心の治癒と魂の覚醒

        

私のウツの調子

 いま現在の私のウツの調子を書かせていただきます。
 結論から言いますと、70パーセントまで回復しました。しかし、それ以上にはなかなか回復せず、言わば足踏み状態です。まず、何をしても、長くできません。頭脳労働をしても肉体労働をしても、疲れやすく、長く続けられません。ぼちぼちと執筆活動を再開したのですが、以前は数時間くらい集中できたのに、今は1時間か2時間くらいが限界で、そのくらい執筆すると強い疲労感に襲われ、同時に気分も落ち込んで横にならなくてはなりません。肉体労働も、1時間ほど自転車に乗ったり歩いたりしているのですが、やはり1時間が限界で、それ以上はできません。1時間でも、疲労感が激しく、終わった後はしばらく横になります。疲労の原因は運動不足だろうと思って、少し前まで自転車やウォーキングを毎日していたのですが、身体が鉛のように重くなり、ふらふらしてしまうので、今は一日おきくらいにしています。
 新薬エビリファイの量を増やせば活力が出るかと思って倍に増やしてみましたが、効果はありませんでした。サプリメントなども、今のところ、活力が湧いてくるようなものには出会っていません。気分の落ち込みは、疲れていなければあまりありませんが、疲れると、陰鬱な気分に襲われます。
 何の心配も煩わしいこともなく、ただ毎日を平安にのんびり暮らすことができれば、もっと回復できるのかもしれませんが、あいにく、そのような恵まれた環境にはなく、なんだかんだといろいろと神経を疲弊させるような問題を抱えていて(生きている限り誰だって同じですが)、それがウツの回復の足かせになっているといった事情もあります。人生というものは、本当によくもまあ、次から次へと悩みの種がやってくるものだと感心してしまいます。「もぐら叩きゲーム」みたいに、こっちのもぐらを叩けばあっちからまたもぐらが出てきて、そのもぐらを叩いたと思ったら別のところからまたもぐらが出てくる……、といったように、人生というのはまるで終わりなき「もぐら叩きゲーム」のようなものではないかと思ったりもします。これ以上いうと愚痴になるのでやめますが、私だけでなく、誰しも悩みや問題を抱えて生きているわけで、私などはマシな方かもしれません。

 そういうわけで、ウツになる前の活力を100パーセントとすると、今は70パーセントくらいの出力しか出せないでいます。「休み休みでしか何かをできない」といった感じで、少し大げさですが、ある種の障害者になったような気持ちで、そんな自分がじれったくなるときがあります。頭や肉体を使った後は、身体中に重りをつけられているような感じで、精神も集中できなくなり、物事を考えられなくなり、ときおり、乗り物酔いみたいな軽い吐き気がしてきます。何をする意欲も気力もなくなります。こうなると、ただ横になってじっとしているしかありません。そうして30分か1時間くらい横になっていると少し回復するので、また何かを始める、といったことの繰り返しです。
 それでも、ウツがひどかったときは10パーセントか20パーセントくらいしか出力が出なかったことを思えば、ずいぶん回復したことは確かです。これも、物心両面にわたる皆様のおかげであると感謝しています。
 インターネットの情報によれば、ウツ病が完全に寛解(完全に治る)ことは少ないとありました。やはり、70パーセントとか、よくて80パーセントくらいまでは回復しますが、「元気ハツラツ」にまで治ることは少ないようなのです。
 それでも私はあきらめずに、これからも改善に向けて努力していくつもりではいますが、しかし、たとえ70パーセントの出力といえども、ある意味では、それでも恵まれていると思っています。ときどき、身体が動かない障害者の人が、口に棒をくわえて、その棒でパソコンのキーをひとつひとつ時間をかけて打って文章を書いたりしている光景をテレビで見かけたりしますが、それでもコツコツやっていくと、いつのまにか大量の文章ができあがっていたりします。
 そのような方に比べれば、私はずっと恵まれています。以前の状態と比べることなく、もともとこの程度の出力なのだと思えば、あまり悲観せずにすみます。
 ウツがひどいときは、執筆などまったくできなかったのですが、今は、亀のように遅い歩みではありますが、コツコツと文章を打てるようになりました。どのような内容の本であるかは、もう少し固まってからご紹介させていただきたいと思いますが、私の体験がかなり盛り込まれた内容の本です。いつ完成するか、いつ出版できるのかはまったくわかりません。

 以上が、いまの私の現状です。70パーセントの出力のまま、本を書き、ブログを書き、「もぐら叩き」をしています。「70パーセントの力しか出せない」ではなく「70パーセントも力が出せる」と考えるようにしています。
 そうして、しぶとく、コツコツと、亀のように歩んでいくまでです。人生はしぶとい人間が最後には勝つと私は信じています。
 ただ、活動できる時間とエネルギーが限定されてしまったので、今では、本当に有意義なことのみを選択して、時間とエネルギーを使うようにしています。そう思うと、今まで自分はなんて無駄で意味のないことに時間やエネルギーを費やしてきたのだろうかと痛感します。見ているときは面白いが見終わったら何も残らないテレビ番組やビデオを見るとか、読まなくてもいいような本を読むとか、考えなくてもいいようなことを考えたりとか、とにかくいろいろと人生の貴重な時間とエネルギーを無駄に使ってきたなあと思ったりします。若いときは、それでもいろいろな経験が肥やしになりますからいいとしても、残りの人生が限られてくる中年以後は、時間とエネルギーの使い方に十分に気をつけて、物事に優先順位をつけて、本当に価値のあることだけに時間とエネルギーを費やすようにした方がよろしいのではないかと思います。
未分類 | コメント:9 | トラックバック:0 |

健康寿命について

 私のうつの状態は、新薬エビリファイでずいぶん楽になり、その結果、精神安定剤の減薬も一日1錠くらいにまで減らすことができた。気分のひどい落ち込みもなくなり、病状は底を打って回復へと向かいつつあることは確かなようだ。しかし、完全治癒までには先は長そうである。というのも、何かを長い間集中して行うことができないからだ。本を読んだり軽作業をしたり、ドライブなどをしても、1、2時間もすると具合が悪くなり、その後はしばらく横になるか、翌日になっても具合の悪さを引きずることがある。また、あいかわらず不眠は改善されていない。明け方まで眠れないとか、あるいはすぐ眠れても深夜や明け方に必ず二度は目が覚めてその後は睡眠が浅いという日が、ここ3年以上、一日も欠かさず続いている。そして朝起きたときに、何ともいえない疲労感が伴う。それは健康な人が覚える疲労感ではなく、「生きるのに疲れた」ような感覚を伴う疲労感なのだ。
 とはいえ、以前は何も活動することができず、一日の大半を横になって過ごしていたことが多かったときと比べれば、たとえ1、2時間でも活動できるようになったこと、また、活動しようという意欲が出てきたことは、大きな進歩であると思う。
 ここまで回復できたきっかけを作ったのはエビリファイであるが、それだけでなく、他にも健康によいとされるさまざまな試みをしていたことも大きかったであろうし、読者の皆様からのあたたかいご支援や声援にも支えられていたことは間違いない。
 ただ、まだ薬を服用しているということは、本当には治っていないということであり、もしエビリファイの服用をやめたら元に戻ってしまうというのであれば、今の調子よさというのは、薬が作り出した、ある種の幻想ということになるのではないだろうか。今後の課題は、エビリファイの服用を減らしていき、何の薬も服用していなくてもひどいうつ状態にならないことになるかと思う。

 ところで、こうしてうつを治すために、毎日のようにインターネットから情報を集めているが、そのおかげで、うつだけでなく、健康に生きるにはどうすればいいかという知識を、かなり蓄えることができたように思う。
 そんななか、ちょっと気になる情報が目にとまった。
 それは「健康寿命」についてである。最近よく耳にする言葉なので、ご存じの方も多いと思うが、これは健康で生きられる寿命ということだ。いま日本の平均寿命は、男性が約80歳、女性が約87歳である。定年は60歳であるが、政府は65歳まで定年を延長する方向で検討しているようなので、仮に65歳まで働いたとしても、男性は定年から15年間、女性は22年間の余生があることになる。これはそこそこ長い年数である。
 ところが、健康で元気に生きられる年齢(健康寿命)は、男性が71歳、女性が74歳で、それ以降は介護などの助けが必要になる可能性が高いという。つまり、定年後、健康で元気に生きられる期間は、男性で6年間、女性で9年間ということになる。
 これは、ほんのつかのまの時間とはいえないだろうか。
 定年後は(経済的にゆとりができて)自分の好きなことをして悠々自適な生活を送ろうと、楽しみに考えている人もいるかと思う。旅行に行ったり、趣味に没頭したり、いろいろなことをしようと。だが、そうできる期間は、男性の場合、わずか6年だけなのだ。今までずっと会社務めをし、嫌なことがあっても苦しいことがあってもじっと我慢し、好きなことがあってもやらないで辛抱し、ようやく定年を迎え、「これから好きなことをどんどんやるぞ!」と思っても、その期間はわずか6年。6年なんてあっというまに過ぎてしまう。人生の大半は、好きなこともやれない不本意な辛い生き方をしていたことになる。しかも、若いときのように何でもできるわけではない。体力は落ちているから、できることも限られてくる。若いときの6年と、老後の6年は違うのだ。
 それでも、定年後に好きなことができる人は、まだ恵まれているともいえる。現実は、貧困に苦しむ老人が急増している。大企業の役員クラスか、公務員で定年後の生活保障が充実しているか、親から大きな遺産をもらったといった人以外は、定年後も働かなければならない場合が多い。
 さらに追い打ちをかけるように、働けなくなって介護が必要になったとしても、お金がなくて介護施設に入れない場合が出てくる。先日、そういうことに詳しい人と話をしたのだが、介護が必要な人は非常に多く、そのため民間企業はせっせと介護施設の建設に乗り出しているのだが、いざ介護施設を建てたものの、入居者がいなくてがらんとしていることも少なくないというのだ。なぜなら、入りたくてもお金がなくて入れない人が多いからだという。
 世界経済は、これからますます厳しくなっていくといわれている。とりわけ少子高齢化と巨大な債務を抱える日本の未来は、絶望的ともいえるかもしれない。もはや、金融政策などといった小手先の手段ではどうにもならない状態であり、何の打つ手もないという。政治家たちは国民がパニックになるので口を閉じているが、経済学者の間では日本経済が破綻することは常識になっているようだ。私の友人の兄が、テレビなどにも出演している有名な経済学者なのだが、その人は、日本経済が破綻することは絶対に避けられないと断言している。その未来図は想像するだけでも恐ろしい。これは「予言」などというオカルト的なものではなく、統計から導き出された必然的な結果なのだ。問題は「いつそうなるか」ということだけである。大多数の見解では、すでに目前にせまっているらしい。
 さて、以上のような現実を知って、私は暗澹たるものを感じてしまった。人生というものは、何とはかないというか、残酷なのだろうと。
 大多数の人が、定年後の人生は悲惨なものになることがわかっているなら、好きなこともせず、ストレスのたまる嫌な仕事を定年まで我慢することには、ほとんど意味がないのではないだろうか?
 仕事が好きで生きがいを感じるというのなら、それはよいことだ。そういう人は幸せだ。しかし、好きでもない仕事をいやいやしながら定年後の自由な生活を夢見るというのは、やめた方がいいかもしれない。
 ならば、好きなことがあれば、いますぐにやっておいた方がいいのではないだろうか。どのみちよほどの大金がなければ生活が厳しくなるのは変わらないとすれば、少しくらい給料が下がっても、やりたい仕事ができる会社に転職するとか、あるいは出世などあきらめて仕事はほどほどにし、余暇を作って好きなことをやる。何よりも霊的向上を促す勉強や修行をする。この方が、ずっといいような気がするのだが、どうだろうか? そのような生き方をすれば、定年後にどうなろうと後悔はしないような気がする。
 もちろん、どのような生き方をするべきかは、個人によって違うから何ともいえない。しかしいずれにしろ、後悔のない生き方をするべきであろう。「私はこのままの生き方をして、将来、後悔することはないだろうか?」と、自問してみることが大切だろう。

未分類 | コメント:2 | トラックバック:0 |

うつという「最高の修行」

 私のうつとの闘いは続いている。今はインターネットという、情報を集めるには本当に便利なツールがあり、助かっている。むかしは情報を集める手段といえば、主に新聞や雑誌や本、テレビやラジオなどのマスコミだけであった。しかし、マスコミの情報は営利が絡んでいるために正確でないことも多い。たとえば新聞や雑誌などの多くが広告収入で成り立っているので、広告主の会社の不祥事を知ったとしても、それを記事にすることはまずないだろう。その点インターネットは、政治や営利とは関係なく、さまざまな裏情報も入手できる。もちろんそれらのすべてが真実というわけではなく、根拠のないものや嘘もかなりあるだろうが、それでも真実がそこにあったりする。そのぶん、私たちは「情報過多」となり、どれが本当の情報なのか迷うことになる。そのため、本物と偽物とを見極める判断力が今まで以上に求められることになる。だが、それは口で言うほど簡単ではない。

 私も、インターネットでいろいろ調べて、「うつが治ります」と言葉巧みに書かれている、ある治療院のホームページを読み、それを信じて片道3時間かけてその治療院に行き、気功とマッサージと簡単なカウンセリングを受けたが、まったく効果はなかった。少なからぬ交通費と治療代と時間が無駄になった。あるいは、「うつの原因のほとんどは脳への血流不足である。脳への血流を多くすれば、どんなに重いうつでも三ヶ月で治る」という情報商材を見つけた。価格は2万円。宣伝文句を信じて購入し、そこに書かれているストレッチやツボ刺激などをしているが、それほど劇的な効果は今のところない。「どんなに重いうつでも三ヶ月で治る」という宣伝文句の最後に小さな文字で「効果には個人差があり、うつが必ず治ることを保障するものではありません」などと書いてある。これも不発に終わった試みのひとつだ。脳への血流不足がうつの原因のひとつであることはたぶん本当だと思うが、宣伝文句が誇大すぎる。
 他に漢方薬やハーブ、脳内物質ギャバのサプリなどを試したが、あまり自覚できるような効果はなかった。
 このように、いろいろ試していると、それなりにお金がどんどん使われることになる。最初から効果がないとわかればいいのだが、実際には試してみないとわからないことが多い。なので、以上のような試行錯誤的な試みは、たとえそれが期待はずれの結果に終わったとしても、仕方がないことなのだ。それも成功に至るための「必要経費」であり、「授業料」だと考えることだ。何かに挑戦するには、数多くの失敗を経るのが普通だ。エジソンは電球の発明に際して一万回も失敗したというが、彼はそれについてこう語っている。「失敗はしていない。うまくいかない方法を一万回発見したのだ」。エジソンのこの言葉を胸に刻んでおきたい。

 一方、自覚するレベルで効果があったのは、デトックスである。具体的には、スーパー銭湯に定期的に行って、遠赤外線の「岩盤浴」で大量の汗をかくことである。遠赤外線による発汗は、普通のサウナによる外の温度によるものではなく、共鳴現象によって皮膚の深い層にまで熱を生みだして発汗させるもので、深部に蓄積された毒素が汗と共に排出されていく。また、細胞賦活作用や免疫力の向上、自律神経の調整といった効果もある。
 また、腸内環境を整えるのも効果があった。具体的には野菜(特に繊維の多い根菜類)や発酵食品(納豆や味噌、ヨーグルトなど)を摂取し、白砂糖などを極力控えるという食生活をすることである。
 その他、なるべく散歩や軽いジョギングなどの運動をするようにし、ヨガも行い、また入浴のときは最後に水のシャワーを浴びたりした。急激に水で冷やすことにより、副腎皮質ホルモンの分泌を活性化させ、免疫力を高める効果があるらしい。
 こうした生活をすることで、精神安定剤の減薬が思った以上に進んだ。今は1.5錠~2錠(適量は1.5錠)にまで減薬することに成功した。だが、それ以上の減薬は、なかなか思うようにいかず、足踏み状態が続いている。

 さらに、減薬による禁断症状なのか、それとも、薬によって抑えられていたもともとのうつの症状が出てきたのか、この点ははっきりしないが、気分的な落ち込みは、ある意味で前よりも強くなっていった。健康的な生活をしているので、全体としては改善に向かっているはずなのだが、この気分の落ち込みは実に辛い。特に朝起きたときの気分は最悪で、「もう勘弁してくれ!」と叫びたくなる。あらためて、うつの人が自殺に走ってしまう気持ちがよくわかった。
 しかし、先日、精神科医のもとに行くと、新しい薬を試してみないかと言われた。
 それは、エビリファイ(アリピプラゾール)という薬で、もともとは統合失調症の薬として2006年に開発されたものであるが、2013年にうつ病(特に従来の抗鬱薬が効かないケース)にも効果があることが確かめられた。この薬のユニークな点は、セロトニンやドーパミンといった脳内物質を、従来の薬が抑制するか増強するか、どちらかの作用しかなかったのに対し、このエビリファイという薬は、脳内物質が不足している場合(うつがこれに当てはまる)は増強させ、過剰分泌されている場合(統合失調症がこれに当てはまる)は抑制するように働く。要するに、適量を分泌するように調整する作用があるという(この薬は世界的に大ヒットし、賞をもらい、開発した大塚製薬はこの薬だけで大幅に利益を伸ばし、大手製薬メーカーの仲間入りをした)。
 私は、薬はあまり飲みたくなかったので迷ったが、副作用や依存傾向は非常に少ないというので、とりあえず試してみることにした。
 その結果、意外にも、「もう勘弁してくれ!」というほど最悪の気分がほとんどなくなった。
 もちろん、まだまだ問題が解決されたわけではないが、とりあえず、あの耐え難い苦しみが緩和されただけでも、本当にありがたいことであった。
 そこで考えたのだが、とりあえず副作用や依存性の弱いエビリファイの力を借りて気分を安定させることで、副作用や依存性の強いベンゾジアゼピン系の精神安定薬を完全に断つという作戦で進んでみることにした。
 世間には、「向精神薬は絶対にダメだ」と全面否定している人がいるが、私はそれは極端であると思う。確かに、軽いうつに対してやたらに向精神薬を投与するのは間違っていると思うが、重度のうつの場合や、減薬のための補助的な使い方をする場合などは、それなりに有効であると思う。どうであれ、極端な考え方というのは間違っていることが多い。

 インターネットで、「うつになってよかったこと」という記事が目にとまり、読んでみた。すると、うつに苦しんで回復した人が「うつになってよかったこと」の筆頭にあげたのは、「人に対して優しくできるようになった」ということだった。
 うつに限らず、苦しい経験というのは、がいして人を優しくするものだ。苦しんでいる人の気持ちがわかり、共感できるからである。とりわけ病気の苦しみはその傾向が強いと思う。古代インドの聖典『ウパニシャッド』には、「病気はあらゆる苦行のなかでも最高の苦行である」と書かれている。病気、そのなかでもうつ病は、人を優しく、また強くさせる「最高の苦行」ではないかと思う。
 うつの経験者、また抗うつ薬や精神安定薬の服用者ならよくわかっていただけると思うが、そのような状態のときは頭がよく回らない。記憶力も判断力も低下し、単純な作業ができなくなったり、ミスを多発させてしまう。また意欲が乏しくなり、疲れやすく、何をしても長時間よいペースを保つことができなくなる。
 私はそのために、私と関係した人々から、ひどいことを言われたり、冷たくされたり、意地の悪いことをされたりした。そのためにうつが悪化したことは確かである。けれども、私はその人たちのことを恨んではいない。ほとんどの人は、私がうつであることも、大量の精神安定薬を服用していたことも知らなかったからである。たぶん私は、不器用な人間、やる気のない人間に見えたのだろう。仕方がないことである。以前の私だったら、同じことをしていたかもしれない。
 しかし、うつを経験した今の私は、たとえ不器用な人、やる気がない(ように見える)人に対して、ひどいことを言ったり、冷たくしたり、意地の悪いことをしたりすることは決してないだろう。なぜなら、どのような理由がそこに隠されているか、わからないからである。
 私は、うつの経験を通して、そういう貴重なことを学び、それを血肉とすることができた。地上という場所が「魂の修行の場」であるとするなら、私はうつという最高の授業、最高の修行をさせていただいたことになる。一時は自分の不運を嘆いたが、今は本当に「幸運」であったことがわかる。
 愛を語る人は多い。だが、その人に本当に愛があるかどうかは、当然のことながら、その行動で決まる。

未分類 | コメント:7 | トラックバック:0 |

免疫力を高める

 私のうつ病は、昨年8月に会社を辞めてひと月かふた月くらい休んでいれば治ると思っていた。長くても年内には治ると思っていたが、その考えは甘かった。全体的には改善の方向に進んでいるように思われるが、その歩みは遅々としている。
 私は、再発を繰り返し、抗うつ剤も効かず、医師から「治らない可能性が高い難治性うつ」と言われた自分のうつを治すことで、このブログを読んでくれている、やはりうつに苦しむ人に希望を与えたいと願って、こうして闘病記録のようなものを書いているが、こうも治りが遅く、とりわけ具合が悪いときなどは、ついそんな気持ちも萎えて絶望的になってしまうこともある。
 むかし、「うつ病はあらゆる病気のなかで一番苦しい」と言っている外国人医師の書いた本を読んだことがある。そのときは、「少し大袈裟かな」と思った。たとえば、モルヒネも効かなくなった末期がん患者の苦しみの方が、たぶん苦しいと思う。しかし、そのような苦しみは長くは続かない。せいぜい数時間、長くても数日であろう。しかし(重度の)うつの苦しみは、毎日毎日休みなく、数ヶ月も数年も続く。それを考えると、確かにうつはあらゆる病気のなかで一番苦しいというのは真実かもしれない。

 けれども、末期がんの場合は治る可能性はきわめて低いが、うつの場合は、あきらめさえしなければ、必ず治る、少なくとも大幅に改善されると思っている。医師は「治らない」というが、それは彼らが学んだ方法では「治せない」という意味であって、「治らない」というのは正しい表現ではない。実際、今日の精神医学の手法だけでは、難治性うつは治らないと思う。
 しかし、私がインターネットを通して、ありとあらゆるうつの治し方を調べていった結果、現代精神医学の範疇を超えた、うつへのさまざまな対処法があることを知った。そして、実際、難治性うつを克服した人の体験談なども読むことができた。
 だから、もしあなたがうつ病で、医師から「治らない」と言われたとしても、それは「彼らには治せない」というに過ぎず、「治らない」わけではないということを、しっかりと覚えておいていただきたいと思う。さもないと、医師から「治らない」などと言われると、それで絶望的になってしまう。そうしてずっと薬づけにされ、うつが悪化あるいは慢性化して、実際、治らないものとなってしまう。過激な表現かもしれないが、うつを治らなくさせているのは精神科医たちではないだろうか(すべての精神科医がそうだとは言わないが)。

 過去のブログで述べたように、うつ病を治すには、まずは向精神薬(抗鬱薬、精神安定剤)を止めることが最初の第一歩となると思う。もちろん、それは段階的に徐々に減薬していかなければならない。さもないと離脱症状の苦しみに襲われて、かえって悪化させてしまう危険もある。絶対に無理はいけない。とはいえ、我慢できる程度の多少の苦しみは覚悟しなければならない。
 今のところ、私の減薬はうまくいっている。ピーク時には、1mgの錠剤を一日に8錠から10錠も飲んでいた(規定量は1.5mg)。今は、一日に2.5錠から3錠で平気になった。それでも規定量の2倍くらいになっているが、一ヶ月もしないうちにここまで減薬できるとは思わなかった。しかし、ここからの減薬が難しそうである。
 減薬を始めてから、離脱症状なのか、それとも、もともとのうつの症状が現れたのかははっきりしないが、薬を大量に飲んでいるときよりも気分が重く、悲しみや絶望感、意欲減退が強く感じられた。とにかく何もする気が起きない。何かしても1時間もすると具合が悪くなって横にならなければならない。
 また、肉体的にも調子が悪い。軽作業でも1時間も続けられない。また、手が微妙に震えるようになり、文字を書くと歪んでしまう。そして何よりも、免疫力が低下したように思われる。先月に「胃腸風邪」を患ったのも、ウィルスや細菌に対する抵抗力が落ちているためであることは間違いない。また、皮膚に湿疹ができたりしているが、これも免疫力の低下によるものだろう。寒さに非常に弱くなり、今年は暖冬だというのに、外に出ると骨にまで冷たさが浸透してくるようで、手足が冷たくなる。

 そこで、私は減薬と同時に、免疫力を高めることも実行することにした。インターネットで調べると、免疫力を高めるためのいろいろな方法が紹介されている。
 まず大切なのは、デトックス(解毒)である。体内に蓄積された薬を排除しなければならない。実際、向精神薬に限らず、およそ薬というものは免疫力を低下させてしまうという。なので、やたらに薬を飲むことは、なるべく控えた方がいい。長期的には健康を害してしまう怖れがある。免疫力の低下は、感染症やがん、その他あらゆる病気の原因になることは言うまでもない。
 体内の毒素は、主に尿や汗から排出される。そこで私は、汗をかくことから始めた。本来は運動によって汗をかいた方がいいのだが、まだそこまでの意欲がないので、近所にあるスーパー銭湯に通って、岩盤浴やサウナに入って汗をかくようにした。そのとき、デトックスによいと言われる「水素水」というものが売られているので、まずそれをコップに一杯飲んでから汗をかくようにした。そして汗をかいた後は、水風呂につかってからだを冷やす。一説によると、急にからだを冷やすと、脳が「緊急事態」と感じてからだの免疫力が強化されるのだそうだ。また、自律神経(これは免疫力と密接な関係があり、うつの人は自律神経の働きが低下している)を正常化させる効果もある。実際、うつの治療のひとつとして冷たい水を浴びるという方法がある。
 今まで二日ほど以上のことを実行してみたが、けっこう調子がいい。薬をそれほど飲まなくてもすむようになり、薬の量が減った。また、心身が軽くなった感覚がある。
 また、デトックスで重要となるのは、腸の状態をよくすることだといわれている。具体的には善玉菌を増やし悪玉菌を減らすことで、そのためには何を食べるかが決め手となる。ヨーグルトなど善玉菌を積極的に入れるようにする他、善玉菌を活性化させる食べ物というものがある。それもインターネットで調べると知ることができる。基本的には野菜、それもだいこんやごぼうやれんこんなどの根菜類が有効らしい。今後は、そういう食品を中心に食べて行こうと思う。
 こうして、私はじりじりと歩んでいる。人生というものは、なにごとも、あきらめなかった者が最後には勝つのだ。そのように自分に言い聞かせながら・・・。

未分類 | コメント:8 | トラックバック:0 |

減薬を決意する

 先日、「胃腸風邪」というものに罹りました。ウイルスや細菌が胃腸に入り込むことで、吐き気、嘔吐、下痢、腹痛に見舞われる症状が現れます。夜、突然ひどい寒気がしたかと思うと、吐き気と何回も繰り返す下痢に見舞われました。嘔吐や腹痛はありませんでしたが、吐き気がひどく、ベッドに横になっていられません。そのため、夜中じゅう、椅子に座っていました。結局、二日間、一睡もできず、何も食べられず、砂糖水をちびちび飲んで耐えていました。ネットで調べると、大人の場合、たいていは二日程度で治ると書いてあり、実際、二日でほとんど治りました。でも、二日間、さすがにきつかったです。
 嘔吐や下痢に見舞われるのは、体内に入った毒を排出しようとするからだの治癒力の働きです。そこで私が迷ったのは、これまで飲み続けていた精神安定剤を飲むかどうかです。あれはある種の毒であるから、もし精神安定剤を飲んで吐き気や下痢がひどくなったらどうしようという恐怖心があり、飲まずに我慢していました。
 しかし、まもなく禁断症状が現れて、吐き気の他に、何ともいえない胸苦しさ、不安パニックのような症状に見舞われました。それがもう耐えきれないほどになったので、おそるおそる、1錠(1mg)を4分の1に割って、それを服用しました。そうしたら、禁断症状がスーッと消えていきました。
 これまでは、いっぺんに1錠とか2錠くらい飲んで、それでもあまり効かないことがあったのですが、このようなからだが敏感になっている状態のときというのは、たった4分の1の小さなかけらでも効くことに驚きました。言い方を変えれば、本当はいかにこの薬の毒性が強いものであるかということの証だと思います。私はこの薬を、多いときで一日に8錠から10錠も服用していました(規定量は一日1.5mg すなわち、1.5錠です)。
 しかし、4分の1錠を飲んで楽になっても、30分もするとまた禁断症状が現れ苦しくなります。私は禁断症状が現れ苦しくなっても、30分は我慢してから飲むことにしました。そうして、禁断症状に対して脳を慣れさせるためです。私は真剣に減薬に取り組まなければならないと痛感しました。薬をやめない限り、うつは治らないと確信しました。
 ネットなどを見ると、急に薬をやめて、その後三日間は地獄の苦しみを味わったといったことが書いてあったりします。しかし急に薬を止めることは危険だと思います。血液中に薬が入った状態に順応してしまった脳が、薬なしの状態に順応するまでには、それ相当の時間がかかります。地獄のような苦しみを味わって脳に負担をかけたり、その体験がトラウマになって、状態を悪化させることも考えられます。なので、薬は急にやめてはならず、長い時間をかけて徐々に減らしていかなければなりません。
 私はとりあえず、1年後を目標に、少しずつ薬を減らしていく計画を立てました。ただし、決めるのは「上限」だけで、無理に飲むことはしないことにしました。そして禁断症状が現れても、30分は我慢することにしました。30分くらいの我慢は何とかできます。
 すると、最初は6錠から二週間おきに半錠ずつ減らしていく計画でしたが、この「30分は我慢する」ようにしたところ、一日3、4錠くらいで平気になりました。それでも規定量の2倍以上を服用していることになりますが、思っていたほど減ったので嬉しく感じます。
 ただ、やはり離脱症状のためか、気分的には以前よりひどく落ち込むようになった気がします。特に朝の落ち込みはどうしようもなくひどいです。
 ところが、それでも何となく、表現は難しいのですが、「調子がいい」感じもするのです。何か、自分の生命力がよみがえっていくような、そんな感じがするのです。
 離脱症状は、「病気の症状」ではありません。からだが本来の健康な状態に戻ろうと闘っている苦しみであり、基本的にはよいことなのです。つまり、「症状は悪化しているが、病状は改善している」ように感じられるのです。
 胃腸風邪になったときは、うつの苦しみの他にこんな苦しみまでやってきて、私はどこまで苦しめられるのかと、思わず神を恨みたくなりましたが、この胃腸風邪がきっかけで、減薬を決意し、改善に向かって方向転換がなされたことは間違いありません。
 そう考えると、胃腸風邪になったことは神の助けなのかもしれず、苦しみが解決のためのきっかけになることがあるとも考えられます。いわゆる「災い転じて福となす」というものですね。これは病気に限らず、人生の苦しみにもいえるのではないかと思います。不運だと思っていたことが、実は幸福へのチャンスだったりするわけです。なので、不運や苦しみが訪れても、あせらず希望をもってしばらくの間じっと心静かに耐えているという姿勢が大切なように思われます。

未分類 | コメント:6 | トラックバック:0 |
<<前のページ| ホーム |次のページ>>