心の治癒と魂の覚醒

        

 瞑想の四段階

 あけましておめでとうございます。
 2011年になりました。世の中はお正月気分かと思いますが、覚醒の修行を志す私たちは、浮かれ気分はほどほどにして、お正月でもきちんと修行をしていきましょう。修行者にとって、本当の意味での「お正月」は、覚醒したときだと思います。

 さて、前回の続きですが、自分は地上世界という「映画館」で、地上人生という「映画」を見ていることに気づき、「映画館」から抜け出して本来の自分に戻るには、目を閉じて瞑想しなければなりません。
 ヨーガによれば、この瞑想法(あるいは「意識状態」)は、次の4段階に分かれます。

1.制感(せいかん)
2.凝念(ぎょうねん)
3.静慮(じょうりょ)
4.三昧(さんまい)

 最初の制感とは、意識を内面に向けた意識状態のことを言います。私たちの意識はたいてい外に向けられています。五感の刺激を受ければすぐにそれに反応して意識が外に向かってしまうのです。そこで、制感の行法をして、外に向かう意識を内面に向けるようにします。たとえ五感から情報が入ってきても、意識が内面に向かっている状態を維持するようにするわけです。
 2の凝念とは、意識をひとつの対象に向けた状態です。いわゆる精神集中です。凝念の行法を行って、雑念がほとんど出ることなく、長い時間にわたってひとつの対象だけに意識を向けられるようにします(雑念が出るということは持続的に精神集中ができていないことを示しています)。たとえば、花に意識を集中しているときは、何の雑念もなく花の静止画像をひたすら見つめているような感覚です。
 なお、制感と凝念は厳密に区切られた意識状態ではなく、制感の行法は凝念の要素もあり、凝念の修行は制感の要素もあるということになります。制感の行法は、凝念の準備体操のようなものと考えてもいいかもしれません。
 3の静慮とは、ひとつの対象に意識を集中した状態のまま、その対象に関係する連想を拡大させていくことです。たとえば、花に意識を集中しながら、その花の色、香り、構造、生えている場所、花言葉、その他、その花に関するあらゆる事柄を思念していくのです。この意識状態は、2の凝念がしっかりとできていなければできません。さもないと、いつのまにか意識を向け続けるべき対象とは無関係なことを思念してしまうからです。逆に、凝念がきちんとできていれば、比較的容易にできるようです。
 4の三昧とは、「自分は瞑想している」という自覚がなくなり、意識を向けている対象だけが存在したような意識状態です。たとえば、今までは「花に意識を向けている」という自覚がありました。ところが、三昧になると「花」だけが意識にあるのです。自分が消えてどこかへ行ってしまったような感覚になると言われています。あるのはただ「花」、といった状態です。
 三昧の意識になるための修行法はありません。凝念と静慮の行法を続けていくと、自然に三昧の意識状態になると言われています。
 こう見ると、私たちが乗り越えるべき壁は、凝念にあることがわかります。凝念さえうまくできるようになれば、後の静慮と三昧はほとんど自動的にできるようになっていくからです。
 なお、凝念、静慮、三昧の三つの意識状態を、まとめて「綜制(そうせい)」と呼んでいます。いろいろな物事に綜制を向けることで、さまざまな超能力が得られるとヨーガの教典には書いてあります。たとえば、相手の心に綜制を向けると心が読める、自分の肉体の形に綜制を向けると姿を消すことができる、象に綜制を向けると象と同じ力を発揮する、頭の中の光明に綜制を向けると、神霊たちを見ることができる、といった具合です。
 そして、この綜制の力を強化していくことによって、ついには自分の本当の姿を把握する直智を得ることができるのです。
 さて、そういうわけで、私たちの瞑想修行もまた、上記の順番で行っていく必要があります。中心となるのは凝念です。
 次回、その具体的な方法についてご紹介したいと思います。
 
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コメント

>覚醒した時が修行者の正月
同感です。正月はどこにもいかずリトリートにあてたいです。

昨年は大変お世話になりました。どうぞ、今年もよろしくお願いします。
2011-01-01 Sat 21:26 | URL | ワタナベ [ 編集 ]
斉藤啓一です。ワタナベさん、あけましておめでとうございます。
そうそう、お正月こそリトリートですよ!
がんばって励んでいきましょう。
今年もよろしくお願い致します。
2011-01-01 Sat 22:09 | URL | 斉藤啓一 [ 編集 ]
あけましておめでとうございます。昨年、「覚醒プログラム」のセミナーに参加した男性です。お世話になりました。
 毎朝、夜にCDで実習しています。
 さっそくですが
 自分は歳で体が硬いのでアーサナは諦めました。アーサナをしないことは修行において致命的でしょうか?第1回のCDは、ずっと屍の体位で行っていますが、実在祈念法以降は起きてする方がいいのでしょうか?第3回のCDは、ヨガの座り方ではなく椅子に座って行っていますが、まずいでしょうか?
 瞑想とは、第1回、3回のCDの内容の他にもあるのでしょうか?
 「ヒマラヤ聖者の教え」「神はいずこに」「真実への旅」読みました。瞑想法の実技の参考書などあるでしょうか?もし斉藤先生が作られたらすぐ買います。
  雑文で失礼しました。時間のあるときに教えていただけたら幸いです。
 
 
2011-01-03 Mon 20:19 | URL | うの [ 編集 ]
斉藤啓一です。あけましておめでとうございます。昨年の「覚醒プログラム」ではお世話になりました。
さっそくご質問の件ですが、まず、アーサナをしないことは修行において致命的にはならないと思います。ただ、日本にはじめて本格的なヨーガを広めた佐保田鶴治先生は、大学を退官されてからヨーガを始められたとのことです。ですから60歳か65歳で始められたのだと思いますが、それから熱心に修行に励み、本場のヨーガ行者でさえ難しいアーサナまで修得してしまいました。ですから、できれば少しずつでも実習されることをお勧めします。ヨーガのアーサナを実習すると、瞑想が非常にやりやすくなるからです。
次に実在祈念法は、屍の体位だとリラックスしすぎますので、リラックス状態と緊張が適度に両立した坐位で行った方が理想的だと思います。ヨガの座り方ではなく椅子でも大丈夫ですが、少しずつでもいいのでヨガの座り方を実習されることをお勧めします。椅子だと、深い瞑想状態に到達したとき、万が一意識を失ったときに危ないからです。
瞑想の種類はたくさんあります。大切なことは自分に合った瞑想法を見つけることです。というより、基本的な瞑想法をもとに、あとは自分で工夫して編み出すことだと思います。
瞑想法の実技書は、調べればあると思いますが、今のところ「これは」と思うものはありません(単なる勉強不足かもしれませんが)。
ただ、本日から具体的な瞑想法についての解説を始めましたので、とりあえずそちらを参考になさっていただければ幸いです。
瞑想の実技(テクニック)を解説することはそう難しくありませんが、本当の瞑想をするには日常生活をいかに生きるか、その人格的な姿勢が大きくものをいうと思います。そのへんの微妙なニュアンスを解説するのがとても難しいのです。本当の瞑想をするには、生き様そのものが問われるのです。不誠実な生き方をしている人には本当の瞑想はできないと思うのです。
2011-01-03 Mon 21:00 | URL | 斉藤啓一 [ 編集 ]
早々のご返事ありがとうございました。
頑張ってやっていきたいと思います。
2011-01-03 Mon 21:19 | URL | うの [ 編集 ]

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