心の治癒と魂の覚醒

        

 修行者のレベル

 ヨーガの根本教典(「シヴァ・サンヒター」)を見ると、「修行者の種類」と題して、次のように書かれてありました。私たちが反省および目標となる指針になるかと思い、その部分を紹介させていただきます。(『続・ヨーガ根本教典』平河出版社より)

 修行者の種類
 ヨーガ修行者には軟弱級、中級、上級、極上級の四種があることを知るべし。極上級の秀れた行者は世界の大海を渡るに堪える人である。

〔軟弱級行者の特徴〕野心が少なく、愚昧で、病弱で、グルを軽んじ、貪欲で、了見が悪く、大食漢で、細君にたよっているもの、気分屋で、臆病で、病人で、他人だよりで、残忍で、善行に欠け、精進が足りない人、これらは軟弱な修行者であると知るべし。かかる人は非常な努力をしても、十二年間かかってやっとシッディを得るであろう。グルは必ずやかかる人をマントラ・ヨーガの適材と知るべきである。

〔中級行者の特徴〕寛容な心の持ちぬし、忍耐強き人、積善を志す人、やさしい言葉使いの人、どんな結果に対しても疑いなく平静な人、これらは中級の行者であると知るべし。このことを知って、グルはこの種の人にラヤ・ヨーガを授けるのが適当である。

〔上級行者の特徴〕堅忍な精神の人、ラヤ・ヨーガに通じ、独立心に富み、勇気のある人、度量が大きく、憐れみの心深く、忍耐心があって、正直な人、剛勇にして、少壮、信仰があって、グルの足を拝する人、ヨーガの修習を楽しむ人、かかる人物は上級の修行者であると知るべし。この人はヨーガの修習において六年間でシッディを得るであろう。この人には、きびしいハタ・ヨーガとその支分とを授けるべきである。

〔極上級の行者の特徴〕精力絶倫な野心家で、人間的魅力があり、勇敢で、教典に通じ、修習を心がけ、盲目的情動なく、容易に動じない人、いつまでも生新な若さを保ち、常に節食し、感官を支配し、恐れる心なく、清潔で、怜例で、慈善を行ない、すべての人に頼られる人、有能、剛毅、賢明であって、こだわりが無く、辛棒強い人、気立てがよくて、敬虔で、自分の努力を秘し、言葉やさしい人、聖典を信じ、神々とグルに仕える人、人間の集会に興味を持たず、恐ろしい疾患を持たない人、極上級の行者の戒律を知り、あらゆるヨーガを行ずる人、かくの如き人は極上級の行者であって、三年間でシッディを得ることは疑いない。かかる人物はあらゆるヨーガの適格者であって、この点では疑いの余地は全く無い。

 以上のなかで「シッディ」というのは、一般的にはヨーガの修行によって得られるさまざまな超能力のことを指します。「マントラ・ヨーガ」とは、マントラを繰り返し詠唱するヨーガ修行のことであり、「ラヤ・ヨーガ」とは、からだの内面から聞こえる精妙な音に精神を集中するヨーガ修行のことです。「ハタ・ヨーガ」は、アーサナ(体位法)やプラーナ・ヤーマ(呼吸法)にウエイトを置くヨーガ修行のことを指します。
 このブログを見て下さっている人のなかには、軟弱級行者のレベル(このような不届き者がそもそもヨーガ修行を志すとは思えないのですが)はいないかと思いますが、極上級の行者のレベルもいないのではないかと思います。やはり、めざすべきはこの極上級の行者ということになりますが、ここに書かれている特徴がすべて備わっているというのは、大変なことですね。しかし、それでもなお、目標としては、ここに書かれてあるような美徳を少しずつでも身につけていきたいものです。
スポンサーサイト

修行のガイドライン | コメント:8 | トラックバック:0 |
<< 修行の時間を作る | ホーム |  言葉の力>>

コメント

こんばんは、斎藤先生。
修行者には四つのレベルがあるのですね。たしかに軟弱級と極上級に該当する方は身近にいません。大概は中級か上級に当てはまるのではないかと思います。

ところで、最近の瞑想の状態なのですが、やっと呼吸法とチャクラ集中が同時可能になりました。ただ、呼吸は吸うが2、止めるが8、吐くが4の割合に変化しました(「ヒマラヤ聖者の生活探究」より)。

毎日約1時間を費やし、休日は2時間以上にしています。運が良ければ開始40分ほどで例の方向感覚の消失まで到達します。

もしかしたら、より先の状態があるのかもしれません。早く次のレベルにたどり着きたいです。

・・・すでに瞑想と神への感謝が趣味を通り越して生きがいにまでなりかけております。
2010-11-26 Fri 19:14 | URL | ワタナベ [ 編集 ]
斉藤啓一です。コメント、ありがとうございました。
「瞑想と神への感謝が生き甲斐」というのはすばらしい! そろそろ基礎レベルは卒業かもしれませんね。
そうしたら、今度は背骨にあるとされるスシュムナー管の浄化の行法に入られるといいと思います。そうすると、瞑想がずっと進歩してきます。
スシュムナー管の浄化は、左右の鼻の穴から交互に息を出し入れする呼吸法をします。これを、できれば、吸う8 止める32 吐く16くらいにまで、がんばってみてください。ただし絶対に無理は禁物です。息を止めたとき、のどと肛門と腹の「バンダ」と呼ばれる締め付けをマスターして取り入れると、さらに効果的になります。
次にアーサナを実習してください。アーサナまで行うと、毎日の修行の時間がさらに20分から30分ほどとられてしまいますが、何とか時間を見つけていただきたいと思います。
以上の2つを根気よく続けていくと、スシュムナーが浄化されていきます。スシュムナーが浄化されると、修行がかなり進んできます。
せっかくここまで達したのですから、ぜひ次の段階にまで進んでください。
しかし、絶対に焦らないでください。ゆっくりとのんびりやってください。
健闘を祈ります。
もし私より先に覚醒したら、私のグルになってください(笑)-いえ、本気です!


 
2010-11-26 Fri 20:05 | URL | [ 編集 ]
なるほど、全てのバンダがロックされている状態である、トレタバンダがいいのですね。

ナディーショーダナ(片鼻呼吸)のときは指で外から鼻を押さえるのですね?

おすすめのアーサナはありますか?
2010-11-27 Sat 09:16 | URL | ワタナベ [ 編集 ]
斉藤啓一です。コメント、ありがとうございます。
片鼻呼吸は指で外から押さえます。
アーサナですが、これはバランスの問題がありますので、基本的なもの数種類を全体的に行った方がいいと思います。
しかし、あえて重要なものを言いますと、背中を伸ばして額を膝につける体位とそれに類するものです。つまり、ムドラーの準備段階となるアーサナです。
2010-11-27 Sat 10:14 | URL | [ 編集 ]
回答ありがとうございます。
最初のご指摘のとおり、私には少々あせりがあるかもしれません。 

現実世界への絶望からくる焦燥感は、修行者の陥りやすい現実逃避と思われます。

障がい者の役に立ちたくて飛び込んだ福祉の世界なのだから、今の自分で出来ることをもっともっと追究していかなくてはなりません。

私など、まだまだです。

先生やこのブログに来る人たちにはいつも啓発されますし、学ぶことだらけで感謝しています。

そして、この10年間にわたって苦しみという「気付き」を与え続けてきた人々にも、最初は憎しみはありましたが、今では、覚醒の道以外の逃げ道を封じてくれた感謝すべき人々です。

未来への望みが断たれた時、逆に明らかになってくるものがあります。それに気付かせてくれたこの世界にも感謝です。

今は夜ですけど、朝日が昇るような気持ちです。

また今日も修行に励みます。みなさん、どうもありがとうございます。
2010-11-27 Sat 19:04 | URL | ワタナベ [ 編集 ]
斉藤啓一です。
「現実世界への絶望からくる焦燥感は、修行者の陥りやすい現実逃避」とのご指摘は、確かに私たちが気をつけるべきことですね。
ただ、覚醒とか解脱をめざす人は、現実世界の絶望をきっかけにした人が多いというのは事実ですね。お釈迦様もそうでした。あせらなければ、きっかけとしては、それでよかったのかもしれません。
それと関連して、「覚醒の道以外の逃げ道を封じてくれた感謝すべき人々」という言葉は、はっとさせられました。なるほどと思います。宇宙的な視野から見れば、物心ともに恵まれていても覚醒の道をめざさないなら、それは不幸な人生だといえるのかもしれませんし、たとえ不遇で辛い人生だったとしても、そのために覚醒の道を歩むようになったら、その人生は実りあるすばらしいものだったといえるのだと思います。このことは、死んでから本当に実感されるのかもしれませんが、私は強く確信しています。
J・S・ミルの言葉→「満足した豚であるよりは不満足な人間の方がいい。満足した人間よりは、不満足なソクラテスの方がいい」
斉藤啓一の言葉→「満足した人間よりは、不満足な修行者の方がいい」



2010-11-27 Sat 21:55 | URL | [ 編集 ]
斉藤先生、皆さん
こんにちは。

覚醒への道を歩むきっかけは、私も精神的な八方ふさがりからでした。最初、よくある自己啓発本を読みあさりました。そのときはそれなりに回答を得た気がして気持ちが晴れるのですが、どうしても単に理想を目指すノウハウものが多いため、結局、挫折感や疑念にとらわれ、救われず、振り出しに戻ることを繰り返していました。ある日、女優のシャーリー・マクレーンが好きな私は、彼女の自伝のつもりで購入した「アウト・オン・ア・リム」に出会い、それが最初の魂の覚醒の本でした。10年以上前になります。今思うと、その一連のつながりは導かれたものだったんだなと思います。その後は仕事に忙殺される期間が続き、亀の歩みのごとしでしたが、結婚後、仕事をやめ、時間ができ、同時に先日書きましたが、夫との関係がきっかけでまた、探求が始まりました。魂の探求、自分の内への旅は、自己啓発とはまったく違うと感じています。自分には無理だとがっかりすることも多いですが、真実に対する確信がなくなることはなく、また自分を含めてすべてを救う道はこのほかにありえないことが確信されるため、一種の揺るぎない安心感があります。生きる上で、変わらない支えになるのです。行きつ戻りつしながらも、そんな支えがあることを感謝していますし、それを悩み苦しむ人にも伝えられたらと思いますが、説得するものではないので容易ではないですね。自分が変わることで世界が変わる、、がやはり原則ですね。覚醒を目指すはずが、現実逃避。。。私もその危険は常に感じていますが、エゴはそれをも正当化してしまい覚醒の仮面をかぶるので、恐い!!です。
2010-11-29 Mon 11:42 | URL | wakayamakajimoto [ 編集 ]
斉藤啓一です。コメントありがとうございます。
私も若い頃から、人生の悩みを根本的かつ永続的に解決するにはどうすればいいか?という視点でいろいろ考え抜いた末に、結局は覚醒(解脱)しかないという結論に達しました。
そして、すべての魂が、いつかはこの道を歩むという確信もあります。早いか遅いかという違いだけですね。
ただ、一度覚醒の道を踏み入れた人は、まず後戻りできないと思います。いまさら物質的な生活ではもう満たされないし、たとえ一時的に現実逃避できたとしても、すぐに空しくなると思うのです。
人間は、それを繰り返しながら、しだいに現実逃避さえもできなくなり(つまり覚醒以外ではいっときも気持ちが満たされなくなり)、ある種の絶望にたたきのめされて、覚醒の道が堅固になっていくのではないでしょうか。
いずれにしろ、覚醒の道は、一歩一歩です。あせるとろくなことはありません。あせること自体がエゴの仕業ですから。
ウサギではなく、カメの前進こそが、結局はもっとも近道であると思うのです。
がんばっていこうではありませんか。
2010-11-29 Mon 15:50 | URL | [ 編集 ]

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

| ホーム |