心の治癒と魂の覚醒

        

 瞑想法 その3

引き続き、今度は精神集中の行法に入ります。
 すでに述べたように、どんなものも自分が好きなものに精神を集中すればいいのですが、初心者は具体的な形があるものに集中した方がやりやすいとされています。ただし、いずれにしても、低俗なものは避けて、なるべく高尚なものを対象にした方がよいのです。
 そこで、私のやり方ですが、まぶたの裏の内面世界に、握り拳か、それより少し大きいくらいの光の球体をイメージして、それに精神を集中する行法をしています。このまばゆく白光に輝く球体は、「オーム」という響きを発しているとします。
 なぜ、この光球を精神集中の対象にしたかといいますと、その大きな理由は、応用がきくからなのです。つまり、この光球をチャクラの位置でイメージすることにより、チャクラを活性化させることができますし、瞑想が進めば、この光球を肉体のなかにおいて、ちょうど懐中電灯のように、内臓を照らして見ることができるようなのです。内臓だけでなく、この世界のどんなことも、この光球の光に照らして見ることができるようです。
 さらにまた、この光球を病気で病んだ部分において光らせることにより、ある程度、病気を癒す効果があるようなのです。これは自分だけでなく、他者に対しても同じようにできます。
 しかし、そのように使うには、光球を可能な限りリアルにイメージできるようにならなければなりません。したがって、このように便利なツールを手に入れながら、同時に精神集中の訓練にもなるということで、光球を精神集中の対象にしているわけです。

 それと、もうひとつ大切な理由があります。
 それは、この光球は、神のエネルギーから来ていると観想することで、光球イコール神という意識を持たせるのです。そうすると、光球に精神を集中しているということは、同時に神に意識を集中していることになります。言い換えれば、神に祈念していることにもなるわけです。
 キリスト教の神秘家たちは、ヨーガほどの瞑想体系は(たぶん)なく、ただひたすら神への祈りによって覚醒しているわけですから、神への祈りは非常に大切だと思うわけです。
 以上のような理由から、一石二鳥ならぬ、一石三鳥くらいの効果を狙って、オームと響く光球に精神を集中しています。

 ただ、現実にこうした光球というものは存在しませんから、視覚的にイメージしにくいかもしれません。
 そこでひとつのアイデアですが、懐中電灯を持ってきて、レンズと反射鏡の部分を取ります(くるくる回すと取れると思います)。そうして、豆電球だけを露出させます。その懐中電灯を目の前に立てにしておいて下さい。そして部屋を暗くして、少し離れたところからその光を見ますと、だいたい白光に輝く光球のイメージとなります。
 これをまず肉眼で見つめ、疲れたらまぶたを閉じて、まぶたの裏に光球をイメージします。しばらくしたらまた目を開けて光を見つめます。これを繰り返してみて下さい。そうすれば、光球がイメージしやすくなるかもしれません。
 ところで、オームという音が光球から放っているとイメージするのですが、すでにナーダ音の「キーン」という音が頭に響いているかと思います。この場合、オームの音とナーダ音の音を両方同時に聴くようにするといいように思います。もちろん、オームの音だけの方がしっくりくるなら、オームの音だけを頭の中で聴くようにしてもかまいません。
 いずれにしろ、視覚だけでなく聴覚的にも集中することで、より深い状態に入っていくことができるはずです。
            (続く)
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