fc2ブログ

心の治癒と魂の覚醒

        

 修行者の姿勢 2

 前回は、覚醒をめざす修行者の姿勢として、真面目さ・忍耐・向上心が必要不可欠だと申し上げました。
 しかし、これらは行きすぎてもよくないと思うのです。修行にはバランスが大切だと思います。真面目であることは大切ですが、堅物になってはまずいですし、忍耐が行きすぎて「何があってもじっと我慢しているだけでいいのだ」というのでは、不必要の苦労まで背負いかねません。ときには新風を招き寄せるダイナミックな試みも大切だと思います。向上心が強いことは歓迎すべきこととはいえ、あまり向上を意識し過ぎると、向上しない人をバカにしたり、そういう人に対して優越感(高慢さ)を抱いてしまう可能性もないとはいえません。あくまでもゆとりを伴った向上心が大切であると思うのです。

 ゆとりがある人には、ユーモアがあります。真面目であることと、ユーモアがあることは、相反するものではないと思います。もちろん、低俗でくだらないユーモアは別ですが、しゃれたユーモアのセンスがあるというのは、覚醒の道に反するどころか、覚醒の道を促進させるものではないかとさえ思うのです。
 意外なことに、過去に覚醒したと思われる人をいろいろ調べてみますと、けっこうユーモアのセンスがある人が多いのです。というより、そういう人の方が多いような気がします。
 ユーモアがあると、自分自身の抱える苦悩や試練といったものを、楽観的でゆとりを持って見ることができ、いたずらに悲観したり絶望したりしないですみますし、他者の到らない欠点や弱点についても、寛容さを発揮することができます。ユーモアというのは、人生の苦難を乗り越える“解毒剤”のようなものです。

 実際、人生のほとんどのことは、後になれば、笑ってすませられるようなことばかりではないでしょうか。その当時は真剣で大まじめで、苦しみと悲壮感に満ちていたものが、後になって振り返ると、たいした重大なことでもなく、笑ってすませられるものだったことがわかるのです。
 といっても、さまざまな人生の体験が大切ではなかった、という意味ではありません。そうではなく、あまりにも深刻に受け止めるほどのことではなかった、ということです。
 後になって、ほとんどのことが笑ってすませられるのだとすれば、いっそのこと、現在、笑ってすませてしまうというのは、いかがでしょうか?
 もちろん「笑ってすませる」といっても、いい加減にすませるという意味ではなく、深刻に考えずゆとりを持って対応するという意味です。笑ってすませられるのに、あえて苦しい思いをするというのは、損といいますか、意味がないことだと思うのです。

 とはいえ、こういうものは、後になって全体像や因果関係がつかめるために笑ってすませられるのであり、今後どうなるかわからない現在においては、笑ってすませるというのは、難しいことだと思います。それでも、なるべくユーモアのセンスを失うことなく、人生のさまざまな経験や試練に対応していくことは、いいことだと思います。
 そうできる人というのは、よほど鈍感で無神経か、あるいはスケールの大きい英雄タイプの人ではないかと思います。鈍感で無神経では困りますが、繊細な神経を持ちながら、スケールの大きい英雄タイプの人をめざすというのは、そのまま覚醒の道につながるのではないかと思うのです。
 ですから皆さん、どんなときでも、ユーモアのセンスは失わないようにしようではありませんか! そうすれば、八方塞がりで絶望的だと思われる状況でも、案外と出口を見つけることができるかもしれません。希望は、ユーモアという母胎から生まれるものなのではないかと思うのです。

スポンサーサイト




修行の基本的な姿勢 | コメント:2 | トラックバック:0 |
<< 覚醒のための圧縮と火花 | ホーム |  修行者の姿勢 1>>

コメント

こんばんは、斎藤先生。
二日連続の講義お疲れ様でした。

ユーモア大切ですね。自分を俯瞰して見るゆとりといいますか、苦難を笑い飛ばす強さといいますか、修行者にも、覚者にも必要なんですよね、きっと。

現在もリアルタイムで苦難の真っただ中にある自分としては、今この時点で全体像や因果関係をつかもうとやっきになったりもします。

そんなことではなく、カルマの浄化が行なわれているんだという納得が必要なのかもしれません。
相手の嫌がらせというエゴに対して、「怒る」というエゴの反射を行なわないように、神様が修行を課してくれているという確信が今の私です。

非常にありがたいことなのですね。
2010-11-07 Sun 23:46 | URL | ワタナベ [ 編集 ]
ワタナベさん、私が二日連続の講義であること、よく覚えていてくださって、ねぎらいのお言葉をいただき、いつも嬉しく感謝しています。これこそ言葉による善のカルマを積むということなのだなと、私自身、学ばせていただきました。
ユーモアのセンスは大切ですが、おっしゃるように、因果関係がつかめないと、けっこう難しいですね。
そういう場合は、苦難には意味があるのだ、とくにカルマの浄化という意味があるのだという信念、信仰といったことが大切になってくるのだと思います。
苦難のなかにいるときは、時間のたつのが遅く感じられ、辛いものですが、苦難はいつか必ず消えるものです。なんとか、お互い、耐えていくことにいたしましょう。
2010-11-08 Mon 14:59 | URL | [ 編集 ]

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

| ホーム |