心の治癒と魂の覚醒

        

 沈黙の神

 辛いときには、つい実在(神、仏)に頼りたくなります。普段、あまり信仰心のない人でさえ、「神様、仏様、助けて下さい」と祈ったり、神社仏閣に参拝したりします。
 そんなとき、神様の声が聞こえて「大丈夫だ。助けてやるぞ」といってもらったり、そこまではっきりではなくても、なんらかの現象が起こって、自分の苦しみ、願いをちゃんと聞いてもらえているという「証拠」のようなものが与えられれば、どんなにか心励まされることかと思います。たとえ願いを叶えてもらうことはできなくても、神様がちゃんと付いていてくれるという確信さえ得られるだけでも、どれほど救われるかと思います。
 辛いときは、辛さそのものも去ることながら、誰にも辛さをわかってもらえず、自分の存在さえも無視されているといった孤独感ほど、苦しくて、生きる意欲を削がれるものはないように思います。

 スピリチュアルの本などを読むと、神様は願いにちゃんと応えてくれるといったことが書いてあったりします。たとえば、ある本には、こんな体験談が紹介されていました。
 ある男性が人生の不運に見舞われ、神は本当にいるのかと悩みました。男性は落ち込んで公園のベンチに座り、「もし本当に神が見守ってくれているなら、すぐにその証拠を示して下さい!」と祈りました。すると、公園で遊んでいた子供が、急に自分のところに駆け寄ってきて、「おじさん、こんなものが落ちていたよ」と言いました。見ると、その子供の手のひらには、十字架のペンダントがありました。男性は、まさに神が応えてくれたものとして歓喜し、その場で狂ったように大笑いしたということです。
 このように、神は人間が孤独ではないことを、何らかの手段によって示してくれるのかもしれません。
 そこで私も、この男性と同じように、辛いとき、神に祈りました。
「神様! 本当に神様が私を見守ってくださっているのなら、すぐにその証拠を示して下さい」
 どれほど、このように祈ったかわかりません。しかし私の場合、一度たりとも、「証拠」が示されたことはありません。もしかしたら、証拠はちゃんと示されていて、ただ私が鈍感で気づかなかっただけなのかもしれませんが、少なくても先のエピソードのように、明らかにわかるような形で示されたことはありませんでした。
 私にとって、神とは、「沈黙の神」なのです。霊能者のように神の声が聞こえたり、そこまででなくても、気配がするとか、光が見えるとか、そのような手段を通して存在を示してくれたら、どれほど救われるかと思うのですが、そのようなことはないのです。いくら私が真剣に心を込めて祈っても、まるで虚空に向けて声を発しているかのように、なんの手応えもなく、冷たい静けさだけがあり、私の祈りどころか、私の存在さえも見向きもされていないような感覚ばかりなのです。私は神から愛されてはいないのかもしれない、と思ったりもしました。

 しかし、最近、こう考えてみました。
 仮に、祈ったり願ったりしたとき、いつもはっきりと神様が応えてくれたとしたら、どうなるのだろうかと。
 私の性格を考えると、年がら年中、神に問いかけていると思います。
 そして、人生において大切な判断を求められるような状況におかれるたびに、「神様、どうすればいいのか教えて下さい」と祈っていたでしょう。
 そうすると、神様はいつも応えてくれるのでしょうか? もし、いつも応えてくれるのだとしたら、私は神に依存して、なんでもかんでも神に決めてもらい、自分の意志で人生を生きているとはいえなくなります。それが果たして、いいことなのかといえば、いいことだとは思えません。そこには、人間の自由も、尊厳もありません。
 人間は、自分自身の自由な意思で生きること、そして、それが結果的に神の意思と一致していること、これが人間の生きる道ではないでしょうか。神の声をいちいち聞いて神の意思の通りに生きるのではなく、あくまでも自分自身の意思が、結果として神の意思と一致していること、これが、人間の本来のあり方だと思うのです。

 とはいえ、別に願いを叶えてくれたり、どうすべきか指示を与えてくれたりしなくても、せめて神は存在して自分を見守ってくれている、つまり、自分は孤独ではないのだということくらい、示してくれてもいいように思うのです。それだけでも、ずいぶん救われる気持ちがするのですから。
 しかし、この場合も、そのようなことはない方がいいのかもしれません。
 人は、孤独を感じる状況のなかでこそ、気持ちを内に向け、その奥の奥にある究極の神秘としての神、宇宙法則へと近づいていくと思うのです。究極の神は、私たちが肉体の脳で認識できるような、限定された存在ではなく、想像を絶するような存在であり、だからこそ、人間の存在とその救済というものも、物質次元をはるかに超えたすばらしいものであると思うのです。
 ところが、呼べばすぐに応えてくれる、肉体の脳でも容易に感知できるような神であったとしたら、その神はずいぶん俗っぽいというか、物質的なレベルのような感じがしてしまいます。それでは、人間は神秘の奥に意識を向けることはしなくなってしまうでしょう。

 真実の愛というものは、いかにも「私はおまえを愛しているんだぞ!」といったアピールをすることなく、「私は」という主体を感じさせないような形で、つまり、「愛」そのものだけを純粋に発動させるような形で、顕現されるものなのかもしれません。ひらたくいえば、「誰かわからないが、私は愛されている」という感じの愛、さらにいえば、愛されていることすら自覚できないが、ちゃんと愛され見守られている愛、こういう愛こそが、真実の愛、神の愛なのかもしれません。
 ですから、神は人間に向かって「私は愛しているぞ」とはいわないのかもしれません。神は愛そのものであり、「私」と「愛する」という分離はないのです。たとえるなら「光は照らす」という表現が正確ではないように。「懐中電灯は照らす」という表現はできますが、光は照らしません。なぜなら、「照らす」そのものが光だからです。存在するだけで照らしている、それが光なのです。同じように、本当に愛する人は、愛そのものになりきっているのです。「私は愛している」という自覚はないのです。
 そして、そのような愛の実相に人間が気づくように(それは覚醒と同義語といっていいと思いますが)、神は、沈黙しているのかもしれません。
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コメント

きょう、気づいたことがあります。
私の趣味は写真です。
もう20年になります。
続いている理由ですが、人の役に立つことではないでしょうか。
写真を撮ってあげると喜ばれます。

小学生の頃は、切手を集めていました。
切手集めは趣味の王様などと言われました。

高級オーディオという趣味もありました。
私自身は電気の理屈を学んだので
単に高価なだけのオーディオにお金をつぎ込むということはなかったのですが。

現在はどうでしょうか。
雑誌に切手の広告も無くなり、切手商もなくなり
記念切手の発行もなくなり、切手にプレミアがつくどころか
100円の切手が額面以下でしか買ってもらえない時代です。

オーディオも同様です。
オーディオブームは終わり、メーカーも撤退、倒産です。
オーディオショップも影も形もありません。
オーディオマニアも絶滅に近いです。

切手もオーディオも、結局金次第の自己満足の趣味でした。
友人を呼んで自慢する以外にメリットのない趣味です。

私は写真以外には、手話サークルに入って7年になります。
サークルの目標は、聞こえない人の役に立つことです。

結局、自己満足の趣味は飽きてしまうのではないでしょうか。

斉藤先生は出家の道もあったのですが、自己満足に終わらず、人の役に立とうと考えたのではないでしょうか。

ですから、覚醒を目指すのであれば、自己満足に終わらず
他人の役に立つ道を模索するべきではないでしょうか。

簡単なことかもしれませんが
これは、私にとっては大きな発見でした。

2010-10-05 Tue 00:13 | URL | 両さん [ 編集 ]
斉藤啓一です。貴重な体験とご意見をお寄せいただき、ありがとうございます。
覚醒の道を歩む上で、もっとも大きな落とし穴のひとつが、この「自己満足」ですね。
そういえば、私が20歳くらいのとき、原始仏教の修行生活を実践しているお坊さんから、出家を勧められたことがありました。少し真剣に考えましたが、広い世界を見てみたいという私の欲望のため、お断りしました。今から思えば、それでよかったと思います。なぜなら、広い世界を知らなければ、人の役に立つこともあまりできないと思うからです。
他人の役に立つ生き方は、覚醒の生き方と反発することはなく、むしろ相互補助的なものだと思います。
今回のご指摘を機会に、私ももっと真剣に他者の役に立つ生き方を考えてみなければならないと思いました。

ありがとうございました。
2010-10-05 Tue 18:43 | URL | [ 編集 ]
証拠を見せてください!女の子 おじちゃん コレ!ってみたら十字架の…。そのブログ、見たことあります。でも失礼ですが話作ることはいくらでもできますし、他のブログでは癌が治ったり目が見えた!という話も読んだことがいくらでもあります。それならコパさんのほうがまだかわいいウソだし許せるけど、あれだけはねー。
2011-09-04 Sun 12:41 | URL | たくや [ 編集 ]
斉藤啓一です。たくやさんコメントありがとうございました。
「十字架」の話は、本で読んだことをそのまま紹介したので、その証拠といわれても困ります。本の題名は忘れましたが、たしかシンクロニシティに関する本だったと思います。私の創作ではありません。
2011-09-04 Sun 12:49 | URL | [ 編集 ]

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