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心の治癒と魂の覚醒

        

 修行の時間を作る

 これまで、仕事や日常生活をしながらでも実行できる瞑想法や呼吸法をご紹介させていただきました。これらは、本格的な修行のための準備体操のような役割を持っているものでもあります。
 しかし、やはり覚醒に到るには、修行だけに専念する時間が必要となります。これからこのブログでは、本格的な修行について少しずつご紹介させていただきたいと思っているのですが、その「修行をするための時間」を確保するというのが、現代社会では非常に難しいのです。
 覚醒修行においては、さまざまな障害を乗り越えていかなければなりませんが、初期の頃の最大の障害は、「時間の確保」と「怠け心」の2つではないかと思います。この2つの障害さえ克服できれば、覚醒は半分は成功したも同然だと思っているのです。
 まずは時間の確保です。忙しい毎日を送っている私たちにとって、毎日1時間も2時間も修行の時間を作るというのは、本当に難しいものです。一部の役人のように、9時に始まり5時に必ず帰宅できるような、恵まれた人は少ないと思います。とくに不況の今は、生活するためにあえて残業をしなければならない人もいるわけです。残業代が出ればまだいい方で、なかにはリストラされないためにサービス残業をしている悲惨な人もいるかもしれません。そうして疲れて夜遅く帰宅したら、修行どころではなく、ビールを一杯飲んでお風呂に入ったら、死人のように寝るだけでしょう。仮に瞑想をしても、眠くて瞑想にならないかもしれません。
 私は、現代人のそういう厳しい状況がよくわかっているつもりです。
 しかし、それでもなお、あえて自戒を込めて、皆さんに申し上げたいと思うのです。
 とにかく修行のための時間を作りましょうと。
 修行の時間がなければ、どうしようもありません。
 時間を作るために、あらゆる努力をして下さい。そのためには、何かを犠牲にしなければならないと思います。居酒屋にも行きたい、テレビも見たい、パチンコもしたい、そして覚醒もしたい……というのは、虫が良すぎるといいますか、不可能なことです。
 もちろん、サラリーマンなら付き合いで飲み会に行かなければならないこともあるでしょう。たまにはいいと思いますが、支障のない程度に、なるべく断って時間を作るようにして下さい。また、家族との団らんも大切ですが、それも少し時間を削っていただかないとならないと思います。
 残業しなくてもすむように、仕事はテキパキと片付けるようにしましょう(そんな姿勢が買われて出世するかもしれませんよ!)
 その他、思いついたままに申し上げますが、テレビやDVDを鑑賞することも、控えめにしましょう。たまには息抜きでいいかもしれませんが、くだらない番組や映画を見ても時間の無駄です。パチンコだとかギャンブルなどは、きっぱりと止めましょう。時間の無駄であるばかりか、負けたときは悔しさが尾を引いて瞑想などできません。
 内容のない携帯メールの交換などもやめましょう。メールを打つのもけっこう時間がとられるものです。クルマの洗車も時間の無駄です。クルマなんて多少汚くてもいいではありませんか。どうせすぐに落ちてしまうワックスなど一所懸命に塗ってどうするのでしょう? お客さんを乗せるときだけ洗車すればいいのです。さもなければ、ガソリンスタンドでやってもらいましょう。自宅から駅まで歩いている人は、ぶらぶらと歩かず、早足で歩きましょう。時間の節約にもなるし、体力トレーニングにもなります。時間のかかる趣味などは、極力やめましょう。意味のないネットサーフィンもやめましょう。毎日からだにせっけんをつけてゴシゴシこするのも時間の無駄です。三日に一度で十分です。あとはシャワーでさっと汗を流す程度で十分です。さっさとあがって瞑想をする時間に当てましょう。
 晩酌なども、しない方がよろしいです。時間の無駄ですし、お酒を飲んだら瞑想なんかできません。無駄な睡眠は削った方がいいですが、これは個人差があるので何ともいえません。無理して睡眠時間を削ったのはいいが、眠くて瞑想ができないようでは困りますから。ボーっとどうでもいいことを考えるのは時間の無駄です。失敗して取り返しのつかないことをいつまでもくよくよするのも時間の無駄です。ハンカチにアイロンをかけるのも無駄です。パジャマをきれいにたたんで保管するのも無駄です。
 とにかく、こんな感じで、毎日の時間の使い方を総点検し、徹底的な合理化と効率化をして、少しでも時間を作るようにして下さい。時間に関しては、徹底的にケチになって下さい。ただし、心のゆとりは失わないようにして下さい。「悩んでいることがあるんだけど、相談に乗ってくれませんか?」と頼みごとを受けたときは、時間を惜しまず相談に乗ってあげましょう。人助けや思いやりに関してケチになってはダメです。というより、そういう行いそのものが覚醒の修行ともいえるのですから。

 時間の無駄を削って時間を作り出すには、しばらくの間、自分の行動のすべてを分刻みでメモしておくのが役に立ちます。トイレに行って戻るまでの時間さえも記録するのです。そして一日が終わり、そのメモをチェックします。すると、意外につまらないことで多くの時間が奪われていることに気づくはずです。そうして、無駄な時間をなくしていくのです。
 こうした時間管理の習慣は、覚醒ということは別にしても、とても役に立ちます。仕事も効率的にこなすスキルが育っていきますし、自分自身や人生に対する支配力がついて、有能になり、人生を豊かにしていきます。
 いずれにしろ、こんな感じで、毎日、最低でも1時間、できれば1時間半以上、修行だけに専念できる時間を確保していただきたいのです。休日であれば、最低でも2時間、できれば3時間以上、修行の時間を作り出すよう、努力していただきたいのです。
 人によっては、並大抵の努力ではないかもしれません。しかし、そのように時間を作り出すために工夫と努力を傾けること自体、ある種の覚醒修行ではないかと思うのです。
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修行の基本的な姿勢 | コメント:4 | トラックバック:0 |
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コメント

斉藤先生こんばんは
いつも更新を楽しみにしています。

時間の作り方
その通りですよね
何かをするには、何かを削るということが
とても納得できます。
私がしているのは、特にテレビを見ないことです。

テレビを見ないことは時間を作り出すこともできますが、それと同時に、
無駄な電波をシャットアウトできます。
斉藤先生のブログに集まるみなさんは感じているかもしれませんが、
テレビというものからは、とても強いエネルギーが放出されています。
見ているのは自分ひとり、または家族の数名なのに、テレビの向こう側では出演者、制作スタッフ、スポンサーなど何十人何百人という人間のエネルギーが団子になってこちら側に発信されています。
何か番組を見終わったとき、気がつかないうちに自分のエネルギーを吸い取られているのです。
だからお気に入りの番組、または美しいものだけを発信する番組だけ見る、そうしたほうがいいと思っています。そりゃあたまにはお笑いも必要かもしれませんが、
今の日本は、泣かせる、笑わせる、買わせる、イライラさせるという放送ばかりです。無意味です。
世の中の出来事を全て知っていることよりも、自分のことをもっと深く知るために、テレビ放送とのおつきあいを最小限にしたいものです......。
特に心配なのは、子ども番組が幼稚すぎることが気になります。

2010-11-30 Tue 02:31 | URL | 匿名 [ 編集 ]
斉藤啓一です。コメント、ありがとうございました。
ご意見、まったく同感です。もちろん、いいテレビ番組もありますし、たまにはくだらないものを見て気分を晴らすのもいいとは思いますが、慢性的に見るのはやめた方がいいと思います。ほとんどが時間の無駄です。
私がとくに懸念しているのは、子供に対する影響です。私たち大人は、自制しながら番組を選択して見ることもできますし、番組の内容を批判することもできますが、子供はそうはできにくいでしょう。テレビの影響をまともに受けます。そして、テレビの内容が現実であるかのように錯覚しかねません。
また、6時台のニュースを見ますと、どのチャンネルも食べることばかりの話題! 日本人の知的レベルが知れるというものです。
2010-11-30 Tue 09:53 | URL | [ 編集 ]
斉藤先生、皆様
こんにちは。

確かにテレビから受ける影響は、思う以上に大きいのでしょうね。番組を選ぶことは、大切だと思います。選びさえすれば、素晴らしく、魂の気付きを助けてくれる番組に出逢えることがあります。私は今、時間があるのでドキュメンタリーや映画を録画してよくみますが、本や経験で得た知識などを「これがそうだ」と客観的に実感、感動させてくれるものも多く、学びを得ています。
ひとつ悩みは、配偶者と見たい番組が違うことが多く、喧嘩になります。でも考えようによっては、これも修行のひとつで、お互いに相手の好みを批判せず、尊重しあって、かといって自分の求めるものも大事にするということを実践できる機会ととらえています。
2010-11-30 Tue 12:42 | URL | wakayamakajimoto [ 編集 ]
斉藤啓一です。コメント、ありがとうございました。
確かに、テレビ番組のなかにはとてもすばらしいものもあります。選んで見るようにしたいものです。
夫婦や家族の間でも、見たい番組が違うというのはよくあることですね。要するに、好みが違うわけですね。親しい人には、自分と考え方も感じ方もすべて同じであって欲しいと願うのは人間として自然な情だと思いますが、現実はそうではない方が圧倒的に多いようです。だからこそ、お互いに修行になるのでしょうね。それと、相手は相手の人生があるのだから、あまり過剰な期待はしない、というのも、ひとつの考え方かもしれないと思うこともあります。
2010-12-01 Wed 01:02 | URL | [ 編集 ]

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