感できるのですが、少しい疑問に思うところもあり、コメントさせていただきます。

「強硬な姿勢を維持することが状況を悪化させることになるという」ということですが、果たしてそうでしょうか?

実際には、相互が強硬な姿勢を表明することで、関係が悪化したとしても、それが長期的には相互の関係を健全化することに寄与するということがあります。

関係者を分つ「境界」(boundary)が明確化されるために、そこで基本的な尊重の感覚にもとづいた対話が生まれるための契機となるのです。

こうしたことをしない場合、関係を悪化させることになる可能性があります。

「恫喝すれば、あいては必ず譲歩する。恫喝すればするほど利益を確保することができる」という確信をあいてにあたえるとき、表面上の平和を維持することはできても(今はよくても)、必ず将来世代に負の遺産をのこすことになります(たとえば、将来的にさらに理不尽な言いがかりを招来することになります)。

こうした「平和主義」は非常に視野狭窄した平和主義で、国際政治では、最悪の対応であるといわれています。

つまり、「われわれは恫喝と暴力に屈することしかできないのだ」という無力感を醸成し、その活力と責任能力を減退させることにつながるのです。

たとえそれがどれほど理不尽な暴力であれ、ことを荒立てなければ、平和と幸福が維持できるという発想を蔓延させることは、集合意識を非常に傷つけることになるのです。

つまり、過剰なまでに自己犠牲を習慣化させるという「カルマ」を集合規模で創出しているわけです。

心理学では、御存じのように、心理的な健康のためには、「自律性」(対峙・主張の能力)と「関係性」(対話・融和)という両極のバランスが維持されることが重視されます。

治世者の重要な責任は、効果的に実務をこなすだけでなく、共同体のこうしたバランスを維持するために象徴的な行動をすることにありますが、今回の民主党の対応は、その意味では、非常に破壊的なものであるといえます。

重要なことは、「平和」か「戦争」かという極端な発想ではなく、衝突や軋轢というものをこの世界の不可避的な要素と認識して、それに懸命に従事できるということだと思うのです。

21世紀に必要とされるのは、この世界の現実に賢明に対処できるあらたな叡智の習慣(カルマ)を創造することだと思うのですが、いかがでしょう?
2010-09-25 Sat 00:51 | URL | 鈴木 規夫 [ 編集 ]
最悪の場合戦争を招くという極論は、国同士の強硬な正論闘争に発展すれば、おのずと招くと思います。
それを避ける目的ではなく、もっと広い視野を持って、譲るところは譲るでいいと思います。
なぜ譲るのかは必ず建設的な理由を持って譲るべきであるし、国同士の場合は安易な譲り合いした時、今世・次世代解決するまで他のネガティブ呼ぶと思います。それを考えたら、パレスチナ等の経緯など反面教師として学びながら選択するのは当たり前とも思います。
今回の中国との件のやりとりを全て知らないですが、国として国・国民の将来を願っての決断であろうと、信じるべきとも思います。
それは選挙権を持つ責任でもある。
2010-09-25 Sat 12:03 | URL | ペピ [ 編集 ]
こんにちは、斎藤先生。
この問題は「覚醒を目指していない」大多数の視野に立つ必要があるのですね。

某都知事が中国のやり方を「ヤクザ」と言い切っていますので、それを参考例とします。

友達数人と歩いていたら、道端でヤクザにからまれたとします。悟りを求めている私一人ならば、右の頬を打たれたら左の頬も差し出すし、どんな罵倒にも耐えるでしょう。しかし、そのヤクザが調子に乗って友人をどこかに連れ去ろうとしたら「ちょっと待て」となるはずです。

霊的な視野では「どうしようもないいがみ合い」をしようとしている他者にまあ、まあと言いたくなりますが、自分以外の人の利益が絡むと、まだ未成熟な国際社会では毅然たる態度が必要とされる場面が多いのでしょうね。

多くの人々がより高い次元で物事をとらえるように成長していかなければ、こういう問題はいつまでも続くと思います。

斎藤先生は「エゴを廃した国際社会」になってほしいという気持ちから言っているんだと思います。
2010-09-25 Sat 17:39 | URL | ワタナベ [ 編集 ]
斉藤啓一です。以上、3人の皆さん、真摯なご意見をいただき、心より感謝申し上げます。
本当に、この問題は難しいです。今日のニュースでは、中国が日本に謝罪と損害賠償を求めるなどと、いったとかいわないとか。
こうなると、ワタナベさんもいわれていたように、やはり「未成熟」という印象を抱かざるを得ません。中国には失礼ですが。未成熟な相手に、正論は通じるのか? たとえば、ものの道理がわからない子供を説得しようとしても無駄でしょう。そういうときはお尻をたたくしかありません。
しかし、核兵器とたくさんのお金を持っている子供のお尻をたたくことは、大人でもできません。
結局、地球のすべての人々の意識が、平均して向上しなければ、いくら政治的な正論を展開させても、空しいということなのでしょうか。
国と国のことはさておき、個人レベルとしては、なるべくつまらない争いは避けるように努力していきたいものです。
いずれにしろ、真摯なご意見をお寄せいただき、とても嬉しく思います。ありがとうございました。
2010-09-26 Sun 00:03 | URL | [ 編集 ]
 自分自身の行動の考え方としては斉藤さんの考えに100%賛成しますが、現実世界は違う原理で動くケースも多いような気がして悲しいです。
 「カルマ」という観点からは、譲り合いの精神が通じる場合はむしろ珍しく、裏切られたりうまくいかないのが普通で、この苦しみに接する中で神に試されているんだと最近考えるようになりました。

① どっかの本で読みましたが、ヒトラーが台頭したとき周辺国は譲歩を繰り返し、結局は悲劇の歴史の結果となった。故意に悪意にある人間や組織に対しては戦わなければならないときがあるのかもしれません。

② 会社勤めで、同僚や後輩に手柄をゆずったり、協力していたのに、陰で足を引っ張られいつの間にか包囲網ができ…ということがあるかもしれません。譲歩したりして、くみしやすい人間とみられれば軽んじられる。お人好しは後回しにされ軽く扱われるという傾向はあると思います。
 こういう状況でも僻まず、怒らず、気にせずにうまく対処できるよう頑張る、というのが修行かもしれませんが。
 
 的外れのコメントで失礼しました。
 
2010-09-26 Sun 14:21 | URL | ウノ [ 編集 ]
斉藤啓一です。コメント、ありがとうございます。
的はずれではありません。きわめて現実というものを直視した、まっとうなご意見だと思います。
宗教やスピリチュアル、また芸術の世界というものは、理想を追い求める道であるかと思いますが、政治や経済、要するに、物質次元の世界は、妥協や不完全性といかにうまくおりあっていくかの道なのでしょう。そんななかで理想を追い求めることが、いかに困難で厳しいものであるか、今回の事件であらためて思い知らされたような気がいたしました。つまり、覚醒などということを目指している私たちは、ふつうの人よりも、より厳しい困難な、悩み多き道を歩んでいるということですね。

2010-09-27 Mon 11:13 | URL | [ 編集 ]

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