人はなぜ覚醒をめざすのか? 12010-12-21 Tue 20:21
このブログを最近になってご覧下さっている方もおられるかと思いますが、ここであらためて、このブログの目的について説明したいと思います。今後も、大切なことは、多少角度を変えながら繰り返し説明していきたいと思っています。
さて、どんな人も、幸せになりたいと思って生きています。それはすべての人に共通していると思いますが、「幸せとは何か?」という点については異なるでしょう。それにより、人生で追い求める目的が違ってきます。 たとえば、お金持ちになることが「幸せ」だと思うならば、お金を儲けることが人生の目的になるでしょうし、「名声を得ること」、「あたたかい家庭を築くこと」が幸せだと思う人は、その実現が目的ということになるでしょう。 私も、若いときからそういうことをよく考えました。ただ、私は欲張りなため、本当に幸せであるには、次の条件が必要だと思いました。 それは、「その幸せは何があっても失われることがない」という条件です。要するに永遠に続く幸せです。その幸せがいつか失われてしまうのであれば、安心して幸せを享受していられません。それでは、苦しみは永遠についてまわるということになります。私は苦しみというものを、もう二度と味わうことがないように根絶したかったのです(そんなことが可能だとして)。 それでは、お金持ちになるというのは、どうでしょうか? そもそも、お金が欲しいというのは、衣食住などの基本的な欲求を満たすことを別にすれば、結局のところ「心の満足」のためであることがわかります。高級車に乗りたいのは、移動したいからではなく、高級車を所有することから得られる心の満足のためです。また、お金が十分にあると安心するということもありますが、これも心の満足です。 確かに、お金がたくさんあれば、心を刺激する楽しい経験がたくさん得られますし、不愉快な経験から逃れられる場合もたくさんあります。しかし、お金は万能ではありません。いくら大金を持っても失われてしまうことはありますし、お金を持っても、幸せが感じられない人も珍しくありません。ある大金持ちの人が、病気のために貧乏な人が食べているような粗末な食事しかできなくなったという実話があります。これではお金があっても意味がありません。 ということは、いくらお金持ちになっても、幸せに対する私の条件、すなわち「その幸せは絶対に失われることはない」という条件を満たすことはできないことになります。というより、お金があるだけでは、完全な幸せは得られないのです。 名声を得ることも同じです。名声を得ればしばらくは幸せかもしれませんが、じきに色あせてくることは目に見えていますし、温かい家庭なども、完璧な家庭などはなく、いさかいなど不愉快なものは多少なりともありますし、第一、人間はいつか死んでしまうので、幸せな家庭がいつまでも続くことはないのです。 したがって、こうしたことも、私の幸せの条件を満たすことはありません。その他、いろいろ考えましたが、この地上に永続的な幸せを約束してくれるものは、何一つないように思いました。そうして、私が打ち出した結論はこうです。すなわち、 「地上では、人間は一時的には幸せになれるとしても、いずれその幸せは失われて苦しみを味わうことになる」。 永久かつ完全な幸せは、存在していないのです。いみじくも釈迦が「諸行無常」と言った通りです。この地上世界は、本質的に無常ですから、その無常な世界で変わることのない永遠かつ絶対的な幸せを得ることは、不可能なのです。どんな人も、必ず死という決定的な打撃によって、すべてがうち砕かれてしまう運命にあるわけです。 人生はあまりにも不安定です。病気や事故であっという間に健康が失われることがありますし、愛する人との死別や生別も突然にやってきたりします。自分が死ぬことだってあります。年間3万人以上が自殺していますし(事故か自殺か判明しないケースを含めると実際にはもっと多いでしょう)、自殺未遂はその10倍から20倍にのぼるといわれています。また精神的におかしくなり精神科に通う人は、その何十倍もいると推測できます。つまり、それだけ苦しんでいる人がたくさんいるということです。詐欺や闇金融やいかがわしい宗教などに引っかかって今まで苦労して貯めたお金を失う人も数え切れないほどいますし、会社が倒産して職を失う人も数え切れません。 結局、人生というものは、こんな不幸や苦しみを次から次へと経験しながら、つかのまの幸せを支えに何とか耐えて生き続け、やがて死んでいくということになるわけです。 しかも、「輪廻転生」が事実だとすると、こんなことを永遠に繰り返していかなければならないことになります。そうなると、「もういい加減に勘弁してくれ!」と言いたくなります。幸せと苦しみのシーソーゲームを永遠に経験させられるというのは、屈辱的と言えないでしょうか。 この永遠に続く苦しみから根本的に救われる方法はないでしょうか? そう思って、いろいろな宗教や哲学をあさってみたのです。 (次回に続く) スポンサーサイト
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