覚醒と組織2010-11-15 Mon 22:56
先日、私のセミナーに参加くださった方から、「覚醒にとって、宗教組織は有益かどうか?」という質問を受けました。 覚醒に限らず、宗教の道を歩む上で、組織は必要なのでしょうか? また、それは有益なのでしょうか? まず、宗教といってもいろいろあります。単にむかしの教祖が説いた教義をそのまま教え、その通りに実行するだけの宗教もあります。そのような場合、教えを効率的に広めたり教えるという意味において、組織は有益でしょう。たくさんの子供を教育するには、学校という組織が有益であるのと同じ理由です。要するに、マスプロ教育ができる宗教の場合は組織は必要であり、有益であるといえると思います。 それでは、覚醒はどうでしょうか? 覚醒はマスプロ教育によって果たすことが可能なのでしょうか? たとえば、覚醒に関する基本的な知識や技法を教えるところまでは、マスプロ教育は可能だと思います。その点では、組織的にした方が効率的かもしれません。 しかし、覚醒した人、すなわち覚者を、決められた工程で作業が行われる工場から製品が生まれるのと同じような感じで輩出させることは、難しいと思います。 覚者は、完全手作りのオーダーメイドの製品を作るようなものではないでしょうか? 工場では、規格に合わない製品は、すべて不良品として廃棄されます。工場という場所は、どれも同じ規格を持った製品を製造するところなのです。なぜそうした規格品を作ることができるかといえば、みんな同じ金型を使って成形し、同じ部品を使って同じ要領で組み立てるからです。 マスプロ教育も同じで、学校は、基本的には規格品ならぬ「規格人」を製造する場所です。個性を伸ばすということは、なかなか難しいのではないかと思います。 覚醒は、あるところまでは同じ原理や原則に従って進めるし、また進むべきだと思いますが、最終的には自分なりの道を歩んでいく必要があると思うのです。 というのも、究極的な真理というものは、特定の言葉で表現できるものではなく、たとえ同じことをさしていても、人によって表現やとらえ方が違ってくるのが普通だからです。 ところが、組織というものを運営し、まとめていくには、そこに所属する人がみんな同じ意見や考え、同じ言葉を持たなければなりません。そうしなければ、組織はバラバラとなり、その体を為さないでしょう。 そんななかで、覚醒に近づいていったとき、究極の真理を自分なりに認識し、それを言葉にしたとき、それが組織の教義(の言葉)と異なっているならば、組織はそれを受け入れることはできないでしょう。組織の教義に従うか、さもなければ脱会していくかです。 組織というものは、その構成上、考えや言葉を一定の形式に押し込めようとします。それが組織というものであり、そうしなければ、組織は成り立ちません。しかし、言語化された言葉や考えというものは、非常に精妙な高次元の真理を、まったくおおざっぱにしか表現していない物質次元に属するものであり、そうした物質次元に、高い次元で得た覚醒の意識を無理矢理あてはめようとすると、せっかくの覚醒の意識を破壊してしまうのではないかと思うのです。つまり、「規格品」になってはいけないのです。 ですから、覚醒をめざすには、組織から離れたり距離をおくか、あるいは、からだは組織に属していても、内面的にはある種の「アウトロー」となり、自分がつかんだものを尊重し、守っていかなければ、覚醒はできないと思うのです。 スポンサーサイト
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コメント
斉藤先生に質問があります。
アウトローという表現はとてもしっくりきます。 組織や宗教など、いくら団体や集団に属しても、その人次第だということですね。 ところで、気や知識によって、占いや除霊や、チャクラヒーリングや心理カウンセリングなどの人の肉体や心を癒すセッションというのは納得できる肯定派ではあるのですが、その他の霊的に能力がある者が、神や女神、アセンデットマスターや天使などと繋がり、高価な値段をとって、その高次のエネルギーをクライアントに流す、または送るという方法についてはどうお考えになりますか? エネルギーを流すと、クライアントに高次のエネルギーが流れるということについて、どうも胡散臭く感じてしまうところがあって質問させていただきました。 能力のある人間が、いくらエネルギーを流せても、クライアントは覚醒までは至らないような気がするのです。 2010-11-18 Thu 02:19 | URL | 匿名 [ 編集 ]
斉藤啓一です。コメント、ありがとうございました。
さて、ご質問の件ですが、高次のエネルギーとつながって、それを他者に与えることは、ある程度は可能ではないかと私は思っています。 ただ、それをすれば、どんな人も覚醒に至るとは思いません。修行を積んで、かなりのレベルにまでいった人なら、そのエネルギーが後押しをして覚醒に至るということはあるかもしれません。 しかし、それ以前に、高次のエネルギーを本当に流しているのかどうか、ということを、まずはしっかりと吟味すべきだと思います。単なる「気」のレベル、それどころか本人の勝手な思いこみということもあるかもしれません。しかも、高額な金銭を要求するというのは、果たして神やマスターといった存在がそれをよしとするのか、個人的にはその点もひっっかかります。お金を要求してはいけないというつもりはありませんが、それでもある程度の社会的良識というものがあると思うのです。 人間は欲望があると、それゆえにだまされます。お金が欲しい人は、お金が儲かると宣伝する詐欺商法にだまされます。覚醒したいという人は、覚醒できると宣伝する詐欺商法にだまされます。悲しいことに、お金を儲けるためなら、投資であろうと健康食品であろうと、スピリチュアルであろうと、何でも利用するというのが、詐欺の世界のようです。 高い授業料を払うつもりなら、試してもいいかもしれませんが、個人的には、お勧めできません。人間性が信頼でき、なおかつリーズナブルな価格なら、試してもいいかもしれません。しかしそれでも、基本的には自らの努力によって道は開いていくべきだと思うのです。 2010-11-18 Thu 20:39 | URL | [ 編集 ]
斉藤先生、お忙しいところのお答えありがとうございました。そういう商売の人を否定するつもりはないのですが、エネルギーを流すということで人が覚醒したり、神秘的な能力が備わる、というサイトがありまして疑問になりまして質問してしまいました。
宗教団体や集団や、お金などが絡んでくるのは、高次の世界におられる神やマスターは、望んでいないのかもしれませんね。やはり人間界の厄介事のひとつ、そう思ってしまいました。 2010-11-19 Fri 01:49 | URL | 匿名 [ 編集 ]
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